[我が家の手話教育]

  ・こんなに成長しました
  ・親はこうやって手話を学んでいます
  ・ろう者との関わりをこのように持っています
  ・家庭の中ではこうやっています

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 2000/10/21 「私が手話による教育を求める理由 その2」 ろう児をもつ父
日本語獲得について

1 もちろん日本で生きていく以上、聾児にも書記日本語の獲得は必要だと思い

 ます。しかし日本手話を第一言語として獲得させる方針をとることは、日本語

 を獲得させる可能性を捨て去るものではありません。むしろ第一言語として日

 本手話を獲得することによって、第二言語として日本語獲得は容易になるよう

 です。



  一見表面的には全く異なるようにみえる複数の言語間には、物事の意味を認

 識し、それを分析・統合し、創造する基底言語能力の部分では共通する部分が

 あって(「普遍的な基底言語能力」と言われています)、第一言語を通じてこ

 の基底言語能力の部分を獲得すれば、第二言語の獲得の際にもその部分が利用

 できるというのです。いわば、言語というものは、表面に現れている部分(文

 法・表現など)は違っても、基礎的な部分は相当程度に共通であって、人間は

 その基礎的な部分を利用してモノを認識したり、それを分析し、創造する活動

 に利用しているのだということです。

  いわゆるリテラシー・トランスファー( Literacytransfer:読み書きの能力

 が言語間で転移すること)が存在することは、外国語教育を受けた経験のある

 者は誰でも体験してきた事実だと思います。学生時代、英文の読解能力は日本

 語の国語能力と通じるものがあると感じた人は少なくないはずです。子供の頃

 から培ってきた日本語能力が英語の読解能力に生きていたのです。だからこそ

 「外国語を習得するにはまず母語の力をしっかりつけることが大切」というこ

 とになるのです。母語の学習によってこの基底言語部分をしっかり獲得するこ

 と、母語を利用してこの基底言語部分の能力を伸ばすことが、第二言語獲得・

 第二言語能力伸長の早道ということになるようです。つまり母語によって培っ

 た能力は第二言語へも転移するのです(講談社現代新書「バイリンガリズム 

 二言語併用はいかに可能か」137頁 東 照ニ著)。
    (著者名に誤りがありました。ご指摘いただきまして
            ありがとうございました。2004/3/31)


2  サブマージョンとイマージョン

  けれども、どうして日本語を第一言語として獲得させる教育法より、まず日

 本手話を獲得させ、それを通して日本語を獲得させるという一見遠回りにも思

 われるやり方が、日本語獲得のために近道だなどといえるのでしょうか。

  ここでしばらく聾教育の話から離れて、言語教育の形態について考えてみま

 しょう。歴史上、様々な国々においてそれぞれの事情で、様々な言語教育が行

 われてきましたが、その中である言語話者の児童を対象として、全く別の言語

 (以下「獲得目標言語」と言います)を母語並に使いこなせる程の能力を獲得

 させることを目的とした言語教育が行われてきた例は少なくありません。それ

 らの教育形態を、幾つか取り上げてみます(大修館書店「バイリンガル教育と

 第二言語習得」コリン・ベーカー著 岡秀夫訳181頁以下)。



@サブマージョン

  20世紀初頭のアメリカ合衆国等で、主に移民の子供達(母語はスペイン語

 等の少数派言語)を対象に行われた教育(獲得目標言語は多数派言語である英

 語です)がこの類型にあてはまると言われています。

  この教育法では、学校で使われる言語は多数派言語である英語(獲得目標言

 語)のみです。教師は少数派言語話者の子供達に向かって、母語を使用せずに、

 獲得目標言語のみで一日中授業を行うのです。これでは母語が学校生活の中で

 伸びていきません。母語が十分に伸びていない段階で、他の言語(獲得目標言

 語)のみを用いた教育を行い、母語とは無関係に、獲得目標言語をできるだけ

 早く習得させようという考え方に基づく教育法です。

  いわば生徒を深いプールに放り出して、浮き袋を使ったり特別に水泳の練習

 を受けたりしないで、なるべく早く泳げるようになることを目指すという考え

 方です。基本的に、少数派言語話者を同化させることを目的としており、溺れ

 てしまう生徒もいるし、水中でもがく生徒もいるが、中には泳げるようになる

 生徒もいます。

  この教育の結果は、言語の問題だけでなく、少数派言語集団の子供達の社会

 的・情緒的な適応の面でも問題が起こりやすく、この点は後で高校を中退する

 割合とも関わってくるということです。

  Shutnabb-Kangas (1981)はサブマージョン教育で行われているように、十分

 発達していない言語で学ぶときに感じるストレスについて次のように指摘して

 います。「よく分からない言語で何かを聞く場合には、高度の集中力が要求さ

 れ、それはまた労力を要することでもある。その上、常に言語自体に注意を払

 っていなければならないので、授業の内容まで考える余裕はあまりないという

 ことになる。生徒は各教科の知識を吸収すると同時に、言語も学習しなければ

 ならないのである。ストレス、自信喪失、脱落、不満、阻害などが起こること

 もある。」



Aイマージョン教育

  これに対して、英語とフランス語が公用語とされているカナダで、英語を母

 語とする人々が多く暮らしているケベック州などで行われている教育形態はイ

 マージョン教育と呼ばれています。これは英語を母語とする家庭の子供達に対

 して、学校教育の中で一部又は全部の授業をフランス語(獲得目標言語)のみ

 で行うという教育形態です。

  イマージョン教育の結果については「子供達は、従来のように英語で教育を

 受けた子供達と同じように英語(母語)を読み、書き、話し、理解できている

 ようだ。それだけでなく、何の犠牲も払わずに、従来のやり方で第二言語とし

 てフランス語を学習した生徒にはまねできないほど、フランス語(獲得目標言

 語)で読み、書き、話し、理解することができる」と報告されています。イマ

 ージョン教育によって学習した獲得目標言語は細かな部分で文法的正確さに欠

 けるという指摘もありますが、概して肯定的に受け止められています。



  サブマージョンの結果は思わしくないのに対して、イマージョンの結果は高

 く評価されています。その違いはどこにあるのでしょうか。

  イマージョンとサブマージョンの違いは次の点です。

  a.同化主義的な目的で行われていないこと。子供達の母語を尊重し、母語

    を否定せず、できるだけ自然に獲得目標言語を取り入れていくこと。

  b.親がイマージョンプログラムを受けるか否かを選択できること。

  c.子供達は少なくとも最初の数年間は教室内での母語の使用が許され、遊

    び場や食堂などで母語の使用が禁止されることはないこと。

  d.教師は2言語とも使用できるバイリンガルであること。

    全ての授業を獲得目標言語であるフランス語で行う「早期全面イマージ

    ョン」の場合には特に、第二言語の授業は母語習得と同様に自然な形で

    行われる。

  e.対象となる生徒は獲得目標言語を初めて学習する生徒ばかりであること。

  f.一般の学校と同じカリキュラムで学んでいること。



Bヨーロッパ学校

  ECの上級職員を育成するためのプログラムです。年少の生徒は母語を使っ

 て学習するが、小学校段階で獲得目標言語(英語、フランス語、ドイツ語)の

 指導を受けます。イマージョンと違う点は、獲得目標言語が教育の媒体として

 使われる前に、教科として教えられることです。獲得目標言語は引き続き教科

 としても教えられ、文法的正確さの点でも高い水準に達することができるよう

 になっています。



   これらを現在の聾教育の状況と併せてみると、聞こえない子供達にとって手

 話を使えない聴者の教員が行う聴覚口話法によって聾児の受ける日本語教育は、

 正にこのサブマージョンではないでしょうか。聴覚口話法教育の本質は、聾児

 にとって最も近いところにある言語、つまり本来彼らの母語となるべき日本手

 話を敢えて聾児から遠ざけ、日本語(獲得目標言語)を第一言語として獲得す

 ることを目的とした「日本語を母語とする健常者への同化教育」だからです。

  ところが聾児達よりはずっと恵まれた言語環境にいるはずの聴児ですら、サ

 ブマージョンの下では大きなストレスを受け、セミリンガルになってしまうこ

 とすらあるようです。

  しかしながら、これと一見似ているように思われるイマージョン教育は全く

 異なる結果を生んでいます。その違いは、主に子供達の母語を尊重し、母語を

 使用可能なバイリンガルの教員によって学校教育を行うことのようです。



  私がここで言いたいのは、母語による子供達の自然な成長を尊重しつつ、母

 語を使えるバイリンガル教員によって、獲得目標言語を第二言語として子供に

 教える手法(イマージョン)が、獲得目標言語を第一言語として学習させる教

 育手法(サブマージョン)よりも良い結果を生んだことは、まず子供達の母語

 の能力を高め、母語によって培った能力を利用して第二言語を学習する教育方

 法(いわゆるバイリンガル教育)が、獲得目標言語を第一言語として学習する

 教育方法(聴覚口話法)よりも子供達に良い結果を与える実証例なのではない

 かということです(尤も、私は決してイマージョン教育をそのまま聾教育の場

 で行うべきと主張しているのではありません)。



  聾児に日本語を獲得させたい場合には、日本語を第一言語として獲得させる

 ことを目指す現在の聴覚口話法(サブマージョン)よりも、書記日本語の読み

 書きと日本手話の両方ができる聾教員によって、聾児にとって最も自然に獲得

 しやすい言語(母語)である日本手話を尊重されながら、まず教科としての日

 本語の授業を受けた後で、書記日本語で書かれた教科書を使った授業を受ける

 ことで、イマージョンや更にはヨーロッパ学校と同様の効果を上げることが期

 待できるのではないでしょうか。
 

 2000/10/12 「私が手話による教育を求める理由」    ろう児をもつ父
  私は聾児(約2歳の娘)をもつ聴の父親です。私は娘が聞こえないと分かっ

 てから、短い時間ではありましたが、聾児の教育について、いろいろ調べてき

 ました。次に記すのは、周囲の人々に娘に対する教育方針を理解してもらうた

 めに、私が作成したものの一部です。

  私は言語学者でも、聾教育関係者でもありません。しかし、自分なりに調べ

 てきた結果、聾教育に関わる専門家の方々が「言語獲得の臨界期」についてあ

 まり言及されないこと、そしてこの点について説明することなく聞こえない子

 を持つ親たちに対して、おしなべて聴覚口話法による教育を勧めていることに

 は疑問を禁じ得ません。私は、聾児を持つ親としてこの問題に無関心ではとて

 もいられません。



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1 第一言語獲得の臨界期(いわゆる臨界期仮説)について 私が読んだ文献に

  は次のようなことが書かれていました。

 @「月齢21ヶ月目から36ヶ月目にかけて、子供は見る者の目を見張らせる

  ような素晴らしい言語能力を発揮し、それから徐々にその能力を低下させ、

  少年期の終わり(12〜13歳頃)には、もうそのような能力を示さなくな

  る」                  (「手話の世界へ」127頁)

 A「6歳までは確実に言語が獲得できるが、それ以後は確実性が徐々に薄れ、

  思春期を過ぎると完璧にマスターする例はまれになる」

  (ピンカー・S 椋田直子訳「言語を生み出す本能(上・下)」

   NHKブックス下98頁)

 B「人間は一歳後半から二歳になると、あるまとまった意味をもつ『ことば』

  をしゃべり始め、親や周囲の人と意思の疎通ができるようになる。そして3

  〜4歳になると『ことば』を介して周囲の人々とコミュニケーションを図り、

  親と離れて時間を過ごすことができるようになり、幼稚園教育もはじまる。

  さらに5〜6歳、小学校へ入学する年齢になると言語の成長が著しくなり『

  聞く』『話す』の会話レベルから『読む』『書く』への準備が進み、文字や

  本に興味が湧いてくるとともに、文字や本を使って学習ができるように成長

  し、学校教育を通じて急激に知識が増えていくのである。そして10〜11

  歳頃、思春期初期になると文法力の完成とともに言語力の基礎がほぼ完成し、

  その年齢までに習得された言語が母語となる。この年齢を言語習得の臨界期

  と呼び、この年齢までに一つの言語が母語として習得されないと以後におい

  て完全な言語力が身につくことはないのである。」

  (季刊「こども学」vol.5−150頁 日本人にとっての外国語教育−バイ

  リンガルとセミリンガル 小野博:大学入試センター開発部教授)



  私達、聾児を持つ親にとって、たいへん恐ろしいことですが、子供にとって

 第一言語獲得が可能な時期はかなり限られているようです。

  従って、私達は、できるならば子供が6歳になるまでには何らかの言語を獲

 得させることを目標とすべきです。そして、遅くとも12〜13歳までに何ら

 かの言語を完全に獲得できなければ、子供は言葉を獲得できていない「セミリ

 ンガル」として一生を送らなければならない危険があるようです。

  これはたいへん恐ろしいことですから、何が何でも避けなければなりません。

 そのためには、子供達にとって最も獲得しやすいと思われる言語の言語環境を

 作り、できるだけ早くその言語を十分に使えるようにすることに全力を挙げて

 取り組むべきです。

  そこで私は、耳が聞こえない娘にとって、まず最も獲得しやすい言語である

 日本手話を第一言語(母語)として獲得させることを目指し、これを土台に日

 本語を第二言語として学習するバイリンガル教育が有効ではないかと考えてい

 るのです。



2 よく言われる「聞こえない子の9歳の壁」の本質は、事実を認識することは

 できても、その認識した事実の上に抽象概念を組み立てることができないこと

 のようです。

  聞こえない子は聴力以外の能力は健聴者と変わりません。それにもかかわら

 ず、このようなこと(9歳の壁の問題)が起こるのはなぜでしょうか。聞こえ

 ないことによって外界から入る情報の量は制限されますが、それだけで、入っ

 てくる情報を抽象化できなくなることまではとても説明できません。このよう

 なことが起こるのは、その子が事物は把握できても、その事物を「言語によっ

 て」抽象化して分析・統合することができず、頭の中で抽象的な概念を展開で

 きないために陥るものとしか考えられません。

  言語能力には日常の伝達に必要な言語能力と学習に必要な言語能力の二つの

 側面があり、それぞれ区別して考えられるべきと言われているようです。前者

 は BICS(basic interpersonal communicative skills)、後者はCALP(認知的学

 術的活動を行うための言語能力cognitive/accademic language proficiency)と

 呼ばれ、前者は文脈の支えがあり、認知的な負担が少ないコミュニケーション

 場面で発動され、後者は文脈の支えが少なく認知的な負担が大きいコミュニケ

 ーション場面で発動されます。

  前述した小野博氏の著によれば、子供の言語能力はまず、会話レベルが発達

 し、遅れて文字や本に興味が湧いてくるものだということです、つまりまず

 BICSの能力が発展し、これを踏み台にCALPが発達するということでしょう。会

 話レベルの能力が十分に発達しなければ、事物を抽象化して分析・統合する能

 力が十分に発達をとげるために必要な基礎が固まらないということでしょう。

  とすれば、幼児期には親や友人達と十分にコミュニケーションを図り、その

 中で会話レベルの能力を発達させることが必要でしょう。残念ながら現在多く

 の聾学校で教育の中心とされている聴覚口話法は、少なくとも幼児期に子供達

 が周囲の人々と十分なコミュニケーションがとれるような状況を作り出しては

 いないようです。私達聾児の親としては、聴覚口話法をとる学校の方針に盲従

 するのではなく、私達独自にでも、できるだけ早い段階で手話を積極的に取り

 入れて会話レベルの能力を開発することが、臨界期前に十分な言語能力を獲得

 させるために必要なのではないでしょうか。





  私は、日本語学習や聴覚活用の必要性を、必ずしも否定するものではありま

 せん。しかし、第一言語獲得に臨界期があるとすれば、臨界期前に第一言語を

 確実に習得させ、その後の人生をセミリンガルとして送る危険を回避すること

 を、まず最優先に位置づけるべきではないかと考えているのです。

  そして日本語(第二言語)の習得には、まず母語である手話をしっかり習得

 させることが一つの早道のようです(続く)。

※無断転載禁止 Copyright(c)2000 全国ろう児をもつ親の会