[ レポート集 ]

様々な文献や発表原稿などを掲載いたします。

「第36回 全日本聾教育研究大会 家庭教育を考える部会」 報告書

 日時:2002年 10月 9日(水)

 場所:北海道 札幌市豊中区 サッポロ ルネッサンス ホテル 

 発表内容:

  (1)「ろう児が主体的に生き抜く力」 〜家庭での実践から〜

  (2)「主体的に生きるための条件」 〜聴覚口話法の弊害〜

  (3)「聴親がろう児にできること」 〜バイリンガルろう教育を目指して〜

  (4)「ろう児を育てる働く親の子育て」 〜多様化する育児ニーズ〜
今回の大会について:
 例年保護者は教師たちの研究大会にも参加し、自由に意見を言うことができたが、今回から会場等が別の場所となり、研究大会での保護者の発言が禁止されてしまった。それだけでなく、各分科会において司会者から来年度についての報告があった。それによると、 2003年度の全日本聾教育研究大会については親の発表の場はなくなるとのことだ。説明では次回の当該PTAの担当の準備が困難であるためとのことだった。しかし、既に親たちにより会場等が準備されていたとの情報もあり、真偽は定かではない。こうした報告に対し参加した親たちから反対の意見が相次ぐといった一幕もあった。
 どちらにしても、当事者の思いとかけ離れたところで聾教育が進められているという印象を強く受ける大会となった。

「ろう児が主体的に生き抜く力」

       〜家庭での実践から〜

  1. はじめに
 私は生まれつきのろう児である娘を地域の学校にインテグレーションさせた経験があります。そのときの娘の状態と、ろう学校に転校させた後の状態をつぶさに見た結果、ろう児をインテグレーションさせるという環境は、いかに人間が主体的に生きる力を疎外され、言語面、心理面からみても正常でない状態であること。そして、ろう児にとってろう学校というものが、いかにかけがえのない大切なものであるということを知りました。そして、その次に、ろう児にとってかけがえのないろう学校という場で行われている教育方法が、大勢の親子が納得がいかず、不満と不安を抱えている実態であることを知りました。そんな中でろう学校に転校した娘が、さらに自分の主体性を発揮できる環境とは何かを考え、それらに沿って家庭で実践したことを述べてみたいと思います。
  1. ろう児がインテグレーションをするということ
  1. 私は耳鼻科の医師、難聴通園施設、またろう学校乳幼児相談の教師の勧めに従い、娘が幼稚部入学と同時に地域の幼稚園にインテグレーション(以下、インテ)させた経緯があります。それを勧めた教師や専門家は、ろう児がインテすると言うことの弊害をよく知らなかったと言います。しかし、10年間経た現在でもインテの弊害を知る教師や専門家、医師は多くはありません。それはどうしてでしょう。今まではインテを選択した親たちが、その弊害を口に出すことがなかったからです。しかし21世紀に入りその様相も随分変わりました。インテさせた親達が自分たちの過ちを語りだし、そしてインテをさせられた本人からの声があがり始めたのです。(1999・河崎)(1999・大杉)(2000・佐藤)(2001・中野)(2001・岡本)
  2. 聴者の中にたった一人、もしくは数人のろう児を統合させることは、受け入れる聴児にとっては少しの理解を深めるきっかけにはなるかもしれません。しかし問題はろう児のためになっているかということです。インテ状態ではろう児は常に疎外感、孤独感を味わい、文法も不完全な曖昧な音(ことばではない)を聞かされ、聞こえない人間だから仕方がない、助けてもらって当たり前というような誤まった自己認識を持ちやすくなります。これは、そう思うろう児が悪いのではなく、どんな人間でもこのような環境におかれたら同様な認識を示すようになると思われます。見た目は社会に統合されているように見えても、言語的、心理的の統合はされないままでいるのです。自分自身のアイデンティティーも曖昧のまま、他人を理解し、融合を図ろうとする意欲が湧くものでしょうか。まず自己の言語、文化を持ち、帰属意識を持った仲間との対等な関わりを持ち、その後に他言語、他文化の人々を理解するというのが順当であると思うし、理解もしやすいのではないでしょうか。(2001・岡本)
  3. 教師や専門家からみて、インテの成功例をみなす子どもは、音声でわりと明瞭にしゃべり、状況判断し集団と行動ができ、読話ができ、学力もまあまあで、積極的で明るい性格であれば申し分ないと言うのが基準のようです。しかし、実際にそれらをクリアーしていても、今まで述べたように、人として不自然な環境におかれ続けていれば弊害はどこかに現れます。親として子どもの成長を見つめた場合、どこかで必ず不安が出ます。その不安を『ろう児だから仕方がない』とせず、環境設定の誤りと認識し改善を計れば、子どもはいとも簡単に答えを出してくれます。そして今まで成功例と思い込んでいた条件が、単なる表面的なもので、人間にとって大切な核となる心やアイデンティティー、そして母語が形成できない環境なのだということが理解できると思います。母語とアイデンティティーが形成されなければ、主体的に生きる力も、言語面、心理面、学習面も正常な発達は望めないと思います。
  1. ろう児にとってかけがえのないろう学校
  1. そんな経緯を体験し、娘はろう学校に転校することになりました。実際に仲間とのコミュニケーションにもすぐに慣れ、対等なぶつかり合いを体験し、インテ時代にはとても経験することのなかった当たり前の学校生活を送るようになりました。どちらか一方通行の会話ではなく、すべて、会話(手話言語)を通して物事が納得して進みます。インテ時代は毎日、緊張、疲れ、不安の毎日でした。それらから開放され、のびのびした生活、心の安らぎを得たようでした。そういう状態が続くと、余裕も生まれ友達や先生の心情を思いやる心も自然に育ち、冗談も通じ裏表も理解していきました。ふと、こんな状態が頭に浮かびます。これは私の感覚ですので、おかしい例えかもしれませんが、インテ環境時は心は影を持ち、しわしわで弾力がなくしぼんだ状態、反対に脳はしわもなくのっぺらぼう・・・ろう学校に入ってからは、心が潤い輝き、弾力も戻り包容力もある状態、そして脳にはしわがどんどん刻まれ、いかにも知的に働きだした・・・そんな印象を受けました。つまりろう児集団や先輩後輩のつながりから自分の帰属意識をろう学校に見いだし、母語になる手話言語を獲得し、アイデンティティーを築いたと思われます。
  2. さて、そこからです。先輩や友人から覚えた手話言語(日本手話)は、今までの娘の概念を吹き飛ばしました。日常の生活からもやが晴れ、すべてがクリアーな世界へと変わっていったのです。「今までいかにわかっていなかった」ということがことが分かってきたのです。手話言語(日本手話)ならばどんなことでも説明でき、微妙なニュアンスも当たり前に通じます。もちろん家庭でも即、実践してみました。まず親は手話教室に通いました。もちろん日本手話です(手指日本語=対応手話ではありません)。親が日本手話を覚えた理由は、その覚えた手話で娘に教えるためではありません。では何のために通ったかというと、娘の手話を読み取るためなのです。自分の言いたいことを手話で表す前に、まず娘の言葉に「うんうん、そうなの?そうだったの!」と耳を?(目を)傾けることのできる親になりたかったのです。いくら親の言うことを聞いてほしいと思っていても、子どもは『自分の言うことを聞いてくれない、分かってくれようとしない人の話なんか聞きたくない!』と思うのではないかと考えました。子どもは『自分の言うことをきちんと聞いてくれる大人を信じる』のではないでしょうか。もちろん普通の親子ですので、こちらも言いたいことは山ほどあります。それは私のつたない手話で話します。それでも補聴器をつけて音声で伝えた時よりも、何十倍もきちんと正確に早く伝わります。もちろん心情も伝わります。こんなへたな手話でもなぜ分かってくれるのか?考えました。ひとつは子どもの言語能力の応用さと、もうひとつは親子の信頼関係ではないかと思いました。『今まで音声でしか話さなかった母が、手話を覚え、下手なりにも自分のことを考えて話しかけてくれる』『母のほうが自分に歩み寄り、寄り添ってくれている』と言う気持ち・・・実際には分かりませんが、安定した信頼関係が築けたと感じています。家庭での実践は他に、娘の母語を保障するためにネイティブサイナーのろう者に家庭教師になってもらい、フリースクールにも毎回参加してきました。その結果、娘の言語力は目を見張るように延び、それをある程度読み取れる家庭環境ができつつあるので、家庭でもリラックスして生活していると思います。親の役割は、環境を広げることだと思います。
  3. そうして意欲的になった娘はろう学校での授業、教育方法に疑問を持ったのです。それは親である私も同じです。なぜ、ろう学校の授業で手話言語がないのか?先生から「手話は劣ったもので、助詞などのない不完全なものだ」と言われても、もう親たちは信じません。1960年アメリカの言語学者ウイリアム・ストーキー教授が発表して以来、「手話は文法を備えた言語である」ことは世界中の言語学者から証明されています。「手話は日本語を覚えるのに邪魔だし手話では無理」と言われてもこれも親たちは信じません。スウェーデン、デンマーク、アメリカ、カナダなどで、手話言語を通して、歳相応の書記言語をきちんと獲得でき、同時に学力も聴児と同じペースで付けていることが実証されています(バイリンガル・バイカルチュラル教育)。「外国ではできるけど、日本では無理」と言われても、日本のあるフリースクールの実践から日本でもバイリンガル・バイカルチュラル教育は当たり前にできるということが実証されています。なにより、多数の家庭での実践が最近報告されています。
    1. 母語(手話言語)を保障する→[ろう学校でデフコミュニティーを保障]+[フリースクール]
    2. 母語を十分に伸ばし、母語での生活言語から学習言語へと進む。そしてろう児にとって第2言語となる書記日本語の生活言語を学習しさらに学習言語へと発展させる(2001年・ガリモア博士)。→[フリースクール]
    3. 日本語で書かれた文を日本手話で説明する。意味が十分に理解できる。心情も伝わる。→[フリースクール]
    4. その上で日本語の文章にするとこうなると説明→[フリースクール]
    5. 意味を理解した上で覚えるから、使い分けもきちんとできる。助詞も名詞の順番を変えても正しく対応できる。(例)私・父・本・買う
    6. 分からない箇所は、ハイクラスの手話言語話者にいつでも聞ける環境にある。→[フリースクール]
    7. 言語環境だけでなく、その言語を使う人々の文化、歴史も同時に学び、自己を知ることにより、社会全体を見渡せる力を養う→[ろう学校の自立・総合学習][フリースクール]

    現在の我が家は、このようにフリースクールでろう学校の足らない箇所を補ってもらっている状態です。
  1. 今後のろう教育に望むこと
  1. 耳の聞こえる子どもは、自分達の分かる言語で公教育をうけています。共通の母語を持った教師から学んでいます。では、ろう児はどうでしょう。ろう学校ではろう児にとって、曖昧な文法しか入らない音声言語がほとんどで、少々ましなろう学校で不完全な手指日本語(日本語対応手話とも言うがこれは手話言語ではない)を使っての授業が行われています。そのどちらもろう児にとっては分からないか、分かりづらい言語です。ろう児もはっきり分かる言語で授業が受けたいし、自分達と共通の母語を持った教師からいろいろなことを学びたいのです。これはひとりの人間として教育を受ける権利だと思います。公教育の不公平さはこれに留まりません。ろう児は自分達の意思とは関係なく、自分達には聞こえない音声を強制させられ、一番大切な幼少の遊びの中から学ぶ時間が、学習の時間に変わってしまうケースもみられます。子どもとして自由に遊びたい、分かる言語で楽しい絵本を読んで欲しい、分かる言語で勉強がしたい、分かる言語で日本語を覚えたい。そんな当たり前の教育を望んでいるだけなのです。そういった教育を受けられれば、歳相応の言語力や発達を経て、さらに学びたいと自らの意欲も湧くことでしょう。その意欲の一つが例えば残存聴力を生かした発音訓練や聞き取り練習であれば、それに対応し指導すれば良いのです。音声は決して強制するものではないと思うのです。
  2. ろう児の身体的特徴は「耳を使わない」ことと「発達した視覚をもっている」ことです。その特徴を正しく理解し、彼らの能力を伸ばすことのできる人がろう教育の専門家と呼ばれるのではないでしょうか。しかし残念ながら現在の日本のろう教育は発展途上にあり、専門化といえばオージオロジストが真っ先に出てくるような国です。オージオロジーが中心で、それのみがろう教育の専門性と勘違いされている節も見られます。補聴器、人口内耳、さらには内耳幹細胞の移植の研究と突き進んでいるようですが、私達親はそんなことはまったく望んでおらず、もしそのような予算があるのなら、バイリンガル・バイカルチュラル教育の研究に即刻、役立てて欲しいと願っています。実際に今日もどこかのろう学校で、分からない音声言語を聞かされ教室にただ座っているだけのろう児がいるのです。
  3. そんな公教育を70年間続けた結果として、ろうの子どもたちの学力不足、就職の不利益、セミリンガル(手話言語も書記日本語も不完全)、アイデンティティークライシスという負の遺産が数多く残されてきました。考えてみれば当たり前のことなのです。聞こえない子どもに、音声で授業をしているのですから。しかし最近ようやく聴覚口話法だけではダメだと気づき、その音声に手話単語を付け授業をしている学校もあるようですが、この方法もろう児にとっては曖昧で不適切なアプローチなのです。しゃべっている教師は自分の声が耳に入るので、きちんと伝わっていると勘違いをしているだけで、音声日本語に手話単語をいくらつけようが、不完全な情報でしかないのです。文法が不完全な言語をいくら与えても、その意味を理解することは不可能だからです。子ども達の脳はきちんとした文法を備えた言語を望んでいるのです。ろう児にとって100%見え、文法を備えた言語が視覚言語である日本手話ということが、我が家の実践から得た事実なのです。
  1. まとめ
 結論として、ろう児である我が子が主体的に生き抜く力をつけるには、親としての大切な役割があると思います。それは、まず

  • 母語の保障
  • アイデンティティーの形成のための環境つくり
  • 子どもを丸ごと信じて任せる、待つ、そして見守る
 これらを忘れずに子育てをしていこうと思います。子どもに対する愛情は、それぞれの親がナンバーワンだし、オンリーワンという自負を持ち、家庭での実践から得たことをお伝えしていきます。子どもの成長は待ってはくれません。実際にろう児を育てた親達は「子どもたちには素晴らしい能力がある。それを発揮できなかったのは、ろうである子どもたちが悪いのではなく、ろう教育の体制・方法が悪かったのだ。」と理解しています。もちろん親達の情報不足のせいでもあります。

次に21世紀のろう教育が、一人一人のニーズに合わせた生きる力、豊かな心を育てるものであるならば、
  • バイリンガル・バイカルチュラル教育は欠かせない方法であることを訴えていきます。
 その方法を希望する多くの親子と共に、この教育が日本のろう学校で実践されるまで訴え続けていくことも親の役割だと考えます。ろう学校の先生方、親子の声に耳を傾けてください。毎日喜んで通っている子どもたちの姿を見てください。「先生、大好き!」と目の前でしゅわっている(手話を語っている)子どもの笑顔を思い出してください。一人一人の先生の少しの変化が、ろう教育全体を大きく動かす力となるでしょう。親達ももっと学び、子どもたちの訴えに目を凝らし、先生方と情報も共有し、話し合える信頼を築いていきたいと願っています。そして、我が子が大好きなろう学校を守っていきたいと思います。
「木を見て森を見ず」=「内耳を見て、ろう児を見ず」にならないよう「ろう児のことはろう者に聞け」をモットーに今後も活動を続けていきたいと思います。
  1. 【引用文献】
  • 河崎佳子(1999)「聞こえる親と聞こえない子」『聴覚障害者の心理臨床』村瀬嘉代子 編
  • 大杉豊(1999)「統合教育が筆者の自己像形成に及ぼした影響」SNEジャーナル
  • 佐藤法子(2000)「聴覚障害児を育てた親の立場から」第34回全日本ろう教育研究大会福島大会〜シンポジウム〜
  • 中野聡子(2001)「インテグレーションのリアリティー」『聾教育の脱構築』金澤貴之 編
  • 岡本みどり(2001)「インテグレーション、龍の子学園、そしてろう学校」『聾教育の脱構築』金澤貴之 編

「主体的に生きるための条件」

    〜聴覚口話法の弊害〜

  1. はじめに
 聞こえない子供を育てた母親として、若い親御さん達に是非聞いていただきたいことがあります。それは「どうか私と同じ考え違いをしないで下さい。」ということです。
 私の家族は、聞こえない娘が中学1年生の時にイギリスに行き、8年間滞在しました。その最後の2年間に私はロンドンにあるシティー大学の大学院で聾教育について勉強しました。そして聞こえない娘の育て方を間違ったことに気がついたのです。
 娘は1歳3ヶ月で先天的感音性難聴との診断を受け、「専門家」に勧められるままに、聴覚口話法の早期教育とインテグレーションという道をたどりました。親としてもそれがいいだろうと考えたのですが、それはとんでもない考え違いで、聞こえない子供にとってはよくない選択だったことがずっと後で判明したわけです。子供が成人する頃になって間違ったとわかっても、もう取り返しはつきません。
 なぜ間違ってしまったのでしょうか?それはひとことで言えば、私が聞こえる人間だからです。聞こえる人の立場からしか物事が見えていなかったからです。聞こえる人と聞こえない人とでは価値観が違います。聞こえないことに対する考え方も、言葉あるいは言語の捉え方も違います。ですから聞こえる人としての感じ方、ものの見方、考え方の枠の中にとどまっている限り、聞こえない人にとってはどうなのかということが見えてきません。聞こえない子供を理解するためには、聞こえる親がこの枠の外に一歩出る必要があります。
皆さんには是非そうして頂きたいのです。
  1. 主体的に生きるとはどういうことか
 まずテーマに沿って「聞こえない中学生・高校生が主体的に生き抜いていく力を育てるために、家庭は ..... どうすればいいか」という設問に答えたいと思います。子供が中学生や高校生になっても家庭が、つまり親が、子供のためにどうすればいいか考えなくてはいけないということは、本人が主体的に生きられないでいるということなのでしょう。でも「だから親がこうしよう」と親の側で問題解決をはかるのでは、子供の主体性を奪うことになってしまいます。そういうふうに子供扱いをするから、主体性が育たないのだとも言えます。こういうことは悪循環になりがちです。ですから「子供に主体的に生きてほしいのなら、親は子供を信じて子供に任せて、手出しをしないほうがいい。」というのが私の答です。これは私立の中学と高校で教師をしていた時の私の経験からも言えることです。
 中学生・高校生の時代は、親から精神的に自立して、仲間集団の中で社会性を身につけながら子供から大人へと一人の人間として人格を完成させていく時期です。そういう時に親が干渉すると子供の成長を妨げる結果にしかなりません。
 この時期の子供達に一番必要なのは、安心して同じ言葉で対等に語り合える友達です。けんかをすることも、仲直りをすることもできる友達です。聾学校はそういう聞こえない友達同士で集団を形成できる、かけがえのない場所なのです。ところが現状としては子供をインテグレーションで普通校に行かせる親が増えたために聾学校の生徒数が激減して、聾学校は統廃合を余儀なくされています。これは大変残念なことです。聾学校の生徒を増やすための運動なら親としてするべきかもしれません。生徒達自身が運動するなら、それこそ主体的な取り組みになるのですが …。
 イギリスでも聾学校の生徒数が減っていて、それを心配する関係者の声が、聞こえない人向けのテレビ番組で取り上げられていました。
  1. 主体的に生きられない原因は何か
 「主体的に生き抜く力を育てるために …」というテーマが設定されたのはどうしてでしょうか?それは「聞こえない子供達は主体的に生きていく力が足りない、あるいはそういう力が育ちにくい」という現状認識があるからに違いありません。では、なぜそうなるのでしょうか?その原因を突き止める必要があります。そうしないと根本的な解決にはつながらないでしょう。
 主体的に生きられない原因として次の4点を挙げることができると思います。
  1. 幼児期の母子密着が強く、それが尾を引いている。
  2. (母)親が言葉の教師であり続ける。
  3. 口話であれ手話であれ、母語を獲得することが困難。そのため、セミリンガルに陥りやすい。
  4. 話し言葉では100%理解し合えるコミュニケーションはできない。だから自信を持って行動することが難しい。
  1. 聴覚口話法との関連
 日本の聾教育は聴覚口話法を中心に進められてきました。上記の1)〜4)はそのことと密接に関連しています。どう関連しているのか、それぞれもう少し詳しく見ていきます。

  1. 母子密着

     「私がこの子に言葉を教えなければ!」と使命感に燃えていた頃は、私も家事をそっちのけにして子供にぴったりくっついて、うるさく話しかけていました。この不自然な母子密着の弊害は後になって出てきます。特に子供がひとりっ子の場合、そしてそれが男の子の場合はなおさら、問題が大きくなります。心理学でいうマザー・コンプレックスを強く植えつけてしまうからです。母親のほうも子離れをしにくくなります。こういう母子関係では子供の主体性は育ちません。
     母子密着が続くと、男の子は大人になっても精神的に自立できなくて、母親以外の女性を大人の男性として愛することがむずかしくなります。女の子の場合も、心理的な母親依存を卒業できず、無意識のうちに母親の顔色で物事を判断しているというふうになりがちです。逆に、そういう自分が嫌で過度に反発してしまうというケースも見受けます。
  1. 親が言葉の教師

     聞こえない子供の両親のうち、約90%は聞こえる親で、あとの約10%は聞こえない親だと言われています。アメリカでもイギリスでも日本でも、それが統計的な数字のようです。
     聞こえる親を持つ聞こえない子供は、言い換えれば、聞こえない子供のうち約90%は、話し言葉で親と対等になることができません。子供の発音がおかしかったり、言葉遣いが間違っていたりすれば、親はつい訂正したくなります。聞こえる子供なら「お母さんだって間違ってることあるじゃない。」とか「今はそんな言い方はしないんだよ。」とか言える時がいつかは来ます。そういう経験が子供の主体性を育てるのです。
     けれども聞こえない子供には聞こえる親に向かってそんなふうに言えるチャンスは訪れません。話し言葉をコミュニケーション手段にしている限り、親の、言葉の教師としての座は揺らぎません。
    心理的な上下関係あるいは支配関係がいつまでも続きます。
  1. 母語の獲得が困難

     聴覚口話法で育った子供達も、中学生になって学習内容が複雑になり抽象的になってくると読話が難しくなって、口話法の限界を感じ始めます。
    多くの場合、それまで自分でも否定していた手話を使わざるを得なくなります。そういう子供達は先ずここで聴覚口話法から落ちこぼれたという挫折感・屈辱感を味わうことになります。
     手話を使うようになった子供達は、口話よりも手話で話す方がずっと通じやすく、手話こそ自分の心を開放してくれる言語だと悟ります。そして「どうしてもっと早く手話を教えてくれなかったのか」と怒りを感じると言います。
     言語学では言語の習得には臨界期があると言われています。これは「言語の中核的部分の習得はある一定の期間内に行われる必要がある。その期間を外すと習得が困難になる。スタートが遅くなればなるほど困難になる。」という意味です。この臨界期は手話言語についても当てはまります。
     中学生や高校生になってから手話を覚えた子供達は、生まれた時から聾者の手話を使っている友達(ろう者の両親に日本手話で育てられたネイティブ・サイナー)の手話には到底追いつけないと
    感じます。そのことで又、挫折感を味わう羽目になります。
     聴覚口話法で育てるということは手話を使わない、使わせないということでした。子供達は手話を知らずに育ち、言語習得の臨界期を過ぎてから手話に出会うことになります。その結果どういうことになるかといいますと、口話も中途半端、手話も不十分というセミリンガルになってしまうのです。セミリンガルだということは、自由自在に使える自分の言葉、つまり母語を持っていないということです。このことはアイデンティティの問題と深く関わってきます。自分が何者なのかわからないという精神的な危機がやってきます。
    私は聞こえる世界に属しているのか? それとも聞こえない世界に属しているのか? あるいはそのどちらでもない第三の世界に属しているのか? . . . と、帰属意識がはっきりしないことに悩みます。
    そういう自分の気持をうまく説明することもできず、「誰にもわかってもらえない、私はひとりぼっちだ」と孤立感に苦しみます。
    聞こえる人は、気がついた時にはすでに日本語を母語として持っています。ですから母語を持てないでいる人の苦しみはわかりません。アイデンティティについても、ふつうはそんな問題で悩まされることはありません。悩むとしたら、国際結婚をした夫婦の子供や帰国子女と呼ばれる子供のように、「私は日本人と言えるのだろうか?」と自問したことのある人達の場合でしょう。そんなことなど考えたこともなく、考える必要もなかった人にとって、その問題で苦しんでいる人の気持は理解の範囲を超えているのです。
     聴覚口話法で育った聞こえない子供達は、成長の過程でどのような心理的ストレスを経験することになるのか、それを聞こえる親や教師はどこまで理解できるのか、ということについてみてきました。誰もが必ずこうなるとは言いませんが、大づかみな傾向としては言えることだと思います。
     子供達に「主体的に生きなさい」と言う前に、彼らが主体的に生きられるような精神状態に今あるのかどうか、まずそれを見極めることが必要ではないでしょうか?
  1. 話し言葉では100%理解するのは無理

     話し言葉をコミュニケーション手段としている限り、聞こえない人は聞こえる人に比べて不利な立場に立たされることになります。その理由は次の通りです。
    1. 相手の話を聞き取るためには緊張して全神経を集中させ、聞こえない分を読話で補わなけれ
      ばならない。負担が大きくてすぐ疲れてしまう。
    2. それでも相手の言うことが100%理解できるわけではなく、常に不明な部分やあいまいな部分が残る。そのために誤解が生じることもしばしばある。
    3. 話す時も自分の言ったことが正しく相手に伝わったのかどうか確信が持てない。常に不全感
      が残る。
    4. 会話をリードすることが難しいので、受身になりやすい。

     以上のことから、聞こえない人にとっては聞いたり話したりすることだけでも大変で、自信を持って主体的に行動するというふうにはなりにくい、ということが理解できます。
  1. おわりに
 聞こえない子供達が自己肯定感を持ち、自信と主体性を持って生きていくために必要なことは何でしょうか? そのヒントになる話があります。
 アメリカでの研究報告によると「聞こえない両親に育てられた聞こえない子供は、聞こえる両親に育てられた聞こえない子供よりも、すべての面において優れている。言語力も、学校の成績も、情緒の豊かさも、社会性も、優れている。」と言われています。これはどうしてでしょうか。
 一番大きな理由は、聞こえないことに対して親が否定的な気持を持っていないからです。子供が聞こえないまま、あるがままで認められて、無条件の愛を与えられているからです。そういう子供は自分に自信を持って伸び伸びと生きていくことができます。
 もうひとつの大きな理由は、子供が手話言語を自然に覚えて、親子で自由にコミュニケーションができるからです。子供は赤ちゃんの時から何の問題もなく手話言語を母語として自分のものにしていきます。その過程は、聞こえる子供が音声言語を自然に母語として習得していく過程と同じだと言います。このことは外国の言語学者達の研究によって明らかにされています。
 日本の聞こえない子供達が主体的に生きられないでいる原因として先に挙げた4点を思い出して下さい。あれは聴覚口話法で教育されたために生じた問題点です。子供達が手話言語つまり日本手話を母語として育てば、あの4点はすべて解消します。

「聴親がろう児にできること」

       〜バイリンガルろう教育を目指して〜

  1. はじめに
 「日本のろう教育は、欧米から20年遅れている」と言われていることを知ったときは、かなりのショックだった。もちろん、教育システムというものは一朝一夕では変わらない。しかし、なぜここまで遅れてしまったのか?聞こえない子供をもつ親としては、文部科学省や教育委員会の歩みに正直腹立たしさを覚えた。欧米では、バイリンガルろう教育というものが行われているという。しかも、そのスタートには、「親の会」が積極的に動いていたようだ。要するに、わが子の幸せを願う親たちの心が、よりよい教育と環境を作るための大きな力となっているのである。
 2000年の夏、同じ思いをもった親が集まり「親の会」を発足。当初、各方面から予想をはるかに越える激励と批判を頂き、ろう教育に対する関心の高さに驚かされた。また、賛同するかどうかは別にして理解してくれる親は多い。なぜなら、子供に対する親の願いは共通だからだ。○○法vs△△法で、親たちが二分するというのは極めてナンセンスである。互いの手法を尊重しながら力を合わせ、子供たちの未来をより良いものにして行きたいと思う。
  1. 集団から個の時代
 「10人10色」という言葉があるが、私たちの子供の聞こえこそ、まさに10色だと思う。息子の場合、音声言語の習得にはかなりの困難が予想された。わが子にとって一番良い方法は何か?親なら誰もが考える。21世紀は、「個」の時代だと言われている。一般の小学校では「個性を大切に」「子供の良いところを見つけよう」「得意なことを伸ばそう」といったプリントが配られるほどだ。私たちは、ろう児にとって得意なこととは何か?を考えた。答えは簡単明瞭「目」だ!「目は口ほどにモノを言う」と言うではないか。様々な情報を集める中で、既に欧米で実績をあげている「バイリンガル教育」に挑むことを決めた。「バイリンガルろう教育」とは、第一言語(母語)として日本手話を獲得した後、第二言語として日本語を習得するというものである。ところが、残念ながら日本のろう学校には「バイリンガル教育」を実践しているところはない。しかし、息子にとって確実な方法はこれ以外になさそうだった。
  1. 言語獲得の見本
 私には、二人の息子がいる。7歳の長男(聴児)
4歳の次男(ろう児)。この長男の言語獲得の過程が、実に良い見本となっている。特に5歳から6歳にかけて音声言語(喋り言葉)の成長には目を見張るものがあった。ろう児の次男が、これを追いかけたところで、追いつくはずがない。更に、長男の書記言語(読み書き)の獲得過程を目の当たりにすることで、音声言語と書記言語は別のものであること、喋れるからといって読み書きができるわではないことを実感した。小学1年生の長男には、学校から音読の宿題が出る。これは、書記言語と音声言語を結びつけるための訓練である。ある時期、私は「音声言語を身につけなければ、書記言語を獲得できないのではないか?」との疑問にぶつかった。しかし、長男の書記言語獲得過程を見ることでその疑問は解決した。「あ」からはじまる51音は音声言語と照らし合わせて習得することができるが、それが文章になったとき音声言語とはまったく別のものになる。それが証拠に、40年以上喋り続けている私でも、論文や資料、新聞記事など、一度読んだだけでは理解しきれないものがたくさんあるではないか。また、この原稿を書きながら書き言葉の難しさを実感している。というわけで、私たちは次男の大切な時間を音声言語の訓練に使う必要はなくなった。
  1. 手話との出会い
 北欧型の「バイリンガルろう教育」では親の手話学習が必須となっている。その代わり、学習機会が保障されているという。一方、米型の「バイリンガルろう教育」では、親の手話学習は各自の判断に任されている。もちろん、学習希望者はろう学校内で適切な指導を受けることができる。当然のことだが、日本には手話学習制度そのものがなく、私たちは独自で手話を学ぶことになった。当時、日本手話と対応手話の違いもわからないまま、とにかくろう者の家庭教師を探した。そして、わが家にやって来たのがネイティブサイナー(日本手話を母語として育った人)Iさんだった。やはり言語を学ぶにはネイティブサイナーに限る。手話がこれほどまで情緒豊かで美しいものだと知らなかった。同じ手の動きでも、眉の上げ下げやわずかなうなずきで意味がまったく違ってくる。「手話は語彙が少ない」という人がいるが、とんでもない!聴者が読み取れないだけだとわかった。日常的に使う日本語に「いいよ」という言葉があるが、これは何通りもの意味をもっている。積極的な同意を表す「いいよ」から、仕方ないけど同意するという意味の「いいよ」、拒否を意味する「いいよ」というのもある。活字だけではその意味は図りきれない。なぜなら、私たちは無意識に音の強弱や微妙なアクセント、イントネーションによって使い分けをしているからだ。手話も同じことが言えるようだ。親子の会話には、この「いいよ」と「いい」が頻繁に出てくる。まさにコミュニケーションの基本といえる言葉だと思う。「いいよ」の読み取りや使い方があいまいだったり間違えが続くと、コミュニケーションが成り立たないだけでなく、信頼関係に影響を及ぼしかねない。手話言語のおかげで、息子は2歳のときに「いいよ」の使い分けが正しいくできるようになっていた。現在、息子は4歳。彼は私の手話レベルをとっくに追い越し、確かな第一言語を獲得している。
  1. 人間形成
 息子はいま、誰とでも通じると思っている!先日、祖母と二人で買い物に行き迷子になったとき、店の人に「おばあちゃん、いないの」と手話っていたと祖母が話してくれた。これを「手話は社会で通用しない」と見るか、「臆さず伸び伸び成長している」と見るか?私は、4歳の段階では後者を尊重したい。やがては手話では通じないことに気づき、日本語の読み書きの大切さを知り、自分なりに筆談や携帯メールを使ったコミュニケーション方法を使っていけばいい。幼児期は、コミュニケーションに不安を与えるより、ストレスなく通じ合える環境を作ってやりたいと思う。その一つに、ろう児やろう者と過ごす時間というものがある。子供同士の会話は、子供社会に欠かせないものであり、子供社会は大人になるための準備として必要不可欠なものだと思う。また、大人のろう者と会うことで、私たち聴者には表現できない正しい手話言語を獲得し、社会の一員となるために必要な知識や常識を知ることになる。要するに、親の役割りの半分以上をろう社会にお願いしているわけだ。ろう者たちの積極的な援護やアドバイスがなければ、私たち親子の進む道はありえない。これには、とにかく感謝している。
 人として何が大切なのか?どんな大人になって欲しいか?私は、息子に自信と夢をもった人になって欲しい。そのためには、幼児期の安定した生活が最も大切なのではないだろうか。幸い、息子は私が思う範囲で順調に育っている。泣いている子がいれば肩を抱き、困っている子がいれば「どうしたの?」と話しかけ、可哀想な物語には涙を流す。雲を見ては「綿アメみたい」、ヒトデを見れば「お星さまみたい」とイメージを膨らませている。
  1. 好奇心/口話への興味
 手話を第一言語として育てるということに、「日本語への不安」を抱く方も多いと思う。かつて、私もその一人だった。しかし、これは息子が身をもって解決してくれている。例えば、口話について。息子には、いわゆる口話教育を行っていない。しかし、幼稚部1年の後半から、知らず知らずのうちに口形の模倣が始まった。コミュニケーションにストレスを感じない手話言語で育つと、やがて別のコミュニケーション方法に興味をもつらしい。これは、子供がある年齢でスキーやサッカー、バレエといったもの興味をもつのと同じように、音声言語への興味をもつのだそうだ。以前、NHKで放送されていた北欧のバイリンガルろう教育でも、同じことが紹介されている。私は、息子が発音訓練を希望するならそれもいいと思う。実際、ろう学校で、息子はモニターに映し出された車を誰よりも長い「あ―――」で、動かすらしい。ただし、これは息子が確かな母語(日本手話)を獲得しているからこそ言えるものである。
  1. 好奇心/文字への興味
 息子の文字に対する興味も早くからはじまった。まず、幼稚部1年の夏に、自分の名前を書きはじめた。「まだ活字を教えるのは早いだろう」と放っておくと、秋には、突然、兄の名前を書いて周囲を驚かせてくれた。さすが"目の人"である。幼稚部2年になって絵日記が始まると、日記帳の表紙に「品川ろう」と書いて、母親が目を丸くした。兄のために壁に貼った小学1年生の漢字表に興味を示し、次々と覚えていく。ろう児の日本語習得において、文字に関する教育こそ重要だと思うのだが、なぜが日本のろう教育にはその部分の研究がまったくなされていない。日本語には、「漢字」というものがある。先日、慶応大学名誉教授(言語学)のS氏とお会いしたとき、とても面白い話しを伺った。失語症の患者に「みず」という平仮名を見せても何も反応しないが「水」という漢字を見せると意味がわかるのだという。要するに、「みず」という平仮名は「み」と「ず」が連結したものにすぎず、経験則において「水であろう」と判断するわけだ。ところが、「水」という漢字そのものに意味が存在している。S氏は「英語やフランス語などアルファベットしかない書記言語に比べて、書記日本語はろう児に適した言語ではにだろうか」とアドバイスをくれた。俗に「日本語は複雑で難しい」と言われるが、他の国の言語もそれなりに複雑だったり難しかったりする。何も日本語だけが特別なのではない。なぜなら、全ての言語がその地域の文化と深い関係があるからだ。(これについては、私がここで述べるのは適切ではないと思うので省略させていただく)息子は既に複数の漢字とその意味を把握している。これらのことを合わせて考えると、最近見られる「指文字→平仮名→カタカナ及び漢字」という教え方は、実は正反対なのではないかと思う。このあたりは、一部で研究されているようなので、その結果に大きな期待を寄せている。
「何事も提示はしても教え込もうとしないことが、好奇心を育てる秘訣だ」と、ろう者から教わった。この発表の頃、息子がどんな成長を見せてくれるか楽しみである。
  1. バイリンガルろう教育
 昨年10月、わが家にカナダ人女性のろう者がやってきた。今年の8月中旬までのホームステイだ。彼女の両親も聴者。しかし、彼女はASL(アメリカ手話)による事実上のバイリンガルろう教育を受けてきた。カナダのろう学校高等部を経て、アメリカのギャローデット大学を卒業、ウエスタン・メリーランド・カレッジ(大学院)でASL(アメリカ手話)学とバイリンガルろう教育法を専攻し卒業。先月から、カナダのろう学校中学部と大学で教鞭をとっている。私たちが、バイリンガルろう教育をすすめるにあたって、日本のろう者に加え彼女との生活が大きな支えになった。「ろう児を育てるには、何が一番大切か」と、深夜までレクチャーを受けつづけた。また彼女の友人たちアメリカ人ろう者にもアドバイスをもらった。その中で、『口話訓練は、バイリンガル教育の中のカリキュラムに含まれるもの』という説明が印象的だった。聴力が軽いから口話教育を選び、聴力が重いからバイリンガルろう教育を選ぶのではなく、すべてのろう教育の基本がバイリンガル教育で、その中に発音や聴能といった時間があるのだという。聴力にかかわらず聴覚障害児が100%理解できる視覚言語(手話言語)で育てられ、授業も手話言語で進められる。これは、聴児の学習条件とまったく同じである。そして、希望があれば、子供の成長に合わせた発音指導が別途行われる。これは、理にかなった方法だと思った。日本では、一部のデフ・フリースクールでのみ実践されているが、公教育機関においても一日も早くバイリンガルろう教育が"選択肢のひとつ"になることを強く望む。
  1. おわりに
 日本では、学校と親の関係が以前とかわりつつある。ろう教育も同じことが言えると思う。学校と親が常に意見交換をして協力することが今後のろう教育をよりよいものにすると信じている。どちらか一方の思い込みだけでは、決して前には進めない。今後は、更に成人ろう者を含めた3者の協力が必要不可欠になっていくるのではないだろうか。日本では、これまで当事者不在の話し合いが行われてきた。国民不在の政治、障害者不在の福祉制度、ろう者不在のろう教育…。私は、ろう学校の教員の半数をろう教師にすることを願う。こう発言すると、すぐに「ろう教師の数が足りない」という答えが返ってくるが、それが昭和6年から続いた日本のろう教育の結果なのではないか。私たち親は、それを謙虚に受け止め新たなろう教育を目指そうではないか。私が知るろう青年たちは、日々仕事をしながら勉強を重ねている。教員免許、保育士免許、心理カウンセラー。彼らの目標は、驚くほど高い!その姿に、将来の息子を重ねることで、並々ならぬ希望が沸いてくる。できれば、息子には、彼らのように学校を卒業してから独自で勉強するのではなく、夢が実現できる学校教育を与えたい。バイリンガルろう教育を実践している諸外国のように、ろう学校高等部から大学受験が当たり前になってほしい。そして、何より"日本手話を母語とする日本人"として誇りをもって生きてほしい。
 最後に、東京都は平成13年度から、ろう学校において「それぞれの子供にあったコミュニケーションを使用する」と決めた。しかし、コミュニケーション方法が多様化しても予算が増えるわけでもなく、教員数が増えるわけでもなく、ただ現場の先生たちの負担だけが増える形になっている。息子が通うろう学校では、担任の先生をはじめ幼稚部の先生たちが日々努力をされている。ときには、指導法をめぐって意見がぶつかることもある。しかし、先生方が、常に息子の言葉(手話言語)を受け止めてくださるおかげで、息子はのびのびと情緒豊かに成長しているのだと思う。品川ろう学校幼稚部の先生方に感謝している。

「ろう児を育てる働く親の子育て」

    〜多様化する育児ニーズ〜

  1. はじめに
 近年、児童虐待や校内暴力、不登校といった子どもに関する問題が深刻化しているなかで、乳幼児期に必要な大人の側からの働きかけはどのようにすればよいか、保護者と子どもとの関係をどのように築いていけばよいのか、そして、保護者に対するケアはどのようなものが必要かといったことを現状の社会情勢を分析したうえで、しっかりと考えていく必要があります。
 ろう児も「ろう」であると同時に「子ども」であることをまず認識し、ただ単なる言語的発達ではなく、「保育」「幼児教育」双方の観点から子どもの総合的な成長・発達のための働きかけや家庭・保護者に対するケアはどのようなものが必要なのかを考えなければならないのではないでしょうか。
今回の発表でこうした内容について紹介するとともに、働く親をとりまく最近の動向をとりあげ、問題提起をさせていただきたいと考えています。
  1. 大人が考えるべき子どもの環境
  1. 幼児期における「遊び」
幼児期における「遊び」はとても重要なもので子どもの人格形成・社会性・協調性等のために必要不可欠なものです。児童心理においては(1)「幼児の生活は遊びがすべてで、遊びが知的・社会的発達を促進する。」分類としては、@機能的遊び(衝動遊び、練習遊び、実践的遊び)A想像遊び(ごっこ遊び、空想遊び、模倣遊び、役割遊び、象徴的遊び)B受容遊び(観賞遊び)C構成遊ぴ(創造遊び)D集団的遊び(きまりのある遊び)などがあり、集団性はこうした遊びの段階を経て、ひとり遊び−>傍観−>平行遊び−>集団遊びと発達していくとされています。
幼稚園教育要領のなかにも(2)「幼児の自発的な活動としての遊びは、心身の調和のとれた発達の基礎を培う重要な学習であることを考慮して、遊びを通しての指導を中心として..」とされています。また、保育所保育指針では、(2)「子どもが自発的、意欲的に関われるような環境の構成と、そこにおける子どもの主体的な活動を大切にし、乳幼児期にふさわしい体験がえられるように遊びを通して総合的に保育を行う」と述べられています。この「遊び」は法律上の文言で重要であることが述べられているだけでなく、「教育」「保育」双方の現場で重点が置かれ、日々子どもの反応を見ながら改善されてきています。


  1. 人との関わり
 人との関わりについては、幼児教育・保育両分野でほぼ同じことが述べられており、(2)「人との関わりの中で、人に対する愛情と信頼感、そして人権を大切にする心を育てるとともに、自主、協調の態度を養い、道徳性の芽生えを培うこと」とされています。こうした関係を就学前のろう児に対してどのように促していくのでしょうか。こうしたことを実現するための「手段」を身に付けるだけで終わってはいないでしょうか。あるいは、人に対して発信(発声)することにこだわりすぎていないでしょうか。今一度点検してみる必要があります。


  1. ろう児が対等に対話できる環境整備
 「社会性」「協調性」「順応性」を養うため、少しでも多くの子どもがいる地域の幼稚園・学校に通わせる場合があります。そうした環境で育った多くの子どものその後の姿を見つめてこられた臨床心理士 鳥越隆士氏が体験された小学三年生の実例を紹介します。(3)『相談室に入ると次から次へとそういうお話(カラスが群れて何かをつっついていたなど)をします。いっぱい話したいことがあるのですね。でも発音が少しわかりづらくなっていますので、話を聞いていてわからないこともあります。そういう時は「ちょっと待って。今のはわからないから、もう一度言って」と聞き直します。でもこれが通じないのです。とにかく自分の言いたいことを一方的に話すだけで、相手がわかろうがわかるまいが一向に気にしません。またひととおり話を聞いて、今度はこちらが話そうとしても、...それも受け付けることができません。これでは対話になりません..。問題はやはりコミュニケーションです。日本語という言語はそれなりにもっているのですが、そして自分の体験を言語化することは何とかできるのですが、それを相手と共有することができない。...もっている言語力、日本語の力がコミュニケーションに生かせていないのです』「このような対話の中で子どもたちは体験を共有し、新しい意味を創造し、そして生きたことばを学んでいく。子どもたちのことばの学びを考えていくと、このような対話が生まれる環境を大人たちは作っていかなくてはいけないのではないかと思っています。そして、それには口話だけではなかなかうまくいかない。どうしても手話が必要になってくる。」


  1. ろう学校の重要性
 いかに子どもの数が多くても、ろう児が聞こえる子どもたちの中に長い期間にわたって入れられた場合、先に鳥越氏が述べていたような人格形成上の重大な問題が発生してしまう場合が多くあります。そうした一方的な関係になってしまうことを避け、友達同士が対等な立場で自由に語り、遊び、意見をぶつけ合うことができるためには、聞こえない子どもたちが集まるろう学校に通う以外に有効な手段はないのではないでしょうか。そのなかで例え口話教育がなされていたとしても、子ども同士は自由に手話で語り合い、ぶつかりあいながらお互いを尊重する人間へと成長していくことができるのではないかと思います。
  1. 保護者に対するケア
  1. 過去のろう教育における母親の役割
 一昔前まで、ろう教育のなかで「母親法」とい方法が理想的な美しい方法として紹介されていました。これは母親がろう児に対してあらゆることに対して語りかけを行い、「愛情」という名を借りながら大変な時間を費やして言葉を教えるといったものでした。こうした方法は諸外国にも存在したものですが、既にバイリンガル教育を20年にわたって実践してきているスウェーデンの親たちの声を上記著書のなかでこのように記しています。(3)『バイリンガルろう教育になって、「教師はやはり教師、親はやはり親、子どもたちはやはり子ども。そこに立ちかえったのではないか」という声もよく聞きました。過去のろう教育では、親が最良の教師だということで、親の役割ではなく教師のような役割を担わされていました。教師は教科指導よりも言語指導ばかりをしていました。子どもにはいつも訓練や宿題が与えられ、子どもらしい生活ができませんでした。しかし、手話を導入することによって、あるいはバイリンガル教育に移行することによって、教師は教師としての役割を果たし、親は親としての役割を果たし、子どもは子どもとして生活できるようになったというのです。』また、目白学園短期大学教授の中野由美子氏は著書のなかで、(4)「...母親が一人で熱心に育てればいい子になると思い込むのである。実は、これは極めて危険なことである。子どもが母親一人の影響を過剰に受けることは、母子の癒着を生みやすく、母親の心理的負担を増し、母親から子どもへの過剰教育につながりやすいからである。」と書いています。子育ての負担を母親に押し付けてきたこれまでの育児から子どもの成長を地域社会全体で支えていく社会へとの変革が求められているのです。


  1. 多様化した子育てニーズ
 日本における合計特殊出生率はこの30年ほとんど減る一方で、平成13年現在で1.33人になっています。しかし、働く親が子どもを預ける保育園での児童受け入れ数はここ数年増加傾向にあり、2000年現在で179万人に達しています。(5)こうした社会変化にともない、厚生労働省は「仕事と子育ての両立支援策に関する専門調査会」がこの4月に中間報告を出し、〈1〉職場の意識や制度の改革〈2〉保育所の待機児童をなくす「ゼロ作戦」の実施〈3〉多様で良質な保育サービスの供給〈4〉必要とする全地域での学童保育推進〈5〉地域での子育て支援、等を掲げました。(6)
また、文部科学省も例外ではなく、(7)「幼児教育の振興に関する調査研究協力者会合」、「幼児教育振興プログラム」のなかで、これまでの4時間のみ預かっていたのを保育所並みに預かる「預かり保育」の推進をうたってきました。実際幼稚園における預かり保育の実施率は1987年に17%、1993年に30%だったのが、2000年には48.7%にまで広がってきています。(5)


  1. 働く親への不理解
 最近では少なくなりましたが、いまだに子どものいる親、特に母親が働くことに対して「育児放棄」だとか、「無責任」などという「根拠のない中傷」をされる方がおられます。恵泉女学園教授大日向雅美氏の雑誌への掲載のなかで、(8)「アメリカの大規模な調査研究でも、おかあさんが働いている場合でも、職場が家庭と仕事の両立を支援し、家族の協力があり、保育環境が整っているとき、むしろ専業主婦家庭のこどもよりよい発達をとげているという結果も報告されています。女性が専業主婦としての生き方を選ぶのは自由ですが、だからといって働いている女性を根拠なく批判することはできません。」と述べておられます。


  1. ろう児をもつ働く親の選択肢
 ろう児にとってろう学校がなによりも必要な場であることは述べました。しかし、多くの場合母子通園が義務とされているろう学校において、働く親がどのように子どもを育てていけばよいのかという問題はとても重大なことがらです。ろう学校幼稚部に入る前までは(障害のある子どもは拒否される場合も多々ありますが)保育園に預けることで何とかなりますが、幼稚部になってからが大変です。
一番の理想は幼稚部を幼稚園の一種ととらえ、文部科学省が推進しようとしている「預かり保育」の形で親の就労時間内は預かるというシステムではないかと考えています。しかし、現在の幼稚部の授業が@午前中9時以降からの開始、A午後1時〜2時で終わり、B夏休みや冬休みなど学校が休みのときは終日休みといった問題が多々あり、すぐに実現できるようにも思えません。
実現性の高いものとしてあげるなら、保育園との二重保育ではないでしょうか。保育園では長期休みもなく終日子どもを預かる体制は整っているわけですから、保育園とろう学校との送り迎えさえ制度的に整えば親はそれまで通り保育園に子どもを連れて行くことで、幼稚部へ通学させることができ、仕事を続けることができるはずです。
  1. おわりに
 ろう児をとりまく環境は、社会全体の障害に対する捉え方の変化や障害のある子どもの親たちの意識が変わることにより少しずつ変化してきています。そしてそのうねりは日々大きくなり、確実に広がっています。最後に花園大学教授で心理学者の浜田寿美男氏の一文を紹介してこの原稿をしめくくりたいと思います。
「障害を単に治療や訓練、教育の対象にする姿勢を横において、それを彼らの生きるかたちとして見ることが必要です。というのも、治療や訓練、教育も一種の異文化接触ですが、どちらかと言えば一方的で、貧しい異文化接触になりがちだからです。じっさい、障害を治療するとか克服するという見方は、この文化の視点からしたとき、障害をもたない人たちが、障害をもつ人たちの生きるかたちを、強引に自分たちの側に引き寄せ、同化させようとするにひとしいものになりかねません。」(9)
  1. 参考文献
(1)保育士[資格・採用試験]  彰栄保育福祉専門学校講師 林 幸範 編著 成美堂出版
(2)解説 教育六法 2002 三省堂
(3)手話・ことば・ろう教育   心理学博士・臨床心理士 鳥越 隆士
     全日本ろうあ連盟日本手話研究所
(4)21世紀の親子支援 保育者へのメッセージ
           目白学園女子短期大学教授
                    中野 由美子
           日立家庭教育研究所主幹研究員
                    土谷 みち子
                       ブレーン出版
(5)保育白書 2001 全国保育団体連絡会 保育研究所
(6)2002年4月4日読売新聞
(7)2002年3月29日読売新聞
(8)ちいさい おおきい よわい・つよい 毛利子来・山田真 編集代表 ジャパンマシニスト
(9)ありのままを生きる 障害と子ども世界 浜田寿美男 岩波書店

【その他参考・紹介書籍】
  • 第35回全日本聾教育研究大会 福井大会 保護者の会 事後収録
  • しょうがい児の母親もバリアフリー 働いて、ふつうに暮らしたい 西浜優子 自然食通信社
  • 聴覚障害者の心理臨床 村瀬嘉代子 編 日本評論社
  • もうひとつの手話 ろう者の豊かな世界 斎藤 道雄 晶文社
  • 聾教育の脱構築 金澤 貴之 編者  明石書店
  • ヘンテコおばさんと子どもたち 黒岩 秩子 教育史料出版会
  • 手話讃美 手話を守り抜いた高橋潔の信念 川渕 依子 編者 サンライズ出版
  • 聾教育問題史  ― 歴史に学ぶ ― 上野 益雄  日本図書センター


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