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2009年2月9日は50歳の誕生日。会社の記念日休暇でお休み、せっかくだからどこか遠くへ行きたい。そんな思いがあり、その日に富士号に乗ることを2008年9月3日に決めた。 |
でもまだ寝台券の発売はされておらず、乗れる保障もない。まずは旅程だけ考え、富士号と言えば、やはり別府の叔父夫婦に会いに行こうと思った。 |
しかし旅行にかける時間はあまりない。そこで富士号には小倉まで乗り、電車特急に乗り換え時間の短縮を図り、帰りは大分空港から飛行機で帰京する予定を立てた。 |
ところが、元々時間のない旅、叔父夫婦に会っている時間も失礼なくらい短く、また大分空港が辺鄙な所にある上、東京行きの便も少ない、ということもあり、別府行きはあきらめ、福岡から帰ってくる旅程に変更した。 |
寝台特急富士号が廃止になるニュースは、2007年11月18日に朝日新聞で採り上げられ、2008年10月3日に毎日新聞がほぼ確定のような記事を出しており、これは是非とも2009年春までに乗らなくては、の思いが強くなってきた。 |
福岡からはJALのクラスJで帰って来たい。北九州の鉄道記念館に行きたい。との思いから、まずはJALの先得割引でチケットを確保することにした。 |
行きの富士号の寝台券の確保が出来ていないなか、先得の発売日の11月1日に福岡→羽田のクラスJを確保。12月1日に発券、といってもサイトからバーコードを印刷するだけだが。 |
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こうした中、12月19日とうとう廃止を知らせる2009年3月14日ダイヤ改正のお知らせがJRから正式発表となった。 |
こうなると廃止一ヶ月前の切符が簡単には取れそうにないな、と思い、発売一ヶ月前の1月8日(木)は午前中休暇を取り、10:00発売をどこかの駅で待ち受けるかという考えが頭に浮かんできた。 |
あるいはネットでどこか事前に受け付けてくれるところはないか探したり、地元の国分寺駅では事前受付はしてくれないだろうか、と慌て始めた。 |
何故、こんなに慌てているかというと、当初B寝台の上段を狙っていたのだが、まだ乗ったことのない富士号に1両しか連結されていないB個室に乗りたくなっていたからだ。B個室と言えば、18室しかなく、人気も高いので、まさにプラチナチケット。そうそう簡単には取れないだろうけど、最後にどうしても乗っておきたかったからだ。 |
幸い、両方とも事前受付の確認が出来、一つはJプラザオンライン予約センターというところに1月5日に予約を入れた。予約内容は次のとおりだ。 [■行程1乗車日■] 2009/2/8 |
あとは1月8日、通勤時に国分寺駅のみどりの窓口に申込書を出すだけになった。 |
果たして、1月8日朝、国分寺駅に申込書を出し、受付1番の紙をもらい、昼休みに国分寺駅に電話をすると「ソロ(B個室)」が取れました」との嬉しい回答が。また、ネットで予約した方はB寝台上段が取れた、とのことだった。 |
これがプラチナチケット。 ![]() |
B寝台上段の寝台券は、小倉→博多のソニック24号特急券に乗車変更し、キャンセル料は取られずに済んだ。 |
さて、こうなると気分もウキウキ、当日、翌日の予定を考えると夜も寝られない状態が続く・・・(^_^;) |
出発当日は日曜日ということもあり、きっと東京駅はギャラリーで混雑するだろう。だが、そんな光景も記録しておきたい。当日は列車が東京駅に入線する17:20前には行きたいと考えた。 |
今の富士号は食堂車はおろか、車内販売もない。当日の家を出発する前にスーパーマーケットに行き、当日の夕食、というか、酒に合うつまみ、そして翌日の朝食をゲットした。朝食は徳山駅から乗車する弁当販売に委ねてもいいと思ったが、こちらも人気が高く、朝から列車内の廊下にできる行列に並ばないとならない、朝はパン食がいい、ということで事前に購入した次第。おかげでリュックはパンパンであった。 |
当日は昼過ぎに家を出て、いくつか寄り道をして、東京駅には16:30と何と列車入線の50分も前についてしまった。東海道線、京浜東北線の電車を写して時間をつぶし、寒いので駅地下の待合コーナーでしばし時間をつぶし、17:15に10番線ホームにあがる。 |
ホーム上は既にマニアでいっぱい。老若男女、カメラを下げて入線を待つ。ワシも最後尾に行ってみると、ロープを張る準備をしているのが見られる。富士号のテールマークを狙う人が多いのであろう。ワシもその一人なのだが・・・ |
やがてEF6650に牽引され列車が入線してきた。機関車を撮影する人、客車から離れヘッドマークを出した機関車を撮影する人、富士号のテールマークを撮影する人でごった返す。 |
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出発前のいろいろな風景 |
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まもなく出発、オハネ15−2003 9号車 7番 |
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富士号は多くのギャラリーに見送られ18:03定刻に東京駅を出発した。ワシは酒、つまみの前にしばし夕闇の中、都会を意外に速いスピードで走る列車を楽しんだ。 |
横浜駅でも多くのギャラリーに見送られ、優越感を感じつつ、一人、缶ビールの栓を抜き、つまみをほうばる。車内案内では懐かしいチャイム、そして停車中に外に出て写真撮影をしないでほしいという注意事項が繰り返された。 |
外は真っ暗、ワシはこの日のために読まずに取っておいた鉄道ファン誌、富士号特集を読みながらビールをたしなむ。小田原を過ぎてからは、国盗りゲーム、掲示板へのカキコを進め、途中の停車駅で見送るギャラリーを見ながら一人悦に入る(^_^;) |
乗車して2時間、富士号と同じ駅名の富士駅を過ぎたあたりでは、大量のビールでかなり酔っ払って気持ち良くなった。 |
このまま横になればゆっくり寝られるという安心感が身を包む。 |
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富士号は夜の闇を切り裂くようにかなりのスピードで進む。静岡、浜松、豊橋、そして名古屋まであっという間であった。 |
時間はまだ22時過ぎだが、ビールの酔いのおかげでうつらうつらしてくる。次の岐阜を出発する頃には寝ようと思い、お手洗いをすませ、毛布にもぐる。 |
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3時前に一度目を覚ましたが、あとはぐっすり寝られた。しかし朝5:20には起床し、携帯電話の位置情報で場所を確かめると、広島到着寸前のはずが、まだ三原であった。 |
通常は、明るくなってからおはよう放送があるはずなのだが、今日は遅れているからか、早朝から遅れについての放送があった。 |
ゆうべ、姫路駅付近で事故があったため、1時間ほど遅れているとのことだった。さらに小倉、博多へ急ぐ人は徳山、新山口で新幹線に乗り換えるように案内されていた。 |
ワシも門司まで行き、門司港駅の鉄道記念館を見る予定にしているが、遅れることを想定しており、今回の遅れは想定内なので、このまま富士号の旅を楽しむ。 |
そうこうしているうちにお腹が減ってきたので朝食とする。弁当の販売はまだなので、買っておいてよかった。 |
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朝食を食べているとやがて空が白々としてくる。ワシにとっては珍しく晴れだ。日の出が美しい。まわりの乗客も海からの日の出を見るべく起きてきた。 |
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有名な富士号撮影地の大畠。本来のスジだと夜明け前だが、今日は遅れの関係で美しく見える。 |
車内から ![]() 橋から ![]() |
列車で夜明けを迎える。こんなことはもうほとんど出来なくなる。 |
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到着までまだまだ時間があるので、しばし車内散策。 |
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車内散策や停車駅観察などをして過ごしている内に下関駅にも近づいた。多くの乗客が先頭の機関車の見物にいくであろうと思い、ワシは最後尾を見に行った。 |
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5分間の停車ののち、富士号は関門トンネルをくぐり、九州の地へ。ワシにとっては2003年1月以来の九州だ。関門トンネルを出て、九州の地が見えた時は感動した。 |
富士号の旅はここまで。門司駅では、先頭車付近で機関車の交代のセレモニーが。これは是非見ておかなくては、とリュックを背負い、祭りに参加した。 |
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祭りは最高潮に達した。しばしの撮影会。そしてやがて発車時間が近づくとほとんどのマニアはこの先も乗り続けるのであろう、車内に戻り、機関車の周りは静かになった。 |
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やがて汽笛一声、富士号は大分を目指し門司駅を発車した。ワシの富士号の旅も終わった。楽しい思い出を残してくれた富士号。本当にありがとう。 |
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このあとは予定どおり九州鉄道記念館を見物し、小倉からソニック24号に乗り、博多で友人とラーメンを食べ、地下鉄で福岡空港へ行き、JAL328便、クラスJシートで帰京した。帰りは行きの十五分の一の時間しかかからなかった。 |
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