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2006年08月28日(月) 編集

册子

堀尾@阿佐ヶ谷ヴィオロン

  • 週末友人のライブを聞きに行く。今日は歌入り。また朝まで飮む。歸つて寐て起きて、一日何もしないで過ごす。

コメントへの返事

此方に書きました。

>平頭通さん

册子はまだ試作品でもありますので、ごく少數しか作成しませんでした。手元にはこの寫眞の分だけしかありません。もし手つとり早く入手したいのであれば、茲のPDFデータを用ゐてオンデマンドで製本して貰ふ方が確實でせう。そのかはり割高ではありますが。

もつと安く出來る處がないか檢討してゐますので、見つかれば秋口にでもまとまつた數の册子をまた作る積りです。

>karpaさん

日記の意圖は了解しました。私の「囘答」と云ふのは、以下の

智識量の勝負となつて、プロの校正者編輯者も把握してゐないのを、さういふのになれない人間がどこまでできるかといふのは、實際にOOoで組版をして苦勞した人間としては、氣になる。

正字正かなでの組版について

と云ふのが念頭にあつて、だつたらそも正字正假名の組版なんてやつた事の無い*1私がどこまでそれを形に出來るのか、そしてそれを實際にやつてみたと云ふ意味合ひとして用ゐてみたのです。

*1:序でに云ふと、知識も伎倆も云はれる程持ち合せてゐる訣ではないのですが。

平頭通平頭通 2006/08/29 09:10 写真の冊子は何処かで入手可能なのでせうか。

karpakarpa 2006/08/29 12:23 私があの日記において意圖せしこととすこしずれてゐるやうに感じます。あの日記は、非正字正かなに馴染んだ編輯子、或は校正子が、正字正かなを扱ふ際に智識なくしてできやうかと揶揄し、限られたフォント環境の中ではかうするしかあるまいといふのを簡單に考察したものでした。外字セットでは、正字を扱ふのに必要のない文字のはうが多く入つてゐて、寧ろ必要である字が少ない、といふのを智識なくしてわかりやうもなく、闇雲に入つてゐる字を使ふのは無智を曝すのに等しいぞ、といふからかひが意圖であり、對校すべきテキストがきちんとあり、それを表現できる智識と技量を船木さんはお持ちになつてゐるので、巧くないいひかたですが、囘答とはおもはれない、といふことです。

野嵜野嵜 2006/08/29 19:27 ×できやうか
○できようか

karpakarpa 2006/08/30 00:42 お恥かしいかぎりです。

2006年08月25日(金) 編集

職場にて

ディスプレイをCRTから液晶のものに交換。殘りのCRTも何れ無くなる事だらう。机の周りを片附け、パソコンラックを分解したり、ディスプレイ(21インチ)を運んだりして非常に草臥れる。

若冲と江戸会画展

上野の国立博物館にて。流石に込んでゐる。伊藤若冲だけの展示ではなくて、江戸時代の樣々な(圓山派、狩野派や琳派の)日本畫が萬遍なく置かれてゐた。

渡辺始興の鯉圖河鍋暁斎の達磨がよかつた*1

豫備知識なしに見た伊藤若冲は、慥かに私の目にも斬新に見えた。花鳥人物圖屏風鶴圖屏風での墨ベタの線の勢ひに驚かされる。

鳥獸花木圖屏風は、桝目描きと云ふ技法で描かれてゐる。こんな畫は今迄お目に掛かつた事がない。凄いインパクトだ。たゞ人集りが絶えず碌に繪がみられなかつた。

こゝのプライスコレクションの展示一番感心したのは、「光と絵画の表情」と云ふ特別展示だつた。普通絵画の展示照明には「限りなくフラット」であることが求められる。しかしこゝでは、舞台に使われるような照明装置を使い、「自然光のように変化し、作品に表情を与える陰影ある光」を実現すると云ふ。

例へば金屏風を見てゐると、照明が暗くなるに從つて屏風自體が淡く光を發するかのやうに鈍く輝き出す。光を當てたのでは決して出てこない、金そのものの美しい色合ひのやうだつた。この時頭を過つたのは谷崎の陰翳禮讚の文章だつた。この事を云つてゐたのか。屏風は幾つか目にしてゐたけれど、これ迄一體何を見てきたのだらう。

葛蛇玉の雪中松に兎・梅に鴉圖では、まるで夕泥みから、滿天の星が浮かび上がるかのやうな幻想的な光景を目にした。

けふの買ひ物

楔形文字入門 (講談社学術文庫)

楔形文字入門 (講談社学術文庫)

これは前々から探してゐた。

*1:思はず壁紙にして了つた。

2006年08月24日(木) 編集

ペルシャ文明展

上野の東京都美術館にて。

  • 惹き附けられた鉢や臺附き杯は紀元前三千年代の物だつたりする。當り前のやうに紀元前何千年代の物が展示されてゐるから、時折時間の感覺が狂ふ。かういふ歴史なり文明を扱ふ時、例へば千年單位でしか捉へられない概念と云ふのがあるのではないかとも感ずる。
  • 楔形文字が刻まれた碑文を幾つか見る。今迄一種類の言語だけだと思つてゐたのだが、實は三種類の言語が刻まれてゐると云ふのを初めて知る。
  • アフラ・マズダーの像を初めて見た。さういへばペルシアはゾロアスターの発祥の地だ。
  • 金製のリュトン(酒器)は流石に綺麗だつた。照明を落として、展示室を暗くしてゐるので餘計に映える。
  • 御馴染みのササン朝の円形切子碗もあつた。
  • 物品店でペルシヤの燒き物を眺める。一つ位買つてみたかつた。

三册讀了

生きていることの科学 生命・意識のマテリアル (講談社現代新書)

生きていることの科学 生命・意識のマテリアル (講談社現代新書)

思ひの他すらすらと讀めたのは意外だつた。尤も理解しながらと云ふよりも、對話形式による話の勢ひに乘せられて、あれよあれよと云ふ間に運ばれていつたやうなものである。結局訣が分らん儘だつたりする。

たゞこの本の難しさは、聞き慣れない語彙*1なり、著者の云ふ「マテリアル」や「質料」「スケルトン」といつた概念からきてゐるのではないと思つてゐる。寧ろどこまで問ひ(意識・生命とは何か?)を共有してゐるか、と云つた處に勘所があるのではないか。

期待通りの内容だつた。理性と信仰の關はりに就て興味があるので、非常に樂しく讀む。痺れるやうなフレーズが續出する*2。「文法」が出てくるのが流石だ。

ライプニッツは私にとつて、何處か取附端がなかつた。學問のあらゆる分野に就て言及してゐるからと云ふのもあるし、それだけではなく解説を讀むと、實は主著と云へるものがなく、樣々な斷片の中に分散した形で纏められてゐると云ふ。

この本の面白い處は、ライプニッツ哲學の解説といつたところではなく、著者が哲學に抱いてゐる想ひなり、哲學に對する態度の方だつたりする。そこが文章に出てゐてよかつた。著者も、この本は研究書ではなく招待状だと書いてゐる。

*1:理論生命科學からきてゐるのか

*2:一つ擧げると「神学者は理性なしに狂い、哲学者は理性をもって狂ってしまう!」

2006年08月23日(水) 編集

晴れ

  • まだまだ暑い。
  • 眞夜中だと云ふのにあちこちで蝉が引切無しに鳴いてゐる。
  • 日曜に定例會に出席。

最近買つた物

讀む當てはなくても本は買ふ。

グレン・グールドといっしょにシェーンベルクを聴こう

グレン・グールドといっしょにシェーンベルクを聴こう

『新しいデカルト』がよかつたので、これも取り寄せた。

漢字伝来 (岩波新書)

漢字伝来 (岩波新書)

『漢字と中国人』の著者だ。

ことば―座談会

ことば―座談会

算法少女 (ちくま学芸文庫)

算法少女 (ちくま学芸文庫)

當世風に云へばMathematics Girlか。

聖書の日本語―翻訳の歴史

聖書の日本語―翻訳の歴史

日本人のキリスト教受容がどのやうなものだつたのか興味を抱いてゐる。『キリスト教と日本人』や『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』も氣になる。

親鸞のコスモロジー

親鸞のコスモロジー

世界最高のジャズ (光文社新書)

世界最高のジャズ (光文社新書)

2006年08月19日(土) 編集

夏休みは無いが、過酷なお盆休み進行を免れたのは勿怪の幸ひだつた。

しかし、それでも今月一杯は連日、午前樣が確定しさう。Good Grief !

無題

久しく墓參りはしてゐない。御先祖樣と云ふ概念は持ち合はせてゐる積りなのだが。

床屋へ行く。今通つてゐる處は靜かなので割と氣に入る。車の走る音と蝉の聲と鋏の音しかしない。

讀了

とっておきの東京ことば (文春新書)

とっておきの東京ことば (文春新書)

數々の心地良い言葉。讀みながら噺家の話振りを聯想した。

しかし不思議なのは、何故これらの言葉がとても自然に感ぜられるのか。兩親は東京の出身ではないし、少なくとも私の身の周りでは、かういふ言葉は、日常的に遣はれてはゐなかつた筈なのだが。私は一體何處でこれらの言葉を耳にしたのか。それとも讀んで覺えたのだらうか。

2006年08月13日(日) 編集

九段坂上から

名取洋之助と日本工房展

川崎市市民ミュージアムにて。名取洋之助土門拳の寫眞を直に見られてよかつた。

『NIPPON』の展示を見て廻つて感じたのは、デザインとプロパガンダの關はりについて。戰爭中だつたからといつた事ではなくて、今現在でも氣になる問題だと思ふ。

あと原節子の魅力を再發見する。

けふの買ひ物

岩波の大教育家文庫(三木清著『ソクラテス』『アリストテレス』)を購入。

九段下から神保町へ向ふ途中、物々しく道路を封鎖してゐる警官の姿を多く見掛けた。近所の會館で集會があつたみたいだ。

2006年08月11日(金) 編集

職場にて

夕方送別會に行く。六本木にて朝鮮料理を食す。人參酒を飮んだり、彈き語りを聞いたりする。

2006年08月09日(水) 編集

雨のち晴

  • この間の夕燒けは凄かつた。
  • 矢鱈と眠い。氣壓の所爲なのか。
  • 夜中に羽化したての緑がかつた白い蝉を見掛ける。子供の頃以來ではなからうか。木の幹ではなく何故か石垣にへばり附いてゐた。
  • 月を眺めながら歸る。眩しい位に綺麗だつた。

讀了

新しいデカルト』がとても素晴らしかつた*1ので、またデカルトを讀みたくなつた。先づ三木清譯の『省察』を讀み始める。

省察 (岩波文庫 青 613-2)

省察 (岩波文庫 青 613-2)

*1:新しいと云ふより、永遠に新しいとさへ云ひたい。

2006年08月06日(日) 編集

  • 定例會に出席
  • 銀座の松屋で買ひ物をして「北川一成 印刷の越境」展を覗く。本を買つて歸る。
デザインの輪郭

デザインの輪郭

2006年08月04日(金) 編集

晴れ

  • 夏らしくなる。
  • 「大潮の頃」を讀む。最近讀み切りがまとめて出てゐる。

職場にて

  • 二の丑なので鰻を食べに行く。
  • 二日續けてプリンタの調子がをかしくなる。天手古舞。

二册讀了

小論理学 上巻

小論理学 上巻

小論理学 (下巻)

小論理学 (下巻)

だらだらと一月位かけて讀む。何年か前に岩波の松村一人譯を讀んでゐたけれど、こちらは單なる譯だけではなく、譯者の解釋をもとに原文の文脈に沿つて可成り言葉を補つてゐる*1ヘーゲルの文章を讀むと、兎角語句に躓きがちになるので、隨分と讀み易くなつてゐるのではないかと思ふ*2

それだけでなく、譯者による本文の註解が一册づつ別に小册子として纏められてゐる。たゞ問題なのは、茲での譯者の解釋が全く詰まらないと云ふことだつた。眞面目に且つ詳細に書かれてゐるのだけれど、ヘーゲル哲學に於いて「解釋」と云ふ事があり得るのだらうか。

あと註釋だけではなく何と問題と解答まで載せられてゐるとは思はなかつた。何か受驗參考書みたいで、「お勉強」したい人には向いてゐるのかもしれない。私はご免蒙るけど。

*1:補ひ過ぎの感もある。

*2:長谷川宏譯ではどうなんだらう。

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