2004年06月30日(水) 編集
2004年06月28日(月) 編集
2004年06月27日(日) 編集

讀了
二册讀了。
解説の森田芳光氏の言ふ“草競馬流浪記”は行動させる本なのだ
と云ふ意見に納得。讀みながら、もつと競馬を見に行かねばと思つた。
『日本競馬論序説』は色々と考へさせられる本だつた。競馬とは何か、何故私は競馬をずつと見續けてゐるのか等々。
子曰く、之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を樂しむ者に如かず。
けふの買ひ物
- 埴谷雄高『不合理ゆえに吾信ず』(現代思潮社)
- 金武伸弥『新聞と現代日本語』(文春新書)
- 『「夏彦の写真コラム」傑作選2』(新潮文庫)
- Brian Wilson『GETIN’ IN OVER MY HEAD』
愈々ブライアン・ウィルソンの新作が發賣された。白紙の状態で、先入觀なしに、ゆつくりと聽かう。
2004年06月24日(木) 編集
2004年06月23日(水) 編集
漢字嫌ひ
Another 朝顔日記經由。
色々と參考になるけど、これだけは鳥渡看過出來なかつた。
- 漢字をへらす
- 今まで文書を書くことが苦手だった人にも、ワープロの普及で文書を作成する機会が増えました。しかし、カナ漢字変換によって難しい漢字が文面に増えてきて読みづらさを感じることがあります。漢字は一目見て多くの概念を伝えることができる有用な文字ですが、文中に漢字が多すぎるものは圧迫感があります。そのため、新聞などでは長年の実践の中で記載方法を整理してきています。私たちも、その成果に学びたいものです。
漢字が多すぎるものは圧迫感
があると云ふやうな、曖昧な印象で物事を決められてはかなはない。第一、新聞の長年の實踐で整理した記載方法云々と言ふのなら,あの(当用漢字による)用字・用語の書き換へ*1 とか、交ぜ書き*2のことにも觸れて欲しい。
尤も「記者ハンドブック」を下敷きにしてゐる時點で、漢字を遣はないと云ふ主張になるのは、當然なかもしれない。兎角新聞社は昔から漢字が嫌ひなのである。
あと、三點リーダが全角の中點を竝べたものになつてゐる。
*1:「同音の漢字による書きかえ」參照。
*2:例:隠ぺい、遮へい、ら致、子ども、等
2004年06月21日(月) 編集
長沢節展
弥生美術館にて長沢節展を觀に行く。
鉛筆によるクロッキーを一目見た時、目が離せなくなつて了つた。何といふ奔放な線描だらう。そして六十年代頃の墨と水彩で描かれたスタイル畫には心底參つて了つた。恰好いゝ*1。かういふ滅多に使はない形容を用ゐたくなつた。
けふはモノ・セックス・ショウが開催されてゐた。解説によると、
男女ペアになったモデルに同じ服をまとわせることで、人がいつの間にか〈男らしさ〉〈女らしさ〉といった固定観念に縛られていることを暴き、そこから開放された〈人間美〉〈個性美〉を提示する
といつたものらしい。
痩せ細つた男女のモデル達が館内をウォーキングする。お洒落なブラウスやシャツにミニスカートといつた組み合はせから、古代ギリシア調とでもいふのか、矢鱈に露出度の高いものまで色々とみる。ブーツは可成り凝つたものが澤山あつた。
たしかに見慣れてくると、何々らしさといふものの見方よりも、その衣裳を纏つたモデルの美しさそのものを、たゞ見ることが出來るやうになつたかもしれない*2。附け加へると、矢張り女性モデルの方が、總じて見せ方が巧い。
ショウの間は、BGMを流さず、肅々と進行してゆくのが良かつた。此の種の催しでは必ず大音量の音樂が掛かるものだけど、拍手と跫音だけが響くこの靜肅さが、どれほど贅澤なものか體驗してみないと判らなかつた。
2004年06月18日(金) 編集
讀了
リタ・グリムズリー・ジョンスン著、越智道雄譯『スヌーピーと生きる チャールズ・M・シュルツ伝』*1讀了。
シュルツ氏の生い立ちや日常、人となりについて、あれこれエピソードを讀むのは樂しい。けれど、あのPEANUTSの魅力がどこからくるのか、それを生み出す彼自身のパーソナリティについては、結局何も判らないまゝだつた。
けふのチェック
巡囘先を廻つてゐたら、こんなのを見つけた。
あなたは【くろきん】タイプです。
ダークホース的なキラリと煌くいぶし銀の魅力を持つあなた。地味なようでいながら、しっかりと存在感を放つあなたは、『のだめカンタービレ』のキャラでいうならば【くろきんこと黒木くん】がぴったりです。
華々しさこそありませんが、揺るぎない精神力の発揮する渋い魅力があなたの持ち前。そこにちょっとした色が加われば鬼に金棒です。地道な努力を厭わない性格なので、これからも精進を重ねていけば、必ずその道の頂点を極めることもできるでしょう。
オーボエとモオツァルトを選べば、こんな結果になるのかも。
BMI 18.9
どうしたものか。
2004年06月16日(水) 編集

*1:天の感ずるところと附加へたくなる。眞竹だけど。
2004年06月15日(火) 編集
2004年06月14日(月) 編集

けふの買ひ物
- 高島俊男『キライなことば勢揃い―お言葉ですが5』(文春文庫)
- 『東京人 特集「東京 笑いの系譜」』(都市出版)
- 二ノ宮知子『のだめカンタービレ#1〜#9』(講談社)
- つじあやの『COVER GIRL』
本屋を廻つてゐたら、私の好きな星新一の作品の中でも、特に愛著のある『祖父・小金井良精の記』が遂に文庫化されてゐたことを知る。私の所有してゐる單行本の奧附をみてみると、昭和四十九年発行とある。卅年前だ。
長山さんの解説も良かつた。
COVER GIRL
コンビニでオンエアされてゐた「シャ・ラ・ラ」が、とても素晴しかつたので購入した。
バックのペダルスティールギター(小倉博和)に痺れる。控へ目だけどたまらないストリングスは、パレードと同じ金原千恵子さんだ。チェックしておかう。
これを聽いてゐると、つじあやのと原由子のデュエットが聽いてみたくなつた。ダブルトラックに近いものがあるかもしれないが。
2004年06月13日(日) 編集
紫陽花祭
朝から清掃と草むしりに勤しむ。昼過ぎに白山神社の紫陽花祭を見にゆく。丁度いゝ塩梅に花が見頃だつた。梅雨空に紫陽花は良く映える。
境内にて猿廻しを見物する。猿の體技や動きの面白さもさることながら、猿曵きによる突つ込みや、客弄りがこの藝を成り立たせてゐる。ボケだけでは、笑ひがとれるものではないと改めて思つた。
2004年06月11日(金) 編集

烏
家の周りに烏が澤山集まつてゐた。鈴なりといふ程ではないけど、街路樹や電線の上からカアカアと鳴聲が聽こえると、可成りの數だといふのが窺へる。ゴミの收集の時間は過ぎてゐるし、何があつたのだらう。
猪川
2004/06/14 00:51
「菊名」ではなく、「菊水」のやうに思ふのですが、どこで採取された字でせうか。
funaki_naoto
2004/06/14 01:18
たしか神田神保町のどこかの小料理屋の前で撮影したものです。「神田神保町」「菊水」で檢索するとそれらしいお店が見つかるので、菊水で正しいかもしれません。いつもご指摘ありがたうございます。
2004年06月10日(木) 編集

写真日記
某日とある寺へ參詣に立ち寄ると、入り口のところに象がゐた。
神社には狛犬が、お稻荷さんには狐がゐるをよく目にするけど、寺院にて象を見かけるのはなかなか珍しいかもしれない。
因みに淨土宗のお寺だつた。
2004年06月07日(月) 編集

お悔み
hidemuzicblog 經由でSteve Lacyが亡くなつた事を知る。
- Continue reading "Steve Lacy 1934-2004"(hidemuzicblog)
PARIS BLUES を引つ張り出して聽いてゐる。
2004年06月06日(日) 編集

文學講演會
鴎外記念本郷図書館へ小堀鴎一郎氏の講演を聞きに行く。時間に餘裕があつたので、鴎外記念室を見學したり、表の庭(大銀杏と三人冗語の石がある)のところで本を讀んでゐた。
演題は「鴎外をめぐる人々〜母杏奴と鴎外」といふもので、年表をもとに、杏奴と鴎外の關はりや、作品についての所感を述べたり、スライドを用ゐて色々解説をしてゐた。何だか發表會みたいだつた。
後半、實母の杏奴さんのお話になつたところがやつぱりよい。どんなに些細なことであれ、實際直に傳はるものがあつた。映畫のエピソードが面白い。
最後、最近發見された、森鴎外を撮影したフィルム(大正十年の『皇太子殿下御外遊實況』)が放映された。數秒だけ、畫面を横切る動く森鴎外を目の當りにした。
Rouaults and Icons
松下電工NAISミュージアムにて「ルオーとイコン〜描かれた聖像〜」展を觀る。落着いてゆつくり觀ることが出來た。贅澤な時間を過ごす。
何故かは知らないが、私はルオーの繪に惹かれてゐる。
他にもロシアのイコンが數多く展示されてゐた。これらを審美眼を働かせながら、美術品のやうに觀てゐることに少し抵抗を覺える。展示品の解説をしてゐるビデオを見て、改めてさう感じた。
露西亞のお婆さんは、部屋の一角に佛壇よろしくイコンを供へて、その前で缺かさず十字を切つてゐた。
2004年06月05日(土) 編集

讀了
『福田恆存文芸論集』讀了。
ごく單純にいつて、いい日本語の文章を書くといふことだけでも、どんなにりつぱなしごとでせう。さういふと、あなたがたは眉をひそめるにちがひない。そこから文學者への輕蔑が生まれてくることをぼくは知つてゐます。が、いい文章を書くといふことが、いい政治をするといふことと同樣に、あるいはそれ以上に、人間の未來にとつていかに大切であるかを、あなたがたは知らないのです。政治が惡ければ國が亡ぶとは考へても、一國の文學が亡びれば、また國が亡ぶとは考へない。
文章といふものは、それのみを判斷の基準にしてもまちがひのないほど客觀的な存在なのであります。
餘談だけど、表記を新漢字新假名遣ひに改めてゐる筈なのに、“着”が(おそらく殆ど)“著”のまゝだつた。
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