はてなの茶碗 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter


2005年12月31日(土) 編集

おほつごもり

  • 年賀状や寒中見舞を書く。夜中に蕎麦を食す。
  • 床屋へ行く。大晦日だと云ふのに結構營業してゐる處が多い。
  • JBのAin't it Funky Nowが一日中耳から離れないので困る。
  • 今年も色々あつたが、來年も色々あると思ふ。

2005年12月30日(金) 編集

年の瀬

休みを利用して鴎外の『假名遣意見』を讀む。岩波の全集では、假名がカタカナ、句點と改行が無いと云ふ表記。なかなか手強い。もともと議事の速記録だからさういふ表記になるのだが。

筑摩書房の全集に収められてゐるのは、普通の表記だつたのでこつちは讀み易い(註も多いし)。しかし、明治の文章はまだ讀み慣れぬ。

2005年12月29日(木) 編集

無題

仕事納め

昨日で一往お仕舞ひなのだが、年始にどたばたしさう。忘年會でワインを貰ふ。

今日は寐過ごして東京大賞典を見逃す。

2005年12月26日(月) 編集

お悔み

デレク・ベイリーが死んだ。

彼の音樂はあまり熱心に聽いてゐなかつたが、昔彼の書いたこの本を、食入るやうに讀んでゐた事があつた。

2005年12月25日(日) 編集

?石

?石

西船橋の神社にて。よくみたらどの字も見慣れぬ字形だつたので面白い。

歳末

講座を聞く。

karpakarpa 2005/12/27 15:51 敷石、でよいと思ひますけどね。新字源に「敷」の本字で、「方」を「寸」で掲字してゐます。字通も音符を「專」としてゐるので類似した説明といへます。たぶんそこからきた異體字でせう。

karpakarpa 2005/12/27 15:54 間違へました。「專」ではなくて、U+5c03ですね。

nnhnnh 2005/12/27 22:56 私の本名には「原」の字が入つてゐるのですが、私が15歳の時に、戸籍では「原」の三劃目の點が拔けてゐると云ふことが發覺したのでした。すぐに訂正を求めたのですが、その逆ですね、これは。

funaki_naotofunaki_naoto 2005/12/28 00:57 >karpaさん おそらく異體字だらうと見當はついてゐたのですが、しかしかういふ字形は見かけた事がなかつたので、迷つて了ひました。

>nnhさん 「原の三劃目の點が拔けてゐる」字形は今昔文字鏡にもありました。割と珍しいものではないやうですね。「石」の字形は五体字鑑にそれらしきものがありました。

2005年12月24日(土) 編集

中山大障害

中山競馬場にて觀戰。流石に寒い。新鋭テイエムドラゴンが勝つ。

歸りに驛のホームで、短パン半袖(しかもシャツ一枚)姿の男性を見掛けた。負けたと思つたが、勝つ積りはさらさらない。

スリーエイト

タンメン(六百五十圓)を食す。

相田みつを美術館にて

特別展「アインシュタイン日本見聞録」を見る。こゝの展示は割と直ぐに見終へたので、隣の美術館も覗く。「便所の神樣」といつた幾分揶揄を含んだ風評ばかり目にするが、實際のところはどうなのか一度虚心坦懷に見てみたかつたのだ。かういふ機會でもないと見る事は先づないし。

決してをかしな事を言つたり書いてゐる訣では無いのだが、何故か、鼻に附く安手の人生論みたいになつて了ふのかが不思議だ。かういふのは矢張り自分には相容れないと強く感じる。

それから彼の書は、上手に見られまいとしてゐる人の書だと感じた。敢て意圖して、あのやうに書かれてゐる。實際達筆な書を書かうと思へば、造作無く出來たと思ふ。

堀尾@阿佐ヶ谷ヴィオロン

友人のライブを聞きに行く。クリスマスソングを多く演奏してゐた。

忘年會で燒酎をしこたま飮む。

2005年12月23日(金) 天長節 編集

けふの買ひ物

レタリング入門―アルファベット

レタリング入門―アルファベット

こちらは最近まで版を重ねてゐるので容易に入手出來た。

讀書

今野さんの新刊を讀む。

2005年12月19日(月) 編集

冬日

流石に寒い。

買つたり讀んだり

コルトレーンを聴け!

コルトレーンを聴け!

JAZZ批評の頃から原田和典さんの文章はよく目にしてゐた。單行本と云ふのは初めてではないのか*1

無思想の発見 (ちくま新書)

無思想の発見 (ちくま新書)

類の無い不思議な本だと思ふ。印刷は精興社。最近の岩波文庫みたいな氛圍氣。

方法叙説 (白水Uブックス)

方法叙説 (白水Uブックス)

解説が養老孟司。かなりのデカルト贔屓だと云ふのがよく傳はる。

芸術の哲学 (白水uブックス)

芸術の哲学 (白水uブックス)

何か昔の岩波文庫を讀んでゐるみたいな氣分になると思つたら、これも本文印刷は精興社だつた。

2005年12月18日(日) 編集

某定例會に出席する。盲目の雀士の話を聞いた。

讀了

小型新約聖書 詩篇附 - 文語訳

小型新約聖書 詩篇附 - 文語訳

以前岩波文庫の『新約聖書 福音書 (岩波文庫)』を讀んではゐたのだが、一度は新約全體を通讀したいと常々思つてゐた。時間が掛かつたが漸く讀み終る。

矢張り福音書が私には一番面白い。キリスト教ではなく、あくまでイエスに(更に言へば彼*1の言葉に)興味がある。

*1:そして彼を遣はした者

平頭通平頭通 2005/12/20 02:36 新約聖書だと、使徒行伝はルカ伝の続編だと聞いてゐるので、一度、ルカ伝と使徒行伝を続けて読んでみるのも良いかも知れません。『善なるもの一なるもの』もお持ちのやうですから一言しておきますが、新約外典やナグハマディ文書やヘルメス文書なども興味深いと思ひます。旧約なら偽書のエノク書がお薦めですね。

funaki_naotofunaki_naoto 2005/12/22 00:13 ご教示ありがたうございます。言はれてみれば共通のトーンを感じます。何時讀めるか分りませんが、先に舊約の通讀をする心算ではゐます。プロチノスはまだ讀んでません。

2005年12月17日(土) 編集

茅の輪

茅の輪

  • 神田明神にて。もうそんな季節だ。
  • 湯湯婆をひつぱりだす。

「出版の未来、音楽の未来」

和光大学表現文化学科のシンポジウムを聽講する。出版や音樂に就て共に興味があるので、有意義な話が聞けて面白かつた。案の定話は多岐に亘り、中々纏め切れるものではないのだが、今日の話の中ではコンテンツ・マネージメント・システムとインセンティブと云ふ單語がよく擧がつてゐた。これらが編輯者にとつて重要なものになるとの事。

私の印象では、オンライン上にて、この兩者がうまく機能してゐるのが、即ちはてなやウィキペディアではないかと云ふ感を抱く。

行きは驛からの無料送迎バスを利用した。歸りは、バスが無く歩いて行つたが結構な距離がある。どうやつて學生達は行き來をしてゐるのだらう。

[TeX]はじめました。

adobe-japanのコード表から拾つてやつたのだけど、正字體がちやんと出る。之繞の點とかは勿論、「磯」の「人」の上の部分が交るかどうかとか、「非」とか「化」の突出る出ないとか、細かいところまで、殆ど網羅してゐるのではないかと思ふ。

それで、對照表を作つてやれば、完全なる正字出力とかも出來るのでせうね。といふか、既にあつたりするのかな。

はじめました

「磯」はCID{13643}*1、「化」はCID{13665}、「非」はAdobe-Japan1-4には無い筈。

對照表は旧仮名・旧字変換支援 misimaのmisima 辞書新字-旧字変換対応表(PDF)や、書籍でインクナブラ:Adobe Japan1-4 切り換え漢字字形一覧があります。

尤も私は、misima 旧仮名遣い・旧字変換支援(Ver.2.0)で、テキストを「OTF CID数値参照」變換させて手つとり早く濟ませて了ひます。

それから、フォントは出來れば埋め込んだ方がいゝかもしれません。

*1:「人」の上の部分が交る字體は、明朝體の活字に於いてはそれ程用ゐられてはゐなかつたと思ひます。

nnhnnh 2005/12/18 11:14 湯湯婆を「湯婆婆」と讀んでしまつた。「千と千尋……」は見てません。

funaki_naotofunaki_naoto 2005/12/19 22:20 慥かに似てます。敢て似せて名附けたのか。私も映畫はまだ見てゐません。

2005年12月16日(金) 編集

東京驛丸の内口

TRONSHOW2006

東京国際フォーラムにて。東京大学大学院情報学環・学際情報学府パーソナルメディアのブースでお目當ての「T書体フォント」*1のデモンストーレションを眺める。

フォントのデザインを云々するだけの見識は持ち合せてゐないが、金文や變體假名のゴシック體つて想像がつかない。

他のブースをぶらぶら覗く。ちつとも意識してゐなかつたが、ユビキタス・コンピューティング環境は存外身の周りにあふれてゐる。凸版や大日本のブースもあつた。

スヌーピーライフデザイン展

寄り道してA展示室のスヌーピーライフデザイン展を覗く。タイポグラフィまで(スヌーピー・レギュラー!)あるとは。

こころの時代

笹沼雪子さんの「水戸の納豆物語」を聞く。

karpakarpa 2005/12/18 00:14 けふですか。変体仮名のゴシックとは。皆無ではないのですが、明朝であるよりもずつと珍しいものであるやうに思ひます。

funaki_naotofunaki_naoto 2005/12/18 02:06 明朝(や楷書)の變體假名と云ふのも、それはそれで何かそぐはないやうな心地になります。

karpakarpa 2005/12/18 02:27 楷書が變、といふのは私も同意するところですが、明朝だと、大日本スクリーンの覆刻シリーズや字游工房の覆刻書體を思ひうかべられれば(或は大日本スクリーンの小宮山さんの連載を御覽になるとかで)そこまで變でもない、或は違和のない書體があるといふことを了解いただけるかと思ひます。

funaki_naotofunaki_naoto 2005/12/18 02:38 さう云へばそれを失念してゐました。ご教示有難うございます。

2005年12月14日(水) 編集

いつの間にやら十三月夜

月が眩しい。けふは雙子座流星群が極大。

讀了

この本に書かれてゐる内容を一言でいへば「セクストスとナーガールジュナが似てゐる」と云ふ事になるのだが、ではそれがどのやうに似通つてゐるのかを、こゝで改めて述べる能力は私には無い。

先に『私説「中論」』を讀んでゐたので、その流れで滞りなく讀む事は出來た。いきなりこの本だけ讀んでも面喰ふのではないかとも思ふ。

氣になる本

ITC Font Book

ITC Font Book

これは買つた方がいいかな。

2005年12月11日(日) 編集

漢字の歴史と書体をたどる―甲骨・王羲之・顔真卿―

書道博物館にて。博物館の學藝員が展示品の解説をして呉れたので、より理解を深める事が出來た。顏眞卿の肉筆があるのは驚いた。

話を聞いてゐて、また一つ自分の勘違ひに氣附く。例へば、楷書をくづしたのが行書、その行書をもっとくづしたのが草書みたいな漠然としたイメージがあつたのだが、それは違つてゐた。

普段目にしてゐる活字はどうしても明朝體ばかりで、その中の字體や字形しか知らない。その他の書體は、全く等閑になつて了ふのだが、矢張り書をもつと勉強しないと漢字は判らないと痛感する。

けふの買ひ物

神保町にて。

「国語」という思想―近代日本の言語認識

「国語」という思想―近代日本の言語認識

日本語八ツ当り (新潮文庫)

日本語八ツ当り (新潮文庫)

やまとことば (ことば読本)

やまとことば (ことば読本)

シリーズことば読本より。

小野二郎の書物論

小野二郎の書物論

memo

以前紹介した『日本語のリズム』が文庫になつてゐた。

日本語のリズム―四拍子文化論 (ちくま学芸文庫)

日本語のリズム―四拍子文化論 (ちくま学芸文庫)

2005年12月10日(土) 編集

タオル木管

子供から大人までのクリスマス・コンサート2@小石川図書館

小石川図書館にて図書館を利用する音楽家の会主催によるコンサートを聽きに行く。

昨年と同じくアヤコレットのピアノ彈き語りと守屋拓之のコントラバス

沁みる。

カナダはモントリオール出身の三人組。何とチャーミングなサウンドなんだらう。

前列に居た子供達にシャボン玉を吹かせたり、紙鐵砲*1を會場の聽衆に配つてステージで一緒に打ち鳴らす。樂しい。

  • ワークショップ「おとのおと」

行雲流水高橋智之の指示によつて、皆で聲を出したり木製の棒を叩いたりした。ステージ上で指示を出す他のメンバーの方々もたいへんみたい。それでも、何か音が揃つて、音樂らしき物が生み出される時間がとても面白い。

一往クリスマスコンサートなので、會場には數多くの子供達が居た。好き勝手に音を鳴らし、叫び、動き廻つてゐたが、それも一興。見てゐて飽きないし。

因みにこの木製の棒はタオル木管と云ふ、絲卷の芯に使はれてゐたもの。クラベスのやうないい音が鳴る。以下に由來を記す。

タオル木管とは…紡績に使う糸が巻かれている芯の部分。

現在使用されているものはほとんどプラスチック製ですが、この木管は桜の木でできています。戦後日本の紡績産業を支えたまさに芯である桜木の木管を、宮崎タオルの社長さん(故人)が収集された貴重なものです。拍子木のような甲高い音がします。

圖書館にて

新潮九月號の「源流としての古今和歌集」(橋本治)を讀む。歌の話だけでなく日本語の話でもある。

*1:私の知つてゐる折り方と違ふ。

2005年12月09日(金) 編集

富士山

師走

こゝ一週間夕飯はカレーだけで濟ませて了つた。

こころの時代

録り溜めてゐた深夜便の音源を聞く。

2005年12月06日(火) 編集

職場にて

人参とキウイと蜜柑を貰ふ。

最近讀んだ物

本文の假名が妙に癖のある書體*1で、讀んでゐて落着かなかつた。編輯者はどう云ふ積りでこの書體にしたのか、意圖が氣になる。

あと、こゝで取上げてゐる樂曲なりミュージシャンを、私は全く知らなかつた。

116ページに誤植が、114ページに文章を入れ間違へてゐる所がある。

二刷ではちやんと修正されてゐた。

ここで紹介されてゐるアーティスト達を、私はどれも全く聽いてゐないが、村上春樹の文章を讀んでゐると、とても魅力的な音樂だと感じさせて呉れる。直ぐにも聽かずには居られないといつた思ひにかられる。

この種の喚起力を持つ(音樂の)文章の書き手はなかなか居ない*2

それからJポップに關して言及してゐるのはちよつと意外だつた。

日本のポップスを聴いていると、その歌詞の内容や「文体」にげんなりしてしまって、そのせいで音楽自体を投げ出してしまうケースがかなり多い。


僕はいわゆるJポップの歌詞とか、連続テレビ・ドラマの台詞とか、朝日・読売をはじめとする全国紙の記事文体なんかは、一種の「制度言語」だと常日頃認識している。


それらはあくまで関係者間の取り決め、了解によって成立している一つの制度であって、制度という軸との相関関係によってしか批評できないもの、批評のしようがないものである。自立したテキストとして批評することは不可能に近い。


マーケットの規模はマスだけれど、にもかかわらず質的にはローカルであるという、不思議にねじれた世界だ。

この見方は近田春夫と近いものがある。

*1:游築36ポ仮名だらうか。

*2:あと私なら中山康樹を擧げてみたい。

2005年12月04日(日) 編集

大室山

小旅行

伊豆の一碧湖へ行く。これ以上無い位のよい天氣で、紅葉が實に見事だつた。近所の大室山にも連れて行つて貰つた。一面ススキに覆はれた變な形の山だつた。風が吹いて斜面のススキがそよぐ姿は面白い。猫の背中みたい。強風の爲リフトで頂上まで上る事が出來なかつたのは殘念至極。

富士山はとても大きく見えた。夜は滿天の星空に感嘆してゐた。

近代日本美術の巨匠たち展

歸りしな熱海で途中下車してMOA美術館に立ち寄る。何度行つても飽きない。

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