私と201系
 
 私が201系に出会ったのは、大学1年生の冬、1979年1月25日(木)の夜のことであった。201系登場のニュースは雑誌などで知っていたが、何故かこの時は、おそらくはサークルの先輩などから情報を仕入れ、日本車輌から三鷹まで回送されて来ることを知っており、真冬の寒い空の下、実家から自転車に乗って三鷹電車区まで見に行った。
 以前は気軽に入らせてくれた三鷹電車区もこの時は厳しくなり、外から遠目に新しい車両を眺めていた。しかしさすが新型車両ということで三鷹電車区の方の計らいで特別に入れてもらい、写真を撮らせてもらったのが、下の一枚である。
  

 
 それまでの電車は、全面はオレンジ一色だったのが、この新型電車は、全面の半分が黒く覆われ、電車の形式が200番台ということもあり、新しい時代の始まりを感じさせてくれ、感動したことをよく覚えている。
 やはりどこからか情報を得たのであろう、試運転の日時も知っており、何枚かを記録している。
 

 

1979年3月 三鷹駅にて
 

 

1979年3月 武蔵境〜東小金井
 
 その後、試運転をかさね、営業運転が可能を判断された201系は、8月20日(月)から営業運転に入り、47Hという運用に限定され、私も何回か乗車したことがある。乗車した時の印象は、天井が低い、先頭車の車内ポールがちょっと邪魔、ドアの部分の出っ張りがちょっと邪魔、など意外に低い評価をしていた。
 とはいうものの新型車両、特にサイリスタチョッパという聞いたことのない制御方式は、未来を感じさせてくれた。また、201系は回生ブレーキを持っており、電気を架線を通じて他の電車に供給できるということで当時流行っていた「省エネ電車」という代名詞も付けられていた。
 

1979年8月 武蔵境〜東小金井
 
 その後、201系は試験を繰り返し、私が大学4年生の夏、就活を始めた頃に量産車が登場した。その頃、中央線はまだ101系の天下だったが、新型車両の大量登場ということでかなりの枚数、201系を撮っていた。
 

1981年9月 武蔵境駅
 
 1982年春、無事市ヶ谷にある会社に入社でき、引き続き中央線のお世話になり、当然201系もちょくちょく乗るようになる。そしてどんどんと201系が増え、101系が淘汰され、1985年春にはいよいよ101系も引退ということで201系の合間に101系を写していた。

1985年3月 武蔵境〜東小金井
 
 101系のさよなら運転は、1985年4月29日(月)に実施された。撮影に行きたかったが、ちょうど友人の結婚式の司会に抜擢され、お祝いごとを断るわけにも行かず、ちょっぴり残念な思いを残した。
 その後、同じ年におかげさまで自分も結婚することができ、その翌年、子供も授かる。さすがに撮影に行く時間は、ほとんど取れなかったが、社宅のあった三鷹駅付近では、子供の散歩がてら何枚かの写真を残している。
 

1987年3月28日 三鷹〜武蔵境 さようならJNRのヘッドマーク付き
 

1988年4月3日 JR1周年記念三鷹電車区公開時
 

1989年4月9日 中央線開通100周年記念号とともに 中野駅
 
 1990年前後はさすがに仕事も忙しく、休日は育児に翻弄され、あまり撮影に出かけていないことが、当時の写真を整理するとわかる。それでもたまには、ということで近場には出かけさせてもらっていた。
 

1993年5月23日 高尾〜相模湖
 
 その後は、撮影に出かけさせてもらう機会は増えたものの、毎日通勤で使っている201系は、いつでも写せるといった理由からほとんど記録に残っていない。
 
 しばらく低迷期が続き、次に201系を撮影したのは、三鷹の社宅から国分寺に引越しした年だった。国分寺に引越ししたことと子供達にもあまり手がかからなくなったことから、高尾から先にちょくちょく出かけさせてもらった。この頃の201系はもうすでに最終の顔に近いものになっていた。
 

1996年10月27日 鳥沢〜猿橋
 
 しばらくは細かい変更はあったものの201系は、毎日同じように走っていたが、2005年10月4日についにその後継となるE233系が発表された→ JR東日本発表資料
 
 E233系は当時増備されていたE231系の中央線版というより、沿線乗客からのアンケートを踏まえ、また電気機器を二重化するなど先進的な車両であった。
 
 実車は、発表の翌年2006年9月に完成し、その姿を現したが、201系を初めて見た時ほどの感動は覚えなかった。
 
 ただ、やはり新車ということで注目度は高く、JRも豊田車両センター公開、試乗会などを開催し、乗客にアピールしていた。そんなノリにすぐ反応してしまい、両方に参加したが、やはりこれから消えゆく201系の記録に力が入ったのは、いうまでもない。

2006年11月11日 豊田車両センター公開時
 
 E233系は、2006年12月26日から運転が開始され、いよいよ201系廃車の時が来てしまった。ネット上では、廃車回送の日時などの情報が飛び交い、おかげで珍しい桃の花の中を行く201系の写真も撮ることが出来た。
 

2007年4月12日 新府〜穴山
 
 毎週のようにE233系の増備に追われるように長野へ廃車回送される201系。いつしか乗客も新型電車が来る珍しさよりもお古の電車が来る貴重さを感じるようになり、そこに火をつけるかのようにJRでは、さよならキャンペーンと称し、記念グッズの販売、記念運転などが催され、当然、それに騙されるようにいろいろなグッズを買い、記念運転に乗車し、写真を撮りまくっていたが、以前から何かのついでに撮っていた電車ということもあり、あまり焦らずに記録していた。
 
 やがて最終運転が2010年10月17日と発表され、101系さよなら運転の記録を逃した自分としては、なんとか撮りたいと思い、最後は自分のお気に入りで、有名撮影地でない、信濃境を選んだ。
 
 当日は豊田駅で記念グッズ販売があるというので、1時間近く行列し、各新聞にも翌日載った豊田駅の喧騒の中、そこに紛れ、写真を撮り、八王子で通過を撮影し、スーパーあずさ11号で相模湖で追い越し、信濃境駅へ降り立った。
 
 各駅端の賑わいと大きく異なり、おやぢが二人だけ。やがて13:30、思いのほか速いスピードで長野へ駆け抜けた201系さよなら列車。姿が見えなくなるまで心の中で手を振っていたのは、いうまでもない。
  

2010年10月17日 豊田駅
 

2010年10月17日 信濃境駅
  

信濃境駅
 
 私のサラリーマン生活を支えてくれた中央線の201系。自分より早く引退してしまったが、深く感謝している。長いあいだ、お疲れ様でした。