Rengers biography


まず最初にバンド名「RENGERS」(レンジャース)なのですが、
レンダースと読んで?呼んで?下さい。

2003年頃、エアガレージで開かれている高田漣ウクレレ&スチールギター教室で出会う。

皆、同じ趣味なので、結構簡単に一緒にスタジオなどに入るようになる。
忘れてはいけないが、M−BROS兄弟と仲良くなったのも、テーラー清水製のエアガレージ・ドカジャンだろう。
胸には刺繍で「空気倉庫音楽工業」ネーム。漣先生の肩口には「スチール部署」と刺繍されている。

2005年4月に漣先生のお父上「高田渡さん」がお亡くなりになり、
エアガレージや教室で知り合った仲間達がご香典を集め、漣先生に渡す積もりだったのだが、
渡さんの遺言に「香典は受付けません」と言う事で、漣先生がせっかく集めていただいたので、
教室のTシャツでも作りませんか?と言う少し意気な計らいで、Tシャツを製作する事になる。
エアガレージ代表「川内氏」がその時口にしたネーミングが「RENGERS」だった。
こんな感じで言っていた事を私は覚えている「漣君のレンでレンジャースで良いじゃん!」と・・・
そしてなぜか?スタジオをレンジャースで予約すると、名付け親の川内氏が「今日はレンダース」と
言うので、何時の間にか周りの人や自分達もレンダースと言う様になっていた。

※ちなみに本HPのトップページのイラストはTシャツやCDジャケットのデザインと同じ物なのだが、
デザインを描いてくれたのは、「一柳てぬ」さん。音楽仲間であり、私が尊敬している女性アコーディオン奏者。
我々のシンボルマークとも言えるイラストなのだ。

それからもスタジオなどには皆で入る事が増えたが、なかなか人前で演奏したり、
レコーディングなどは出来ずにいた。だが土曜スチール教室に少々自分達より先輩の
アリーさんとウクレレリーダーのASAKOさんが加わった事で、スタジオの回数や飲み会が増えた。

2007年ぐらいから活動を再開する。と言うのも漣氏のスケジュールの関係で教室が出来ずにいた。
だが桜井氏(ロンサムストリングス)が、ウクレレ教室を引継いでいただいた事で、レンダースの関係が皆縮まった。

2008年以前から参加はしておりましたが、FUYUMIさん・YUMIKOさん・MAHOさんが
メンバーとして加わり、4月12日西荻UENでレンダース始めての録音する。
サポートメンバーにW君。通称「不知火庵」を迎えた。
彼の家は音楽一家で音学歴もすごく、12歳から作詞作曲を手掛けている。

同年5月24日にセルフCD「レンダース・はじめての録音」をリリース。
この日エアガレージでは漣先生の久しぶりの講座があり、講座後、漣先生と一緒にCDを聴きました。
私はスチール弾き。先生の本業スティール奏者。そして私弟子ですので、冷汗と照れ臭ささで倒れそうでした。
ですが漣さんが「なんだかうらやましい」と言う言葉が深かったです。
その後、漣先生はエアガレージのトイレで泣いたとか、泣かなかったとか・・・

CD完成後はやはり皆テンションも上がり、飲み会は以前より多いが、練習が無くなった・・・
昨年辺りから、これでは不味いと言う事で、月1ペースでスタジオに入る。
「そろそろかな?」と私は思い出し始め、勝手にライブの予定を入れて来た。
それからは皆のテンションも上がり気味。
さらにアリーさんやサポートのよっちゃんをスタジオに迎え、ライブのリハーサルを開始。

2009年11月3日杉並区久我山にありますレストラン「豆の木」での初ライブを行う。
そしてこの日の取りを務めた「ゴールドラッシュディガーズ」や「藤井大和」氏ともメンバー全員友好を深めました。

11月23日荻窪・杉並公会堂内・Dスタジオでのレンダース・セカンドCD製作録音開始。
MーBROS兄が活動を再開。




2010年正月
文書 レンダース 清水英樹


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