[レポート集]

様々な文献や発表原稿などを掲載いたします。




「聴覚口話法のトライアングルが、

        なぜ手話を使用するようになったか」

                トライアングル教育部・南村洋子
                                    
                      2000.12.2
                      於・品川ろう学校
           主催・トータルコミュニケーション研究会
12/2(土)品川ろうで、TC研主催の講演会がありました。
 講演者はトライアングル教育部南村洋子氏

【概要】
今まで聴覚をフルに活用し・・・・というトライアングル
今回の講演会で
「手話はろう児の母語である」
「どんなに聴力が軽くとも、手話は絶対に必要」
「どんなに口話を時間をかけて教えても、
 大人になってほとんど役に立っていないそれが、現実」
「音声言語は絶対必要だとは思わない」と南村氏は話されました

実際に手話でコミュニケーションのやり取りをしている親子のビデオから
母親法を手話で行う実態を見ました

手話を共通言語として認識し、手話を導入して
*母子コミュニケーションのスムーズ化
*手話言語の順調な発達
*家庭内での情報交換
*音声言語の使用
*子どもらしい暮らしの保障
*地域の幼稚園での様子
などがみられた

今後の課題として
*親達が手話言語を習得する時間と場の保障
*担当者の手話能力
*伝統的手話と日本語対応手話の問題
 (子どもの学ぶ力に任せるとの考え)
*聞こえない教師の数の少なさ
*聾成人との触れあいの場の保障
*聞こえない子ども達の集団形成の難しさ
 (今後ろう学校がその場として機能して欲しい)
*日本語への移行
 (やることをやっていればそんなに心配はない)

「手話はろう児の母語である」
「どんなに聴力が軽くとも、手話は絶対に必要」
「どんなに口話を時間をかけて教えても、
 大人になってほとんど役に立っていないそれが、現実」
「音声言語は絶対必要だとは思わない」

この言葉がとても印象的でした
まったく同感です。

詳しいことを知りたい方はこちらへ

トータルコミュニケーション研究会

問合せ先
E-mail     tc_info@deaf-union.com


(TC研会報(2000年2月発行予定)に掲載される予定)
 

「スウェーデン・バイリンガル教育の実践を学ぶ」

  〜アダムス・ブックはどのように作られたか?〜

講 演: グニラ・クリスターソン氏
    (元マニラろう学校教師、現SIH国立障害児教育研究所)
主 催: 全日本ろうあ連盟手話研究所
会 場: ハートピア京都


講師紹介:
 グニラ・クリスターソン(聴者、女性)

 スウェーデン教育大学卒業後、一般校で3年間教えた後、ギャローデット大
学入学。 卒業後帰国、クリスティーナろう学校、マニラろう学校を経て、現
SIH国立障害児教育研究所。小学生ろう児向け「アダムス・ブック」、中学
生向け「ヨハンソンとヘクトー」などのビデオ・教科書教材、中学生向け数学
ビデオ教材、CD−ROMなどを製作。
講 演:
 1. バイリンガル教育を受けた生徒は今?
 3人は教職課程に進学。現在教員になるための大学在学中。
 1人はギャローデット大学留学中。
 1人は建築家を目指して勉強中。
 1人は親の経営するレストランを継ぐための勉強中。
 全員が以前には考えられなかった素晴らしい成長をしている。
 2. スウェーデンのろう教育・バイリンガル教育までの歴史
1808年
 はじめてのろう学校設立
 ろう者が自立・独立して職業人になるための技術を得るために手話で学んだ。
1880年
 ミラノ教育会議
 ドイツの口話法が採択。読み書きはスピーチを通して学ぶ。手話はスウェー
 デン語の獲得を阻害する。といっせいに口話主義が広まったが、それでもろ
 う者たちは手話で話しつづけた。

 そしてTCの時代へ。手話とスウェーデン語の両方を獲得できるとして始ま
ったが、スウェーデン手話の文法や構造を理解していなかったので、言語では
ない新しい手話(スウェーデン語対応手話)が作られた。しかしこのスウェー
デン語対応手話がうまくなるためには、スウェーデン語がうまくなければなら
ず、スウェーデン語ができる子どもが手話に直して他の子に説明していた。し
かしそれを先生は知らなかった。スウェーデン語対応手話とスウェーデン語と
いうこの複雑な組み合わせの手話を先生達は使ったが、子どもたちはそこから
も何らかのコミュニケーションを学んだため、オーラル(口話)のときよりは
発展した。そして対応手話のサインが表すようにスウェーデン語を書き表した
ため、文章にはなってなかった。文法もぐちゃぐちゃだった。

 スウェーデン語対応手話は手話でもないし、言語でもない。ツールでしかな
い。言語は対応手話のように作られるものではないことが分からなかったのが
失敗の原因であった。

 そこでスウェーデン手話の構造の見直しが始まった。ろう者が使っているス
ウェーデン手話の言語構成を学んだ。

1972年
 ストックホルム大学でスウェーデン手話の研究を始めた。そして手話それ自
 身が言語であり、独自の文法をもっていることがはっきりした。SDR(ス
 ウェーデンろうあ協会)は自分たちの言語を使う権利を求め始めた。そうし
 てスウェーデンは世界で初めて手話が言語であることを認めた。
1981年
 スウェーデン議会は手話は言語であることを認識した。(政令1980・1
 00)そしてろう者はバイリンガルにならなくてはいけないとして1983
 年新しいカリキュラムができ、スウェーデンはバイリンガル教育に移行した。
 3. バイリンガル教育
 私達が子ども達に望むことはBeatiful Signerになってほし
いということである。「大切なことはコミュニケーションが発達の鍵であるこ
とである。あなたが学ぶことができる言語とそして今学んでいることを話し合
うことができる言語を持たなければならない。」バイリンガルはろう児、その
両親、成人ろう者、教師のよりよい環境の中で行われる。

 ・両親とろう児の間にはよいコミュニケーションを。
 ・ろう児とろう者との交わりのある環境を。

この環境の中でろう児はスウェーデン手話とスウェーデン語が異なる言語であ
ることを認識できる。

 バイリンガル教育への移行を政府は前向きな姿勢で取り組み、手話学習の機
会を作った。マスメディアや両親が作る団体などがバイリンガルの必要性を強
く認識するようになった。このように周りからの強い期待は教師に対するプレ
ッシャーとなり、そこから目をそむける教師もいた。しかしほとんどの先生は
手話を学び、バイリンガルを実践しようと努力した。急激な変化についていけ
ない教師も多く、教師の認識不足もあったし、今思えばもっと別のやり方もあ
ったかもしれないと思うが、変化や新しい言語を使うようになるにはそれなり
に時間がかかるものである。日本でも実現しようとしたら、10年、15年か
かるかもしれないが、それは充分価値のあることだと言える。

 バイリンガルを始めるに当って、まず多くのろう者教員が必要である。マニ
ラろう学校では半分がろう、半分が聴である。そしてろう者教員と聴者教員は
一緒にいることが大切である。最初はいろいろな問題があった。ろう者は聴者
の知識の押し付けを好まなかったし、聴者教員の使う手話が下手で自信をもっ
ていないことを気にした。また聴者教員は経験のないろう者教員の教え方が下
手ではないかと心配した。しかしこれらの問題は実際にやってみて違うことが
わかった。お互いに素晴らしい先生であることが改めて認識できたのである。
こうして10年かかって、今は一緒にチームを組んでやっている。大切なのは
「同じ言語を使っている」ということである。

 多くの聴者の教員は自分が使っていたスウェーデン語対応手話でも充分子ど
もに通じていると思っていた。子どももわからないとか、もっと知りたいとは
要求しなかった。だからスウェーデン語対応手話からスウェーデン手話に変わ
ったときは違和感を感じた先生も多かった。しかし思っているほど詳しい情報
が入っていないことがわかった。お互いが中途半端な言語を使っていたからで、
先生も詳しいことが言えずにレベルを下げるし、子どもも先生に合わせて分か
りやすいことしか話さなかったからだ。それに子ども達はろう者の先生のとこ
ろに集まってしまう。しかし、スウェーデン手話で話し始めるようになってか
ら(バイリンガルになってからは)ろう者教員のところにも聴者教員のところ
にも同じように子どもが集まるようになった。
 4. バイリンガル教育のために

  (1) こどもにとって必要なこと
・ まわりにいる両親兄弟、友達とコミュニケーションができる。
・ 手話の環境がある。
・ 概念、周りへの理解を発達させること
・ 重要な他者からの肯定的な期待を受けること
・ 自分の能力を学ぶことに向けることができること
・ 書き言葉や音声言語との肯定的な出会い
・ 手話とスウェーデン語が違う文法構造をもつ言語であることを理解すること
 (これができないと正しく書けるようにはならない)
・ 言語や他の概念についての話し合いのできる豊富な機会を得ること
  (2) 親にとって必要なこと
※手話・ろう者の環境を親が信じないならば、子どもは親に受容されたとは思
 わない。
・ ろう者、手話の情報
・ 手話
・ ろう児の成長を学ぶ機会
・ ろう学校やろう児のための幼稚園などの機関に出会うこと
・ 子どもたちの学ぶ家庭をサポートできるようなアドバイス
・ すべての年代の成人ろう者との出会い
・ 他のろう児やろうの若者に出会う
・ 他のろう児を持つ親に出会う
  (3) 先生が知るべきこと
※ 子どもたちの学ぶ能力を信じること!
・ 手話の構造や文法
・ その国の言語の構造や文法
・ リテラシーの芸術
・ 子どもたちについて
・ さまざまやり方
  (4) 義務教育に必要なこと
・ ろう生徒と聴生徒、ろう者教員、聴者教員が必要であること。
 そしてそこでも共通言語は手話であること。
・ 充分な手話技術の達成を目指すこと
・ 手話の文法や構造についての知識
・ ろう者の第2言語としてのスウェーデン語の文法や構造の知識
・ ろう児の言語発達についての知識
・ ろうコミュニティについての知識
 5. バイリンガル教育の教材(アダムス・ブック)
バイリンガル教育では、ビデオカメラが鉛筆、ビデオテープは本
 アダムス・ブックは2人のろう者の先生によって、まずビデオが作られた。
それを本に翻訳した。本の中のイラストもろう者が担当した。(聴者では顔の
表情がうまく描けなかった)始めに作られた1冊目の本は文字が多すぎるとい
うことで不評だった。当時1980年代バイリンガルが始まった当初の7歳児
はそんなに読めないと言われていたからだ。それでビデオの内容を少し減らし
たものを本とした。(だからビデオの内容の方が多くなった)しかし何年か後
には、ビデオの内容のままを翻訳した本が使えるようになった。現在はこのビ
デオと本を一緒にしたCD−ROMを作成中である。(プロトタイプのものを
実際に紹介)

CD−ROM教材の使い方
 まずビデオのドラマで大筋を説明する。子どもたちに手話で議論をさせる。
重要な部分はイラストで手話の間に入れられている。重要な部分に焦点を置く。
(重要語をクリックできるようになっている)例えばスウェーデン語では同じ
動詞でも手話が違っているものがある。(例 鳥が食べる、ねずみが食べる、
犬が食べる)それに着目させて、「誰が」食べたか?「何を」食べたか?「ど
のように」食べたか?を子どもたちに話し合いをさせる。またさらに発展させ
て、日本の手話での食べる、アメリカ人の食べるの違いなども考えてみる。ま
た新しい手話や新しいスウェーデン語の単語だけを知りたい場合左クリックを
すると単語を手話に置き換えるし、右クリックしてセンテンス全体を確認する
こともできる。
質疑応答
(Q)手話を教える時間はあるか?
(A)手話の環境があれば自然に覚える。

(Q)聴力が軽い場合は発音も教えた方がいいか?
(A)聴力が軽い場合は小さいときからやってもいい。

(Q)(堺ろう学校幼稚部教師)重度のろう児という言葉があったが、重度の
   定義は?
(A)ない。ろう児のこと

(Q)(〃)本を読むときは頭の中で音声化しているのではないか?
  (だから発音が大事なのではないか?)
(A)違う。手話で読んでいる。

(Q)(〃)日本では聴覚口話法でやっている。問題はない。
(A)日本のことは分からないし、子どもによっても違うかもしれないが・?

(Q)スウェーデンの教員採用はどうなっているのか?
   また大学ではどんなことを学ぶのか?
(A)6年前までは、大学卒業後、2年間特別教育を受けるようになっていた。
   そこで手話を学んだ。
   しかし6年前に変更して、今は大学での講義の75%が手話で行われる
   ようになり、それについていくことが条件となった。
   また採用試験については、手話の試験があるが、ろう学校を卒業したろ
   う者は免除され、聴者とインテグレートは手話の試験を受けなければな
   らない。これはノルウェーも同じ。

(Q)始めのうち、ろう者が教員になるのは難しかったのでは?
   どのように採用したか?
(A)80年代は少なかった。そこで始めは助手として2年ろう学校で勤めた
   後、大学に入学して資格をとるようにした。

※ 最後に「コミュニケーションの鍵」
 言葉をたくさんあびることによって、世界を知ることができる。ろう児を聴
児の中に入れても得られるものはごくわずかしかない。まわりに起こっている
多くのことに関われるはずのことが、何年もかけてでないと手に入れられない。
しかし手話はあらゆる言葉の中に身を置けるろう児の言語であり、手話があれ
ば発達の遅れはなくなる。

※無断転載禁止 Copyright(c)2000 全国ろう児をもつ親の会