はてなの茶碗 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter


2005年04月30日(土) 編集

觀戰

澁谷の場外にて、青葉賞を觀戰する。今日は京都端午Sでのカネヒキリの走りが、印象に殘つた。

岩合光昭写真展

東急本店で開催されてゐる岩合光昭写真展へ行く。猫の寫眞もとてもよかつた。

塩高和之@阿佐ヶ谷ヴィオロン

けふは塩高和之*1(琵琶・語り)と寿佐美まゆみ(語り)による「平家物語を語る」を聽く。琵琶の音に痺れる。

普段體驗することの出來ない、別種の時間が流れてゐた。

2005年04月29日(金) 昭和節 編集

展示品

2005 Exhibition Nurseglove

水道橋のギャラリーMonkey-farmへ行く。お目當ての1/1ボトムズ*1を觀てきた。空いてゐる時間帶(夕方頃)を見計らつて行つたので、割とすんなり中に這入れた。

只々、口をあんぐりと開けて魅入つて了つた。譬へ樣がないが、大佛を見上げてゐる時の心持ちに近いかも。スタッフの方が、ボトムズの腕をとつて肘や關節を動かすと、ギャラリーからどよめきやら拍手やらが沸起る。

ボトムズは寫眞に撮れないので、他の展示作品をいくつか撮影した。

ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏の夕べ@阿佐ヶ谷ヴィオロン

平岡陽子(ヴァイオリン)と加藤由貴夫(ヴィオラ)のデュオを聽く。至福の一時を過ごした。

セットリストは以下。

  • First Set
    • ベートーヴェン「マーチ」
    • バッハ「インベンションより、 第1番、第4番」
    • ハイドン「ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第1番」
    • ホフマイスター「ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第2番」
  • Second Set
    • プレイエル「ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第3番」
    • ヘンデルパッサカリア」(ハルヴォルセン編曲)

そしてアンコールを二曲。

ヴィオラはなかなか間近で耳にすることが出來なかつたので、けふは存分に滿喫できた。そして跳ね廻るかの如く、彈捲るヴァイオリンは實に凄かつた。

*1:スコープドッグやらブルーティッシュドッグと云ふのは、私の語彙にはなかつた。

2005年04月28日(木) 編集

鼻風邪

嚔が止まらない。

讀了

日本の古代語を探る ―詩学への道 (集英社新書)

日本の古代語を探る ―詩学への道 (集英社新書)

新書に解説が附いてゐるのは珍しい。でもそのお蔭で、この新書で述べてられてゐることが、それなりに理解出來たかもしれない。古代の文字の無い世界や詩學を、まだまだ私はうまく捉へられない。

2005年04月27日(水) 編集

氣になる本

日本語を知る・磨く ことばの表記の教科書

日本語を知る・磨く ことばの表記の教科書

内容に就いては殆ど期待してゐない。著者自身この本を、正しい表記はいかにあるべきかを追究する立場では述べていませんと言つてゐるくらゐだ*1

たゞ日本語の表記がどのやうなものであるのかと云ふ、その性質や問題點がよく纏まつてゐること。そして、理論的に考えることを通じて、読者の一人一人に、日本語の表記について自分で判断できる能力を涵養させる切掛けにはなるかと思ふ。

因にこの本のインデックスの構成は、サイト再編(?)の參考になるかも。

偽悪的

頃日、或るサイトにて、敢て僞惡的に書き綴つたと云ふ文章を讀んだ。書かれた内容は兎も角として、疑問に思つたことがある。

まづ何より、「偽悪」と云ふ言葉がよく分らない。惡を僞るつて何だ。調べてみたら*2、僞善に對して造られた造語だつた。道理で坐りが惡い訣だ。

それともう一つ。これは僞惡的と稱する文章に見られる傾向なのか、それともたまたま私の接した文章のみの問題なのか判別しづらいのだが、その書かれてゐる文章が、僞惡と云ふよりは寧ろ、露惡的と呼ぶ方が妥當ではないかと感じた。

僞惡を貫くことと、露惡的であることは、實は全く關係のないことではなからうか。何故かその兩者が、混同されてゐるやうな傾向があるのではないかとも思ふ。

*1:當然「現代仮名遣い」や常用漢字に對する批判など望むべくもない

*2偽悪 goo辞書

2005年04月26日(火) 春雷 編集

讀んだり買つたり

けふの買ひ物

誰も寝てはならぬ(3) (ワイドKC モーニング)

誰も寝てはならぬ(3) (ワイドKC モーニング)

連載中に殆ど讀んでゐたけれど、讀み直すのも亦愉し。

  • 西郷信綱『日本の古代語を探る―詩学への道』
  • 萩野貞樹『ほんとうの敬語』
  • ティアズマガジン vol.72

二册讀了

とても密度の濃いモノローグだつた。モノローグ*1だから、聞き手のマリオさんは表には出てこないが、實際の現場では、どのやうな相槌を打ち、そして話の流れをコントロールしていつたのか。表に見えないさういふところが逆にすごく氣になる。

面白くて一氣に讀み通して了つたが、落着いて讀み直してみたい。

世にも美しい数学入門 (ちくまプリマー新書)

世にも美しい数学入門 (ちくまプリマー新書)

私の知合ひで純粹數學をやつてゐる人も、同じやうに數學の美しさを語つてゐた。

*1:monologueつてまだ日本語にはならないと感じる。

2005年04月23日(土) 編集

ハレーション

近況

  • 懸案事項が一つ片附く。
  • 床屋へ行く。
  • 某定例會に出席。イタリアのMORETTIと云ふビールを飮む。

堀尾・木村?@阿佐ヶ谷ヴィオロン

阿佐ヶ谷ヴィオロンにて友人のライブを觀に行く。演奏を聽くのが目當てなのであるが、最近この店の持つ音の響き、音の鳴りの方に魅力を感じ惹かれるやうになつていつた。

此處で體驗した出來事を一つ記す。

ライブが終つて、珈琲を飮みながらお喋りをしてゐたのだが、レコオドの音が會話の邪魔にならないことに氣がついた。假令、フォルティッシモが鳴らされたとしても、容易に話を聞き取ることができ、更に驚くべきことに、聞かうと思へば鳴り響いてゐる音すらも容易に判別出來る。

2005年04月22日(金) 編集

職場にて

エアコンを稼働させると、フィルターが黴びてゐるのか、異臭を發するので困る。

二册讀了

日本語を知らない俳人たち

日本語を知らない俳人たち

あれこれ取留めのないことを考へて了ふ。自分の中でまだ纏まらないので、後で別の處に記すかもしれない。

2005年04月20日(水) 編集

野生のチューリップ

近況

  • 近所の八重櫻が見頃になつてゐた。
  • さんさん録と『日経ビズテック』の連載を立讀みする。
  • 氣温の變化が激しい。鼻づまりに惱まされる。

2005年04月18日(月) 編集

呆れる

経済學と言ふ教養なんてふうに、誰が書くかい。

2005年04月17日(日) 編集

大生垣障碍

皐月賞

昨日に引續き中山競馬場へ出向き、皐月賞を觀戰する。この日は内馬場のコースの一部が開放されてゐるので、芝生の上を存分に跣足で闊歩する。

ディ−プインパクトは、本當に強かつた。これはダービーも勝つだらうな。しかし二着にシックスセンスが來るとは…。

中山10R

バトルウインロード號の放馬には、思はず笑って了つた。場内を一周して、觀客の心をつかんでゐたよ。ちやんと検量室前まで向かつてゐたのも可笑い。

2005年04月16日(土) 編集

買つた物

中山大障碍(春)

中山競馬場にて、中山グランドジャンプを觀戰する。

豪州のカラジが勝つ。何より目を惹いたのは、直線でのブレット・スコット騎手の水車(風車?)鞭。ピート・タウンゼントもかくやと云ふ廻しつぷりだ。眼の邊にすると流石に感心する。

マイラーズCローエングリンが勝つ。先行して終ひ三十四秒臺の脚を使はれては、後ろからでは嚴しい。

眞龍軒

いつもの五目そば(八百七十圓)を食す。

けふの買ひ物

歸りに法華經寺に立ち寄り、骨董市で徳利やらカップを買ふ。

ラジオ深夜便

「民話を語ろう」を聽く。けふは、新潟縣は守門村の馬場マスノさんの語りだ。越後生まれ*1の私には、聞いてゐてとても懷かしい心持ちになる。

*1:本當は上越だから、違ふと言へば違ふのだらうけど。

2005年04月15日(金) 編集

Diane Arbus風に

二册讀了

だれが「音楽」を殺すのか? (NT2X)

だれが「音楽」を殺すのか? (NT2X)

音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ

音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ

續けて讀んだ御蔭で、音樂を巡る現在の状況を、より鮮明に見通すことが出來た。

前者があくまで、音樂「業界」だつたり、文化「産業」の問題點を浮き彫りにしてゐるとすれば、後者は更に、音樂とテクノロジーとの關りに於いて、そも「音樂」とは何かを新たに問うてゐる*1。しかも、音楽について語るために、われわれのリアリティに沿う言葉をみつけることを第一の目的にしていると云ふ點が、とても興味深い。音樂は鳴つてゐる。しかし言葉はまだ見出せない*2

尤も茲で、リアリティに沿ふ言葉が解答やキャッチコピーのやうに提示されてゐる訣ではなく*3、分析や攷察によつて、その道筋のやうなものを指し示さうとしてゐる。それだけでも充分な内容だと思ふ。

五章の最後では多彩な演奏があると全くおなじように、多彩な聴取が存在することと云ふ風にしめてゐる。若し、舊來の「音を出す(演奏する)」側が、例へばこの本を目にして、多種多樣な聽取と云ふものを意識するとしたら、どのやうなアプローチを取つてゆくものだらう。さういふのを讀んでみたいと思つた*4

餘談

p.51脚注6の、「1976年」は恐らく1876年かと。

*1:しかし「音樂とは何か」と問ふことは、そんな氣恥づかしいことなのだらうか。

*2:たゞ今の私が求めてゐるのは、果たして言葉なのか、それとも音樂なのか。

*3:と私は讀んだんだけれど

*4:若しかしたら『憂鬱と官能を教えた学校』がそれに當るのかもしれない。

2005年04月13日(水) 編集

落書き

花冷え

肌寒い一日だつた。

職場にて

新しいMac*1を導入する。同時に古くなつたCRTのディスプレイを幾つか液晶のものに變へたので、かなりスペースが出來た。Mac周りの整頓に明け暮れる。

あと買ひ出しに行つた人の話では、Apple DVI-VGA アダプタの在庫がかなり品薄になつてゐるみたい。

讀了

ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄

ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄

淡々と書かれてゐる。中山さんのかういふ文體も好みだ。

九州じゃんがららあめん

秋葉原のじゃんがらにて、新メニューのむぎちゃん(味玉入で七百五十圓)を食す。

スープが麥味噌。こつてりではなく、割とマイルドな感じだ。私の好みでは、これぐらゐの味附けが丁度いゝ。

*1Mac mini。職場では,辨當箱と呼ばれてゐる。

2005年04月12日(火) 編集

言及

指摘と云ふ程ではなかつたのですが、たゞ、編輯に携はつてゐると云ふので、外字をどのやうに意識してゐるのかが少し氣に掛かりました。

餘談ですが、國語教師の言ふ戸籍の字にこだわるべきと云ふのも、それはそれで極端な話だと思ひます*1。戸籍の字は決してどうでもいゝものではないのですが、かといつてこだはるべきものでもない*2、と云ふ風に私は思つてゐます。

言葉の救はれ――宿命の國語17

愛情には理性が持てるが、理性には愛情は行使できない。そういうものではないでしょうか。

no title

一軒家@メモ帳經由。

*1:少なくとも字體包攝や、書寫體と明朝體の違ひを留意する必要があるでせう。

*2:こだはると云ふ言廻しは、肯定的な響きよりも、寧ろ否定的な意味合ひを感じて了ひます(goo 辞書 こだわる)。

2005年04月11日(月) 編集

蟲

手作りの

蒟蒻を買つた。柔らかく旨味があつてとても美味しい。タレも絶品であつた。

櫻花賞

後樂園にて櫻花賞を觀戰する。ありがたうラインクラフト。しかし一番人氣と二番人氣の組み合せで十二倍とは、矢張り難しいレースだつたのだらう。

讀了

唐木順三『詩と死』(文藝春秋社)を讀む。私の父は唐木順三を讀んでゐて、この本も、昔父から讓り受けたものである。尤もその當時は讀みこなすことが出來ずにずつと放つたらかしにしてゐたが、幾年か過ぎ、漸く讀み通すことが出來た。

思つてゐたよりも肌が合ふ。いゝこと言ふなあと膝を打つたり、これはさうかなあと首を捻つたりしながら、樂しく讀んでゐた。

それにしても私は、父が何故唐木順三を讀むやうになつたのかは、まだ知らないまゝだつた。

2005年04月10日(日) 編集

櫻と鴉

ベルリンの至寶展

東京国立博物館にて「ベルリンの至宝展」を觀る。先史から現代、そして樣々な地域の美術品を一堂に會して展示してゐる。充實した内容ゆゑ、見て廻るだけでも結構草臥れた。

それと特別公開されてゐる中宮寺の菩薩半跏像を觀る。

飄々とした、今にも動き出しさうな佇まひ。同じ敷地にある法隆寺寶物館の半跏像とは、また違つた趣を感じさせた。

見てゐて飽きない。見れば見る程、見盡くせないのが不思議だ。

上野は流石に込み合つてゐた。

2005年04月09日(土) 編集

櫻

花見

小石川植物園に花見に行く。陽氣も相俟つて非常によい心地だつた。櫻だけでなくレンギョウ等、色とりどりの花々が目に鮮やかだつた。

花見の客ばかりでなく、時節柄小學生の一團も居た。私もこの時期、此處に遠足に行つてゐたのだ。

歸りに播磨坂の櫻竝木を拔け、茗荷谷の驛前の茶店にて中國茶を飮む。凝つた内裝に茶器や器が實に見事だつた。

2005年04月08日(金) 編集

境内の夜櫻

職場にて

今年初めて冷房(除濕)を入れる。半袖で過ごしてもいゝ位の陽氣だつた。

夜櫻

歸りに神田明神へ立ち寄る。花見の見物客で隨分賑はつてゐた。

2005年04月07日(木) 編集

枝垂櫻

写真日記花

近所の枝垂れ櫻が綺麗だ。六義園のも觀に行きたいが櫻はまだ咲いてゐるかな。

婦人公論のhamaさんは濱の異體字を遣ふやうだが、これはWindows外字なのか。

2005年04月06日(水) 編集

櫻

写真日記花

櫻が咲き出す。一氣に滿開となりさうだ。

さんさん録を讀む。

こころの時代

別宮美穂子さんのお話「見事な人々」を聞く。

2005年04月05日(火) 編集

某定例會に出席する。和室で寛ぐ。

ラジオ深夜便

四月から番組の編成が變つた。いつもの演藝特選が月曜の夜に移り、土曜の夜は「民話を語ろう」と云ふ番組になつた。期待もせずつらつらと聞いてゐたが、これが存外面白い。

この日は伊藤正子さんが宮城の民話を語つた。昔話は矢張りおばあさんに限る。訥々と淡々とした話し振りが、實にいい感じだ。まんが日本昔ばなしを彷彿とさせる*1

解説の小野和子さん(みやぎ民話の会)はかう言ふ。

(民話の筋が、よく分らないと云ふことに就いて)

その分らないところが、素晴らしくいい話だなあと思ひます。

筋が通つてゐるとか、かういふ教訓があるとか、さういふところはまるつきりなしですけど、心に殘りますでせう。

だから民話は、寧ろ分んない、訣が分んない話ほど、面白くて深いこともありますので。

言ふべきことを深く沈めて、色んなクッションや色んなものでくるんぢやつて、けろつとした顏で、出してこられるから、面白いんですけれども、時々、何だらうと思ふこともありますねえ。

「ローマ法王」と「ローマ教皇」、どちらが正しい?

言はれてみれば、全く知らなかつた。

*1:別に市原悦子のやうに語つてゐる訣ではないが。

2005年04月03日(日) 編集

木蓮

写真日記花

白木蓮が輝かんばかりに咲き誇つてゐる。

映畫

岩波ホールにて、『父と暮らせば』を觀た。休日だけあつてかなりの人出だつた。

あれこれ

散財する。

2005年04月01日(金) 四月莫迦 編集

写真日記猫

f:id:funaki_naoto:20050401102013:image:small

いつそ猫の寫眞だけを載せるサイトにして了ふか。

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