はてなの茶碗 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter


2006年05月30日(火) 編集

曇り

食事の時に汗ばむやうになつてきた。いゝ加減夏物を引つ張り出さなくては。

讀了

日本語の歴史 (岩波新書)』を讀む。話し言葉と書き言葉の鬩ぎ合ひと云ふ觀點から書かれたと云ふが、どうも話し言葉の方に肩入れしてゐるみたい*1。なので、明治以後の話はそれ程樂しめず。

著者の語る言語觀(いては歴史觀)には、私にとつて相容れないものがあつた。

*1:專攻が擬聲語・擬音語だから仕方ないのか。

2006年05月29日(月) 編集

土曜

  • 結局またバルラハを觀に行く。次は何時見られるか分らないし。
  • 友人のライブを聽きに行く。カルフォルニアの人とお酒を飮む。

日曜

  • 某定例會に出席。美味しいお菓子を食す。

堀尾@阿佐ヶ谷ヴィオロン

友人のライブを聽きに行く。

2006年05月26日(金) 編集

けふの買ひ物

家でシュレッダーが入り用になつたので、色々物色してamadanaに決めた*1

amadana パーソナルシュレッダー DS-106-B

amadana パーソナルシュレッダー DS-106-B

量販店には置かれて居なかつたので、ショップのある表参道ヒルズへ赴く。昔同潤會青山アパートがあつた場所だつたと云ふが、初めて訪れて面喰つた。此處の設計は安藤忠雄が擔當したのは後で知る。

ロダンとカリエール展

国立西洋博物館へ行く。カリエールは去年見て氣になつてゐたので好い機會だ。ロダンとカリエールは深い交流があつた事を知つた。

カリエールは矢張り母子(母親が子供に接吻してゐる繪等)を題材にしてゐるものがよかつた。ちよつとは彫刻がわかるやうになつたかと思つたが、まだロダンは私に語り掛けて呉れなかつた。もつと耳をすまさなくてはいけない。

常設展も見て廻る。いゝ繪が澤山見られるのは有難いが、いつも一杯一杯になつて了ふ。

こころの時代

村田和樹師の「自給自足・山寺に生きる」と坂上二郎「古稀からの復活」を聞く。二郎さんは主にリハビリの話。時折語尾に短く「へっへっ」と這入る。噺家みたい。

*1:注意書が樂しい。何故忍者?

2006年05月25日(木) 編集

エルンスト・バルラハ展

上野の東京藝術大学大学美術館にて。ポスターにのせられてゐる彫刻(佛像を思はせる表情をした「苦行者」)に惹かれて觀に行つた。一體これは何なのだらう。今迄彫刻を見てこれ程我を忘れたのは初めてかもしれない。

雜誌を讀む

  • 今月の中央公論の特輯「次代に伝えたい日本語」を讀む。
  • 四月から始まつたサンデー毎日の連載「暮らしの哲学」と「三拍子の魔力」に注目してゐる。

2006年05月24日(水) 編集

晴れ後雷雨

  • 何かこの頃こんな天氣。
  • 最近のお氣に入りはサントリーの黒烏龍茶。
  • 鼻風邪がなかなか直らない。嚔が止まらない。
  • 職場にて、夜中にゴキブリ退治。仕事にならない。

最近買つた物

日本語の歴史 (岩波新書)

日本語の歴史 (岩波新書)

かな―その成立と変遷 (岩波新書 青版 679)

かな―その成立と変遷 (岩波新書 青版 679)

漢字民族の決断―漢字の未来に向けて

漢字民族の決断―漢字の未来に向けて

宗教の授業

宗教の授業

編集とはどのような仕事なのか―企画発想から人間交際まで

編集とはどのような仕事なのか―企画発想から人間交際まで

きれいな歌に会いにゆく―SONGWRITING INTERVIEWS

きれいな歌に会いにゆく―SONGWRITING INTERVIEWS

2006年05月20日(土) 編集

噴水

晴れ一時嵐

天氣予報を見ておいてよかつた。尤も傘があつても大して用をなさなかつたが。

けふの買ひ物

レプリカ―真似るは学ぶ (INAX BOOKLET)

レプリカ―真似るは学ぶ (INAX BOOKLET)

1階のブックギャラリーにて購入。建築關聯の本ばかりを取り揃へてあり、非常に私好み。

レプリカ―真似るは学ぶ―展

INAXギャラリーにて。博物館等で復製が展示されてゐるのを見て、何か損をしたやうな心持ちになつたり、目を向けない事もあつたりするのだが、以前に模写・模造と日本美術展を見て、そのやうな態度を改めるやうにしてゐる。

實際それらがどのやうに作られたかを知る事によつて、成る程一つの「作品」としての凄さが感ぜられる。展示の側に添へられた文字パネルには解説が詳しく書かれてゐた。現場の學藝員や製作に携はる人達の作業に對する實感が直に傳はつてくるやうで*1なかなか面白い。

さういへば茲にある複製品を作製した京都科学つて、どつかで目にした名前だと思つたら、後で村上春樹のエッセイに書かれてゐた事を思ひ出す。

*1:「「見る」ということについて」はよかつた。

2006年05月19日(金) 編集

曇り時々雨

四谷のラインガウにて獨逸料理を食す。體調が勝れないので麥酒はそれ程飮まなかつた。

デザートに西瓜が出てきた。今年初めて口する。

昔話

Macつて、ファイルとアプリケーションの關聯附け、直すの大變ですよね。何うしたものですか。

闇黒日記平成十八年五月十九日

私がOS8.6を使つてゐた頃は、主にコンテクストメニューから直してゐた。ファイルの數が多い時はFile Buddyを使用してゐた。結局お金を拂つた事はなかつたけれど。

讀了

東京語の歴史 (中公新書)

東京語の歴史 (中公新書)

茲で取上げられてゐる言葉は馴染みのあるものばかりだ。口に出す事に然程抵抗はないし、割と身近にあるものが多い。基本的に私の話言葉は、大部分が標準語で少々東京言葉が(稀に關東方言も)交ざる位だらうか。存外不斷口にするやうな言葉は意識する事が少い。

著者の杉本つとむ氏は表音主義者*1なので、端々に表音的仮名遣を持ち上げる書き方をしてゐる。特に、

現代仮名遣いで、慣習として残した「ヘ・は」も、東京語の伝統にのっとって考えれば、慣用的にも史的観点からも、「え・わ」と用いる正当性が十分に了解される。

なんて事が書かれてゐる。杉本つとむを讀むのは實に大變だ。さういへば以前、歴史的假名遣と現代假名遣をそれぞれ關西方言と關東方言の對比によつて攷察してゐた文章を目にした事があつたけど、どこでだつたかな。

あと讀んでゐると、氏の言語觀みたいなのものが窺へる記述もある。幾つかひくと、

ことばは人間を離れて存在せず、人間は土地を持って生活の場とする。

ことばは単なる記号ではなく、また条理のみをもって律することはできない面が存在する。

(江戸詞の研究に際し江戸城下町と云ふ市街の建築に就いて筆を費やすのは)求める江戸のことばは当然のこととして、究極においてこれを話し、聞く人間を設定しなければならないからである。人間はまたそれが話を展開し形成する場におかねばならない。それこそが言語研究の方と法である。

言語活用の精華は究極において、やはり風土と人間である。

*1:現在はまた異なる主張を述べてゐる。

funaki_naotofunaki_naoto 2006/05/23 00:04 削除。アクセス元は
125x100x41x174.ap125.ftth.ucom.ne.jpより。

2006年05月14日(日) 編集

曇り

やつと床屋へ行く。

文字講座

東洋美術学校の特別講演會を聞きに行く。とても面白かつた。

今日のお題は「石に刻まれた文字」。初めに片塩二朗氏のお話「石のエクリチュール」を聞く。パレオグラフィ(Paleography、古書體學の謂)の事を中心に、ロゼッタ・ストーンや墓標・碑文に刻まれた文字など多岐に亙る話を聞く。掃苔會と云ふ名稱の研究會があり色々と活動をしてゐる。

擡頭と徹底と云ふ語がタイポグラフィに關係する語だとも云つてゐた。

次は木村雅彦氏の「TRAJAN INSCRIPTION」、トラヤヌス帝の碑文に就いてのお話。ローマン體の成立(大文字と小文字の歴史)に纏はる話は勉強になる。

歐文書體の良し惡しつて全然判らないが、何となく見續けてゐると、碑に刻まれた大昔の文字が美しく感じられるやうになつた。お了ひにトラヤヌスの記念柱から直に取つてきた大きな拓本(複製)を見た。

2006年05月13日(土) 編集

  • 某定例會に出席。肌寒い一日。
  • 何時の間にやら國語問題協議會のトップページが新しくなつてゐる。初めてまともに見ることが出來た。しかもDTDがHTML 4.01 Strictだ。一體何が起つたのか。次はCSSに期待してゐる。

讀了

大阪弁「ほんまもん」講座 (新潮新書)』を讀む。名前の後ろに附ける「〜はん」と云ふ言葉に法則があることを初めて知る。

  1. すぐ前の音がイ段・ウ段・ンの場合→「さん」のまま
  2. すぐ前の音がア段・エ段・オ段の場合→「はん」に変化
  3. すぐ前の音がシ・ス・チ・ツの場合→促音化

だから月の法善寺横町ではこいさんになるのだと合點がゆく。尤も法則はあるが状況次第で話し手が判斷して變へる必要があるとの事。

大坂辯(に限らず色んな御國言葉)は非常に魅力的な言葉である。でも殘念ながら私の生活圈には、それらは遣はれてゐないし、かういふ本を讀んで了ふと知らない語は矢張り遣へないし口にする事を躊躇ふと思ふ。

あと後書きで引用されてゐる真田信次氏の「そもそも『標準』というものは一つとは限らない」と云ふ言葉がよかつた。

2006年05月07日(日) 編集

一日家で過ごす。

讀了

テクノ/ロジカル/音楽論 シュトックハウゼンから音響派まで 佐々木敦著』を讀む。真逆なんて語が二囘も遣はれてゐてげんなりする。臺無し。

2006年05月06日(土) 編集

埠頭から

神々と出逢う―神奈川の神道美術展

神奈川県立歴史博物館へ行く。木造の神像が多數展示されてゐた。これ程まとまつた數のを觀るのは初めて。體の造形は佛像みたいでもあるけど、顏の表情がまるで違ふ。形容し難い。他でも指摘されてゐたけれど、鎌倉のものと室町のものとでは、顏の造作が全く異なる。

佛像も澤山置かれてゐた。神佛習合だつたから當然なのかもしれない。

散策

海を見に大桟橋埠頭へ行く。大つきな船が入港するところ。

f:id:funaki_naoto:20060506164908j:image:w180 f:id:funaki_naoto:20060506165154j:image:h180

猫も居た。

2006年05月05日(金) 編集

端午の節句

  • 家に居る。一日中筒美京平の曲を聞く。本を少し(ほんの少し)方附ける爲外出。
  • 自轉車屋の主人にお古の自轉車を見せたところ駄目出しを喰ふ。
  • 風邪は一進一退。

こころの時代

栗田勇氏の「一休さんの実像を探る」を聞く。

けふの買ひ物

誤植読本

誤植読本

日本語をどう書くか

日本語をどう書くか

日本を意識する (講談社選書メチエ)

日本を意識する (講談社選書メチエ)

2006年05月03日(水) 編集

風景

日本の神々と祭り展

佐倉の国立歴史民俗博物館にて。行きすがら車窓から田植ゑを眺める。もう八十八夜だ。

出雲大社厳島神社伊勢神宮、祇園八坂神社が取上げられてゐる。默々と見て廻る。矢張り古い神社は西國に多いから、いつか實際に觀てみたい。

常設展を駈け足で廻つた。何故か逆さに廻つて了ふ。一角に印刷文化の展示があり、古活字版の歴史を追つてゐた。此處で嵯峨本や駿河版の銅活字(複製)が見られたので少し驚く。他にも、片假名字體の變遷として、佛典に記された假名字體の時代毎(九世紀から十三世紀まで)の違ひを壁一面に寫眞で掲げてゐたのには吃驚。

二册讀了

旧かなと親しむ―俳句・短歌がゆたかに自在に!』と『国語の建設』を讀む。林甕臣の『日本語原学』を取上げてゐたが、興味深く讀む。

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