[ レポート集 ]

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「第12回 ろう教育を考える全国討論集会
               第一分科会『親の役割』」 報告書

 日時:2000年 8月 5日(土)〜6日(日)

 場所:北海道 道民活動センター かでる2.7

 発表内容:

  (1)インテグレーションを見直す提言」 〜ろう児を持つ聴者の親より〜

  (2)「聞こえる親としてできること」

  (3)分科会のまとめ (「全国討論集会記録」より)


「インテグレーションを見直す提言」

    〜ろう児を持つ聴者の親より〜

  1. はじめに
 生まれつき耳の聞こえない娘の教育環境にインテグレーション(以下インテ)を選択した親が直面した問題点の数々。それらを直視し子供の気持ちに沿って行動した結果、今までとは違う角度で見えてきたろう教育。それらを心境の変化とともに述べてみたい。
  1. 聞こえないことをどう受け止めるか
 娘が1才8ヶ月で「ろう」(105〜110db)と診断されて以来、補聴器を装用し、いわゆる聴覚口話法で育ててきた。それが当たり前と思ったのには理由がある。遡ってみると親ならば必ず通過点として忘れない記憶にたどり着く。それは「ろうとして生まれた娘」の告知である。検査の後、医師は言った「残念ですが、お子さんの耳は聞こえません」。その後訪ねた教育機関では「補聴器をつけて訓練すれば話せるようになります。」と言われた。

 これが「耳が聞こえない事は、残念なことで、聞こえる人のように音声で話しをさせる事が親の仕事なのだ」との洗脳だったということに、つい最近まで気づかなかった。そのころの私は、聞こえない事はマイナスであり、聞こえることに少しでも近づける事が「ろう教育」であり、子供の幸せと信じていた経過がある。つまり「ろう」に対して全くの無知であったのだ。

 ろう者のことを殆ど知らない医師、専門家たちの一言が、後々までその親子の価値観を左右するとは思ってもみないことだろう。でもその時の私は、医師や専門家は何でも知っているプロであると、その言葉に疑問を持つことすら出来なかったのである。情報も、選択肢も無く「ろう者である娘」を「聞こえる人に近づけるため」に努力をしてしまった。それが娘の幸せだと思い違いをしていた。こうしている間にも医師や専門家は、ろうに関して全く無知であるのにも関わらず、親たちを洗脳し、「ろう者でもない」、「聴者でもない」人間を作りだしている。その間の親子の苦悩も全く知らずに・・・それでもプロになり得ていく。それを放任、黙認しているのは親の責任でもある。
  1. インテを選択した理由
 ろう学校の幼稚部を見学した際、大きな違和感を感じた。それがインテを選択した一番の理由だ。まだ3才そこそこの子供たちがきちんとイスに座らされ、つまらなそうな顔をしている。子供同士のもめ事は、後ろに控えている親達がすぐ出動し仲裁している。先生は、口だけでべらべらしゃべり続ける。「いったい、この子たちは自分で考え、行動する時間が与えられているのだろうか」。大人達に囲まれ大人のペースで、知らない間に物事が進んでいく。「どこかがおかしい」、その思いが強く残った。

 二つ目の理由は標準的学力をろう学校ではつけられないという現状。これについての原因ははっきりしている。生徒と先生のコミュニケーションがとれていないのだ。生徒の言いたいことを先生が読みとれない。先生の言っていることが生徒に伝わらない。そして個々に応じた対応との理由から、ある子には口話、ある子にはキュードスピーチ、又ある子には手話単語というように、ろう学校というコミュニティーの中に共通言語というものがない。日本語という共通言語があると思っているのは、聴者の先生だけである。聴者の先生にとって何一つ努力することなく100%分かる言語、それが口話法や、聴覚口話法である。ろう学校の主体はろうの子供ではないだろうか。ろう学校の先生に専門性を身につけている先生がいったい何人居るだろう。子供の言葉すら理解できないろう学校に学力を無理に下げてまで行かせたくはなかった。 

 三つ目の理由は、将来聞こえる人が圧倒的に多いこの社会に少しでも慣れて欲しい。又、まわりにも「聞こえない子」に対して理解して欲しい、という勝手な思い込みだ。「大勢の中に入って生活すれば社会性がつく」。これについて、後に重大な間違いだと気づくが、この時はそう思い込んでいた。

 これらの理由で、ろう学校には行かず、専門家の勧めでもある地域の小学校へ入学した。「トライアングル」、「ひまわり会」などもそうだが、インテをすすめる専門家は多い。それは色々な理由からだろうが、いずれも聴者の考えだけで成り立っていた、と今は感ずる。今までのろう教育の欠点ともいえる「聴者側の思い込みによる教育」である。
  1. インテの現場から
 その後娘はインテの現場から、実に様々な問題を提起してくれた。

(1-1)「先生の言っていることがわからない」
(2-1)「みんなが勝手に話し合って決めてしまう」
(3-1)「いつも前から2番目で、窓際の席はイヤだ」
(4-1)「音楽の授業がつまらない」・・・etc.

 娘のわがままと一言で済ませるのは簡単だが、それらを一つ一つ直視すると色々な問題が含まれている事に気づかされる。

(1-2)教室ではほとんど視覚に頼っている娘は、四六時中先生の口を見つめていなければならない。それにも限界があり、ふっと気を抜いた瞬間から授業の内容は途切れてしまう。

(2-2)グループ学習は、近くの優しい子が分かりやすいように要点を教えてくれる。そこでは、いつも助けてもらっているだけの自分を見続けることになる。

(3-2)席決めはクジ引きで、みんなは色々な人と隣になり、場所なども当たりはずれがあって楽しそう。どうして自分だけが「聞こえない」という理由だけで同じ席なのか。聞こえない事をマイナスにしか捉えられない状態。

(4-2)一人で歌うことは大好きだが、みんなと一緒にリコーダーの演奏、しかも音楽発表会となると音楽はストレスでしかない。ひたすらその時間を耐えることになる。しかも、みんなができるのに自分だけができない、という自信喪失につながっていく。

 先輩のお母さんが、「そういう姿を見るのはつらい」と自分が仕事に就くことによって現実逃避をしている節もある。自分達が、そういうインテ環境に追い込んだにもかかわらず見て見ぬ振りをしている。「聞こえない事は所詮一生努力する事が必要なのだから、自分で乗り越えるしかないのよ」と、言い放つ親もいた。学校でも家でも「聞こえない事」で、重荷を背負わされている。本来「聞こえない事」は重荷でも何でもない事なのに・・

 うちの場合はその都度娘とよく話し合い、先生とも相談し一つ一つ対処していった。校長、担任、難聴学級の先生に恵まれ、できうる協力を惜しまずにしてくれた。クラスメートも手話クラブなどを作り、手話単語を使い始めた。変な話しだが聴覚口話法だけのろう学校よりははるかに情報保証の面では進んでいたと思う。しかし、そんな中でも娘は、何のストレスも感じず、心の底から対等に自分達の思いを伝え合うという、100%クリアな状態ではなかった。いつも不透明で、想像力を駆使しないと流れがつかめない。「聴者集団の中に一人だけろう児がいるという場合、そういうものなのだ」と遅ればせながら気がついた。まわりの多少の理解では解決できない壁がある。その多少の理解というのは個人的なレベルであって、行政による教育的配慮は全くないのが日本の現状だ。それでも専門家はインテを勧める・・何のために?

 一見恵まれた環境にあっても、「一人の人間としての対等な立場」はインテに於いては望めないのである。「大勢の中にいれば社会性を身につけられる」というのは、はっきり言って間違いだと気づかされる。それどころか「自己形成」さえも難しい状況だ。

 短いスパンしか関わらない専門家には見えないものが、長い間の成長を見つめている親には見えてくる。目をそらさず見なければならない。何故ならインテに追いやったのは、親なのだから。
  1. 「龍の子学園」との出会い
 '99年夏「龍の子学園」に初めて参加した。ろう児のためのフリースクールでスタッフは日本手話を習得したろう者がほとんどだ。彼らは当たり前だが、耳が聞こえない。聞こえないので目で見てわかるコミュニケーション「手話」という言語を持っている。この「手話」という共通言語があれば聞こえないと言うことはマイナスでもないし、いつも助けてもらう存在でもない。仲間と心の底から話し合えるし、そこから人間としての自信も生まれる。ろうであることを誇りに思い生き生きと輝いている彼らの姿を見、私も娘もカルチャーショックを受けた。

 ここで見逃せないのが彼らのほとんどがろう学校を卒業していることである。現在の劣悪なろう教育の環境下にあっても、彼らには手話を媒介としたデフコミュニティがあった。その場として、ろう学校の果たしている役割が大きいことに気がついた。

 「手話に関しての認識」は、学べば学ぶほど深くなり、今まで専門家や教師から言われていた「手話は日本語習得の妨げになる」、「手話は語彙も少ない劣ったもの」などというものが何の根拠もない迷信だという事が判明した。言語学的に見ても日本語とは文法の異なる、遜色のない言語だということが証明され、今もその研究が続いている。

 また、耳の聞こえない人にとっての「手話」は単なるコミュニケーションスキルだけでなく、「聾文化」、「デフコミュニティ」と密接に関わっていることも学んだ。
 娘の自己形成に最も大切な今、これらを除いて自己を語り得ないという思いに至った。
「龍の子学園」との出会いが、私達家族にとって大きな転機になり、問いかけとなった。
  1. インテがもたらした影響
 インテの中で補聴器を使いこなし、自分の発語が聴児に理解され、学力的について行けたとしても、「社会性」が身につかず自分のことだけを発信していたり、相手もすぐ分かるような答えしか返さないなど、いつも不安な顔で自信を無くしていくろう児の姿がある。幼い頃から「私は何のために生まれてきたのだろう」と悩み、自分の存在価値を見いだせないでいる。友達と関わりながらの対等で、自然な成長が難しい。

 難聴学級でも、難聴児同士の会話が表面的にしか通じていない。共通言語である手話がないためだ。一番仲良しで、話し合いたい仲間なのに。

 インテし大学生や大人になってから手話を覚えたとしても、同じ聞こえない仲間であるはずのろう者とコミュニケーションが取りづらい。では聴者とならばスムーズにコミュニケーションがとれるようになっているかと言うと、条件がそろわない限りストレスを伴う作業に変わりはない。いわゆる「第3の世界」だが、これが、本人の知らないところで専門家と親とで創り上げられたものであることが容易に判明する。本人が気づいた時には、もうそうなってしまっているのだ。幼児の人工内耳と同様、選択の余地もない。

 又、インテすることによってろう学校の人数を減らし、デフコミュニティの存続を危ぶませている状態を作っていることも問題だ。
  1. ろう学校の現状
 低迷を続けている日本のろう学校は、ほんの僅かな成功者(何をもって成功と言うかが問題だが)を作り出すため、いまだに聴覚口話法にこだわっている。ろう学校という専門校にもかかわらず、ろう児にストレスとなる口パクだけの授業が行われ、子供たちは不透明な授業を強いられている。その不透明な授業が一因で学力がつかないのに、ろう児の発達は遅いと見なされている。さらには口話も手話も中途半端なセミリンガルを生み出している。子供たちの能力は十分にあるのにも関わらず、きちんとした情報を与えずに、一学年から二学年下の教科書を勉強させている。これだけでも人権問題、すなわち子供たちは教育を受ける権利を奪われているということになる。ろう教育の根本のところから変えていく必要がある。最近はこれらの問題に気づき【手話】を取り入れているろう学校も少数だがある。しかし内情は教師の手話がおぼつかず、生徒の手話もきちんと読みとれない情けない状況で、とても手話による指導どころではない。手話を禁止していないと言うだけだ。

 ろう学校が【教育言語に手話】を取り入れない限り、ろう児は「インテをしても地獄、ろう学校へ行っても地獄」である。

 しかし、ろう学校を何校か見学した時「これは!」という授業に遭遇した。近畿地方のあるろう学校の幼稚部で、先生と幼児がスムーズにやりとりを楽しんでいる。聴者の学校と何ら変わりはない。ただし音声言語が【手話言語】に変わっただけ。「こっちを見て!」なんて先生は一言も言わないのに、幼児の目は先生を捉えて離さない。会話が全て分かるからだろう。子供たちの真ん中にいるのは【ろう者教員】である。これは「龍の子学園」でも同じで、子供たちには目の前の会話が全て見えるので、当たり前の子供として成長している。このような状況をろう学校にも広めるために、「ろう者教員」さらには「ろう者職員」を多数採用してもらいたいと心から願っている。
  1. 終わりに
 親に出来ることは子供を愛し、信じ、見守ること。親の役割は子供の人権を守ること。時代は変わった。今までのように音声言語にこだわり、教師のようにいつも抑圧しているだけの親はもうやめにしよう。ろう者には【手話】という立派な【言語】があると言うことをまず認識し、それらを媒介とし、コミュニティーの中で自然な成長、のびのびとした発達が遂げられるとを知ろう。私達親も子供たちの言語を学ぼう。今後は、この日本という国に「ろう者」として生を受けた娘が、聴者の親とは違う言語【手話】を通して、書記日本語や人生を学んで行く、いわゆるバイリンガル教育で成長していくのをしっかりと見届けようと思っている。親として自分達に出来ることは何かを模索しながら今、夫婦で手話講座に通っている。そして娘はろう学校に通い始めた。


「聞こえる親としてできること」

 子どもが聞こえないと分かったときただ漠然と将来に対する不安から悲しい思いを持ったが、大人のろう者と会い、ろう児を持つ親御さんと会う中で、「ろう児をろう児として受け入れて育てる」ことが何よりも大切だと気づくことができた。子どもが聞こえないとわかった聞こえる親にとっての最大のアドバイザーは誰か?それは聞こえないことに誇りを持ったろう者であり、聞こえない子を聞こえない子として育てておられる親である。
  1. 我が家のろう児誕生
将来に対する不安で涙を流す日々
  1. 見えないレール
病院−>ろう学校乳幼児相談−>聴覚活用
  口話法しかないのだろうかと不安を持つ
  1. 思いの変化
ろう児をもつ親との出会い
ろう者との出会い
  1. 聴者社会の問題点に気づく
ろう者は社会の一員であることを知っているのだろうか?
障害者枠で採用すればそれでいい?
  1. 闘いの始まり
  • ろう学校での座談会
     「母親の声を聞くことができない子どもは不幸?」
  • 保育園入園不承諾
     「聞こえないと保育園にも入れない?」
  • 聴者が書く育児書・医学書
     「手話は言葉ではない?」
  1. 聞こえる親としてできること
  • ろう児をろう児として受け止める
  • ろう者としての誇りを持たせる
  • 手話習得と子どもとのコミュニケーション
  • 聴者社会に対する問題提起
  • ろう教育に対する要求
  • 親がいなくても生活できるように導く
  1. 障害児を持つ親に対する支援の必要性と提案
  • 情報の保証
    聞こえないことの発覚と同時に正しい情報が得られる場の提供が必要。
    病院やろう学校などからの偏った情報ではなく、同じ聞こえないという個性を持つ方、聴者に近づけることに重点をおくのではなく聞こえない子として子どもを育てている親との交流を支援し、そのような生の声を聞くことができる機会が必要。
  • 手話習得保証
    親の手話習得を保証する社会的制度が必要。
    子どもとのコミュニケーション手段、大人のろう者との交流のためには手話習得が必要不可欠。
  • ろう児の入園・入学保証
    就学の際ろう児を持つ親の希望が優先される社会的制度が必要
 ろう児を持った際、親には今まで知らなかった事柄についての勉強など様々な準備をしなければならない。そのようなことを社会全体として支援する必要がある。保育園・幼稚園・小学校・学童保育等において、希望先に優先的に入ることができる制度が必要。
各機関に対して聴覚障害に関する理解を求めていく必要がある
  1. 最後に
 ろう者として生まれたろう児に対し、限りなく聴者に近づけようとする今のろう教育に対し疑問を持たずにはいられない。しゃべれることを重視するあまり、学力や社会性などの習得といった多くのものを犠牲にしてしまっているように思える。聞こえない子どもにとって、まず、そのありのままで受け入れ、その上でちょっとでも聞こえるだろうというわずかな可能性にかけた教育ではなく、聞こえない子どもに対する教育を行なうことが最も必要であると考える。



「全国討論集会の収録」より一部抜粋

分科会のまとめ
 ..今回の討論で、「親の役割」は明らかになってきた。レポーターの親の言葉を借りれば、それは「ろう児をろう児として受け止める」「ろう者としての誇りを持たせる」「手話習得と子どもとのコミュニケーション」そして「ろう教育に対する要求」などであろう。とまれ、わが子の「正常化」を求めるのではなく、逆の発想からする子どものあるべき姿が、聴者の親から公開の場で初めて語られたという点で、画期的な分科会であった。

今後の課題
 問題は親たちがこのような考え方に至るには、ろう学校以外に情報を求めなければならなかったところにある。残念ながら多くの親は、ろう学校や医療機関から与えられる情報の範囲で子どもの教育を考えている。しかもその情報には誤ったものが多く、差し当たって改善の兆しもない。この状況の中で、親たちにどのように情報提供をしていけばよいのか、これが課題の1点目である。
 2点目は、「ろう教育に対する要求」をどのように行っていくのかということである。親が「気づいた」だけでは、何も始まらない。「公教育の役割」に委ねなければならない「親の役割」もあるのである。
 こう考えると、今後の「全国討論集会」の方向性が見えてくる。「問題点を明らかにする」討論集会から、「問題を解決するための運動をどのように組織し展開していくか」を討論する集会へ。









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