2005年10月30日(日) 編集

天覽競馬
東京競馬場にて天皇賞を觀戰。今日は畏れ多くも天皇・皇后両陛下が御臨場遊ばされた*1。レースの前に、宮内廳主馬班による母衣引が供覽される*2。これは以前馬事公苑でも見たものだ。
私の本命はゼンノロブロイ。しかしまさかヘヴンリーロマンスに差されるとは。
レース後、松永幹夫がメモリアルスタンドの前でやをら深々とお辭儀した姿が印象に殘る*3。流石だ。
西海
西海ラーメン(四百八十圓)と味玉(百圓)を食す。これを食べてゐると府中に來てゐるなあと思ふ。今季の季節ラーメンは如何なものか。
新しいスタンド内に、幾つか新しいお店を見つける。京うどんと云ふのは氣になる。
2005年10月29日(土) 編集
ハーブ・ルバーリン展
青山ブックセンターへ行く。實はこゝに立ち寄るのは初めてだ。店の脇にある一室に、書籍やポスターがこぢんまりと展示されてゐた。會場には私一人しか居ない。
ハーブ・ルバーリンの名前は知らなかつたが、こんな感じのタイポグラフィを多分何處かで、私は目にしてゐる筈。あと、ITC社のフォント見本帳を眺めてゐた。
店内で新書を幾つか買ふ。

- 作者: 養老孟司
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2005/10
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 6回
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連載中に殆ど讀んでゐた。
2005年10月28日(金) 編集
無題
假名遣ひを傳統なり文化として捉へる事は慥かに重要ですが、たゞ、その側面だけで語られるのは、問題があるのでは。そも野嵜さんは
過去から現代に至るまで一貫して存在する、潛在的な日本語の原則、及びその原則を顯在化させようとする試みそのものを、觀念としての「正統表記」「正かなづかひ」と呼ぶべきである、と考へます。
「過去の日本語に一貫して潛在的に存在した原理原則を、意識的に再構築せよ」
表記の歴史性について
と云ふスタンスだつた筈。「斷絶」したり「死んだりする」ものが、原理原則たり得るのですか。
社會的には最う「歴史的假名遣の傳統」は絶えてゐると言ふしかないのではないですか。使ひ續けてゐるのは飽くまで個人に過ぎません。
で、事實・現實として歴史的假名遣の傳統は斷絶してゐるけれども、理念として正假名遣が正統の表記である事は誰も否定出來ません。
闇黒日記 平成十七年十月二十七日
恐らく私は「傳統」と云ふ語を、野嵜さんの言ふ「理念」に近いものとして捉へてゐるのかもしれません。茲で述べられてゐる、社會なり時代なりで移り變るものを「傳統」とは呼びたくない。私はそれを單に「習慣」と呼びます。
切替へ
周圍の人間が皆「現代仮名遣」を使つてゐる中で、一人だけ正假名遣を使つてゐる事を考へてみる。その人は、正かなの文章を書く時と、「現代仮名遣」の文献を讀む時とで、態度を切替へてゐる。さう云ふ「切替へ」が生ずる時、その人の生き方として「正かな」はどのやうな位置にあると言へるのだらうか。
闇黒日記 平成十七年十月二十六日
この文を讀む前に、私は別の文脈でだが(若し、正假名遣ひの傳統が斷絶してゐるのならば)現代假名遣ひを遣ふ事が、果たして出來るのだらうか*
と云ふ風な事を呟いた。かうして改めて問はれてみて、猛烈に考へてみたくなつた。
正假名遣ひと現代假名遣ひを用ゐる時の關係や違ひ、「切替へ」と云ふのが凄く氣になる。茲でなく河岸を變へて取り掛かつてみたい。
2005年10月26日(水) 編集
映畫觀賞
小川町のneoneo坐へ行く。「知られざる短編映画を見てみる」と云ふ趣旨の元、月二囘、日比谷圖書館のライブラリーから16mmを借りて上映するのである。座席が三十位の、こぢんまりとした一室で、座椅子に凭れてスクリーンを眺める。
『彫塑の表現』(1972年/制作:岩波映画製作所)
彫刻等の立體造形藝術の解説。かういふ感じの、如何にも教育用に作られた16mmを、昔小學生の時視聽覺室*1で見た。何か懷かしい心持ちになる。時折映し出される、昭和四十年代の東京の風景に痺れる。
『8ミリ映画製作の手引』(1974年/制作:東映教育映画部)
これはかなり役に立つ。今やハンディカムで撮影し、パソコン上で編輯をするご時世とはいへ、繪コンテやシナリオの作り方、タイムテーブル、カメラワークの注意點等、作業の勘所は存外通ずる。門外漢だけに結構新鮮だつた。
上映中、時折失笑が漏れるのは、結構芝居がかつた演出だつたからかと思つたが、それだけではなかつた模樣*2。
撮影の舞臺は、三十年前の五日市町。
『演劇入門 ジュリアス・シーザー』(1967年/制作:学習研究社)
今日のお目當て。劇團「雲」による『ジュリアス・シーザー』公演までの過程を記録したもの。
前説を芥川比呂志*3が述べ、福田恆存が役者に向かつて演出をする姿が映し出される。いつも煙草を銜へてゐた。ジュリアス・シーザーを演ずるのは高木均、マーカス・ブルータスが小池朝雄。役者として意識して見たのは初めてかもしれない。マーカス・アントーニアス(西沢利明)の演説のシーンはとても良かつた。
會場に、當時この映畫を撮影した金井勝氏が来訪してゐた。
以前何處かで目にした文章
例へば、普段の日常の光景なり動作をドラマ等で演じられてゐるのを觀ると、芝居がかつた演技が鼻に附くのか、妙に気恥ずかしく、また坐り心地の惡い思ひをする事がある。
しかし、これが、ある定型のある劇なりお芝居だと違つてくる。どのやうな演技であれ、それがお芝居であると云ふ安心感によつて、極自然に物語の中に這入る事が出來る。役者の演技も、寧ろ大仰に、くどい程芝居がかつたとしても、其れ故に、舞臺で行はれてゐる劇に引き込まれるのだつた。
そんな趣旨の話を何處かで目にしたのだが、失念して了つた。
2005年10月25日(火) 編集
出版
- 提案
- うちは正字正假名遣でいきます!といふ出版社が現れてくれないか知ら。
皆無ではないにしても、需要が少なく利益が望めない、その上手間は餘計にかかる*1といつた事を慮れば、先づ現れないかと。若しあるとしても、現状ではオンデマンドと云ふ形になるかと思はれます。
しかし定價が一册數萬圓
つて、どう見積つたのですか。
「ものの見方」
正字正かなの傳統は「斷絶した」と俺は思つてゐる訣で。
正字正かなだつて最う既に「死んでゐる」。
それなら私は、現代假名遣ひを遣ふ事が、果たして出來るのだらうか。
しかし、それを續ける人が一人でもゐる限り、消えることもまたない。
假名遣ひの復活
*1:正字正假名を知悉してゐる校正者が居るかどうかも問題ですが。
2005年10月23日(日) 編集
正字正かな派
どうも、「正字正かな」の人には、異樣なまでに樂觀的な人が異樣なまでに多い、と云ふ氣がする。
「正字正かな運動」が「運動」であるならば、「やつた事」が「どんな成果を擧げるのか」「何んな效果を持つのか」を考へて行動すべきである。
茲で取上げられてゐる「正字正かな」の人
が、どのやうな人(人々)を指すのかが曖昧に思ひました。十月二十一日では、正字正かな「サイト」の話だと云ふのは判りますが、十月二十三日の日記では、正字正假名を用ゐる人一般(サイトも含む)を指すのか、それとも、或る特定の「正字正かな運動」を行ふ集團*1の事を指してゐるのでせうか。
*1:憶測ですが、私は國語問題協議會が念頭に浮かびました。
2005年10月22日(土) 編集
本屋で買つたり讀んだり

- 作者: 後藤吉郎
- 出版社/メーカー: 武蔵野美術大学出版局
- 発売日: 2004/01
- メディア: 大型本
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- 作者: 陸爾奎,方毅,田中慶太郎
- 出版社/メーカー: 山本書店出版部研文出版
- 発売日: 1999/07
- メディア: 単行本
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- 作者: 倉島長正
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2002/04
- メディア: 単行本
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- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2003/08
- メディア: ムック
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2005年10月21日(金) 編集
正字正假名運動
闇黒日記の平成十七年十月二十一日より。
所謂「個人サイト」の域を越えようとしない人しかゐないのでは、「正字正かな運動」(?)がウェブで運動として成立する事はあり得ない。と、矢張り敢て言ふ。あつちでは素人が素人臭い事を言ふ、こつちでは專門家が專門的に過ぎる事を言ふ、そして何れも、サイトとしては實に小さなものでしかなかつたりする。正字正かなサイトの多くが「ブログ」なり「ウェブ日記」なりのレヴェルに留まつてゐる。さうでないところも「個人の論説サイト」の域を出ない。出ようとしない。
もうちよつと專門の知識のある人が、腰を据ゑてきちんとサイトを作つて呉れれば、「運動」としてはありがたい事だ。今、ウェブの國字問題は完全に停滯に陷つてゐる。
今、「運動」が停滯に陷つてゐると云ふよりも、今に限らず、昔からさういふ状況だつたとも言へるかもしれない。
と言ふか、うちのサイトは拔け殼なんだよ最う何年も前から。頼むから誰かうちを越える國字問題のサイトを作つてよ。
新たに作成すると云ふよりも、寧ろ編輯者みたいな人材が必要なのではないかと思つたりしてゐる。
2005年10月19日(水) 編集

*1:『日本を思ふ』や『本居宣長』もある。
2005年10月18日(火) 編集
氣になる本

- 作者: 白川静
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2005/10/15
- メディア: 大型本
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今度は字訓の新訂版が出た。字統も未だ入手してゐないが、いつかは手にしたい。
*1:高浜正憲氏による。
2005年10月17日(月) 編集
第七十七囘(秋期)講演會御案内
これは出席する積り。幾つか訊いてみたい事もあるし。
「國語問題協議會通卷DVD」と云ふのがでるらしい。氣になるが、どのやうなデータ形式で收録されてゐるのかが問題だ。テキストデータならいゝのだけれど。
2005年10月15日(土) 編集
ブラウン展―形を超えたデザイン
麻布の飯倉片町へ、BRAUN展(AXIS GALLERY)を觀に行く。私がBRAUNの名を初めて目にしたのは、ご他聞に漏れず電動髭剃りのCM「ブラウン・モーニング・リポート」*1によつてである。ドイツの名立たる電氣機器メーカーだと云ふのは、初めて知つた。デザイナーのジャスパー・モリソンは、かう述べてゐる。
マーケティングや技術より、デザインが優先だと主張する企業は多くないが、ブラウンはまさにその企業のひとつだと思う。目下、同社に匹敵する企業はアップルのみ。そのアップルでさえも、歴史に残る多くの美しくデザインされたブラウン製品には及ばない。
シクスタントSM31*2のフォルムときたら、慥かにこれは痺れる。シェーバーなんか使つた事が無いのに、欲しくて堪らなくなる。コーヒーメーカー(KF40)やスチームアイロン(PV41)をみて息をのむ事は、滅多に無い。
何より、一つだけではまだ判然としないかもしれないが、幾つかの電氣機器が竝べられる事によつて、全體にブラウン社のコンセプトなりカラーが行き渡つてゐることが強く浮かび上がるやうに感じた。
けふの買ひ物

- 作者: 伊藤絋
- 出版社/メーカー: 東京堂出版
- 発売日: 2002/02
- メディア: 単行本
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全國各地を歩き、撮影された街の文字を集成したもの。同じやうに街に繰り出して文字の寫眞を撮つてゐる身としては、見逃せない寫眞輯だ。

- 作者: 蓑毛政雄
- 出版社/メーカー: 天来書院
- 発売日: 2005/08
- メディア: 単行本
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篆文の勉強を兼ねて。しかし、篆文で書かれてゐると印象ががらりと變つてみえる。

しばわんこの今日は佳き日 (しばわんこの和のこころシリーズ)
- 作者: 川浦良枝
- 出版社/メーカー: 白泉社
- 発売日: 2005/09/01
- メディア: 大型本
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氣になる本。または讀みもしないで本の内容を憶測する試み。

- 作者: 加藤周一,一海知義
- 出版社/メーカー: かもがわ出版
- 発売日: 2005/09
- メディア: 単行本
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多分、漢字は大切だとか、漢文教育の重要さに就いて書かれた本だと思ふ。
*1:今でもあるのかな。
2005年10月12日(水) 編集

はっぴいえんど
『ユリイカ2004年9月号 特集=はっぴいえんど 35年目の夏なんです』を讀む。題字に使はれてゐる假名が、『ゆでめん』のと似てゐるので竝べてみた。左がユリイカ*1で、右が『ゆでめん』。
*1:築地體三十五ポイント假名?
karpa
2005/10/13 07:45
「築地體三十五ポイント假名」といふのが、大日本スクリーン製造の製品の名稱のことであるなら、「っ」の形状から見て字游工房の「游築見出し明朝體」と見たはうがよいやうな氣がいたします。『ゆでめん』は大日本スクリーンの「築地體初號假名」と云つてよいのではなからうかと。
karpa
2005/10/13 14:10
『ゆでめん』は時期的に電子書体はないですね。活版の清刷でせうか。
funaki_naoto
2005/10/13 21:41
ご教示有難うございます。
2005年10月10日(月) 編集

モーリス・ユトリロ展
今日で最終日だと云ふので、慌てて日本橋の高島屋へ行く。
今迄ユトリロの繪は、どこか曇天の冬空のやうなくすんだ色遣ひで書かれた繪だと云ふのが頭にあつたのだが、改めてユトリロの繪を纏めて觀ると、實に色んな繪がある。
「白の時代」だけでなく「色彩の時代」と云ふのもある事は初めて知つた。思いの外、明るく透明感溢れる繪が多い。クリアで焦點のピッタリとあつたレンズが映し出す光景を覗いてゐるみたいだ。尤も單にグワッシュで描かれてゐる事も作用してゐるのかもしれないが。
あとユトリロの繪が持つ魅力を考へてゐると、色遣ひだけでなく、畫面の構圖も重要な要素かもしれない。
2005年10月09日(日) 編集
段落(續)
『自由自在』では、実際の組版規則の部分が参考になった。ただ、「見出しを段落版面の天に揃えながら、段落最初の1行目にインデンションを行なうのは論外である」という部分がよく理解できなかった。
2003/7/27いくつかの本
『たて・ヨコ組版自由自在』に何か記してあるだらうか。
2005年10月08日(土) 編集

JGAS 2005
国際展示場へ行く。東館全館の展示なので、一廻りするのがやつと。流石に草臥れて了つた。
JGASC(印刷機材団体協議会)の主催なので、あちこちに印刷・製本關聯の大きな機器が廣いスペースに設置されてゐて、實際に稼働してゐる處を目にする事が出來る。紙を仕分け、裁断し、印刷してゆく樣を眼の邊にする機會はなかなか無い。機械が好きな人には堪らないだらう。
私の今日のお目當てはモリサワとリョービと大日本スクリーンのブースを覗く事。カタログや書體見本帳を貰ふ。
けふの買ひ物
印刷学会出版部のブースにて。

復刻版 欧文活字―付録・タイポグラフィ習作1942 My Typography
- 作者: 高岡重蔵
- 出版社/メーカー: 印刷学会出版部
- 発売日: 2004/07
- メディア: 単行本
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- 作者: 井上嘉瑞
- 出版社/メーカー: 印刷学会出版部
- 発売日: 2005/04
- メディア: 単行本
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- 作者: 井上嘉瑞
- 出版社/メーカー: 印刷学会出版部
- 発売日: 2005/04/01
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それから写研のブースで『タショニム・フォント見本帳(No.5A)』を購入。
2005年10月07日(金) 編集
讀了
『活字に憑かれた男たち』讀了。またあれこれ拔書き。
わが国では明朝体が本文用書体として、ほとんど唯一絶対の王座を占めていて、その使途が問われることはあまりないようです。つまり仏の慈悲を説く仏典も、神の愛をかたる聖書も、哲学も小説も詩歌も、上製本も文庫本も、役所の文書も、コンピュターの画面も、その取り扱い説明書までも、極論すればなんでもかんでも明朝体です。
書体とその使途が、歴史とその目的にあわせて問われることはありません。それはある意味ではタイポグラフィの未成熟をあらわしています……。
書體の時代考證等に關して。
わが国ではこうしたことにはきわめて無頓着です。たとえば忠臣蔵の映画をみていたりすると、背景の商店の看板文字が「勘亭流」になっていることがあります。
二・二六事件を扱った番組で、降りしきる雪の中を行軍する兵士の背景の看板に、「ゴナU」がもちいられていました。
わざわざ「イタリア料理」と書いてあるレストランの制定文字が、英国書風のキャズロンだったり、「地中海料理」が、ドイツ書風のフラクトゥールだったりするのは、そろそろ困りものです……。
わが国ではながいあいだ、デザインという名のもとに、好悪や美醜を中心にして、文字や印刷書体が扱われてきました。
つまり活字書体には、歴史や風俗、そして宗教や民族性が、ぬけがたく付着しています。ですから、好悪や美醜といった、即感印象だけでは不十分ですし、ときには間違いをおかすことがあります。
書体と書風とその時代性を問うこと……。
コメントを受けて
こちらで返事を書きました。
古い組版では、一字下げは必ずしもされてゐるものではありませんでした。どのくらゐから變つてきたのかはわかりませんが、西洋の組版の影響を受けたものでせう。
コメント
一字下げするやうになつたのは、植字工が段落の行頭を確認しやすくする爲である、と云ふやうな話を以前どこかで讀んだのですが、出典を失念して了ひましたので、あまり確かな話ではありません。
それから一字下げの考察に就いて。
白川靜の『漢字百話』も行頭の一字下げがされてをりませんでしたが、當今においては珍しい事例とはいへます。
コメント
手持ちの中公文庫(2002年發行)では、普通に一字下げがされてゐました。中公新書の方でせうか。
2005年10月05日(水) 編集
讀了

- 作者: 小宮山博史,小池和夫,府川充男
- 出版社/メーカー: 柏書房
- 発売日: 2001/09
- メディア: 単行本
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色々考へさせられる。氣になつたフレーズを拔出す。
字体という抽象的な概念と実字形の関係(府川)
字体を実体主義的に「骨骼」だととらえると書体を超えた字体差が位置づけられない。(府川)
それから字体、書体、書風というようないろいろな射映面を綜合して一つ一つの実字形があるわけです。嘗て、字体というのは「文字の骨骼」だと言われてきました。これは当用漢字表以来の言い方なのですが、でもそんなことを言ったら骨骼というのは文字の中央に一本針金が入っているということなのか。それだったら楷書の「しんにゅう」と明朝の「しんにゅう」では完全に針金の造作が違う。また明朝体で区別されているキャラクタが楷書系では区別されないということもある。では、書体差を貫通しているはずの「字体」とは一体何なのか。(府川)
デザインというのは基本的には論理の世界だというふうに思います。論理があって、その上に優れた感性が要求される。(小宮山)
一字下げ
前から氣になつてゐたのだが、この本も『旧字旧かな入門』も『漢字問題と文字コード』も『難読語辞典』も、段落の行頭を一字下げしてゐない。書籍では、なかなか目にしない組版だ。一體どのやうな意圖が。
斷片
- タイプフェイスとしての漢字の捉へ方。國語國字(問題)に纏はる漢字の捉へ方との違ひ。
- 若し正字ではなく、「整字」と呼ばれてゐたら。
2005年10月03日(月) 編集

2005年10月02日(日) 編集

けふの買ひ物
やつと林武の『國語の建設』(講談社)を見つける。

- 作者: 林巨樹,池上秋彦
- 出版社/メーカー: 東京堂出版
- 発売日: 1979/09
- メディア: 単行本
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これはよい買ひ物だつた。

- 作者: 田中薫
- 出版社/メーカー: 燃焼社
- 発売日: 2000/03
- メディア: 単行本
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