自家製ダークモルト(2)


密造本舗謹製



御試飲者各位

アルコールの記憶は,その時いた街,人の思い出と結びついている。 だから味を思い出そうとすれば,その時の体験や気分までついてくる。 わたしが味わったビールを、今夜は1杯。

タンクでの発酵は約3週間かかる。発酵時にさかんにした「ぼこっ」という音も,1次発酵が済むと,聞こえなくなる。が,酒飲みにはこの音が狂わしいほどいとおしい。ある友人はこの音を聞くために聴診器を買い,また別の者は,タンクに耳を当てる。彼の子どもが奥さんのお腹にいる時ですら,耳を当てたことがないというのに! わたしは,おいしくなれと,タンクに向かって歌を歌ったりもした。ちょうどクリスマスのシーズンだった。深夜,家に響き渡った,ソプラノの歌声を聞いて,娘は震え上がったと言う。オバケの声かと思った!と。そう言えば,子どもに歌を歌ってやらなくなって久しかった(それにしても失礼なヤツだ)。そうしてまた発酵音が再開するのではないかと1週間も無駄に待つ。…いや,むだではない。この間タンクでは発酵カス「澱(おり)」が,ゆっくりと時間をかけて沈殿し,ビールが熟成していくのだ。そして発酵音が完全に終わり,あきらめの悪い酒飲みもようやく投げ出した時,2次仕込みとなる。

 2次仕込みではタンクで発酵が済んだビールをビンに詰める。あらかじめ消毒した空のビンに,少量(約6グラム)の砂糖を入れ,そこにビールを2/3ほど注いで打栓するのだ。この作業をプライミングと言う。大砲の筒先に火薬を入れる作業から来たと言われている。打栓用のビールの王冠や,打栓機は東急ハンズでも買える。わたしはそのほかの用具と共に通販で済ませたが。
文字にすると簡単なこの作業も,実際には思いもよらぬ重労働だった。まず,ビールビンを用意する。23リットル分で,大瓶約35本。酒屋で1本5円で分けてくれる。ところが35本の大瓶がすんなりある酒屋は意外に少ない。問屋が引き取ったばかりとかで,数件の酒屋に振られた後,なんとか隣の市の酒屋で獲得した。
ここまで用意して2次仕込みの会が開かれた。冬にしては暖かな1日,物好きなノンベイとその家族が集まった。彼らのためにわたしは生ビールを樽ごと15リットル注文しておいた。サーバーは無料で酒屋が貸してくれる。
作業はまずビンを洗浄消毒。外で行うこれは苦行だ。ビンは煙草の吸殻が入っていたり,カビが生えていたり,汚かった。ビンブラシで丹念に洗い,何度もすすぐ。その後消毒剤を入れ,しばらく置いて取り除き,さらにすすぎ乾かす。ビンの割にブラシが大きく,力がいり,水は冷たかった。それでも数名でやると,2時間ほどでできた。会を重ねるごとに,皆の英知を絞り,手抜きのワザも開発された。ブラシ洗浄の際,電動ドリルでブラシを回す。消毒はエチルアルコールで行えば,すすぎがいらない。それでもやはり,ビール作り中、もっともたいへんな作業に変わりない。これが終わる頃には酒飲み達はべろべろに酔って,6グラムの砂糖をビンに詰めて行く,と言う細かな作業はずいぶんアバウトになっていた。砂糖をたくさん入れればその分アルコール度数が上がる,と言う意地汚い目算もあった。だが,アルコール度が上がりすぎたビールはまずく,あわ立ちも悪かったことに,あとで気がつき,臍をかむことになる。ビールを注ぐ作業はそれでも慎重だった。失敗すれば大事なビールがこぼれてしまう。もっとも酔っていない者が担当した。2/3の量で入れないと,2次発酵する際,ビンが割れる恐れがあった。それでもちょっと多めだ,と言っては,減らすべき分を試飲と称して,ずいぶん飲んでしまった。2次仕込み前のビールはフルーティーだが、気が抜けていた。
打栓は子ども達の仕事だ。当初大人がやっていたが,なにもプリントされていない王冠の,きらきら光るカッコ良さに,子どもも手を出したがった。なにより,大人の,飲んでいるとはいえ,真剣な作業に加わりたかったようだ。日付を書きこんだラベルを貼り、すべてのビンに打詮されると,拍手が起こった。用意した生ビール15リットルはきれいになくなり,さらに家中のアルコールが空になっていた。
娘が1本のビンを高々と差し上げていった。
「みんなで力をあわせて作ったビールだよ!」
その通りだったが,まだビールはできていなかった。

2次発酵が終わって飲めるまで,約2ヶ月。
のんべいたちは,ビールを前にして,ツライツライ「おあずけ」をくうことになったのだった。