[我が家の手話教育]

  ・こんなに成長しました
  ・親はこうやって手話を学んでいます
  ・ろう者との関わりをこのように持っています
  ・家庭の中ではこうやっています

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「我が家の手話育児」 ろう児をもつ母
 私の息子は、2歳です。彼がろう児だとわかって、1年が経ちました。この1年

は、これまで私が生きてきた中で、最もショックで最も激しく、最も早い1年だっ

た気がします。わずか1年の間に、どれだけ多くのことを知り、学んだことか・・。

私は、ろう児の親としては、まだまだ駆け出しのヒヨッコです。でも、毎年必ずろ

う児のヒヨッコ親が誕生します。その親たちが、同じ道を通らなくてもすむように、

わずかでも前の道を歩くことができるように、私は、私が知り得た情報を伝えて行

こうと思います。これは、すべて今の時代に起きている話です。できることなら、

ろう児の親だけでなく、医者や看護婦、助産婦、保健婦、そして聞こえの教室やろ

う学校の先生にも読んでいただきたい、そう願って投稿します。



<ろう児の誕生>

 1998年1月、都内の大病院で次男が生まれました。2度目の立会い分娩は、

2時間15分の超安産でした。分娩室で母親の胎内から出てきたとき、その赤ん坊

は、パッチリと目を開けていたのです。これが、わが家のろう児の誕生でした。退

院してきた息子は、黄疸も軽く母乳も良く飲み、赤ん坊の特徴である”モロー反射”

も見られる健康児。何の心配もない子育ての日々が続いていました。ところが、生

後7〜8ヶ月を過ぎたころから、「声が異常に大きい」ことが気になりはじめたの

です。「ア−ア−、ウ−ウ−」という声の大きさ、『もしかしたら聞こえないので

は?』という思いが脳裏をかすめました。でも、まさか・・・。このころ、区市町

村の検診で保健婦に相談しても、小児科の医師や看護婦に相談しても、答えは同じ

でした。「まだ小さいからわからない、たぶん大丈夫でしょう」。

 1歳の検診で、「ブーブ」「ワンワン」という言葉が出ないと訴えました。そこ

でも医師や看護婦は「言葉の発達は個人差が大きいから」と答え、更に、こう付け

加えたのです、「これだけ表情が豊かで明るいなら、まず大丈夫。聞こえない子は

表情が暗いからねぇ」この医師たちは、何人の聞こえない子供を知っているのか?

その答えは、半年後にわかりました。

 1歳半の検診を1ヶ月遅れで受けた息子に、当然、言葉はありません。小児科か

ら耳鼻科へ回され、待つこと2時間。耳鼻科の診察椅子の上で、耳鼻科医は息子の

耳の後ろで鈴を鳴らしました。息子が振り向きます。(ろう児は目がいいですから

ね)「問題はなさそうだけど、念のためABR検査をしましょう・・・」。1週間

後に検査の予約をして、更に1週間後に結果が出ました。

小児科医「実は、お子さん、高い音が少し聞こえにくいようなんです」

両親  「・・・・・。どのくらいですか?」

小児科医「ええと、検査の結果では105dBとなっています。でも、これだけ軽

     いのに良く気がつきましたね。耳鼻科の方で、念のためCTを撮るそう

     です」

・ ・・それから更に2週間、CT検査の結果を聞きに耳鼻科に行くと。

耳鼻科医「残念ながら、お子さんは重度の難聴です。でも、残聴があるので、

     ろうではないようです。」

両親  「・・・・・」

耳鼻科医「ここからは医療の分野ではありません。一日も早く補聴器をつけ、言語

     訓練をすることをおすすめします」

私たち夫婦は、2度に渡ってショックを受けました。1度目は「自分の子供が難聴

である」というショック。2度目は「重度の難聴である」というショック。難聴に

ついて、何の知識も持ち合わせていない私たちにとって、そこは、一寸先が見えな

い”奈落の底”のようなものでした。息子が笑うたびに、言いようのない悲しみが

襲って来ました。この子は耳が聞こえないんだ、この子には私の声が届かないんだ、

なんて不幸な、なんて不憫な、なんて可愛そうな子なんだろうか。泣いても泣いて

も、その思いは消えることがありませんでした。

とにかく、息子の耳を聞こえるようにしなくちゃ!日本の医師が治せないなら、外

国で治せる医者を探そう!そんな思いでパソコンを立ち上げ、インターネットの世

界へと突入しました。目指すは「移植情報」です。私の両親が、生体移植を提案し

ました。おじいちゃん、おばあちゃんが、息子に片方ずつ耳をあげると言うのです。

なるほど、それが実現すれば息子の耳は聞こえるようになる。知らないということ

は、何と恐ろしいことでしょう。まず、入手した情報はイギリス国内で施されてい

る人工内耳手術でした。幼児に対する人工内耳手術の件数も日本の比ではありませ

ん。早速、当病院が発信している情報の日本語訳を依頼しました。その一方で、聞

こえない子供を持つ親のためのサイトを発見しました。その情報によると、何でも

ろう学校では「聴覚口話法」という方法で、聞こえない子に言葉を教えしゃべらせ

ているといいます。しかし、その「聴覚口話法」というものを習得できる子供は少

なく、日本語の読み書きのレベルにも問題があるというのです。「ろう学校で手話

を禁止している?」これは、私にとって驚きでした。「じゃあ、ろう学校って何を

教えるところなのか?」それは、ろう学校の乳児相談に行くとすぐにわかりました。

そして、ここで新たな現実を知ったのです。

小学生の子供「おんいいあ」

私     「ン?・・・・」

先生    「こんにちは、と言っているのよ。今日は何したの?」

小学生の子供「○×△◇☆■・・・」

先生    「そう、ほら○○先生が呼んでるわよ」

頭を後ろからハンマーで殴られた気がしました。私が想像していた、息子の将来像

は、甘すぎました。「そうか、聞こえないって、こういうことなんだ」。

 その頃、「人工内耳情報」は、イギリスからイタリアへと渡っていました。イタ

リアでは、人工内耳がマイクロチップになっているというのです。マイクロチップ

という超小型の人工内耳は、不要になったときに簡単に取り外すことができる他、

従来の人工内耳より優れている点がいくつかありました。世界中から、患者が集ま

って来るため電話による問診だけで1ヶ月待ち。とりあえず、知人に電話問診の予

約をしてもらいました。問診の結果、人工内耳チップは息子のような子供に適した

方法であること。過去に日本人の患者を一人手術している。ということが分かりま

したが、この頃には、ぼちぼち「聴覚活用」というものへの疑問が出始めていまし

た。

 『聴覚口話法』だなんて、生まれて一度も聞いたことのない言葉でした。これは、

「残っている聴力を活かして、相手の話しを聞き取り、唇の動きを読み取り、自ら

も発声する」という、聴の親にとってはこの上ない教育方法です。なのになぜ?「

聞こえない子を持つ親」のサイトでは、複数のろう者と聞こえない子をもつ親たち

が、『聴覚口話法』による弊害や手話の重要性を訴えているのか?そこには、いっ

たいどんな問題があるというのか?そもそも、どうして聞こえない子供が通うろう

学校で手話を使わないのか?私たち夫婦は、これらの疑問の答えを探すため更に情

報収集を進めました。すると、そこに見えて来たものは・・・・・。なんとも、理

解しがたい事実ばかりだったのです。

例えば、


・人間形成に最も大切と言われている乳幼児期の母子関係が、すべて聴覚口話法に

 よる訓練になってしまう。


 →公園でアリを見つけたら「アリだよ、あり、あり。ほら、お母さんの口を見て、

  アリ!」という会話が延々と続く。果てしなく続く。


 本来なら「アリだよ。黒いね、小さいね。お家はどこかな、この穴がアリさんの

お家なんだね。お家の中にはお父さんとお母さんが待っているのかなぁ。アリさん

て力持ちだねぇ」など、母子の会話からイメージの世界が広がります。この会話こ

そ、人間としてのな豊かな心を育てるうえで、最も重要なことではないでしょうか。


・その大切な乳幼児期を、すべて聴覚口話法の訓練に費やしても、それを習得でき

 る子供はごく一部しかいない。


 →ろう学校の文化祭を見学しました。


 聴者が理解できる言葉を発する子供は1割。OHPによる字幕と合わせ、かろう

じて理解できる発音の子供が1割。残りの8割の子供の発音は、残念ながらまった

く理解できませんでした。


・ろう学校や聞こえの教室の先生たちが、間違った情報を間違っていると知りなが

 ら親に提供している。


 →「小さいときから手話を導入すると聴覚口話法や日本語の習得が遅れるから、

  ろう学校の幼稚部・乳児相談では手話を使用しない」


 この説は、すでに十数年前、正式に撤回されています。それを承知でなぜ、間違

った情報を親に提供するのでしょうか?ろう教育に"手話"が導入されて、一番困る

のは誰なのか?と考えたとき、おのずと答えが見えてきました。


・「9歳の壁」という言葉が今も頻繁に使われています。これは、現在の教育方法

 では、聞こえない子供たちの平均的な日本語の能力は、9歳を超えるのが難しい

 ということにほかなりません。


 →『聴覚口話法』という現在の教育方法にしたがうため、すべてを犠牲にしたあ

  げく、「9歳の壁」という言葉で済まされては困るのです。ろう教育関係者は、

  教育方法とその成果に対して責任をとってくれません。


 あげはじめるとキリがないほど、矛盾した教育が行われていることがわかりまし

た。それと同時に、感音性難聴は病気でなはく、よって治らないもので、いくら補

聴器をつけようとも、最新式の人工内耳をつけようとも、聴者のようには聞こえな

いということもわかりました。一部の子供たちは、訓練によって"しゃべる"ように

なります。それを聞いた聴の親は、無意識に"聞こえるようになった"と誤解します。

それは、"しゃべる"="聞こえる"という、聴者の錯覚にすぎないのです。子供たち

は、どんなに上手に"しゃべる"ようになっても、決して"聞こえる"ようにはなりま

せん。※そして、ほとんどの子供が"しゃべる"ようにすらならないのです。

聴の親なら誰でも、自分の子供が「聞こえない」と分かった途端、激しく動揺しま

す。そして、立ち直る間もなく、ろう学校や聞こえの教室の先生が、「ろう教育(

聴覚口話法)」を説明します。親にとっては、それが唯一の情報であり、その方法

が「良いか?」「悪いか?」などと考える余裕もありません。また、他の情報もほ

とんど入らないのが現状です。このときに、先生が間違った情報を与えたら、親は

そのままを信じます。先生たちは、それを自覚しているのでしょうか?ろう学校や

聞こえの教室の先生たちは、聞こえない子供とその親の人生を左右するほどの影響

力を持っているんです。私たちは、たまたま、ろう学校以外の、いくつのかの貴重

な情報をキャッチすることができました。その中から、息子に最も適していると思

われる方法を選択したのです。ろう教育関係者は、子供たちの将来に責任はもって

くれません。卒業してしまえばサヨナラです。でも、親は違います。親は、子供が

何歳になっても親なんです。だからこそ、納得できる確かな方法で息子を育てる必

要があるのです。


<わが家の手話育児>を書こうと思って、そこに至るまでの道のりを書き始めたら、

思わず長くなってしまいました。それでは、私たち夫婦が選んだ、

「息子に最も適している方法」=「手話育児」

を紹介します。

1.手話の独学

 まずは、手話の単語を覚えなきゃ!と、手に入れたのが、足立ろう学校の幼稚部

の先生たちが作った「こどもの手話辞典」です。今考えると、聴者が作った手話辞

典ですから、本来の使い方を間違えていたり、ろう者が使わない単語が載っていた

り、足立ろう学校でしか通じない単語があったりと、問題も多い辞典です。でも、

聴の親が子育てのために手話を覚えようと思ったとき、その導入としては、入りや

すい本だと思います。聴の子供は、3歳でおよそ1000語の日本語を習得してい

ると言われていますが、この辞典に載っている単語の数が約1000語。これは、

手話の世界をまったく知らない聴の親にとって、一つの目安になりました。


 「聴の親が手話を覚えるのは無理!」と、よく言われます。私も言われました。

でも、聞こえない子供が、聴覚口話法で音声言語を習得することと比べたら・・・、

やってやれない事はないと思ったんです。まずは、しつけに必要な単語を中心に覚

えました。「ありがとう、おはよう、こんにちは、ごめんなさい、ダメ、いいよ、

食べる、座る、待つ、歩く・・・・」ただし、私たちは、息子に手話を教えるので

はなく、私たち夫婦が、手話で会話することを目標としました。なぜなら、母語と

なる言語は教えられるものではなく、自然と身に付けるものだと思ったからです。

例えば、2歳前後の聴の子供に日本語を教えようとする親はいません。子供は、両

親や兄弟が使っている日本語を聞いて、自然に覚えていきます。ですから、聞こえ

ない息子が、意識せず自然に手話言語を覚えられる環境を作りたいと思ったのです。

「息子の前で話しをするときは、とにかく手話で会話をする!」これが、わが家の

ルールとなりました。


 しかし、言葉は生き物です。本やビデオだけで良いはずがありません。でも、地

域の手話サークルはここ数年の手話ブームで満員御礼。行政がやっている手話講習

会も、募集人数20人に対して、応募人数は 200人前後という高い倍率。もちろん、

どちらも小さな子供たちを連れて行くことはできません。そこで、「手話家庭教師」

をお願いすることにしました。

<ろう者との出会い>

 手話の家庭教師は、私たち夫婦が初めて会った"ろう者"です。20代前半の若く

てかわいいお嬢さんです。(実は、チョ〜しっかり者で頭が良くて、ちょっと頑固

な才女でした)彼女は、まったく声を出しません。大きな目と豊かな表情と全身を

使って語りかけてきます。本だけで覚えた、わずかな手話単語しか知らない私たち

ですが、なぜか、あまり苦労せずコミュニケーションできたように記憶しています。

(後でわかったことですが、このとき彼女は、私たちのレベルに合った手話を使っ

ていたそうです)とにかく、私たちの手話が上達したのは、"声を出さないろう者"

に手話を教えてもらったから!これが、一番の理由です。聴者は、日本語が聞こえ

てくるとそれに気をとられてしまいます。まして、それが不明瞭な発音だったりし

たら、その発音を頼りに音声言語を模索します。そうなると、当然、手話はおろそ

かになり、いつまでたっても手話を覚えられません。初めのうちは、彼女が帰った

後は放心状態。頭の中が、クタクタでした。彼女とのやりとりは、教える、教わる、

というより、まったくの日常会話です。

私 「昨日、ろう学校に行ったら、先生に・・・・と言われたの本当?」

彼女「それは間違いよ。だってろう者は・・・・だから」

などという、世間話しです。話しの大半は、「ろう者とは?」「聞こえないってど

んなこと?」といった質問でした。中には失礼な質問もあったことでしょう。でも、

彼女は、質問のひとつひとつに丁寧に私たちがわかるまで説明してくれました。彼

女は声なしの手話、私たちはしゃべりながらの手話、いわゆる日本語対応手話でし

た。でも、日本語を話しながら手話をつけると、知らない手話単語が多すぎて話し

が流れません。(この頃が、一番大変でした)子供たちは、そんなやりとりを見て

いるような見ていないような。私たちの回りで、勝手気ままに遊んでいました。


 手話家庭教師を向かえて、かなり早い時点で、私たちは日本語対応手話に見切り

をつけました。なぜなら、日本語対応手話は、正確には日本語対応手話単語であっ

て、それ自体は言語ではないからです。日本語を習得した後、手話を勉強した人が、

すでに習得し終えている日本語に手話単語をくっつけるのが日本語対応手話。まっ

たく言語をもっていない息子には、適さないと感じたのです。また、私たち自身、

対応手話では自由に話しができないことを実感しました。日本語に手話単語を合わ

せていくと、意味が変わってしまうケースがあることに気づいたのです。

例えば、

(日本語) 「私にしかできないことがある」

(対応手話)「私/だけ/できない/こと/ある」

この例文をよく読むとわかるように、上の文と下の文では意味がまったく逆になっ

ています。日本語に多い"否定の否定"「できないわけではない」「やらないとは言

っていない」を、対応手話にすると通じないケースが多いのです。これを「手話は

語数が少ないから」などと言う人がいますが、手話には手話の言い方があります。

どうやら、そういう方は、手話言語の単語だけを借用しているという事を忘れてい

るようです。

手話を英語に置き換えて"日本語対応英語"を作ってみるとよくわかります。

例えば、

「アイは、ユーを ラブしてる」

「アイは、イエスタデイ、ホスピタルに ウエントした」

日本語に英単語を対応させようとすると、本来、英語にある5W1Hが落ちてしまう

のです。俗に言う「手話には、てにおは がない!」というのは、「日本語対応手

話には・・・」と正確に言うべきだと思います。なぜなら、日本手話には、「てに

おは」に相当する表現があります。

例えば、

「佐藤が田中の弁当を作る」

「佐藤と田中が弁当を作る」は、

手話で的確に表現できるのですから。ただし、聴者には区別がつきません。ろう者

たちは、難しい政治経済の話しやヒトゲノムの話しを、手話で論じ合っているので

すから、相手を知らずに否定するのは愚かなことだと思います。


 何が言いたいかと言うと、私たちは息子を「ろう」として育てると決めた以上、

『郷に入っては郷に従え』を徹底させたということです。

<息子と会話できる喜び>

 私たちが独学で手話を勉強してから、1ヵ月後、息子が、始めて「ありがとう」

と言ってくれました。息子に話しかけられた喜び!おうむ返しじゃなく、自分の意

志で自分の気持ちを伝えた言葉「ありがとう」。これは、本当に嬉しかった。当た

り前だけど「ああ、この子もフツーの子供なんだ」と実感した瞬間でした。

以来、私は、自分の行動のすべてを手話で、息子に話しかけるようにしました。

例えば、

「お母さん、トイレに行くね」

「お母さん、上で着替えてくる、いい?」

「ごはん作るから、待っててね」

「電気、消して、暗くして寝ようね」

これからやることをすべて手話で説明してから動きます。もちろん、一番簡単で短

い文です。これなら、聴の親にもできますから。聴の子供が、1歳までに沢山の日

本語を聞き溜めるように、聞こえない息子が、沢山の手話言語を読み溜められるよ

う、ヘタな手話を駆使しました。それは、教えるのではなく、聴の親子と同じよう

に語りかけをしただけです。そこから、手話を吸収するかしないかは、息子自身の

力ということになります。


 私たちが日本語対応手話を止めた頃から、息子の表情が変わりました。怒るとき

は「怒った顔」、おねだりするときは「おねだりの顔」と、感情が表面化してきた

のです。たぶん、私たちが息子に話しかけるとき、日本語を使わないぶん感情が顔

に表れるようになったのでしょう。そして、単語ではなく、複文を理解し表現する

ようになってきたのです。家庭教師を迎えてから、およそ半年。夏からは、家庭教

師ではなく"龍の子学園"というフリースクールに月2〜3回通いはじめました。息

子には、ろう者の中で過ごす時間が必要だと感じたからです。そして、いま、息子

は同じ年頃の聴の子供と何ら変わることなく、手話言語によって自分の意志を自由

に表現するようになりました。

母 「オモチャを片付けなさい」

息子「お母さんがやれば」

母 「こら!悪い子ねぇ」

息子「違う、お兄ちゃんが悪い子!」


息子「赤い風船はお兄ちゃんの、青い風船はぼくの」

母 「白い風船は誰の?」

息子「お母さんにあげる」


(公園で花を折ってしまった息子に)

父 「ダメだよ、お花がかわいそう、折っちゃいけないよ」

息子「お母さんにあげるの」

父 「・・・・」


(翌日、花瓶にさした花を見て)

息子「ねえねえ、赤い花、お母さんにだよ」

母 「ありがとう。でも、折ったらかわいそうよ」

息子「お花が、痛い痛い、エ〜ン」

母 「そう。お花折らないでね」

息子「うん」(果たして、本当にわかったかどうか?)


(兄弟ゲンカで泣いてる息子に)

母 「どうしたの?」

息子「お兄ちゃんが蹴った」

兄 「最初にボクがぶたれたんだよ」

母 「あなたがお兄ちゃんをぶった、だから、お兄ちゃんが蹴ったんでしょ。

   あなたが悪いよ」

息子(兄に向かって、目にも止まらぬ速さで)

  「ゴメンネ」

  (母の方を見て)

  「痛いよ〜」

母 「わかった。痛いの痛いの飛んでいけ〜」

息子(さっさと兄と遊びだす) 


「しゃべる」ことだけを目標にしていたら、今頃こんな会話を楽しむことはできな

かったと思います。会話を楽しむだけでなく、ここから得た心の成長が、次のステ

ップを生むものと信じています。

「バイリンガル教育はデンマーク語だから成功した」

「日本語はバイリンガル教育に向かない」

いろいろ言われます。でも、今の教育方法の結果はどうなのでしょうか?生活環境

も食文化も体格も体質も違う西洋人が生み出した"西洋医学"を取り込んだ、昔の日

本人は偉かったなぁ〜。聴の親が手話で育てたろう児が、どのように成長していく

か、次回からは、具体的なやりとりを報告して行こうと思っています。

みなさん、よろしくお願いします。


手話育児・具体例 その1

<これも手話でちゅ、読み取ってくだちゃい>

 聴の子供が言葉を発する過程で必ず通るのが、「幼児語」「あかちゃん言葉」で

す。例えば、5歳の長男が2歳の頃、「お父さん」と発音できず「じょーさん」と

言っては「ぞうさん」に間違われていました。3歳になって運動会のときに「○○

ちゃんは赤組?白組?」と聞くと、大きな声で「白ムギ!」と答えてくれました。

これとまったく同じことが、ろう児の手話にもあるんです。

最もポピュラーなのが 「お父さん」 →「親指をほほに当てる」
           「お母さん」 →「小指をほほに当てる」
           「お兄ちゃん」→「人差し指を上に向ける」

息子が最初にできたのは、「お父さん」でした。次いで「お兄ちゃん」。「お母さ

ん」は、小指を立てるのが難しくてなかなかできませんでした。ある日のこと、息

子が何やら一生懸命に指をモゾモゾさせていました。何をやっているのだろう?と

見ていると、握った左手の小指を、右手の指でつまんで立たせているのです。息子

は、「お母さん」と言いたかったんですね。でも、やっと立った小指はすぐに戻っ

てしまう。結局、小指を指でつまんで立たせたまま自分のほほに押し当てて、私の

ところへ走ってきました・・・・。息子が小さな手で呼んでくれた「お母さん」と

いう言葉、そして、こぼれそうな笑顔。もう、食べてしまいたいほどいとおしく思

いました。「お母さんという声が聞きたい一心で口話に走った」という声をよく聞

きますが、息子は私に心のこもった小さな手話で呼びかけてくれました。「おかあ

さん」と。


 さて、「お母さん」が出来るようになった息子の次の目標は・・・?そう、「お

ばあちゃん」「おじいちゃん」でした。立てた小指を右手の指でつまんで、よいし

ょ!と曲げます。親指も同じように右手でつまんで、よいしょ!と曲げます。集中

していないと、曲げた指がまたすぐ立ってしまいます。すると、口をとがらせてや

り直し。その姿がおかしくて、悪いな〜と思いながら笑ってしまいました。


 他にも、息子の「幼児手話」はたくさんあります。「ごめんね」「茶色」「ちが

う」「龍の子学園」「ろう」「保育園」などなど。本やビデオや教室で手話を習っ

た聴者には、まず解読できないと思います。でも、ろうの大人にはわかるらしい。

う〜ん。悔しい。


手話育児・具体例 その2

<"ダメ"という単語は、使っちゃダメ!>

 「魔の2歳児」という言葉をご存知ですか?ようするに、一番手がかかる時期と

いう意味ですが、この頃から親は「ダメ」という言葉を連発するようになります。

「ダメ」という手話単語は、握った手から親指だけを立てます。友人のデフ・ママ

は「Good」に似ているので使わないそうです。息子は、この「ダメ」という単

語をずいぶん早くに覚えました。それだけ、私が連発していたのでしょう(反省)。


(入浴中、息子が浴槽に水を入れたので、母が水道の蛇口を止める)
息子 「ダメ!」

(いたずらをしていた息子に父が「ダメ」と手話ると)
息子 「お父さん、ダメ」

(兄が息子のオモチャで遊ぼうとすると)
息子 「ダメ、それボクの」


ところがある日、ろう者から「手話の"ダメ"という単語は、相手の人間性そのもの

を否定する意味ももつ」と聞いて驚きました。日本語のダメは、とても軽い意味の

否定ですが、手話のダメにはもっと深い意味もあったんです。たぶん、単語だけで

なくそのときの表情や親指を出す方向、力の加減などで意味合いが変わっているの

だと思います。以来、私たちは、「ダメ」ではなく「○○をすると××になっちゃ

うから止めなさい」という言い方に変えました。


例えば、

(アイスを持ったまま歩こうとする息子に)

「座って食べなさい。歩くとアイスが落ちるよ。アイスが落ちると床がベタベタに

なる、汚くなる。食べ終わってから遊ぼう」と説明します。実は、はじめ『こんな

長い文を理解できるはずない』と思いながら手話っていました。ところが、数日後、

兄がアイスを持ったまま遊ぼうとしたとき、息子が兄に向かって言ったんです。

「アイス落ちるよ、ベタベタ、汚い」

子供の力を馬鹿にしていた自分に反省しました。

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