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説教日:2013年3月31日 |
まず、昨年お話ししたことで、きょうお話しすることと関わっていることを、補足しつつ、振り返っておきます。 使徒の働き1章3節に、 イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。 と記されていますように、イエス・キリストは「苦しみを受けた後、四十日の間」弟子たちにご自身を現してくださり、ご自身が栄光を受けて死者の中からよみがえられたことを示してくださいました。それがどのようなことであったかについての一つの記事が、昨年取り上げました、コリント人への手紙第一・15章5節ー8節に、 また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。 と記されています。 きょうお話しすることとのかかわりで注目したいのは、パウロが、 そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。 と言っていることです。パウロは自分のことを「月足らずで生まれた者と同様な私」と言っています。この「月足らずで生まれた者」と訳されていることば(エクトローマ)は新約聖書の中では、ここだけに出てきます。これは、流産することを表す動詞(エクティトロースコー)の名詞形です。また、旧約聖書のギリシャ語訳である七十人訳では3回出てきます。その個所を新改訳にしたがって見てみましょう。民数記12章12節には、 どうか、彼女を、その肉が半ば腐って母の胎から出て来る死人のようにしないでください。 と記されています。これは、2節に、 ミリヤムはアロンといっしょに、モーセがめとっていたクシュ人の女のことで彼を非難した。 と記されていますように、ミリヤムとアロンがモーセを非難したときに、彼女が主のさばきを受けてツァラアトになったときに、アロンがモーセに言ったことばです。モーセはこれを受けて彼女のために主に執り成します。ここで「母の胎から出て来る死人」と言われているときの「死人」(ヘブル語・メート)の七十人訳の訳語が、コリント人への手紙第一・15章8節でパウロが用いていることば(エクトローマ)です。これは「死産の子」を意味しています。 ヨブ記3章16節には、 それとも、私は、 ひそかにおろされた流産の子のよう、 光を見なかった嬰児のようでなかったのか。 と記されています。これは想像を絶する災いに遭って、なおも主を求めているヨブが、主からの応答がないままになっている苦しみの中で語ったことばです。ヨブを訪ねてやって来た3人の友人たちは、7日7夜、ひとことも発することなく、ひたすら苦しみにうめくヨブとともに、地に座り続けました。しかし、ヨブが待ち望んだ主からの応答はありませんでした。ヨブは、生まれる前に死んでいたらよかったという思いを述べています。ここ「流産の子」が出てきます。 伝道者の書6章3節には、 もし人が百人の子どもを持ち、多くの年月を生き、彼の年が多くなっても、彼が幸いで満たされることなく、墓にも葬られなかったなら、私は言う、死産の子のほうが彼よりはましだと。 と記されています。ここには「死産の子」が出てきます。ヨブ記で「流産の子」と訳されていることばと、伝道者の書で「死産の子」と訳されていることばは同じことば(ヘブル語・ネーフェル)で、その七十人訳の訳語が、コリント人への手紙第一・15章8節でパウロが用いていることば(エクトローマ)です。これらにおいても、「流産の子」あるいは「死産の子」を意味しています。これらのことを背景として見ますと、パウロが用いていることばは「流産の子」あるいは「死産の子」を表すことになります。 ただ、聖書以外の文献には「月足らずで生まれた」子を表す用例があるようで(BAGD)、新改訳は(おそらく、BAGDに従って)「月足らずで生まれた者」と訳しています。 昨年詳しくお話ししましたので、先に結論的なことを言いますと、ここでは、「流産の子」あるいは「死産の子」というのがパウロの意味するところであると考えられます。もちろん、「流産の子」あるいは「死産の子」であれば、生まれてきても生きることができないのですが、パウロは「死産の子と同様な私」と言っています。 もしパウロが「月足らずで生まれた者と同様な私」と言っているとしますと、ここで、パウロが言っていることと合いません。というのは、ここでパウロは「最後に」(より厳密には「すべての人々の最後に」)と言っています。「月足らずで生まれた者」は通常より早く生まれてきた子のことです。その意味では、これは「すべての人々の最後に」ということと合いません。またこれが時間的な順序のことではなく、未熟な状態で生まれてきたことを意味しているとしましても、これも、パウロの現実に合いません。 そのことをお話しする前に、まず、確認しておきたいことがあります。それは、「月足らずで生まれた者と同様な私」あるいは、「死産の子と同様な私」ということばは、ここでは、続く9節で、 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。 と言われていることから分かりますが、基本的には、使徒として召されたこと、あるいは、より広く、イエス・キリストの復活の証人として召されたこととのかかわりで言われていることです。そして、その根底には、イエス・キリストの民として召されて、主の民となっていることがあります。 使徒の働き22章3節ー9節には、栄光のキリストがパウロに現れてくださったときのことをあかししているパウロのことばが記されています。そこには、 私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。このことは、大祭司も、長老たちの全議会も証言してくれます。この人たちから、私は兄弟たちへあてた手紙までも受け取り、ダマスコへ向かって出発しました。そこにいる者たちを縛り上げ、エルサレムに連れて来て処罰するためでした。ところが、旅を続けて、真昼ごろダマスコに近づいたとき、突然、天からまばゆい光が私の回りを照らしたのです。私は地に倒れ、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞きました。そこで私が答えて、「主よ。あなたはどなたですか」と言うと、その方は、「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ」と言われました。私といっしょにいた者たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。 と記されています。ここには「サウロ」が出てきます。これはパウロのユダヤ人としての名前です。「パウロ」というのはローマ人としての名前です。パウロはローマの市民権をもっていました。 4節に、 私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。 と記されていますように、パウロは十字架につけられて殺されたナザレのイエスをメシヤすなわちキリストであると信じる人々を迫害し、「死にまでも至らせたのです」。そして、そのことをさらに推し進めようとして、「ダマスコへ向かって」いる途上で、栄光のキリストが現れてくださいました。ただ現れてくださっただけでなく、この引用の後にも続くパウロのあかしの中に示されていますように、パウロを異邦人への使徒として召してくださいました。 このことを受けて、パウロはコリント人への手紙第一・15章9節で、 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。 と述べています。このこととの関連で、この前の節である8節で、パウロが自分のことを「死産の子と同様な私」と呼んでいることが理解できます。パウロはご自身を現してくださった栄光のキリストから、 サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか と言われる状態にありました。この時のパウロは、とてもイエス・キリストの使徒とは言えない者でした。それどころか、イエス・キリストに敵対して、イエス・キリストの民を迫害し、死にまで追いやり、さらに迫害の手を伸ばしている状態にありました。 「月足らずで生まれた者」は、未熟児であっても、母の胎内で成長して、生きている者として生まれてきた者です。しかしパウロは、イエス・キリストの使徒ということだけでなく、また、栄光のキリストのしもべとしてその復活の証人として仕えることだけでもなく、イエス・キリストの民であるという最も基本的なことにおいても、死んだ状態にありました。そのようなパウロにイエス・キリストはご自身の栄光の御姿を現してくださり、使徒として召してくださったのです。まさに、パウロは死んだ状態にあって、生まれてきたような者です。 先ほど引用しました使徒の働き22章3節ー9節に記されていますパウロのあかしのことばの3節には、 私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。 と記されています。ここに出てくる「ガマリエル」はとても有名なラビです。パウロは若い日にその門下で律法を学びました。 このことから、想像をたくましくして一つのことを考えてみました。 先ほど触れましたように、その昔、ミリヤムがモーセに逆らったときに、主のさばきを受けてツァラアトになりました。このことは、律法、「トーラー」と呼ばれる「モーセ5書」に記されていて、とてもよく知られた出来事です。当然、パウロはその出来事を知っていました。また、そのミリヤムの状態を、アロンが、「死産の子」にたとえていることも知っていたはずです。しかし、パウロはミリヤムどころではありません。パウロは、自分が、 主よ。あなたはどなたですか と呼びかけた栄光の主、ヤハウェなるお方から、 サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか と言われました。パウロはモーセどころか、モーセの主であられる方に逆らいました。それも、ミリヤムがモーセを非難したこととは比べ物にならないほどのことをしてきたのです。 パウロが自分のことをミリヤムと比べたという意味ではありません。しかし、パウロはそのような比較をするまでもなく、自分は栄光の主に逆らい、主の民を死にまで至らせた者です。主のさばきを受けて滅び去るべき者であるということがよく分かったはずです。 栄光の主に逆らい、主の民を死にまで至らせたことがパウロの心にどれほどの痛みを与えたことかは、パウロがイエス・キリストの民を迫害したことを繰り返し述べていることから分かります。それは、すでに見ましたコリント人への手紙第一・15章9節や使徒の働き22章4節ー8節のほかにも、使徒の働き26章9節ー11節、ガラテヤ人への手紙1章13節、ピリピ人への手紙3章6節、テモテへの手紙第一・1章13節などに出てきます。 コリント人への手紙第一・15章8節でパウロは、 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。 とあかししています。 ここでパウロは「最も小さい者」(エラキストス)、「価値のない者」(ウーク・ヒカノス)ということばを連ねて、自分が小さく貧しい者であり、使徒に値しないことを強調しています。また、このパウロのあかしのことば自体がエゴー・エイミという強調の形で始まっていて、そのことが強調されています。さらに、パウロは、 なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。 と述べて、自分のことをそのように考えている理由も示しています。このことから私たちは、パウロが自分は小さく貧しい者であり、使徒に値しないと述べていることが、単なる、ことばの上での謙遜ではなく、心底そのように思っているとことを汲み取ることができます。 先ほど、パウロが主の民を迫害したことを述べているみことばの個所を6つ上げました。そのうちのピリピ人への手紙3章6節以外は、すべて、パウロが使徒として召されたこと、あるいはその働きに関連して述べられています。特に注目したいのは、テモテへの手紙第一です。この手紙はパウロが殉教の死を遂げる67年頃の数年前の61年〜63年の間に記されたと考えられます。[ただし、この67年頃という数字は、パウロが殉教したのはネロの治世においてであるという古くからの教会の伝承が正しいということと、それがネロの治世の終わりのことであるということの上に立っています。これが正しくないとしても、テモテへの手紙第一が、パウロの生涯の終わりの数年前に記されたという点には変わりありません。また、67年頃のパウロの殉教の死の数年前、すなわち、テモテへの手紙第一が記された年は64年〜65年の間であるという見方もあります。]このことから、パウロは自分が使徒に値しない者であったことを最後まで心に刻み続けていたことがうかがわれます。 そうではあっても、パウロは、 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。 と言うことによって、自分が使徒であるということを明らかにしています。自分は「神の教会を迫害した」者であるということで、使徒ではありえないとは考えていません。これはとても大切なことです。パウロの迫害によって家族、友人、信仰の家族を殺された人にとっては、愛する者を投獄し、死にまで追いやった張本人が、どうして、イエス・キリストの使徒であることができるのかという思いがわいてくることかも知れません。実際、使徒の働き9章10節ー14節や26節を見ますと、イエス・キリストの民が、イエス・キリストを信じるようになったパウロを、にわかには受け入れられなかったことが分かります。しかし、使徒の働き9章10節ー14節では、イエス・キリストご自身が特別な啓示によってアナニヤを導いてパウロを迎え入れるようにしてくださいました。 このような状況の中で、パウロがこの自分のした ことの重さを感じて、自分のしたことを心に刻み続けていたことは、これまでお話ししてきたことから分かります。それとともにパウロは、自分がイエス・キリストの使徒に値しないということとともにではありますが、使徒であることを主張し続けました。それはひとえに、栄光のキリストご自身が、パウロを召してくださったことによっています。 そのことは、私たちにも当てはまります。私たちもかつては神さまに敵対して歩んでいました。ローマ人への手紙5章10節には、 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。 と記されています。「もし敵であった私たちが」と言われていますが、ギリシャ語の仮定法にはいくつか種類がありますが、これは、私たちが敵であったことを示すものです。実際に、神さまの「敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられた」のです。かつての私たちのことは、エペソ人への手紙2章1節ー3節に、 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。 と記されています。 かつての私たちは神さまの御前では「自分の罪過と罪との中に死んでいた者」でしたし、神さまの「敵であった」のです。神さまはその私たちの「罪過と罪」を御子イエス・キリストの十字架の死によって贖ってくださり、死と滅びの中から救い出してくださいました。そればかりでなく、イエス・キリストの復活のいのちにあずからせてくださって、新しく生まれさせてくださり、神の子どもとして迎え入れてくださいました。その意味では、私たちもかつては「死産の子と同じような者」でした。私自身のことですが、自分がいかに人を傷つけ悲しませ、主のみこころを痛めてきたかを、具体的なこととして覚えるたびに、こんな自分が主のものであっていいのかと思わないわけにはいきません。そうであれば、なおさらのこと、牧師をしていていいのかと、心痛く迫られます。 しかし、それでも私たちは自分が神の子どもであると主張し続けなければなりません。それは私たちにその価値があるとか資格があるということでは決してありません。それはひとえに、御子イエス・キリストの十字架の死による罪の贖いの完全さによっているのです。無限、永遠、不変の栄光の主であられる御子イエス・キリストが、私たちの罪を負って十字架の上で死んでくださったのです。その死は私たちのどのような罪をも完全に贖ってあまりあります。私たちがこれまでに犯したどのような罪も、また、これから犯すであろうどのような罪も、完全に贖うことができます。神さまは私たちに対する一方的な愛によって御子イエス・キリストの十字架の死による罪の贖いを私たちのために備えてくださり、ただ恵みによって、それにあずからせてくださっています。そればかりではなく、同じ愛と恵みによって、私たちを御子イエス・キリストの死者の中からのよみがえりにもあずからせてくださって、私たちを復活のいのちに生きる者としてくださっています。 神さまが御子イエス・キリストをとおしてこれらすべてのことをしてくださったのに、それでも、私の罪が贖われないと言うなら、私は御子イエス・キリストの十字架の死を辱めることになります。父なる神さまがご自身の御子によって備えてくださった罪の贖いによる救いが完全なものではなかったと言い張ることになります。ですから、私たちが御子イエス・キリストの十字架の死と死者の中からのよみがえりを信じているなら、自分は罪を完全に贖っていただいており、神の子どもとしていただいていると主張し続けなければなりません。それは、私たちにその価値や資格があるからではないことを常に心に刻みつつのことです。 パウロは、 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。 とあかししました。しかし、それで終わってはいません。さらにことばを続けて、 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。 とあかししています。 パウロは主の民への迫害の手をさらに伸ばそうとして、ダマスコに行く道で、突然、栄光のキリストの現れ、クリストファニーに接しました。そして、異邦人への使徒として召されました。それは「死産の子」のような状態で生まれたことでした。しかし、そのパウロが生かされました。十字架につけられて殺されたナザレのイエスが、栄光の主、ヤハウェであられ、メシヤであられるということを信じ、その十字架の死による罪の贖いにあずかり、すべての罪を贖っていただき、その復活のいのちによって新しく生まれさせていただきました。それはまた、異邦人への使徒としての召しを伴うことでした。このことを受けて、パウロは、 神の恵みによって、私は今の私になりました。 と告白しています。それは、まさに「死産の子」のような状態で生まれた者のよみがえりを告げることです。 さらに、パウロは、 そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。 とあかししています。私たちは、 私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。 というパウロのことばに偽りはないことを知っています。けれども、そのようなことを言うことは高慢ではないかと感じます。特に、この国ではそのようなことを口にしないことが美徳とされてきました。しかし、それはパウロがあかししていることを正しく受け止めていないための感じ方です。パウロは。これまでお話ししてきたことに合わせて言いますと、自分が「ほかのすべての使徒たちよりも多く働」いてきたことは「死産の子」のような状態で生まれた自分が、神さまの一方的な愛と恵によって生かされたことの現れであると言っているのです。 もう一つのことですが、私たちは、パウロはそのような恵みにあずかったので、神さまにお返しをしていると考えてしまうかも知れません。しかし、パウロはそのようなことを言ってはいません。パウロは自分が「ほかのすべての使徒たちよりも多く働」いたことは、自分の力でしたことではなく、それをしたのは「私にある神の恵みです」とあかししています。パウロはただ、神さまの恵みをあかしするためにこのことを記しています。ですから、パウロは神さまに、また、イエス・キリストにお返しをしたとは思っていません。 これは微妙なことですが、一つのたとえをすると分かりやすいかもしれません。小さな子どもが、自分のお金で買ったものをお父さんにプレゼントしたとしましょう。その子が買ったプレゼントの代金は、その子のお小遣いからていてますので、突き詰めていきますと、お父さんから出たものです。これを金銭の勘定だけから言えば、お父さんは何も得ていないことになります。けれども、そのプレゼントには、支払った代金を越えた価値があります。言うまでもなく、それはその子のお父さんへの愛であり、お父さんへの思いです。その子は、このプレゼントを上げればもっとお小遣いがもらえるというような計算をしてはいません。あるいは、自分のいい子であることを見せようというような計算もありません。それは純粋に、お父さんへの愛から出たことです。 パウロも私たちも、神さまと御子イエス・キリストの愛と恵みにお返しをすることはできません。けれども、神さまが一方的な愛と恵みによって与えてくださっている賜物を用いて、神さまと御子イエス・キリストへの愛を現すことができます。また、その賜物を用いて、兄弟姉妹への愛を現すことができます。それは決して神さまと御子イエス・キリストと取引をすることではありませんし、兄弟姉妹と取引をすることではありません。また、自分のよさを見せようとすることでもありません。 私たちは「死産の子」のような状態で生まれた者です。神さまの愛と恵みに値する者ではありません。けれども、神さまはそのような私たちを愛してくださって、私たちのために御子イエス・キリストを十字架につけて私たちを死と滅びの中から贖い出してくださり、私たちをイエス・キリストの復活のいのちで生かしてくださり、神の子どもとしてくださいました。そのようにして、私たちがイエス・キリストの復活のいのちにあずかって生きているのは、神さまと御子イエス・キリストへの愛を現すためです。また、兄弟姉妹たちへの愛を現すためです。 |
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