[レポート集]

様々な文献や発表原稿などを掲載いたします。


 

「第34回 全日本聾教育研究大会 保護者の会」 報告書

 本大会は日本全国の聾学校教員が聾教育についての研究発表をする場です。そ
の中で「保護者の会」は当事者である保護者が意見を言うことのできる唯一の場
でもあります。今回この第1分科会で6名が発表を行ないました。2名が聴覚を
活用した教育について、残り4名が手話による教育について実践報告を交えなが
ら発表を行ないました。
 その発表のうち、4名の親御さんからの承諾をいただいたので、その内容につ
いて、ここに掲載いたします。
(個人を特定できる情報や誤字などは修正し、親御さんの確認を再度取った上で
掲載しております。無断転記は遠慮願います。)
 日時:2000年10月19日(木)

 場所:福島県 郡山ビューホテル

 発表内容:

  (1)家庭での役割 〜聴覚を活用し学び、育った親子の結論〜

  (2)ろう教育の常識は社会の非常識 〜聴の親が”手話”で育てたろう児の成長〜

  (3)ろう児をどう育てていくか 〜聴覚活用がもたらすもの〜

  (4)ろう児に聴覚を活用させる? 〜ろう児は聞こえるようにはならない〜

   他2名

 発表原稿申し込み時の出来事:

 その他:



「家庭での役割」

    〜聴覚を活用し学び、育った親子の結論〜

1、聴覚口話法で育てた訳

 娘が1才8ヶ月で「ろう」(105〜110db)と診断されて以来、補聴器を装用し、
いわゆる聴覚口話法で育ててきた。それが当たり前と思ったのには理由がある。
遡ってみると親ならば必ず通過点として忘れない記憶にたどり着く。それは「
ろうとして生まれた娘」の告知である。検査の後、医師は言った「残念ですが、
お子さんの耳は聞こえません」。その後訪ねた教育機関では「補聴器をつけて
訓練すれば話せるようになります。」と言われた。
 これが「耳が聞こえない事は、残念なことで、聞こえる人のように音声で話
しをさせる事が親の仕事なのだ」との洗脳だったということに、つい最近まで
気づかなかった。そのころの私は、聞こえない事はマイナスであり、聞こえる
ことに少しでも近づける事が「ろう教育」であり、子供の幸せと信じていた経
過がある。つまり「ろう」に対して全くの無知であったのだ。
 ろう者のことを殆ど知らない医師、専門家たちは自分達の一言が、後々まで
その親子の価値観を左右するとは思ってもみないことだろう。でもその時の私
は、医師や専門家は何でも知っているプロであると、その言葉に疑問を持つこ
とすら出来なかったのである。情報も、選択肢も無く「ろう者である娘」を「
聞こえる人に近づけるため」に努力をしてしまった。それが娘の幸せだと思い
違いをしていた。こうしている間にも医師や専門家は、ろうに関して全く無知
であるのにも関わらず、親たちを洗脳し、「ろう者でもない」、「聴者でもな
い」人間を作りだしている。その間の親子の苦悩も全く知らずに・・・それで
もプロになり得ていく。それを放任、黙認しているのは親の責任でもある。

2、聴覚を活用し得られるもの

 2歳より補聴器を使用し、家事も母に任せ、それこそ眠っている時間以外は
娘と関わってきた。聾教育関係者からインテグレーションを進められ、地域の
学校へと進んだ。そこでは担任と毎日のように連絡帳でやり取りをし、また役
員なども積極的に引き受け、担任や学校との関係を築いてきた。難聴学級も開
設した。情報保障のために通訳、字幕活動も開始した。もちろん補聴器も最大
の効果を得られるよう整えた。あらゆる環境を考慮し、聴覚活用をフルに発揮
出来るようアンテナを張りながら育ててきた。
 その結果どんな人間が創られて来たのか、その過程を通して真実が浮き彫り
となった。

@娘は音声でべらべらしゃべることが出来る。―→だが、自分の発した声は言
葉としては聞こえていない。自分の発音が相手に分かってもらえても相手の発
した言葉は聞き取れない。だから会話はどうしても一方的になる。当たり前の
コミュミケーションが成立しなくなる。何気ない会話も成立しなくなる。その
結果、会話を通して物事を進めたり、決めたりすることが苦手な人間になる。

Aみんなの行動を見て状況をほぼ判断できる。―→言い換えれば、目的がはっ
きり分からなくても行動をしてしまう。いつもきちんと情報が入らないから、
分からなくても仕方がない、分からなくても当たり前の状態になる。すると何
に対しても受け身の人間になる。

B友達ともまあまあ遊べる。―→しかし、友達と対等にぶつかり合うことはな
い。従って人間づきあいは表面的なものになり、裏も表も分からない人間にな
っていく。いくらしゃべれても聴児と対等にはならない。その上、同じ仲間で
あるはずのろう児ともコミュニケーションがとれない。従ってろう児とも対等
にはなれない。誰とも対等な立場で関わりが持てないために社会性が身に付い
ていかない。さらにはセミリンガルになっていく。

Cみんながゆっくり、はっきり、話してくれれば大体会話が出来る。―→良く
慣れた聴児でもろう児本人にはゆっくり、はっきり話しかけるが、その場に他
の聴児がいた場合その子に話しかける時もそうするだろうか。しないだろう。
いつも最小限、自分が関係する会話にだけしか参加出来ない。家庭の中を思い
出しても似たり寄ったりである。ろう児はいつも相手の口を読みとろうとして
いるのにも関わらず、不透明で抑圧された状態が続く。

D学力もまあまあと言う状態。―→だが、教科書に載っていない説明、何気な
い先生の脱線話し、友達の発言や、それに対してのみんなの反応などはいっさ
い分からない。しかも自分1人だけが分からない。テストの成績だけが学力で
はないし、人間の価値もそれで決まるのではない。学習についていけない子ど
もも実際に大勢いると言う現実も考えてみれば当たり前こと。情報がきちんと
入っていないからだ。

 聾教育専門家、あるいは聾学校教師は、音声で話せるろう児を目標としてい
るようだ。子どもの表面的な一過程のみしか、捉えられず、どのような人格形
成をし、内面的にどう発達しているかを知ろうともしない。そして相変わらず
インテグレーションを進め、不完全な情報しか入らない聴覚活用を進めている。
聴覚活用を進める聾教育の専門家あるいは聾学校教師は、自分の教え子にも関
わらず、成人したろう者とコミュニケーションが殆どとれない。ここで言うコ
ミュニケーションとは簡単な挨拶や聴者側の一方的な問いかけだけでなく、政
治経済、趣味について、たわいない会話、はたまた哲学などを対等に話し続け
ることが出来るかどうかである。まず出来ない。では、教師たちはろう児が成
人すればその殆どが手話で話すようになるという事実があるのに、その事実を
どう捉えているのか。成人ろう者が手話で話すと言うことは、それが彼らにと
って一番自然で必要な言語だからではないだろうか。聾学校教師や専門家達は
ろう児からかけがえのない時間を奪い、何を教えているのか。ろう児と親をこ
れ以上苦しめないで欲しい。これは親としての切実な願いだ。現在の聾教育や
聴覚の活用だけで得られるものは、聴者の抑圧と、歪んだ人格形成と、聞こえ
ない事を否定する気持ち、すなわち自己否定だけである。

3、「龍の子学園」との出会い

 ’99年夏「龍の子学園」に初めて参加した。ろう児のためのフリースクー
ルでスタッフは日本手話を習得したろう者がほとんどだ。彼らは当たり前だが、
耳が聞こえない。聞こえないので目で見てわかるコミュニケーション「手話」
という言語を持っている。この「手話」という共通言語があれば聞こえないと
言うことはマイナスでもないし、いつも助けてもらう存在でもない。仲間と心
の底から話し合えるし、そこから人間としての自信も生まれる。ろうであるこ
とを誇りに思い生き生きと輝いている彼らの姿を見、私も娘もカルチャーショ
ックを受けた。
 ここで見逃せないのが彼らのほとんどがろう学校を卒業していることである。
現在の劣悪なろう教育の環境下にあっても、彼らには手話を媒介としたデフコ
ミュニティがあった。その場として、ろう学校の果たしている役割が大きいこ
とに気がついた。
 「手話に関しての認識」は、学べば学ぶほど深くなり、今まで専門家や教師
から言われていた「手話は日本語習得の妨げになる」、「手話は語彙も少ない
劣ったもの」などというものが何の根拠もない迷信だという事が判明した。言
語学的に見ても日本語とは文法の異なる、遜色のない言語だということが証明
され、今もその研究が続いている。
 また、耳の聞こえない人にとっての「手話」は単なるコミュニケーションス
キルだけでなく、「聾文化」、「デフコミュニティ」と密接に関わっているこ
とも学んだ。
 娘の自己形成に最も大切な今、これらを除いて自己を語り得ないという思い
に至った。「龍の子学園」との出会いが、私達家族にとって大きな転機になり、
問いかけとなった。
 娘は「龍の子学園」に通い始め変わっていった。まず手話を覚えた。言わず
もがな日本手話である。やはりろう児は本能で日本手話を読みとることが出来
ると確信した。乾いた砂地に水が浸みていくように、ものすごいスピードで吸
収していく。そして、相手を見さえすれば100%会話が見える事が分かって
きた。どんどん目の前のもやが晴れていき、ベールが一枚ずつ剥がれていく。
スタッフ同志の何気ない会話、世間話もみえてくる。そうなると、今までいか
に自分が分かっていなかったと言うことが分かってくる。娘は今いろいろな会
話を通し、人と関わり、自分を見つめ直しながら自己を探しをしている。

4、ろう学校の現状

 低迷を続けている日本のろう学校は、ほんの僅かな成功者(何をもって成功
と言うかが問題だが)を作り出すため、いまだに聴覚口話法にこだわっている。
ろう学校という専門校にもかかわらず、ろう児にストレスとなる口パクだけの
授業が行われ、子供たちは不透明な授業を強いられている。その不透明な授業
が一因で学力がつかないのに、ろう児の発達は遅いと見なされている。さらに
は口話も手話も中途半端なセミリンガルを生み出している。子供たちの能力は
十分にあるのにも関わらず、きちんとした情報を与えずに、一学年から二学年
下の教科書を勉強させている。これだけでも人権問題、すなわち子供たちは教
育を受ける権利を奪われているということになる。ろう教育の根本のところか
ら変えていく必要がある。最近はこれらの問題に気づき【手話】を取り入れて
いるろう学校も少数だがある。しかし内情は教師の手話がおぼつかず、生徒の
手話もきちんと読みとれない情けない状況で、とても手話による指導どころで
はない。手話を禁止していないと言うだけだ。
 ろう学校が【教育言語に手話】を取り入れない限り、ろう児は「インテをし
ても地獄、ろう学校へ行っても地獄」である。
 しかし、ろう学校を何校か見学した時「これは!」という授業に遭遇した。
近畿地方のあるろう学校の幼稚部で、先生と幼児がスムーズにやりとりを楽し
んでいる。聴者の学校と何ら変わりはない。ただし音声言語が【手話言語】に
変わっただけ。「こっちを見て!」なんて先生は一言も言わないのに、幼児の
目は先生を捉えて離さない。会話が全て分かるからだろう。子供たちの真ん中
にいるのは【ろう者教員】である。これは「龍の子学園」でも同じで、子供た
ちには目の前の会話が全て見えるので、当たり前の子供として成長している。
このような状況をろう学校にも広めるために、「ろう者教員」さらには「ろう
者職員」を多数採用してもらいたいと心から願っている。

5、親の役割

 親に出来ることは子供を愛し、信じ、見守ること。そして親の役割は子供の
人権を守ること。ろう学校と社会に今までのろう教育の過ちを訴え、ろう児の
ための教育を一日も早くスタートさせよう。聴者に近づけるだけのろう教育は
もうやめにしよう。ろう児をろう児として育てよう。ろう児に教師が近づき、
ろう児の母語である手話で教育をする。その結果ろう児は、本来持っている素
晴らしい能力を発揮し、アイデンティティーを確立し、意欲的に自らの意志で
学ぼうとする。その中に聴覚を活用する子ども出てくるであろう。
 時代は変わった。今までのように音声言語にこだわり、教師のようにいつも
抑圧しているだけの親はもうやめにしよう。ろう者には【手話】という立派な
【言語】があると言うことをまず認識し、それらを媒介とし、コミュニティー
の中で自然な成長、のびのびとした発達が遂げられるとを知ろう。私達親も子
供たちの言語を学ぼう。今後は、この日本という国に「ろう者」として生を受
けた娘が、聴者の親とは違う言語【手話】を通して、書記日本語や人生を学ん
で行く、いわゆるバイリンガル教育で成長していくのをしっかりと見届けよう
と思っている。


「ろう教育の常識は社会の非常識」

    

     〜聴の親が”手話”で育てたろう児の成長〜

 近年、手話言語と書記日本語を用いたバイリンガル教育への関心が高まって
きています。しかし、その一方で、両親が聴者である場合は、家庭教育の中で
それを実践するのは極めて難しいとも言われています。また、表向きには消え
たとされている「幼児時期から手話を導入すると口話や日本語習得が遅れる」
といった根拠のない“迷信”が、今もろう学校の中で語り継がれ、手話がうと
んじられているのです。この発表は、聴の両親がろうの子供を乳児期から「手
話言語」に重きをおいて育てた、わずか10ヶ月の記録です。そこには、ろう
児の驚くべき成長ぶりを見ることができます。そして、ろう教育という極めて
狭い社会が作り出したイデオロギーは真実ではない!ということを、ここで立
証しようと思います。

昨年9月、1歳8ヶ月だった次男がABRで105デシベルの重度難聴と診断
されました。そこで、私たち夫婦は、聞こえない我が子をどうやって育てたら
よいのか?あらゆる手段を使って情報を集めました。その結果、ろう者の言語
である「手話」を使って、聴者の子どもと同じように、無理のない自然なかた
ちでの言語獲得と家族のコミュニケーションを図ることにしました。
「無理のない自然なかたちの言語獲得」を実践するためには、まず、家族が手
話を覚え、手話で会話をする必要があります。私たちは、ひたすら手話の単語
を覚えながら、いわゆる日本語対応手話として、日常の会話の中に手話単語を
とり入れて行きました。これをはじめておよそ1ヵ月後、昨年の11月、当時
1歳10ヶ月だった息子に手話の「初語」が見られたのです。その言葉は「あ
りがとう」でした。次いで「ちょうだい」「ごめんなさい」。これは、私たち
が“しつけ”を重視して手話を使ってきた結果だと思います。今年の2月、わ
が家に手話の家庭教師として成人ろう者を迎え本格的に手話の勉強をはじめま
した。以来、息子の手話単語はどんどん増え、今年の5月には、意味を理解し
自分から使う手話単語の数は“73”、理解語はそれをかなり上回るようにな
りました。8月現在で彼が使う単語は“135”、複文の手話言語を理解する
ことができます。例えば『オシャブリをベッドの部屋の枕の下にしまいないさ
い』と言うと、上の階である寝室に行って枕の下にオシャブリをしまいますが、
単に『枕の下にしまいなさい』とだけ言うと、寝室から枕を持ち出して来て自
分の横に置き、その下にしまってテレビを見ています。大好きなオシャブリを
すぐそばに確保しておきたい!という息子の気持ちと、私の手話の文章を正し
く読み取った息子の理解力、誉めるべきか叱るべきか難しいところです(笑)。
他にも、『牛乳飲みたい』という息子に、『お母さんは牛乳を持ってくるから、
あなたは洋服を着替えなさい』という交換条件を出したところ、息子は私が席
を立つと同時に着替えをはじめした。これも、母の指示通りにしないと大好き
な牛乳が飲めない!ということを理解した証拠でしょう。最近の特徴としては、
息子が使う手話の中に、『牛乳が飲みたい』のように、『〜したい』とか『〜
だけ』といった助詞や副詞が入ってきたことです。

今、この発表を聞きながら「小さいときから手話を使うと、口話が遅れるのに」
と思っている方が多数いらっしゃると思います。しかし、それは聴覚口話法を
徹底させたい人たちが作り出した“迷信”に過ぎないのです。
親子のコミュニケーションが手話によってスムーズに行われるようになった
今年の6月頃から、息子の発声が明らかに増え、それと同時に音声と口形への
興味が増してきました。例えば『学校』の手話には「アッウー」という音がの
るようになり、『お母さん』を呼ぶときは「アーアン」、『お父さん』は「オ
ーアン」、『おはよう』は「アーオウ」、『ぶどう』は「ウオー」と言った具
合です。更に,驚いたのは“おふろ”という言葉に関しては、すでに口形の読
み取りを完成させていることです。親が音声言語のみで「おふろ、行こう」と
呼びかけると、息子はその口形を見て「オウオ」と口を動かし、次に『おふろ』
の手話で確認して先に一人でお風呂場へと走って行きます。なぜ、これほど短
期間に聴覚口話法によるコミュニケーションが成長したのでしょうか。手話を
使うことで、ろう児は聴覚より優れた視覚を十分に使い、母が何を伝えようと
しているのかを探ります。やがて手話と実物がマッチングし、しっかりと意味
を掴みます。その次に手話と同時に発信されている口形と音声に興味をもち、
それを補助情報としてキャッチしたものと思われます。ろう児に視覚情報と聴
覚情報を与えれば、当然のことながら視覚情報をより早く正確に受け止めます。
ですから、“俗”に言う「手話を使うと口話が遅れる」という現象が発生した
ように見えるのです。これは「口話より早く手話をキャッチした」に過ぎず、
「手話が口話習得の妨げになっている」と解釈するのは間違っているのではな
いでしょうか。ろう児は、何のストレスもない視覚という情報により“ものを
考え”そして“理解”する。そして、その情報が自分のものとなったとき、厳
しい条件である音声という補助情報をも無理なく理解していく、そう考える方
が自然だと思います。
「幼稚部時代はしゃべることが出来たのに、小学部で手話をはじめたらしゃべ
らなくなった」と怒っているお母さんがいますが、子どもがしゃべらなくなっ
たとき、その子の中で何が起きているのか、なぜ話さなくなったのか、を考え
て下さい。おそらく、子どもはそれまでに体験したことのない自由な表現と理
解できる喜びを実感し、それを楽しみながら猛スピードで自己を高めているの
だと思います.子どもに「手話を使うな」と言うことは「ものを考えるな」と
言っていることと同じです。なぜなら、先ほど紹介したような“交換条件”を
2歳半の子どもに聴覚口話法だけで理解させることは不可能だからです。
私たち夫婦が、なぜ、手話による子育てを決意したか。それは、息子の教育に
おいて、豊かな人間形成と書記日本語の獲得こそが大切だと考えたからです。
音声言語は、その教育課程で“おまけ”程度に得られればよいのです。息子が
やがて自分で自分のスキルアップを望んだとき、書記日本語を獲得していれば、
本やインターネットによっていくらでも勉強することができます。今この大切
な時期に、たかがしゃべることだけに膨大な時間を使うのはやめよう、と決断
したわけです。息子が通うろう学校においても、手話の大切さを認識している
学校長、教頭、そして乳相担当のS教諭が私たちの教育方針を理解し、温かく
サポートして下さっています。今、息子は自分の名前を指文字で表し、平仮名
で書いた自分の名前と兄の名前を理解しています。ちなみに、友人であるデフ
・ファミリーの子供たちは、生後10が月で親の手話を読み取り、1歳前後で手
話を使いはじめ、2歳半では指文字で名詞を表し、4歳では平仮名で手紙を書
きFAXして来ます。
みなさんは、自分の子どもが“聞こえない子”だとわかってから、“成人ろう
者”に何人会いましたか?ろう学校の先生は、聴者のようにしゃべるろう者に
何人会わせてくれましたか。ロールモデルの大切さを教えてくれましたか。あ
るお母さんがこう言いました「育児とは、しゃべれる子を作ることじゃない、
豊かな心をもった“人間”をつくることです」と。その通りだと思います。「
しゃべれるけれど中身がない」「しゃべりも中身も育たなかった」とき、ろう
学校の先生は何の責任もとってはくれません。「あのとき、先生が手話なんか
に頼らず聴覚口話法に専念しなさいと言ったから」と責めても、もう遅すぎま
す。今日をもって「手話を使うと口話が遅れる」というのが、真っ赤な嘘だと
いうことを知って下さい。手話を使える聴者は少ないけれど、不明瞭な発音を
聞き取れる聴者も少ないということに気づいて下さい。ろう学校に手話ができ
ない教師がいることは、一般社会から見たら非常識なことだと認識して下さい。
そして、今日、集まった聞こえない子の保護者の方たちは、ひとことでいいか
らろう者と話しをして帰って下さい。聞こえない子どもを育てるうえで、ろう
者と友達になることは、ろう学校の先生と会うより何倍もタメになるはずです。
聴の親が手話で育てたろう児がどのように成長していくか、これはあくまで中
間報告です。今後も機会があればお知らせしていきたいと思います。



 発表は聴の親が勉強中の日本手話で行い、手話通訳を通して音声でも発表さ
れました。手話を本格的に学び出して約8ヶ月だそうです。
 聴の親には日本手話が覚えられないと世間では言われていますが、その発表
を見たろう者の方の感想を是非聞かせていただきたいと希望されております。
 メッセージをよろしくお願いいたします。


「ろう児をどう育てていくか」

    〜聴覚活用がもたらすもの〜

1.はじめに

 手話は言語である。これは疑いようがない。日本語は言語であると言うこと
ばに違和感を感じるのと同じように、手話が言語であると敢えてことばにする
こと自体、手話を母語とする人々に対して失礼である。
 しかし日本のろう教育はこの何十年間、その当たり前のことに目を背け、何
も知らない親やろう児に偏った情報を与え続けてきた。その結果、ろう児は本
来持っているはずの力を発揮することができない状況におかれている。聞こえ
ないからできないのではない、聞こえない子どもは聞こえる子どもに比べて能
力が低いわけでもない。
 ろう児は聞こえない子どもである前にただの子どもである。そしてその子ど
もは手話で話し、手話で育つ。

2.訓練すればしゃべれるようになるか?

 我が子が聞こえないという宣告はたいがいの親は医者から受ける。医者は言
う。「残念ですが、この子の耳は聞こえません。でも大丈夫、補聴器をつけて
発音訓練をすれば必ず話せるようになります。」と。次に訪れたろう学校では
「お母さんが頑張って、ことばのお風呂に入れるようにたくさんのことばを聞
かせることが大切です。」と言われる。かくて家には「つくえ」だの「いす」
だの部屋中にカードが貼られ、母親は教師になって愛情という名の訓練が始ま
る。親は聞こえない我が子をどんな大人に育てるつもりだろうか?
 聞こえる人と変わりなく聴覚を使いしゃべることができる人に育って欲しい
のだろうか。それはなぜか?しゃべるようになればことばが覚えられるからだ
ろうか。ではなぜことばを覚えて欲しいのか?ことばを覚えれば学力がつき、
勉強ができるようになり、高等教育を受け、社会で自立できるからだろうか。
 では逆に問いたい。音声でしゃべるようにならなければ高等教育を受けるこ
とはできないのだろうか?
 もしそうだとすれば、聞こえない子どもの中でいったい何人の子どもが、最
初のハードルである音声で話すことをクリアできたのだろうか。そしてこの滅
多に超えることの出来ないハードルさえクリアすればろう児も聴児と同じ質・
量の知識や学力を容易に身につけけられるようになるのだろうか?
 医者は言った「補聴器をつけて訓練すれば話せるようになる」と。では補聴
器をつけたろうの子供の耳に音は聴者と同じように入ってくるか?これはほと
んど無理である。なぜならろう児のほとんどがただ単に聞こえが悪い、耳が遠
いのではなく、たとえ補聴器で音が入ってもその音を聴覚神経へと入力してい
くことが難しい感音性難聴だからである。
 補聴器をつけて80dBになっても人工内耳をして40dBの音を保障した
といってもそれは単に80dB、40dBの音であり、音声とは違うというこ
と、その違いは量の違いではなく質の違いであり、比べることのできないくら
いの違いであることを想像して欲しい。

 ではそれでも訓練すればしゃべれるようになるか。ここでの疑問はこのしゃ
べるというのは一体誰を基準にどのレベルでのしゃべることなのか?聴者並に
ぺらぺらきれいな発音でしゃべるのが、ろう児の到達目標だとして、その先に
何があるのだろう。聴児であれば意識さえすることなしにしてしまうしゃべる
という行為に、すべてを犠牲にして到達させることがろう教育なのだろうか?
そんなレベルの低い目標しか彼らには与えられないのだろうか。その程度のこ
とができれば親は満足なのか。
 そしてもう一つ忘れてはならないことは、たとえ血のにじむような訓練の末、
ぺらぺらしゃべる子どもになったとしても彼らには親のことばも聞こえないし、
その自分の声さえも聞こえないということである。
 しゃべることができるということ、聞くことができるということは、子ども
同士の内緒話もお母さんたちの近所の奥さんの悪口も皆聴児と同じに聞こえ、
しゃべることである。口話訓練を受けて80%の子どもができるようになるの
なら、口話訓練の研究、成果を発表する価値はあるかもしれない。しかし補聴
器をつけ、聴覚活用をし、部屋中にカードを貼ってもろう児に話しかけるとき
は聴児への話しかけ方とは違う。ゆっくり大きな声で必要最低限のことを話す。
ろう児は苦労してそれを類推し、理解する。これでは本当に時間と苦労がかか
り、その割に成果は少ない。ろう児も聴児も人生の時間は同じである。聴児が
1分かかって聞くことをろう児は5分、10分かかるとしたら、高等数学を理
解するのに大変な苦労がいることは充分想像できる。それでも抜けることので
きない茨の道を選択するのだろうか。

3,本当に手話で教育ができるのか?

 聴者には手話は見えない。手話講習会やサークルに通っても手話がいったい
どうなっているのか、わからない。だから親は不安になる。助詞もない文法も
違うという手話で日本語が教えられるのか?見えないものを信じるのはとても
難しい。
 手話に対する迷信はたくさんある。例えば手話には語彙が少ないという。だ
から専門用語や難解な話、抽象概念を話すことができないという。これは大嘘
である。手話で話す哲学の世界、アインシュタインの相対性理論、ヒトゲノム
のニュースから遊戯王カードまで、それらは話していて飽きることはない。そ
して重要なことはネイティブのろう者は日本語で書かれたものを見ながら手話
で話し合うのである。つまりもうそこで日本語から手話への翻訳は容易に行わ
れているのである。
 手話は口話(日本語獲得)を妨げるか?これも迷信である。何度も述べてい
るように“らしく”しゃべることは音声日本語を獲得したことにはならない。
自分でフィードバックできない状態で“らしく”しゃべっていても感情を表現
でき、言語を駆使し、言語で思考することができなければそれはセミリンガル
(半言語)となってしまう。日本語らしくしゃべっているから日本語を獲得し
ていると思うのは間違いであり、手話が日本語獲得を阻害するのではなく、口
話教育が日本語獲得を阻害しているのである。しかしもし、手話を第1言語と
し、手話での思考を年齢相応に行うことができればこれを書記言語として日本
語に翻訳することは容易である。これはデフ・ファミリィの子どもたちの書記
言語能力の高さや最近のろう者によるフリースクールの実践を見ても明らかで
ある。

4、ろう者にとっての聴覚活用とは?

 補聴器の性能が格段によくなり、ノイズのないクリアな音が個人に合わせて
作られるようになったというが、実際のところろう児にどのように音が入って
いるかは誰にも体験できない。
 聴力検査で使われる音は純音であり、生活音とは微妙に違う。会話閾(スピ
ーチバナナ)に入力をあわせたといってもそれは本当に数値の上でのことであ
り、聴者に想像できるものではない。
 たとえば聴力検査がある。この検査の結果に親は一喜一憂し、10dB上が
った落ちたと大騒ぎである。しかし成人ろう者のほとんどは親や教師の期待と
は別にそれを全くの無駄なことと思っている。幼少のころはボタンを押せば電
車や人形が動くし、親に誉められるから必死でどうすれば動くかを考えると言
う。一生懸命聞こうとするのではなく、検査者の微妙な手の動き、表情を読み
取るようになるのだ。検査者が同じ場合は慣れれば時間を計って、検査者のボ
タンを押すタイミングがわかるようになると言う。
 しかしもう少し大きくなると、今度は逆にあまり当ってばかりいると「こん
なに聞こえるのに。」と言われるので、適当に手を抜いてわざと間違えると言
う。これらはろう者の世界ではデフ・ジョークのひとつとなっており、世界共
通の笑い話である。
 また口を隠して単語を言い、そのものの書かれたカードを取ると言う訓練が
ある。ろう者はこれが得意である。口を隠しているのだから音声のみで試験を
しているつもりだろうが、実は彼らの目は頬のほんのわずかな動きで読み取っ
てしまっているのだ。
 つまり聴覚活用と言いながら純粋に聴覚を使っているのはほんの何分の一の
部分(リズムやイントネーション)であり、ほとんどは類推と検査者の癖と確
率によるものなのである。
 しかしこれは彼らがずるく努力を怠っているからではない。聞こえなければ
親は悲しむし、嫌な訓練は終わらない。少しでもいい結果が出れば大好きな母
親の喜ぶ顔が見られる。先生に誉められる。それを望む親や教師の無意識の期
待が、幼いときから彼らに悲しい処世術を身につけさせてしまうのである。

5、聴覚活用がもたらすもの

 音声でしゃべることよりも日本語のカードをベタベタ貼るよりも聴覚活用に
は大きな心理的抑圧がある。これは今まであまり触れられていないが、親子関
係やその後の人間形成の上で実は大変重要な問題である。なぜならろう児は音
が聞こえないことが彼らの特徴なのである。聴覚活用は聞こえない子どもに、
本人の意思とは関係なく聞くことを強制するものである。そもそも訓練とは今
出来ないことを訓練によって出来るようにさせるために行う。しかしいくら聴
覚活用をしても、聴児並に聞こえるようにはならない(もしなるのだとしたら
その子どもは聴児になる)。どんなに努力しても到達できない目標に向かって
子どもにとっては強制でしかない訓練を押し付けることは、劣等感を生むばか
りかアイデンティティさえも奪う可能性すらある。聴覚活用のゴールは平均聴
力0dBの聴児の耳であるから、親や教師から及第点を与えられることはない。
一生続くもう少しもうちょっと頑張れと言う励ましは残酷であり、結果ろう児
は聞こえない自分をマイナスの存在・悪としか捉えられなくなる。ろう学校の
子どもの顔が暗いのはろう児だからなのではなく、常に自分の存在を否定され
ているからなのだ。
 聴覚活用をすべて否定しているのではない。自己を肯定的に捉え、自分の言
語を確固とすることができれば、次に他の言語に興味を持つのは当然の流れで
ある。その言語は彼らにとって一番身近にある、そして肉親の使っている日本
語である。その日本語を使い始めたら、音声言語の特徴にも関心を持ち始める。
そのとき本人の意思による口話訓練、聴覚活用がはじめて可能になるのだ。

6、最後に

 我が子が他の子どもと違うという宣告を受けたときから親はその子の生涯を
自分で背負い込むようになる。社会的弱者になるであろう大切な我が子を守る
ために親は親としての役割を超え、教師になり、言語訓練士になり、抱え込む。
 しかし親は親なのだ。子どもたちが親に望んでいることは自分を肯定し、信
じ、自分のために涙を流すのを止めて、他の子どもと同じようにただの親にな
ってほしいということだ。手話が出来ればそれに越したことはないが、それさ
えも子ども達は望んでいない。親の手話が下手でも口話で話していてもいい、
親が自分のことばに耳を傾け、共感し、一緒に笑い、泣き、真剣に怒ってほし
い、そして自分と同じ仲間であるデフ・コミュニティを尊重し、コミュニティ
の共通言語である手話を尊重することができればいいと思っている。ろう学校
はそのコミュニティが作られる場なのであり、ろう者を聴者に矯正する場にし
ないでほしい、それがろう児の願いである。


「ろう児に聴覚を活用させる?」

    〜ろう児は聞こえるようにはならない〜

1.はじめに

 息子が聞こえないと分かる前、ろう者というのは手話を使うのがあたりまえ
で、学校でも当然手話を教えてくれるものと思っていた。なぜなら成人のろう
者や難聴者のほとんどが手話を使ったコミュニケーションを必要とし、実際に
使っているからだ。聞こえる人に「ろう者が使うコミュニケーション手段は何
ですか」と尋ねてもやはりほとんどの聴者が手話と答えるはずである。しかし、
私の子どもが聞こえないと分かったとき、病院やろう学校の先生から「聴覚を
活用すること」についての説明はあったが、「手話言語」についての説明は一
切なかった。ろう児をもつ親としてのスタート地点でまずこのおかしな現実に
ぶつかった。それから今に至るまでいくつかの経験をしたがその実例を挙げな
がら今のろう児に対する教育についての問題点を明らかにするとともに、ろう
児をもつ親が子どもに対してどのような接し方をするべきかといったことを述
べてみたいと思う。

2.病院での説明

 生まれて数ヶ月の我が子と接しているとき、あることに気がついた。それは、
視線が合ったところにおいて手を使ってあやすのと、目の合っていないときに
声であやすので反応が全く違うということだった。不安に思い一つ目の病院に
行ったとき、ABRの検査で子どもの耳が聞こえていないと診断された。その
病院では「一歳になったらまたきてください」としか言われなかったため不安
になり、二つ目の病院を訪れた。そこでも同じ聞こえないという診断をされた
が、そこでは、「ことばの訓練が必要です。東京都立Sろう学校に行ってくだ
さい。補聴器は病院でつくります。」と指導された。

3.ろう学校での説明

 ろう学校に行き受けた説明はこのようなものだった。「まず、補聴器が必要
なので、買ってください。病院よりこちらの方が詳しいので、こちらですぐイ
アモールドからつくってください。」何よりもまず補聴器についての話をされ、
聴覚を活用する方法以外に選択の余地がないような教員の対応に疑問を感じ、
我が家では手話を使って子どもを育てたいことを告げたがそれに対して、「親
が手話講習会にいく暇があるならもっと子どもと関わってください。」と一方
的な主張をされた。

 病院からろう学校に至るまでの間で手話の必要性や存在について述べた専門
家は一人もいなかった。後で分かったことだが、ろう学校にいるほとんどの教
員は手話ができなかったのである。それだけでなく、ろう学校の教員にとって
基本的に必要なはずの「聾学校教員免許」なるものをほとんどの教員が持って
いないというではないか。すなわち現在のろう学校はろう児に対する特別な知
識のない人がただ聴者教員にとってやり易いというだけで口を使った教育を惰
性的に行っているということだ。

4.親の心情

 子どもの耳が聞こえないとわかり不安を感じているとき、病院やろう学校か
らは聞こえの可能性しか説明を受けない。聴覚を活用した音声言語の獲得のた
めに母親が努力することこそが子どもにとって不可欠なことであると決め付け
られてしまうのである。聞こえない子どもを初めてもった親にとってそのよう
な指導はたとえおかしいと感じてもそれに反論するだけの知識や情報をまだも
っていないのが普通であるため従わざるを得ない状況になってしまう。それか
らろう学校で「手話のできない教員の職を守るための洗脳」を受けていくこと
になるのである。聴覚活用による口話教育を主張するろう教育関係者のなかに
このような側面があることを私たち親は知っておく必要がある。特に「口話法
は子どもにとって唯一絶対の方法でこれこそが聞こえない子どもが聞こえる社
会に入るために最も必要な方法である」などと言っている方がいたなら、その
方がろう者の手話を読み取ることができ、手話言語を実際に使うことができる
か聞いてみることをお勧めする。

5.聞こえないことについてのイメージ

 聞こえる親にろう児が誕生して思うことは「将来どうなってしまうのだろう」
ということではないだろうか。これはろう者に対して全く失礼なことであるが、
私自身全く子どもの将来をイメージすることができずただ漠然と不安をもって
いた。しかしそのような不安がなくなるまでにそれほど時間はかからなかった。
多くのろう者たちと実際に会ったとき、聞こえないことを個性として受け入れ
ることができるようになったからだ。聴覚活用を支持する方たちは「いかに聞
こえる人間に近づけるか」という価値観のもとに子どもを教育している。少し
でも聞こえたら「難聴」と呼び、補聴器をつけて呼んだら答えてくれることに
満足しているのである。それが子どもにとってどのような影響を与えるか私た
ち親はもっと考える必要がある。社会に出ていやでも意識するようになること
である「自分が聞こえない」ということ。聞こえない自分を再認識したとき聞
こえない自分を認めてこなかった親や先生たちに対する憤り、怒りを持つよう
になるのはごく自然なことではないかと思うのである。

6.最後に

 「聴覚障害者の心理臨床」(日本評論社)では次のように述べられている。
「『聞こえの可能性』を追求する方向だけでは自分の存在や生き方を支えるこ
とはできない。なぜなら、ろう者はどこまでいってもやはりろう者であって、
決して健聴者にはなれないことは明白だからである」ろう児として生まれた子
どもをろう児として育てるということ。そんな当たり前のことが今のろう教育
関係者からは全くと言って良いほど出てこない。「聴覚をいかに活用するか」、
「辛い訓練をいかにやらせるか」「聞こえる人に受け入れてもらうためには何
が必要か」そんな教育をしてろう児が自分のアイデンティティを確立させるこ
とができるはずがない。ろう教育に携わる者や私たち親はろう者たちと会い、
ろう者に学ぶことにより、もう一度子どもの将来像を自分の中に構築する必要
があるのではないだろうか。子どもを聞こえる人間という型にはめようと必死
になるのではなく、ろう者として生きる道を子どもに示していく必要がある。
成長してろう者たちの中に入っていったとき、「聞こえない自分を否定した親
(先生)」と言われないためにも。

7.参考資料

 ・聴覚障害者の心理臨床  村瀬喜代子 編 (日本評論社)
 ・もうひとつの手話 斉藤道雄 著 (晶文社)
 ・手話への世界 オリバー・サックス 著 (晶文社)


 発表原稿申し込み時の出来事:     「口頭発表について」         当初申し込みを行なった6名全てが発表する予定になっておりましたが、突然        発表者が絞られるかもしれないというトラブルが発生しましたが、良識ある座長        の判断で最終的には全ての発表が認められる運びとなりました。     「保護者の分科会のみ原稿が掲載されず」         参加する教員の希望者に配られる「研究収録」に保護者の原稿が一切掲載され        ていないことを事前に知らされました。これですと、分科会に参加された方にし        か保護者の意向が伝わりません。しかし、本来ろう児をもつ親は当事者であり、        ろう教育の中で保護者の意見は最大限考慮されるべきものであるはずです。その        旨を親の意見として運営委員であるろう学校教員に打診したところ、尽力してく        ださり、当日すべての参加者に対して保護者の原稿を配布していただくことがで        きました。また来年以降はあらかじめ「研究収録」に掲載していただくよう当日        参加された保護者の中の賛同者79名の署名と共に要望書を提出させていただき        ました。     協力してくださいました、ろう学校の先生方、保護者の方々本当にありがとうございました。

 その他:     「分科会テーマについて」         「家庭での聴覚を利用した学び方育ち方について」というテーマでの分科会で        したが、手話をろう者の言語と認め、手話によって教育を行なうという世界的な        ろう教育の流れを考慮したテーマ設定の必要性を感じます。

全日本聾教育研究会
会長 △△△△ 殿
                        第34回全日本聾教育研究大会
                        第16分科会(保護者の会)
                         参加者代表  △△△△△△
                         (△△△△△ろう学校)
              要  望  書
 
 全日本聾教育研究会におかれましては、日頃より聾教育にご尽力頂きまして誠にあ
りがとうございます。また、全国のろう学校教師が一堂に会し、日頃の研究実践成果
を発表し、指導技術を高め合うという主旨の本大会の存在を我々親達も頼もしく思っ
ている次第です。
 
 さてそこで、この度第34回全日本聾教育研究大会の参加に際しまして、第16分
科会《保護者の会》より出されました提案事項を要望したいと思います。その要望と
申しますのは、本大会の総結集とも言えます「研究集録」に関する事項です。
 この「研究集録」は、当日授業などの関係等で本大会に参加できなかった先生方
や、保護者にとって大変参考になる文献だと思います。しかし第16分科会《保護者
の会》のみ掲載がされておりません。親の分科会に参加した保護者のみ資料を配布さ
れますが、他の分科会に出席した場合、第16分科会《保護者の会》の発表内容のみ
が分からないのです。実際に過去の保護者分科会資料を調査しようとしましたが、
「研究集録」に記載されていないために非常に困難な作業となりました。
 一人一人のニーズに応じた適切な教育実践をスムーズにするためにも、教師と保護
者の意見の交換、意志の疎通を大切にしたいと思っております。親達の気持ちや考え
なども先生方に知っていただき、その上で教師、父母が一体となりろう教育をより良
いものにしていきたいと望んでおります。その意味でも、保護者分科会の発表を是非
「研究集録」に掲載していただきたいと思います。
 今回は本大会実行委員会のF県立ろう学校、保護者の会実行委員会のM県立ろう学
校の諸先生方に保護者の気持ちをご理解いただきまして、父母有志による出資ではあ
りましたが、配布することとなりました。保護者の会に参加しました父母、ならびに
本大会に参加できなかった父母からも、「とても喜ばしいこと」との声があがってお
ります。ご尽力くださった先生方、本当にありがとうございました。
 父母達は子ども達の教育環境を少しでも整え、「豊かな人間性、生きる力を持った
ろう児」を育てたいと感じながら、本大会等に参加しております。21世紀のろう教
育を教師と父母が一緒に担う気持ちと、願いを込めまして、次回大会から「研究録
集」に保護者分科会の同時掲載を切に望みます。どうぞよろしくお願いいたします。
 そして本研究会のますますの発展をお祈りいたします。

 

「第33回 全日本聾教育研究大会 保護者の会」 発表内容

 日時:1999年10月20日

 場所:愛媛県松山市 にぎたつ会館

             聾学校、大好き!
                  − 小学部に入学して −
              三重県立聾学校 小学部1年生の母親
 平成11年4月、JRとバスの定期券をぶら下げた真新しいランドセルを背
負い、わが娘、怜は、聾学校の小学部に通い始めました。

【末娘が聞こえない】
 思い返せば、4年余り前の12月、末娘の怜がもうすぐ2歳の誕生日を迎え
ようという寒い日でした。大学病院で高度の聴覚障害と診断され、紹介された
ままに聾学校の乳幼児教室を訪れました。主人と私、娘の三人。Y先生はこれ
からの教育を口早に説明してくれましたが、初冬の教室は寒々としていました。
帰宅してからも何をどうしたらよいのか分からず、しばらくは苦しい日々が続
きました。「私に何が出来るの? どうすれば笑顔で話せるようになるの?」
自問し続けたことを覚えています。

【ひよこ組へ】
 まずは、週1回の乳幼児教室(以下、ひよこ組)へ通うことにしました。そ
こで同じ障害をもった親子とふれ合ううちに、とにかく学校へ休まずに通おう
という決意のようなものが生まれてきました。また、私が聞こえないことを受
け入れ、慣れることが一番だと考え、ろう教育に関する本を読んだり、集会や
行事には行ける範囲ならどこへでも行きました。しかし聞こえる私には、聞こ
えないということがどういうことなのか、そう簡単に分かるはずがありません。
「替われるものなら、替わってあげたい…」娘の寝顔を見ては、何度も涙をこ
ぼした私でした。
 そんな私の不安をよそに、怜はひよこ組に行くのがとても楽しいらしく、毎
週休まずに通いました。補聴器を着け始めて半年余りたった頃、こんなことが
ありました。Y先生に言われたのです「もっと出てきてもいいのに…、ことば
の数が少ない!」と。するとその直後から、今まで静かだった怜がうそのよう
にしゃべり出したのです。単語ひとつずつでしたが、私たちは救われた思いで
した。話せることが良いこと、すてきなこと、当時の私はそう信じていました
から…。健聴者に近づいた、私と同じ人間になった、そんな気がしていたのか
も知れません。

【輪の中で】
 その頃のひよこ組では、キュ−サインに換えて指文字による指導が始まりま
した。幸い私たちのクラスにはろう夫婦が2組いて、2人のお母さんから指文
字や手話を分かりやすく教えてもらいました。色々な意味でこの2人の存在は
大変大きく、とても感謝しています。私たちは「ラッキ−だった」と思ってい
ます(失礼な言い方ですが)。指文字のおかげで、手話では分からない言葉も
何とかこの2人に伝えることが出来、2人も健聴者に分かりやすい手話表現を
心掛けてくれました。ひよこ組が進むにつれて、クラスのお母さん達の会話が
ひとつになっていったように思います。幼稚部入学が4ヶ月後に迫った年末、
私はみんなに忘年会の提案をしました。せっかく仲良くなったお母さん達の輪
を、家族の大きな輪に広げようと思ったのです。一泊二日で家族全員、ひよこ
組の先生2人も参加していただき、楽しく過ごしたことを今でもよく覚えてい
ます。それからでしょうか、子ども同士も仲良くなったのは。親が仲良くなれ
ば子どもも仲良くなる。その後幼稚部の3年間も、忘年会、新年会旅行、夏の
キャンプなど、みんなでワイワイ騒ぎました。
 そんな中で、私は、聴覚障害も、手話も、自然に受け入れるようになってい
ったと思います。もちろん、ひよこ組の指導の中で、手話と指文字が使われて
いたわけですが、親子で通じ合うことの喜びや、怜が聞き取りにくいことばで
も私が手を動かすことで理解できるというすばらしさを痛感したのでした。

【ことばを覚える】
 ひよこ組の終了時、怜は、平仮名50音と指文字とのマッチングが完璧に出
来ていましたので、幼稚部に入学してからも、ことばの習得はとても早くスム
−ズでした。新しいことばが次から次へと怜の頭の中へ入っていき、与えられ
た課題をどんどんクリアしていく娘を見ていると、私まで楽しくなって、ほと
んど趣味の領域に入っていきました。ひとつの単語を覚えさせるのに、絵カ−
ドを作ったり、絵本を作ったり、写真を撮って手作りアルバムを作ったり…。
大変でしたが、そんなことがとても楽しく思えました。上の健聴の子ども2人
を育てたときには、決して味わえなかった感情です。これも、聾学校の先生、
怜、私(家族)の三者関係が上手く成り立っていたからでしょう。三者の内の
ひとつでも欠けていたら、ここまで来れなかっただろうと思っています。

【インテグレ−ションか聾学校か】
 幼稚部生活も年長組になると、就学問題に直面します。これまで漠然とイン
テグレ−ションを目標にして走ってきた私でしたが、時期が近づいてくるとや
はり現実の問題として選択を迫られることになります。
 姉と兄が通う小学校へ一緒に行かせたい! 仲良く3人で登校する姿が目に
浮かびます。でも…、怜は聞こえません。聴力が厳しいわりに発音はよい方で
すが、相手が普通にしゃべられたら聞き取ることが出来ません。そんな環境で、
学習が出来るのか? でも…、先生に手話を覚えてもらって、1対1でやって
もらえば何とかなるか? いや、それは甘いかなぁ? 聾学校なら、通じ合え
る先生も友だちもいる。でも、遠い…、片道1時間半。小さな身体の娘にとっ
て楽な通学じゃない…。
 堂々巡りの、悶々とする日々が続きました。考えても考えても結論が出ず、
なぜ迷っているのか、何が邪魔をしているのかさえ分かりませんでした。もし
かして、私が行って欲しいから…、私のためにインテして欲しいのではないか
? 体裁や世間体のために…。そう自問したこともあります。でも、決められ
ない。誰か背中を押してくれれば決心がつくのに…。「先生が決めて!」と他
人任せにしたくもなっていました。
 答は、娘の怜が出してくれました。私の胸の内を知ってか知らずか、怜が「
手話の必要性」を訴えてきたのです。「た・な・かって、(手話で)どうする
の?」「あのおじさんの名前、(手話で)何?」今まで口話、指文字、文字で
知っていた単語を手話ではどう表すのか、それはそれはしつこく聞いてくるよ
うになったのです。私はハッとして、「この娘は手話を知りたがっている! 
この娘には手話が必要なんだ!」と気付きました。また、同時期にあった姉と
兄の授業参観も、私が答を出すきっかけになりました。1年生の担任にお願い
して、怜をクラスの授業に参加させてもらったのです。授業は普通に進めても
らい、怜がどんな反応をするか見てみたかったのです。ふたを開けてみれば、
「先生、今なんて言ったの?」「ゆうきくん、何て言ってるの?」その繰り返
しでした。まるで「インテなんてイヤだ! 聾学校へ行きたいよ−」と言って
いるように思えました。
 結論は、ようやく出ました。やっぱり怜は、聴覚障害者。私とは住む世界が
違うんだと納得しました。私が健聴者だから悩んでいたのだということも分か
りました。それは決して悲しい選択ではなく、希望のある明るい決断でした。
嬉しくなり、体中が軽くなり、頭の中がすっきりしたのを覚えています。地元
小学校への入学を考えていた家族には少しびっくりされましたが、私の説明で
みんなが快く賛成してくれました。誰のためでもない、娘自身のための選択で
す。一番よい選択だったと思っています。
 でも、三重聾が手話ではなく、まだ口話法主体の学校だったらどうだったで
しょう? 私は、聾学校を選んでいただろうか? それは、考えたくない疑問
です。

【もっと手話を】
 私たちは、手話推進校である三重聾を選び入学しました。しかし100%満
足かと聞かれれば、「はい」と即答しかねる問題も感じます。それは、手話に
熟達した先生がいないこと(私も偉そうなことは言えませんが)。ひとつの目
的として、手話を習得するために聾学校へ入ったのに、学べる指導者が見あた
らない。これは、大きな問題です。確かに、勉強のすべてが手話で行えるのか
というと、そうではない。正しい日本語を身につけるためには、書き言葉や読
む力を身につけることが大切です。しかし、小学部では指文字が非常に多く使
われており、音声言語をすべて指文字に置き換えて表すのも、どうかと思いま
す。例えば「い・ま・か・ら・こ・く・ご・の・じ・ゅ・ぎ・ょ・う・を・は・じ・め・ま・す」
と指文字で表すよりも、手話の方が子ども達には断然早く読み取れるに決まっ
ています。児童(特に健聴の両親を持つ子供)がやけに指文字を多く使うこと
にも、私は懸念を感じます。なぜ指文字を使うのか? 手話を十分に知らない
からです。学校では手話については初級クラスの教師と接し、家では私を含め
健聴の親の口を見て話すからです。子ども達は、聾者の手話を肉眼で見る機会
が少ないのです。
 とは言え、聾学校を選んでよかったと思っています。校内の先輩達や両親聾
の子ども達が使う巧みな手話、数は少ないが聾の先生達のきれいな手話が、子
ども達の目に入ります。そのうちに子ども達は、立派な手話の使い手となって、
仲間同士十分に通じ合えるようになります。その手話ということばで、子ども
達は自分たちの文化も創ります。私が悩んでいたとき、Y先生に教わりました。
「やっぱり友だちだよ。先生でもなければ親でもない。通じ合う友だちが聾学
校にはたくさんいるんだから。」JRとバスで上級生達と一緒に通うようにな
った今、その言葉の意味が分かってきました。
 今はまだ小学1年生。泣く日もあれば、笑う日もあります。これからが大変
です。いろいろな問題に突き当たるだろうと思います。でもそんな時、悩みや
考えを相談できる友だちも先生もいます。親の出る幕なんて、ないかも知れま
せん。淋しい話ですが、そうなることが大人になること、自立することなので
はないでしょうか。

【自立に向けて】
 全国的に見ると、インテグレ−ションを選ぶ親も多いと聞きます。しかし、
親の意識は学校の意識を反映します。健聴者に近づけるための教育がベストだ
と考えている聾学校もあるようですが、それでは、親がインテグレ−ションを
目指すのは当たり前です。聾学校に残りたいが学校の教育方針に疑問を感じて
インテを選んだり、疑問や不満を感じながら聾学校に子どもを通わせている親
もいます。先生が、学校が、変わらなければ、親も子どもも変わりません。聞
こえないことを認め、自立できる人間を育てる教育をしていく必要があると思
います。
 「健常者も障害者も同じ教育を」と言いますが、私は同じ場では教育は受け
られないと思います。そのことは、怜が証明してくれました。聴覚障害児だけ
ではなく、障害をもって生まれたすべての子どもは、それぞれの分野でひとり
ひとりに合った教育を受ける必要があるということです。そのために、養護学
校もあるのです。 私は、怜が「普通」の成人になれるよう、「普通」の子育
てをしています。でも上の2人とは違い、怜にはちょっと工夫をしたり、時間
をかけたりすることがありますが、そうすることが三人平等に育てることにな
るのだと思っています。それで怜が「普通」の大人になれるのなら、これから
も手間ひまは惜しまないつもりです。

【娘の旅立ちまで】
 私は、将来がとても楽しみです。どんな女性になるのか? どのような聾者
になっていくのか? どんな男性と結婚するのか? 何本ものレ−ルを敷いて
あげるために、いろいろな体験をさせてやれる環境を作るのが、今の私たちの
役目です。私の人生ではなく、娘の人生ですから…。そして将来、怜が自分で
1本のレ−ルを選び、私たちのもとを旅立って行く日まで、見守ってやりたい
と思っています。

                                *

 今日も、定期券をぶら下げたランドセルを背負い、怜は姉兄よりひと足先に
家を出ました。駅まで30分、私の運転で上級生の友だちが待つJRに急ぎま
す。車の中では、壊れたレコ−ドのように、怜は毎日同じことを聞かれます。
「ハンカチもった? 忘れ物はないの? 宿題は?」その後には、ちゃんと「
正しい答」が返ってきます。「お母さんも、財布(中に運転免許証が)もった
の? ケイタイは?」私は、ときどき「あっ、忘れた!」と返事をすることが
あります。小学部へ入って3ヶ月、そんな毎日も、今では当たり前になりまし
た。この娘が母親になったとき、きっとこんな会話をするんだろうなぁなんて
考えると、可笑しくなってきます。
 そんな私も、怜も、聾学校が大好きです。

※無断転載禁止 Copyright(c)2000 全国ろう児をもつ親の会