[レポート集]

様々な文献や発表原稿などを掲載いたします。

「第35回 全日本聾教育研究大会 保護者の会」 報告書


 日時:2001年 9月27日(木)

 場所:福井県 福井市文化会館

 発表内容:

  (1)「豊かな心・生きる力をはぐくむ」 〜親の心理が子どもにどう影響を及ぼすか〜

  (2)「父親と子供のコミュニケーション」〜息子よ、心豊かなろうになれ〜

  (3)「ワーキングマザーとしてのろう児の子育て」


 講評:
   全体のまとめ(事後収録より)    ろう学校教諭 今西氏

「豊かな心・生きる力をはぐくむ」

    〜親の心理が子どもにどう影響を及ぼすか〜

  はじめに

 子どもたちの豊かな心と生きる力をはぐくむために、親達は何をすればよいのか。また親の心理的な作用が、子どもたちにどんな影響をもたらしているのか。これらについて、その経験や〔親の会〕での聞き取り調査などから、その一端を明らかにしていきたい。毎日生活を共にしている親、また子どもたちの生の声から、いまろう学校に望んでいることを述べてみたい。

  1.告知から受ける親のダメージ

 まず医療機関、ろう教育機関で行われている告知や、親への支援方法に疑問を感じている。その告知のほとんどが「残念ながら耳が聞こえません補聴器や人工内耳をつけて訓練すれば、しゃべられるようになります」というものである。さらに
などもよく言われることだ。  

 これら一連の説明で、親は〔聞こえない事〕つまり〔ろう〕を否定的に捉え、音声言語だけが、人間の言語だと思い違いをすることが多い。告知後の親の気持ちを聞くと

「目の前の我が子がかわいいと思えなくなった」
「何を言っても通じないんだと悲しくなった」
「将来の姿が分からず不安でいっぱいになった」
「聞こえる子が羨ましい、なぜうちの子だけが」
「人生を怨み、笑うことさえ忘れていた」
「これからは私が教えなければと、すべてを一人で抱え込み、つぶれる寸前だった」

などここから出発する親の心理は、すべてマイナスのイメージでしかない。そして不安ばかりが先行し固まっている。子どもも自分が一番大好きな親から受け入れられていないことが分かる。この期間が長ければ長いほど、親子の心理に影響を及ぼし、子どもの生きる力、豊かな心の形成を阻むものになりやすい。〔ろう〕を否定的に捉えることは〔ろうとしてこの世に生を受けたわが子〕を否定することにつながる。何十年も続いているこの悪しき告知方法を何とか変える手だてはないものか。そこで医療機関、ろう教育機関全般にわたる視点の相違に着目してみた。    

  2.視点の拡大

 医師、専門家は『科学、専門性』と『心』を切り離してしまっているのではないか。これについては耳鼻科に限らず、いろいろな分野で問題とされているようだ。【資料1医学会からの報告】医の原点である一番の目的は救命であるが、その救命には生物学的、量的な命を救う局面と、その人のクオリティー・オブ・ライフ=生命、生活の質を救う面とがあるそうだ。つまり現代医学は患部だけを見つめたり、その細胞組織を突き詰めDNAにたどり着く医療といった『科学、専門性』のみ突き進み、人間とは何かという『ホリスティック』(全体論的)な発想からくる『心』の医療が見落とされている。これをあてはめれば現状の告知は聞こえないことを人間の一部としてどう捉えるかろう児、ろう者はどう生きていくかといった実態にまで及んではいない。内耳という部分だけを、『科学、専門性』の観点から述べているに過ぎない。確かにそれも必要だがそれだけで終わっている方法には問題がある。例えば告知と同時にろう者を紹介し、ロールモデルに会わせることで未来を展望させるなど、親の気持ちが前向きになるような告知が必要ではないかと考える。医師、専門家に望むことは、〔ろう〕として暮らしていく人々のことをもう少し知って頂きたい。そして同時に親の心理をケアーするカウンセリングなども必要性ではないだろうか。あらゆる視点の拡大のためにも、ろう者に協力を求めたらいかがであろうか。

  3.豊かな心と生きる力に必要なもの

 医師、専門家に限らず、親も視点を拡大する必要があるのではないか。子どもを障害者というより、ひとりの人間として捉え、その人間というものの全体性を見た場合(ホールネス)、発想の転換が図られる。親達も耳だけに捕らわれ言葉の習得を子どもの目標と考えていなかっただろうか。もっと視点を広げてみた場合ひとりの人間として人格を完成し、社会の中で真理を見極め、健康で自立した人間になって欲しい。それがつまり豊かな心と生きる力を得るということではないだろうか。人間が家庭や社会の中で他者と関わりながら人格を形成し、人間性をはぐくみ、豊かな心の成長を遂げるには、言語(母語)、文化、コミュニティーは不可欠なものだ。これらを基盤として成り立っていると言っても過言ではない。ではろう児にとっての言語、文化、コミュニティーはいったいどんなものかをさらに視点を拡大して考えてみたい。
  1. 子どもの言語(母語)に関して世界の言語学者の説を引用すれば、子どもに入る情報が個別言語として一つひとつ確実であれば、その脳内にある言語能力によって、自然言語を生み出していくそうだ。言語(母語)は、教えるものではなく自然に習得できるものであるという。そこから考えると聴覚口話法はいつも曖昧で不透明な個別言語しか入らない。だから能力も生かしきれずに母語さえも持ち得ないセミリンガルになってしまうのは、ある意味当然とも言える。ろう児が人間として本来持っている能力を100%生かし、それが自然言語の文法を備えているものは何かと考えた時、当然のように視覚言語の『日本手話』にたどり着く。
  2. ろう者と一緒にいると、様々な場面で聴者と違うなぁと感じる場面に遭遇する。良い、悪いという次元ではなく、行動様式の違いなのだと強く感じる。これは日本手話という共通言語をもつ人々が必要に応じて生みだし受け継いできた文化であろう。聴者とくらべて少数者としての彼等の文化はとても貴重に思う。アイヌ文化を保護するように、『ろう文化』も保護、継承する必要があるのではないかと。そう考えると、ろうとしてこの世に生を受けた子ども1人ひとりが、その担い手として重要な役目を担っていることに気づく。
  3. 『日本手話』『ろう文化』を基盤とした文化的集団として確立していれば、目的によって様々な『コミュニティー』を形成することができると思う。例えば全国的な規模で、ろう者への理解を深める活動を目的としたコミュニティーは就職、政治活動、ろう者が関与する学校、福祉機関などの改善を求める字幕や手話通訳の必要性、聴者と同等の情報保障、手話やろうの歴史への社会的認知、欠格条項の改正などが含まれるであろう。
 言語(母語)、文化を習得していればその文化集団内において、他の人間のすべての文化と同じように個人の基本的欲求は満たされる(モノリンガル、モノカルチャー)。それが確立されることによりバイリンガル、バイカルチャーへと発展できると考える。さらには、己(ろう者)を知ることで相手(聴者)が見えてくる。その違いを見つめ、それがきっかけで精神を高めることもできる。そこから異文化との真の交流が始まるであろう。そんな大袈裟に言わないまでも、90%は聴親の元に生まれ、幼いときから聴文化にさらされているし、文字の日本語もあちこちあふれている。子どもたちは、もうとっくにその基盤を持っている。
 ろうとして生まれた自分を慈しみ、無条件で愛してくれる親を持ち、聴者の大勢いるこの日本で生きていく。ろう者として誇りを持ちながら、自分らしく生き抜くために『日本手話』『ろう文化』『デフコミュニティー』は欠かせないものであると考える。その基礎を作る場所こそがろう学校の役割ではないだろうか。

  4.その実践と成果の一部

 私はいままで、以上のような情報を知らずに、ろうの娘を聴覚口話法で育ててきた。2年前より新しい方法を取り入れ、同時にインテグレーションをやめ、バイリンガル、バイカルチャーを実践している。ろう児のためのフリースクールに通い親も日本手話を勉強中。この2年間の娘の変化に驚き、喜んでいる。 [ビデオ資料1][プリント資料1]

  5.ろう学校に望むこと

 家庭内で聴覚口話法、キュードスピーチ、手話単語を取り入れた会話などいろいろと実践してきたが、やはりろう児の母語は『日本手話』なのだとつくづく思う。今ろう教育界は混沌とし、変わる兆しを見せてはいるが、本人や親が望んでいる方向に進もうとしているだろうか。もう一度、親、本人、教師とで原点に戻って話し合う必要を強く感じている。ろう児が人間として必要な言語は『日本手話』であり、それを共通言語として生活できる学校、その上で個人のニーズに合わせて、口話、聴覚口話、発音の誘導にキュードなどを選択できる環境が望まれる。バイリンガル教育を望む親子の選択肢も作っていただきたい。ろう児の教育には、聴者の教師とろう者の教師が絶対に必要な事をご理解いただきたい。そのためには、ろう者教員を採用できる制度確立に向けての努力を惜しまない。親も手話を覚え、子どもが大きくなっても、いろいろなことを話し合いたい。

  おわりに

 我々はろう児と共に生活し、さらに自立するまでの長期間、継続して接することができる。つまり様々な側面からろう児を捉えることができる重要な実践者の1人であると思っている。過去の過ちや、足らない部分を補いながらその教訓を生かしてきた。学校などと違い体制に縛られない分、良かれと思ったことはすぐに実践できるメリットもある。なにより子どもの成長は待ってはくれないので、やるしかないのだ。今後もこのような我々の試行錯誤を医療機関、教育機関の助言を頂きながら『子どもたちの豊かな心、生きる力をはぐくむために』何が必要かを、一緒に探りたいと思っている。医療機関、教育機関、親そして本人が対等な立場で情報を交換しながら、討論できる関係を作っていくことが今後の課題ではないだろうか。

  【参考資料】


「父親と子供のコニュニケーション」    

     〜息子よ、心豊かなろうになれ〜

  1 .はじめに

 数年前、厚生省が「子育てをしない男は夫とは呼ばない」というポスターを作ったとき、私は「現実離れしたタイトルだ」と思った。しかし、その後、幼い次男の耳が聞こえないとわかり、父親としての役割をいま一度考えさせられることになった。精神的ダメージを受けている妻と聴の長男、ろうの次男。家族の現実と将来を同時に考えながら進むべき道を模索する。父親に何ができるのか?何をするべきなのか?そして、両親ろうの父親から学んだこととは。試行錯誤の1 年半、聞こえない息子との楽しい関係を獲得した経験から、21 世紀型の父親とろう児のかかわり方を提案する。

  2 .次男がろうとわかって

 次男は3 歳、幼稚部1 年になった。私と妻、6歳の兄はいずれも聴者。次男がろうとわかった頃、なぜ、あそこまで落ち込んでいたのか?今、考えるとそれは極端な情報不足が大きな原因ではないかと思う。まず、聞こえる人間が「聞こえない」ということを正しく理解できず、勝手に不幸と思い込む。本当に「聞こえない」というだけで人は不幸になるのか?泣きくずれる母親を横目に私は情報集めに走った。

 残念ながら、現在の日本の教育現場は情報公開が習慣化されていない。特に、ろう教育にいたってはある特定の教育方法以外はほとんどクローズされていると言っても過言ではない。幸い、この年は日本の一般家庭にITが普及し始めた年であり、短い時間でろう教育の歴史から現在の教育方法の問題点、海外の様子、今後の展開など、病院や学校、訓練センターでは今まで知り得ない情報まで手に入れることができた。

 そして、メールや掲示板による情報収集や相談についても積極的に行い講演会などにも参加していろんな人と出会うことができた。一部で「日本のろう教育が転換期に来た」と言われているが、もし、ろう教育の流れが変わり始めたのだとしたらIT によるところが大きいのではないかと思う。次にやっとの思いで手に入れた情報をどう読むか?これが重要になってくる。その前に、ここでデフファミリーとの出会いから得られたことを紹介したい。私の家から自転車で10 分ほどの所に住む同じ年頃の男児がいるデフファミリーと知り合った。彼らは何不自由なく生活し、手話という言語を使って家族間のコミニュケーションを行っている。公園で遊ぶろうの父と息子のやりとり。それは聴となんら変わらない光景だった。そこで私はようやく息子の将来をイメージすることができた。更に青年ろう者と会うことで息子の明るい未来も想像できるようになった。

 さて、情報の分析に話しを戻す。みなさんは「9歳の壁」という言葉を知っていると思う。簡単に言うと一次的言葉から二次的ことばへ移行する時期が9 歳頃というものだが、この「9 歳の壁」こそが現在のろう教育における課題だという。ということは、現在のろう教育では「9 歳の壁」を超えられる者が少ない。ほとんどの者は二次的言葉への移行が難しく9 歳レベルの日本語の読み書きで終わるという意味ではないか!これにはかなりショックを受けた。この壁を乗り越えられる的確な方法はないのか?その時目についたのがすでに20 年前から北欧で実施されているバイリンガル教育だった。今までの手法で9 歳の壁を越えられないなら新しい方法を試みる価値は十分にある。そして私たちはデフファミリーやろう者の力を借りながら息子の母語(第一言語)としてろう者が使う日本手話を選んだ。
 現在、息子は同年齢の聴児とほぼ同レベルの会話をこなす。言語は教え込むものではない。聴児が家族の会話を聞いて音声言語を自然に身につけるように、息子は家族や友達、他のろう者の手話会話を見て手話言語(日本手話)を自然に身につけてきた。教える言葉には限りがあるが、自然に獲得する言葉は爆発的に増えていく。もちろん家族が手話で話す。たとえ聴親の使う手話などレベルは知れているだろうが、聞こえない子供は親以上に言語獲得能力があるから読みとってくれるのである。それ以外に聞こえない子供同士の交流や成人ろう者と交流する機会を設けることが、とても重要になってくる。

  3 .父親とのコミュニケーション

 私は会社の帰りにお酒を飲みながら、ろう者と交流し手話を教わっている。最初は、ろう者の中に身を置くこと、外国に行っているようで不安だったが、息子はいつもこの状況なのである。事情を説明するとご自身の経験談などいろいろと話してくれた。中でも聴親をもつ場合、親は手話を使わない。ほとんどの場合、母親とは何とか通じるが父親とは全く通じず、ほとんど話したことがないという。これには本当にショックだった。
 我が家は共働きだが、子育てはどうしても母親に依存してしまう。当然、一緒にいる時間が長い分、母子のコミュニケーションは豊かになり、父子の関係は希薄になっていく。そこで、いくつかのルールを決めてみた。例えば、息子が大好きな10 円ガムを売っているコンビニにはお父さんと一緒に行く。公園で釣ってきたザリガニの水槽の水はお父さんと一緒に換える。そして、お父さんは怒ると怖い!要するに時間ではなくインパクトで勝負!という作戦だ。その会話の内容をいくつか紹介する。

(1 )コンビニでのお買い物
 時々、次男と近所のコンビニに買い物に行く。
<家で>
 父:買い物でも行くか?コンビニ
 子:うん、一緒に行く。ぼくはガチャガチャ回 すガムと飲み物が欲しい
<八百屋さんの前で>
 父:あっおじさんだよ。あそこ
 子:やあ(こんにちは)
 店のおじさん:(にこにこ顔で手を振る)
<お肉屋の前で>
 子:牛肉、豚肉、鶏肉・・・
 父:そうそう、肉、食べたいのか?
 子:今度ね!今は我慢。コンビニ行く
<コンビニ> (ガチャガチャ回す10 円ガムの前で)
 子:お金2 つちょうだい
 父:えっ、なんで?1 つだけだよ
 子:お兄ちゃんの分だよ!
 父:わかった。ちょっとまってて
<レジで>
 父:○○○円(お金を払う)
 店員:(声:ありがとうございました)
 父:あれ?(子に視線だけ)
 子:ありがとう、バイバイ
 店員:(にこにこ顔で手を振る)

(2 )その他についてはVTR で紹介

  4 .最後に

 私たちは今「北欧型バイリンガル教育」という選択肢を求めている。長い間、聞こえのレベルがちがう子供たちが全て同じ方法で教育されてきたことは、極めてナンセンスだと思う。先日、東海のサークル、“デフスピリッツ”が作ったビデオ「21 世紀の夢」を観賞した。彼らのメッセージの通り21 世紀がろう児たちにとって、平等に生きられる社会であってほしい。そして私は息子が大きくなって悩み事にぶつかったとき、朝までとことん話しができる「オヤジ」を目指す。聴親が日本手話を学ぶことは「至難の技」といわれるが、息子と会話ができる素晴らしい「言語」である。

 息子よ、心豊かなろうになれ。

「ワーキングマザーとしてのろう児の子育て」

  1.はじめに

 ろう児が生まれた職業をもつ母親は、仕事を辞めて子どもの教育に専念せざるを得ないのが今までの日本の実情でした。しかし、15歳以上の結婚している女性の雇用者率(自営業主等を除く)は昭和30年においては8.1%だったのが、平成10年には36.8%にまで増加しており、保育園入園待機児童数は約33,000人(平成13年4月現在)、延長保育実施保育所数は昭和58年比13.8倍の2,830ヶ所(平成8年現在)というデータからもわかるように、女性の社会進出、特に働く母親の数は増加しつづけています。これだけ多くの母親が仕事を持っているなか、子どもが障害児であるという違いだけで、猛烈な要求を付きつけるというのは、障害児をもつ家族を支える社会システムが未熟なためであると考えます。そこでワーキングマザーがろう児を育てる上での問題点とこれからの改善策を提案したいと思います。


  2.子どもがろうと分かって

 我が家には現在6歳、4歳、2歳の3人の子どもがいます。それぞれの妊娠・出産に際し、その都度会社の育児休業制度を活用してきました。3人目の息子がろうであると分かったとき、「もしかしたら復職できないのではないか」という漠然とした不安に陥りました。実はそれは、障害児を持つワーキングマザーに会ったことがなかったためでした。そのとき「障害児をもった働く女性はいったいどうしているのだろう??」という疑問が沸いてきました。その後インターネットや地元の市民団体を通していろいろと調べた結果、障害児をもつワーキングマザーのための全国的なネットワークの存在や、障害児保育を拒否されたために訴訟問題にまで発展しているケースもあるということを知り、障害児をもつ家庭の多くが「その子の誕生」によってではなく、「社会システムの未熟さ」から悩み苦しんでいるということが分かりました。その時はっきりしたのは、自分自身が今苦しんでいることは実は日本全国の障害児をもつ親たちの悩みであり、これから生まれる障害をもった素晴らしい子どもの親たちのためにも、改善していかなくてはいけないことであるということでした。

  3.育児休業を終えて保育園入園へ

  1. 三歳児神話
     一昔前までは、「三歳になるまでは母親の愛情が必要」という考え方が横行していました。これは、『三歳児神話』と言われるほど根拠のない「神話」の一種であり、参考となる文献としてあえていうなら、Bowlbyの愛着理論、母性愛の喪失理論(Bowlby著,maternal care and mental health,WHO 1951)ではないかと思います。このなかでBowldyは「乳幼児の健全な発達には家庭における母親の愛情が不可欠であり、これが失われた場合は心身の発達に対する重大な障害と治癒しがたい人格障害を来たす」と書いています。しかし、その後この古典的な見解を修正する報告が欧米でなされるようになるに至り、Bowlby自身も「母親による愛情」としていたのを「よく面倒をみ、応答的な人つまり、主たる愛着的対象人物」と見解を修正しています。日本においても2000年度保育白書の第1章1節のなかで大日向雅美氏は『(科学を武装した母性愛神話は〜)まさに巧妙に仕掛けられた罠であり、それを解きほぐすためには、育児に悩み困難をきたしている母親たちの声に率直に耳を傾け、母親たちが置かれている生活実態を直視する必要がある。こうした手順を省くならば、今の時代に則した新たな子育ての理念づくりの作業を進めることは極めて難しいであろう。今求められている子育ての新たな理念とは、従来の母性観のように女性にだけ過剰な負担を課すものではなく、子育てが女性にとっても男性にとっても、人生を豊かなものとする理念から成り立つものでなければならない。こうした理念が達成されれば、子どもの健やかな成長に資することは疑いなく、現代家庭が抱えている問題の解決に繋がるのは確かと考える』と書いています。これらのことからもわかるように、保育分野においては既に三歳児神話は古典的思想の一部でしかないのです。
  2. 行政への働きかけ
     育児休業が終わりを迎える数ヶ月前に子どもがろうであることがわかりました。既に保育園入園申請を行ない、承諾待ち状態でしたので、念のためという意味で行政に対して障害についての報告を行ないました。その後何度か面接を行ないましたが、息子の入園については何の疑いももっていませんでした。ところが、復職を1ヶ月前に控えたある日、息子の保育園入園不承諾通知が送られてきたのです。その通知を夫と見たときあまりのショックにしばらく言葉を交わすことができませんでした。復職のためのすべての手続きを終え、職場ではすべての準備を整えていただいておりましたので、これから何をどうしていったらよいのか途方に暮れてしまいました。休みをはさんだ月曜日に会社を休んだ夫とともに、入園不承諾の理由を聞きに行政を訪れました。親の就労条件等は最高点に近い点数である上に、当該保育園にはまだ空きがあることを知り愕然としました。要するに息子の障害が理由で保育園入園が認められなかったのです。
     しかしその後、地元のろう協や聴覚障害者団体から陳情を出していただいたり、インターネットを通して知り合ったたくさんの方が自ら陳情メールを行政に対して出してくださるなどたくさんの方々からの暖かい支援をいただきました。最終的には地元の市民団体が交渉のためにあいだに入ってくださり、入園不承諾の撤回及び第2希望保育園への入園を認められ、その数ヶ月後に希望保育園への転園という形で息子の保育園入園を実現することができました。  


  4.保育園生活と理想的なろう児教育

 共働きの我が家にとって保育園以外に選択の余地がなかったため、育児休業後子どもを保育園に預けたわけですが、書籍やインターネットでろう教育について調べるなかで、「ろう者にとっての手話の重要性」を知りました。また、そうした資料だけでなく、たくさんのろう者に会って話しを伺うことにより、口話教育という中にあっても友達と手話という言語で会話ができるろう学校の大切さを知ることができました。

 しかし、そこでひとつの大きな壁にぶつかりました。子どもを預けている保育園の保育士の方に手話を覚えていただくということはある程度できることなのかもしれません。しかし、同世代の子どもすべてが対等な立場で手話を使って会話できるという乳幼児期のろう児にとって最も必要な手話環境を保育園という場で実現することはまず不可能だということに気づいたのです。

 ろう児特に乳幼児期のろう児にとってろう学校でのろう児同士の手話でのコミュニケーションがとても重要です。もし実現性を無視して共働き家庭のろう児の保育(親の就業時間内すべての保育)で理想的な方法を考えるとするなら、満1歳以上のろう児たちを共に保育することのできる場をろう学校のなかにつくり、成人ろう者が保育士としてろう児の保育を行うことではないかと思います。しかしこれを実現するためには厚生労働省と文部科学省の枠を超えた施策を検討する必要がありますし、ろう者が保育士の資格をとることができるように、隠された欠格条項(現行の試験ではピアノ実技等がある)の改正も必要になってきます。ただ、ろう学校の幼稚部を幼稚園の一つとして捉えることができるのならば、ろう者教員が幼稚部で教え、公立・私立幼稚園の約48.7%(平成12年6月現在)が行なっている「預かり保育」という形で親の就労時間内の保育が制度的にも実現できることになります。

  5.ろう児を育てるワーキングマザーの課題

 仕事を持つ母親がろう児をろう学校に預けるにはいったいどうしたらよいのでしょうか。それにはクリアしなければならないいくつもの課題があります。@ろう学校の地理的問題(遠隔地への通学が必要な場合がある)、Aろう学校での母親付き添い義務の改善(ろう学校によっては改善されてきている)、B開始時間の問題(保育園の場合7時頃から預けられるがろう学校幼稚部の場合9時〜10時開始)、C終了時間の問題(保育園の場合通常で18時頃まで、また、社会的なニーズの拡大から延長保育で20時程度まで可能になっているが、ろう学校幼稚部の場合13時〜15時には終わってしまう)、D小学部に進んだ際の学童保育の問題(放課後子どもを預ける場がない)、E短時間勤務など特別な就労形態の実現、F親の手話習得支援策、これらはどれも非常に大きな課題で、簡単に実現できるものではありませんが、ろう児をもつワーキングマザーである私たち一人ひとりが課題を明確にして声を出しつづけることが大切ではないでしょうか。

  6.改善のための提案

 ろう児をもつワーキングマザーの大きな二つの課題である、@ろう児の成長保障、A親の就労保障を今の枠組の中で実現するためのいくつかの提案をしたいと思います。

 一つ目は「保育園とろう学校との連携」です。親の就労時間内は保育園は開いているはずですから、ろう学校への送り迎えさえ可能になれば、保育園に子どもを預けて保育園からろう学校への送り迎えを別途ヘルパー等によって実施し、親は保育園で子どもを受け取ればよいのではないかと考えます。こういった方法は別の障害を持った子どもについては既に実践しているところもあるので、検討の余地はあるのではないかと思います。

 二つ目は「親の就労形態変更」です。企業によっては介護休業制度を導入しているところがあります。これを利用して、ろう学校幼稚部の間仕事を休業してろう学校に親が通うという方法です。2001年2月に厚生労働省によって「育児・介護休業等に関する法律」の改正案が発表され、「育児休業や介護休業の申し出や取得を理由とする不利益な取扱いの禁止」が盛り込まれましたので、今後介護休業をとって障害児を育てる家庭が増えてくると予想されます。私の会社にも同様の制度があり、先日問い合わせたところ、「先天性障害者は要介護者として本制度の適応範囲になっておりますので、利用に関しては何ら問題はありません」という返答をいただきました。ただ、現状の制度ではほとんどの企業で最長1年間しか取得することができないため、介護休業制度の期間延長や、介護のための短時間勤務制度の弾力的な運用が必要ではないかと思います。

 三つ目は「成人ろう者との交流」です。これは「ろう児の成長保障」のひとつとして提案するもので、将来的にはろう者教員を採用していくのが望ましいと思うのですが、すべてのろう学校で今すぐそれを実現するというのは難しいことですので、特別講師として成人ろう者を迎える。あるいは放課後の時間に成人ろう者を招いて交流を促進することにより、自然に手話を使うことができ子ども自身がろう者の中から自分の将来像を見出すことができるようにすればよいのではと考えます。


  7.まとめ

 ワーキングマザーを取り巻く現状は年々改善されきています。しかしろう児の働く母親に属する人が少なく、直接的に訴える方が少ないため改善されるところまで至っていません。今後他の障害をもつワーキングマザーとも協力して日本全体の障害児をもつワーキングマザーの環境改善に貢献していきたいと考えています。

  8.参考文献

『2000保育白書』 全国保育団体連絡会他
『最新保育資料集2001』 ミネルヴァ書房
『新解説子どもの権利条約』 日本評論社
『集団保育指針』 日本小児医事出版社

講評  
  全体のまとめ(事後収録より)     ろう学校教諭 今西氏

 私がこの教育の世界に入ったのは、聴覚法を親も教員も無我夢中で施行錯誤していた時期である。聴覚法、口話法といった教育法が、どういう歴史の中で今現在あるかということをみなさん是非、もっと勉強していただきたい。

 私は聾学校の幼稚部の教員である。言語獲得というが、日本語の獲得である。私たちがこの世界に入った頃は、学力のつけられない子どもたちではないということを実証するのが絶対目標だった。そのためには、日本語がしっかり身についていなければならない。獲得できる能力はあるはずなのにつけられない、いろいろ試行錯誤をしながらの教育だったと思う。それから30年以上の経過の中で、今日しっかりした論調でアピールできる方が大勢でてこられたことは、喜ばしい進歩なのだろうと思っている。

 今日何回か聞いた「子どもの視点に立って育てる」ということは、私たちがずっと心がけてきたことである。子どもの視点に立って育てなければ子どもは育たない。「聴者に近づける」などとは考えたこともない。そのように誤解される言動をとった教員がいたり、あるいは、やり方がまずかった場合もあったのかもしれないが、この教育の基本理念は、聴者に近づけることにあるのではない。聴者とかろう者とか、そういう分け方を私はあまり好まない。そういう分け方が、今後プラスになるとは思えない。自分というものをどこに所属する人間か、どういう存在かと考えると、私自身もわからない。今までの教育の欠点や改善しなければならない点は多々あって、それは改善しなければならないと思うが、ひとからげに「聴者の世界は」という括り方をして声高に言うことが、本当に理解を得られるのか、その辺はよく考えた方が良いと思う。

 教育方法においてもいろいろあり、ことばというものについても子育てについても、お互いがやっていることに今すぐ結論を出してしまわないでほしい。例えばこういうことばが3才児の時点で出ているかいないか、数がわかるかわからないかというふうに、1年や2年で子どもの教育は考えないでほしい。日本手話を使うことが有効であると、今結論を出すのではなく、子どもが育っていく15年とか20年とかのお長いスパンの中で見ていってほしい。今日の午前中の佐藤先生のお話に「あわてない、あわてない」とあったが、あまり性急に結論を出さないで、自分のお子さんの姿をしっかり見ながら、自分の家族の置かれた状況をしっかり把握し、それぞれの子育てをやっていってほしい。そして、学校教育や先生とのかかわりの中で問題が生じたら、それはきちんと意見を言っ
ていけば良いと思う。

 今日出された「ワーキングマザー」についてのレポートは、厚生労働省に働きかける問題である。今の働く女性の状況は、結婚、妊娠、あるいは、育児休暇が終わった時点で仕事をやめなければならないというのが一般的である。ろうであることがわかってというが、それまで大変恵まれた職場で働いていたということを忘れないでほしい。それから、聾学校の幼稚部は早く終わって、保育園の時間ほど長く預かってもらえないからという話も出たが、お母さんにとっては理想的な状況ではあっても、子どもにとってはどうなのかという話が今日はなかった。私は、いつも子どもたちを相手にしているので、子どもの側に立って考える癖がある。親の話を聞くと、子どもだったらどう思うのかと言いたくなる。先ほどの質問の中に「親のストレス解消をどうするか」というものがあったが、子どものストレスはどう考えるのか。子どもの視点に立っての意見をもう少し聞きたかった。

 それから、父親としてのレポートは、なかなか忙しい中で克明に記録もとられて、日本手話をコミュニケーション手段としていこうという決断に敬意を表す。一つ気になったのは、きこえるお兄さんが、今、手話の勉強をしているということだが、成長の大事な時期なので、お兄さんと両親とのコミュニケーションも大切に考えてほしい。

 それから、北欧のバイリンガル等いろいろ出たが、国語の習得というのは、それぞれの国のことばによってありようが違う。日本語は一音一音に後続母語がついていて、比較的聞き取りやすく、一方北欧語は、聴覚ではもちろん、目で読み取ることも難しい言語だと聞いている。言語の特徴の違いもあるし、それぞれの国情の違いもあるので、そういったことも加味して、いろいろな情報をしっかり自分で考えて、より多くの方の理解が得られるような働きかけをしていってほしい。

 長年、この教育に携わってきた者として、20年後、30年後をとても気にかけている。今の小さな子が大きくなった時、どんな社会になって、そこでどんなスタンスに立っているのか気になる。






















※無断転載禁止 Copyright(c)2000 全国ろう児をもつ親の会