『ろう学校へのメッセージ』投稿集

・ほとんどのろう学校で手話を教えない、使わない
・しゃべれる訓練をすべての科目で行なっているため授業内容が数年単位で遅れている
・ろう者の教員をほとんど採用しないためろう児は自分の将来像を思い描けない
・親が家庭で手話を使うことすら責めることがある
・口だけによる教育を母親に押しつけるだけでなく、
 母親が働くことすら責め立てる傾向がある

  今の日本のろう教育がおかしいと思う方
  ろう学校の中に手話を導入していないのはおかしいと思われる方
  ろう者の教員を採用して欲しいと願う方
  ろう学校での想い出
  ろう学校の重要性を実感されている方
※新しい投稿は現在受け付けておりません。

ハンドル名 ご意見
Anri Hello, everyone. I'm a Japanese University student who study at American University as an international student now. At this time, I am writing because I would like to tell you about one of my favorite class; Deaf Culture's class. William Woods University in Missouri is one of the greatest school for students who want to study about ASL and deaf culture. Actually I am taking class from Deaf teacher, she can teach me what is the deaf culture and how deaf people has invilved their own culture since now. We use 1 professional interpreter and 2 students interpretes. Most of the students have never learned sign language before, but we don't feel very difficult to have communication between teacher and students. I think educational changes needs by learing from another countries ideas!!
P.S I can't type in Japanese...Sorry about it!
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こんにちは、みなさん。
私は今留学生としてアメリカの大学で学んでいる日本の大学生です。
私の大好きな授業「ろう文化講義」についてお伝えしたことがあり書かせていただいています。
ミズーリのウイリアム・ウッズ大学は「ASL(アメリカ手話)」と「ろう文化」について学びたい学生にとってとても素晴らしい大学の一つです。実際私はろうの先生から授業を受けており、その先生は、ろう文化とはなにか、そして聞こえない人たちが彼ら自身の文化とどう関わっていくかを教えることができます。
私たちは一人のプロの通訳と二人の学生通訳を利用しています。生徒のほとんどはこれまで手話を習ったことがありません。しかし、先生と生徒でコミュニケーションをとることに困難は感じません。私は別の国のアイディアから学ぶことによる教育の変化が必要だと思います。

PS.日本語で打ちこむことが出来なくてすみません。
るーつ 行政の手話通訳者です。

現在、多くのろう学校における教育が「聞こえない」というアイデンティティの確立の妨げになっていること、悲しく思います。ろう児が親になった時、自らの子供(特にコーダ=CODA)に日本手話を教えないという家庭は少なくありません。そのため、家庭の中でのコミュニケーションが阻害され…。
通訳現場の中で、ろうの親と健聴児のコミュニケーションがなされていない家庭環境を見るのは非常に苦しいことです。

こういった環境を生み出してしまうのは、ろう学校の中で日本語が苦手であるという劣等感と、コミュニケーション手段は日本語しかない、という矛盾をろう児に植え付けてきたろう学校の教育方針に由来するのではないかと思います。

ろう児が自らのアイデンティティーを確立し、自らの子供に(健聴児であったとしても)自信を持って日本手話による子育てができるようになったら…。

現在のろう児に日本手話による教育を受けさせてあげることは、CODAを育てるためにより良い環境となるはずです。本当の意味で親子が安心してコミュニケーションできる環境をつくる一端を担えればと思っています。手話通訳というみなさんとは違う立場から、みなさんの活動を心から支援していきたいと思っております。今後の活動に期待します。
ねむりひめ
 3学期も終わりに近づきました。また先生達の転勤の心配をしなくてはなりません。うちの息子の通うろう学校は手話を導入してます。しかし、「手話で教育」のできる先生の数は少ないのだと思います。手話のまったくできない先生にあたると子供は悲惨です。先日のニュースで精神的な病休を取っている教員が増えている、と言う記事がありました。ろう学校がそんな教員達の溜まり場にならないよう、願います。
S・K 私も1月25日のテレビを見ました。
手話で教育することと、フランス語で教育することは違うことだと思います。
何故手話教育を認めないのかも分かりません・・・。
手話は、ろう児にとってのたった一つの「言葉」だと私は思います。
それを教えないことは、子供達から「言葉」を取り上げている様な物なのですから・・・。もっとろう児を大切に考えて欲しいと思います。(何か違うかな・・・?)
もと保育士
1/25のテレビ見ました。
ちょうどその前日に龍の子学園の講演会を聞きに行っていて、その情報を知り見てみました。

あやかちゃんが小さな手でぴかぴか!とするところ、2語文が出てくるところ・・
本当にかわいく感動的でした。
でもこれが特別ではなく自然な感じを受けました。

人権侵害申し立ての映像で中学生くらいの女の子が、勉強の内容がわからないのではなく、先生のいっていることがわからないと言った様子を見て心が痛みます。
某ろう学校の校長先生のコメントにはちょっと驚かされます・・
一日も早く勉強に聾学校に手話を取り入れ、ろう者の先生の増員が実現されるといいですね。
受験生ですっ☆★
 私は、福祉は人のために何かできる素晴らしい事だと思っています。なので、福祉が盛んな学校に行って福祉を学びたいと思ってます。今日、25日に、6番で、テレビでやっていた「龍の子学園」の特集をみました。小さい子が聴者と同じように自然に手話を身に付けっていって、手話ってすごいなぁっとすごく思いました。私は、手話はろう者にとって素晴らしい会話の手段だと思います☆私も、高校生になったらたくさん手話を学んで、将来何か人のためになるような仕事がしたいです★私は、まだ何も出来ませんが、早くたくさんのろう学校で手話が使えるようになればいいと思っています。
頑張ってください★☆
モコ はじめまして、こんにちは。
恥ずかしながら、昨日(1/25)、テレビを見てはじめて、「ろう学校で手話を導入していない」という事実を知り、愕然としました。
しかも否定的に「手話を導入していない」ということの意味が、まったくよく分かりませんでした。
私は手話を使うことができませんが、今でも「学校で手話を教えてくれれば、耳の聴こえない人ともお話ができるのに」とよく思っています。
どちらが、どちらに合わせるのかは、多数決ではなく、個々の意思で決めればよいことだと思います。知識不足の私ですが、ろう学校で手話を使用しない意味がまったくわかりません。はやく、ほんとうにいちはやく、良い方向へ改善されることを心から祈っております。
そして、頑張ってください、という言葉しか出てこない無知さ加減をお許しください。
ぱっくんママ  昨日(1/25)、テレビを見て、何故?手話教育を行政は認めないのでしょうか

校長が、フランス語だったら、フランス語を覚えるんですかって、云ってたけど、コンナ人が校長なんて、なんか間違ってる。

大阪には龍の子学園のような学校はないのでしょうか・・
メグ  手話は立派な言語であると思います。聴覚障害に関わらず全て、その人をありのままに受け止める事が大切だと常々感じています(仕事が福祉関係なので)ろう児が【手話】という言語をごく自然に当たり前に使えるような環境が必要だと思います。
かごめ  私は、縁あって手話講習会を受講したことのある者ですが、ろう者ではありません。コミュニケーションにおいて、より不利なろう者が、なぜより有利な聴者に、苦労して合わせなければならないのでしょう。ろう者が口話法を獲得するのと比べて、聴者が手話を獲得する方がどれだけ容易な事か。日本の社会では、一人一人の多様性、違いを認めず、少数派を多数派に合わせさせるという事が往々にしてまかり通っています。
私はろう学校のみならず、すべての小学校の授業で、手話を教える事が望ましいと思っています。
多くの人が、年を重ねれば耳が遠くなりますし、人生の途中で聴力を失う可能性があるのです。また喉頭ガン等で喉頭摘出(声が出せない)した際も役立つと思います。一般教養、たしなみとして誰もが身につけていたら、素晴らしいと思います。現に私立の小学校では教えているところもあります。
手話のみならず、相対的弱者を強者に優先させるのが道理と思います。
こうちゃんパパ  4才の男の子の父親です。12月のABRとDPOAEの検査結果で高度の難聴であることがわかりました。実は、ことしの4月からろう学校に勤務している教員です。もともと、肢体不自由の養護学校に勤務希望だったのですが、ひょんな事からろう学校に来て、聾免許取得のための授業の中で色々と知識が増えていくにつれ、自分の息子も難聴では?と思い検査してもらったのです。私が、勤務しているろう学校にも重複の生徒が在学していますが、私の子は寝たきりなのでどこの小学部に通わせようか正直迷っています。
 私が担任しているクラスにもデフファミリーの生徒がいますが、それはそれは、上手にコミュニケーションができますし、比較してろう学校上がりでも手話も口話未熟な子は、指導していてもかわいそうです。私も、少しは生徒同士の手話が読みとれるようになりましたが、まだまだ難しいですし日本手話を教えてくれるサークルを探しましたが近所にはないようです。
 私の勤務している学校では、学年ごとに違いがありますが、私の担当学年では手話の上手な生徒が、リーダーシップをとっているようです。逆に口話が上手な子は小数なので何人かで固まってグループを作っています。
 この半年間ろう学校の中で指導してみて、手話の必要性を痛感しています。自分の子どもには日本手話覚えて欲しいのですが、どうやって身に付けさせようかと思案中です。手と腕が随意に動かないので、表現するのは無理だとしてもせめてこちらからの情報だけでも理解できるようになって欲しいからです。とりとめのないことを書きましたが、目の前にいる生徒のためにできるだけのことをしてあげたいと思っています。
EMY  始めまして。私はある学習システムを使った塾を埼玉県の大宮に開設しているものです。実は近くにろう学校があるのですが、ずっと気になっていたのです。彼らはもっと勉強したいと思ったときは、普通の塾にいけるのかしら?ろう学校では普通に手話を使っていると思っていたので、どうするのだろうと思っていたのです。私が使っているシステムは一人一台のコンピュ−ターを使用して個人の学習進度に合わせて自分で学習していくしくみになっているので、聴覚に不便があってもかなりお役に立てるのではないだろうか、ずっとそう思っていたのです。でも私は全くろう児との接点も無く、現実も知りません。そんな人間がこんなことを考えても偽善に過ぎないのではないのかという思いもあり、何の行動も起こしてはきませんでした。でもたまたま此処をのぞいてみたら、学習環境は決して満足いくものではないことを知りました。私に何かできないか、改めて考えてみようと思います。
くう 手話を使うのが当たり前だと思っていたのでびっくりしました。
ぽぽりん 私は健聴者です。市内で手話サークルに通ってろうのお友達も増え夜中でも電話(FAX)できるように設置しました。
手話サークルで温泉旅行に一泊二日で行った時のこと、みんなとわいわいやった後あまり眠れず温泉に行って来ようと起きた時隣で寝ていた友達が私の方を叩きなんか言ってる(手話で)のです。よく見ると目は閉じています。
その時初めて知りました。ろう者でも寝言も手話なんだと感心してしまいました。
確かにろう者は外見ではわかりません。手話を始めるか何か伝えたいときメモでも渡されないと気がつかない。最近テレビを見ててもトーク番組とかなら字幕が出て強調したいときは「!!」とか悲しいときは「(T_T)」とかで表されたりしてテレビの音を消しても健聴の私でもわかります。
だからこのホームページを通じてミニ手話講座とか載せたらいいと思います。私は手話の中でこのホームページに出ていたILoveYouサインが一番好きです。みんなナンバーワンよりオンリーワンを!!
ジェコブ 聾学校なのに手話を使わないのはおかしいですよね!聾者が口話だけじゃコミュニケーションをとるのは難しいって。
まあ 「日本ではバイリンガル教育が出来ない・実績がない」とおっしゃる、聾教育関係者がたくさんいらっしゃいます。
でも、よくよく話を聞いていると、彼らはバイリンガル教育の方法や理論をキチン勉強していないと思われるのです。
なぜそう思うか。勉強をしていれば絶対出てこない質問をしているからです。

賛成・反対の前に、まずはきちんと勉強してください。
morango 「あなたには留学できません。」もしそう言われたらあなたはどうするでしょう?

「最大級に落ち込むかなあ」、「夢をもぎとられたショックで泣くだろうなあ」「まわりに八つ当たりするかも」体験したことのない先生たちにはそのつらさはわからないでしょうか・・・。分かったつもりでも、きっと本当の意味で理解することは難しいでしょう。わたしは実際にこのつらさを体験しました。
私はあなたには留学できない、と学校の先生に切り捨てられました。本当にわたしは留学できないのか・・・?いえいえ、私は留学することができました。
先生に頼ってしまった自分は悪いけど…
「耳が聞こえない人間になってしまったのは自分が悪いでしょ」と先生に言われたことがありました。。。私たちは同じ命のある人間なのに・・・。
ますちゃん  はじめまして、3歳の聴覚障害児を育てている母親です。みなさんのコメントを読ませて頂き感じた事は、今現在そんな不安定な現場になっているんだ。私たち、親子はそこに頼るしかないと、思って通っていましたが、改めて考え直す必要があるなと思っています。
 私達、家族は何を信じてやっていけばいいのでしょうか?


コメント:
 ろう学校はろう児にとって一生涯の心のふるさととなる大切な場です。このろう学校を少しでも良くしていくために力を合わせて実際に行動していきましょう。
もと保育士  このホームページに書き込みをしたあと、出産、育児で3年お休みしていた手話の勉強をサークルに入会してはじめる事にしました。
新生児のスクリーニングも始まったというニュースも聞いていたので、んー良かった!と思っていたのですが・・前のお話を読むとまだまだ喜べない状況なのですね?やっぱり新生児で聴力が弱いことが発見されても、受け皿がないのでしょうか?悲しいことですね・・・
 私は手話をまだまだ勉強中ですが、保育士の経験と手話ももっとがんばってあかちゃんに言葉を教えられるようになりたいと思っています。
古山明男 ろう教育の例は、ほんの一例にすぎません。
同じような、硬直した教育がたくさんあります。
日本の教育が、教師、親、子どもの当事者で自由に運営できるようになることを望みます。
匿名希望  今のろう教育はどうもおかしいです!!聾学校なのに手話がないなんて・・・。高等部になってから、手話を使っての授業をするのでは遅すぎませんか?
 国立の聾学校では今でも昔からの伝統で相変わらず口話教育を実施している。ところが、10年前くらいに小学部にいるある教師がある児童にすごいイジメをしました。出来ない子ばかり名指して身体体罰、言語体罰ばかり加えていました。注意をする時も、口で話して体罰を加えるだけで悲惨でした。心が豊かな先生じゃありませんでした。卒業生の母親、そして卒業生でも恨みを持っている人がいますから。その先生は、はっきり言って教師失格です。昔、あんなことをやって、平気なんですか。本当に最低な先生でした。今でも同じ所にいるなんて責任持てるんですか・・。
 とにかく、小さい時から口話教育から手話教育に変えるようお願い申し上げます。本当に手話の方がリアルタイムに話の内容が分かり、授業もスムーズに図れ、子供たちの心も豊かになると思います。
ようこ  ひょんなことからこのページに辿りついたのですが・・・内容が気になって全部一気に読んでしまいました。
私は今、手話の講習会とサークルに参加しています。そこで会う聞こえない方は、必ずと言っていいほど「口話主義の教育を受けたけど嫌だった」「先生が後ろを向いた時に友達と手話で話していた」etcという体験談を話してくださいます。
私がお話を伺えた方達は年輩の方だったのですが、みなさんの意見を読んで「今も手話を禁止している学校が多いこと」を知りました。そして「聴者が便利だから聾者に口話を使わせている」のだと感じました。私はまだ手話の能力が足りないので、単語がわからなかったり、間違えたりするので、口で読み取ってもらうこともあります。でも、手は間違っていても表情が出せるようにがんばっています。手話で話している人は聴・聾問わず生き生きとしています。私もそんな生き生きとした人に成りたいです。
 手話の勉強を始めたばかり、聾の方と初めて会った私の、今の考えを残しておきたかったので投稿させていただきました。
末筆になりましたが・・・「みなさんの応援をさせていただきます。」
noriko 私は今、学校で聾者について調べている者です。
いろんな本を読んでいて、今は手話は理解されていこうとしていますが、昔は手話ではなく口話を話さなければならないとう現状だったということを知って、ショッ
クでした。また、一番理解しなければいけない医者や聾学校でも、そのような教育がされていて(その時は仕方が無かったかもしれないけど…)、今も続いていることを知って、とても悲しかったです…
去年から、授業で手話を習っていますが、よりいっそう頑張っていきたいです!!
truely happys  聾学校の存在価値って言うのは難しい問題だと思います。基本的に養・盲・聾学校が一つにまとめられ、特殊教育諸学校という扱いで学習指導要領もまとめられています。現在進められている、特別支援教育の在り方についても、賛成しているのは養護学校に通う子供を持つ保護者で、専門教育を期待する聾学校や盲学校の保護者は納得できないと言う話を聞いたことがあります。聾学校という教育現場の存続と教師の資質を高めていき聾学校の存在価値をもっとアピールしていく必要があるでしょう。
荒天神  もしもの話ですが、ろう児に対して体罰する教師がいたら、同じ学校のろう児を持つ親たちと協力して裁判所に訴えた方がいいと思います。泣き寝入りのままじゃ、高給収をもらってる教師は楽でずるいと思いませんか?
やまおやじ  はじめまして、小4のろう児を持つ神奈川のやまおやじです。
我が子はある事情から親元を離れ、施設に入所しています。これまで聾学校では、「口話を訓練することで、必ずお話できるようになる」「おかあさんのがんばりが、イコール子供の成果。子供が話せないのは、おかあさんのがんばりが無いから。」「手話は言語獲得の妨げになる」・・・・などなど。

何もわからない、どうしていいのかわからない私たち親にとって、それは天の声にも等しいものでした。そして、それを信じるしか選択肢はありませんでした。
しかし実際には、「話せる子がいい子なのか?できる子なのか?話せないのは、できの悪い子なの?」
「先生も、まわりの母親も、どうしてそれを決められるの?」
「どの子にも、その子の個性に合った(実力とは言いません)方法で、平等に教育を受ける権利があるんじゃないか?その為に聾学校にきたんでしょ?」
「両親の意向を第一に、子供それぞれに合った方法でやりましょうって言ってたけど、この小学部での4年間なんにも変わってないんじゃない?」
「母親教育法と言いつつ、では、母親に対して、がんばれと言うだけで、控え室に集めて放置じゃあ関係が悪化するのは当たり前でしょ?先生のお手伝いに行ってるんじゃないのよ?」
・・・・・・・・・でしたね。
これじゃ 子供は壊れちゃいますよ。
そして子供以上に母親が壊れちゃいますよ。
少なくともうちの場合は、無理やストレスが悪循環して、母子関係が壊れ、夫婦が壊れ、家族が壊れてしまいました。表面化しなくとも、同じように苦しんでいる家族は、数え切れないほどいらっしゃるのだと思います。

「苦しいよ、つらいよ」・・「何か変だよ、何かおかしいよ」・・・・・・
そう必死で訴え続けていた子供のサインを、担当する先生方は今まで気づい
てくれなかったのでしょうか?
すくなくとも、「このままでは取り返しのつかない事になる」と学校に何度も足を運んで訴えた私の言葉は、通じてはいなかったんでしょうね、学校には。

 我が子は今、手話での日常コミュニケーションが保障された環境の中で、元気に成長しています。こうでもしないと、本当にダメなんでしょうか?
ドラゴン  今私は言語聴覚士を目指している大学生です。日本手話を学びろう文化を理解しどうにかしてろう児がろう児らしく育っていくためにはどうすればいいか考えています。私は資格を取って働いたときには、相談にきた親御さんに人工内耳も補聴器も本当は必要ない。今のろう児であるその子にとって何が必要か。日本手話の大切さ素晴らしさを伝えていって、それが当たり前の社会になればと考えています。
OBT  子どもが聴覚障害です、本当、おかしいと思います。例えば、目の不自由の人に、頑張って見なさいといいますか?聞こえないものは聞こえない、手話で表現してあげてあたりまえです、そのために聾学校に行っています。しかし、先生たちは、肝心の手話を知らない、そんな人がなぜ特殊教育の先生になれるのか?正直いって頭にきます、反対に聾児の親たちに、手話をしなさいと洗脳しなくてはいけない身分ですよ、手話を取り入れ低学年からやっていれば、健聴者と全然変わらない、知識、能力が付くのに決まっていると思う。
T 陰ながら応援させて頂きます!
kaede  口話教育が行われていることは知っていて、ずっとおかしいと思っていました。手話を使えば普通に話すことができるのに、手話を禁止して、全員ができるようになるとは限らない口話を強制するなんて…。
ろう児に、ろう者の先生が教えるのも当然のことだと思います。少しでも早く、ろう学校で手話教育が採用されるように祈っています。
ひまわり  手話というのはろう児にとって第一言語であるべきだと思います。ろう教育に日本手話が導入されていないのはおかしいと思います。ろう児に対して手話で教育すれば、学習能力は聴者と変わらないかまたはそれ以上に伸びるという研究結果もあります。手話を使う子供たちをよく見てください。きっとのびのびと楽しく会話しているはずです。
やっちゃん 日本手話主義です。
ローザ 3年前から手話を勉強しています。
皆様の運動を心から応援しています。一日でも早くろう教育が変わっていくことを願っています。
アンビリコ  全国の聾学校に日本手話を一日も早く採用してください。どんなに素晴しい人材が輩出されるか分からない将来性のある子どもに機会均等に教育を授けるために、聾唖者にはもっとも効果的な日本手話を是非とも採用していただきたい。手話は健常者も聾唖者も比較的容易に学ぶことができる素晴しいコミュニケーションの方法だと思います。
MU@沖縄  自分のHPにも1ページマンガのテーマを「ろう学校・・・」アップ致しました。
かのニュースに刺激を受け、描かずにいられませんでした。自分のかつて受けた口話教育のつらさは、今も忘れる事が出来ません。やはり、トラウマになってるんでしょうね。
http://www.ne.jp/asahi/miadomo/estas/
アンビリボ  聾学校で手話で教えていないなんて初めて知りました。信じられないことです。聾唖者にとって最も良いコミュニケーションの方法である手話法で教えることはもっとも効果的な教育方法であリ、そのようにしておられると思っていたのは私1人ではないと思います。将来と希望のある子供の無限の成長を期待する平等な教育を受けることができるように、一日も早く手話を全聾学校に採用されるよう切に希望致します。
コメント:
 聞こえない子どもに声で教育をしてきた今までのろう教育。普通に考えたら極めて異常な教育ではないかと思います。こうしたおかしな実態を多くの方に知っていただければと思います。
今後ともよろしくお願い致します。
MU@沖縄  5月27日のあの行動は第一歩ですね。私も幼い頃ろう学校で口話教育を受け、インテグレーションして以来ずっとろう学校とは関わりのない世界でしたが、やはり自分の出発点になっていたのは確かでした。はっきり言って、口話教育は実社会ではほとんど役立ちませんでした。なので、私も後輩の為に、聾児に対する適切な教育方法が受けられる権利の為に、協力させて頂きたいと存じます。
 私も、今HPでろう者、ろう教育をテーマにした1ページマンガを描いています。もしよければ、相互リンクをさせていただけませんか?
げろぱ  さるろう学校の校長は「わが校は手話を使っている」とTBS報道や人権申立に対してコメントを出したそうだ。「手話を使っている」って! その手話はどんな手話? ろう者が話すような洗練された日本手話? 片言程度の、申し訳なさそうな程度だけについている手話でもって「手話を使っている」と言い切るこの態度に、ろう者への抑圧、ろう学校のごう慢さを感じます。がんばってください。
コメント:
 おっしゃる通り、日本手話による教育ができるほど、手話を知っている教師がいるとは思えません。手話は言語ですから、その言語を教員がどのように習得するシステムになっているかを問えばおのずとわかるのではないでしょうか。ろう学校教員になるのに手話の授業がない、採用時手話の能力がひとつも問われない、教師になっても手話の研修すらないシステムでいったいどうやって「手話で教えている学校」になるのでしょう..。
ゆっか  いったん医療機関を通ってしまった親の考え方を変えるのは本当に難しいと感じています。超早期支援の実現に向けて、日本でも情報が行き渡ることを切に願っています。
コメント:
 超早期の支援についてですが、今はじまっている新生児スクリーニングが大きな問題となっています。超早期の支援が「ろう者や手話に対する早期の理解」へとつながれば、親自身が子どもの将来を思い描きながら楽しく子育てできるようになるのですが、現状は医師や病院の利益のために使われているという状態です。早く見つけて早く治療することにより莫大な利益になるだけでなく、そうした治療の後に必ずつづく、聴覚口話法により補聴器メーカーやその他の医療メーカーが利益をあげるという仕組みになっています。
 ろう学校でろう者は指導する立場として入れてもらえない場合がほとんどなのに、医療メーカーや聴覚活用に関連する専門家と言われる人たちは入れ替わりやってきて、教師や親、子どもたちに指導して帰っていきます。定期的に行われる両親講座でもろう者が呼ばれることは皆無といった状態で、ほとんどが耳鼻科医とか、言語訓練士、昔のろう学校教員といった、日本手話でろう者と会話したこともない人たちです。
 こうした巨額なお金が動いていながら、そして70年間同じ教育を続けていながら現状のような成果しか得られていないことを教育者はどう捉えているのでしょう。こうした状態をしっかりと評価することはできないのでしょうか。
 アメリカでは1988年「ろう教育委員会」が口話やTC、キュード、対応手話といった教育とそれにかかるあらゆる予算と子どもの成長を客観的に評価し、「ろう教育の結果が投資とそれにみあうだけの期待にこたえていない」と結論づけています。ろう児たちが訓練に明け暮れることなく、子どもらしい自然な成長をしていくことができ、学力が保障される日本手話による教育システムへと早急に変えていく必要があります。教育関係者は「急には変わりませんよ」と言いますが、そうしている間に私たちの子どもは卒業していしまします...。
てん  二人の難聴児を持つ親です。上の子の教育にはどう対処したらよいのか分からず、ろう学校の先生のいうことが正しいと思い込んでいた面がありました。しかし、年月が過ぎ、だんだんと口話中心の考え方に疑問を感じるようになりました。それで、うるおぼえながら、下の子には早いうちからできるだけ手話を交えて接するようにしました。すると、意志表示の面で明きらかに違いが現れました。個々の性格もあるのでしょうが早いうちに自分の使える表現方法を習得さることが大事なことなんだと実感しました。彼らに向く表現方法は、理屈ではなく、手話であることは間違いありません。順番として手話の次に口話であり、早いうちからの口話の強制はのぞましいとは思えません。ろう学校での口話中心の教育は、受ける方からみればあまり現実的ではないと思うのは自然でしょう。
コメント:
 国語も算数も理科も社会も口話教育で行われている現在のろう教育は子どもの年齢が高くなるにつれて大きな疑問となって親自身に降りかかってきます。もちろん子どもが小さいときにも疑問はあるのですが、「頑張ればしゃべれるようになる」という言葉を信じてしまうようです。

しかし、大きくなっても思うようにしゃべれない、学力も伸びない。親とのコミュニケーションも十分にできず、子どもの心が傷ついていく。そうしたなかで受けてきた教育の劣悪さをまざまざと知るといったケースも少なくないようです。「教師と会話できない授業」「ろう児にとって沈黙の授業」としてしまうのが「口話教育」なのです。

 ろう児にとってまず日本手話を母語として自然に身に付けることが何よりも重要です。その後本人が希望した場合に口話の授業を受けることができる程度でよいのではないでしょうか。こうしたことを提案した親はいままでにたくさんいます。しかし、却下されてしまうその理由はやはり、口話をとったら、今の教師のやることがなくなってしまうからなのでしょう...。
さとる  恥ずかしながら先日のニュ−ス(2003年5月27日:日本弁護士連合会に対し、ろう児の教育に関する「人権救済申立」)を見て初めてろう学校における実情を知ったものです。一番初めにこのニュースを聞いたとき、正直言って何を言ってるかさっぱりわかりませんでした。だって、ろう学校で「手話」を使用させていないだなんて!!これまで無知だった人間にだって「これはおかしい」と思えます。
コメント:
 誰が考えてもおかしい教育が今の時代まで続いているのです。これはいろいろな立場の日本手話を知らない人たちによってもたらされてきた悲劇です。今後そうしたひとつひとつが明らかになってくることと思います。
rina  私は介護福祉士の専門学校に通っているものです。今回学校の授業でわたしのグループは手話について取り上げているのですが、いろいろと聴覚障害者(手話)に関する本を読んだところ、(ろう学校では手話を禁止している)と知ってたいへん驚きました。現在、手話を取り入れつつあるみたいですが皆さんの声をきいてまだまだ問題点がたくさんあることを実感しました。
コメント:
 手話単語を多少知っている先生が数人いるろう学校が多少出てきていますが、日本手話をしっかりと教育に取り入れているところは皆無です。
これからもぜひ投稿をお願いします。
ドジママ 教育を受ける権利の侵害ということを、ずっと感じてきました。ありがとうございます。
ぴぴ 日本手話はろう者の言語です。
それを獲得し始めた我が子はあきらかに今までとは違う沢山の話をしてくれます。健聴者ならば極々当たり前のことなのに。。やるせない思いでいっぱいです。ろう学校の先生方に、我が子の話を読み取ってほしい!読み取れるだけの技術を身に付けて欲しい。先生方にそうなれる環境を作ってほしい!ろうの先生を採用して欲しい!どんどん成長する子供たちのために一日も早くそう願っています。

コメント:
 「我が校は手話を使っている」ということを言う方がいるようですが、それらほとんどすべてがとんでもない間違いに気づいていないのではないかと思います。そうした学校での学力レベルの平均が聴児の平均とくらべて低いレベルにとどまっているのはなぜかわかっていないのでしょうか。(学力だけでなく、他の能力も同様)こういった単なる「手話単語」を使ったとしても成果があがらないことはとっくの昔から分かっていることではないでしょうか。
 アメリカで1989年に出された学力の遅れに関する論文で既に、「口話、TC(トータルコミュニケーション)、同時法、手指英語(対応手話)、キュードスピーチ。これらどの教育方法によっても、結局のところ妥当な成果をだすことはできない」といった文献をろう学校関係者は読んだことがないのでしょうか??
 親たちが求めているのは音声日本語に手話単語をつけただけの不十分な手段ではなく、日本手話による教育です。そしてその日本手話で教えるろう学校が日本にないことがまさしく教育を受ける権利の侵害にあたるのです。
まあ  この日を心から待っていました!ありがとうございます。これからがスタートですね。いろんな圧力に屈せず、息長く活動しましょう!
村山和永  孫が難聴です。ご自身がろうあである先生について効果を挙げていると聞いています。ろうあ教育の進歩に役立つことについて貢献したい意志があります。
コメント:
 こうして自らの思いを発信することがまず第一歩です。ろう者教員の採用がなぜされないのかといった疑問を社会に投げかけるのもお孫さんやろう者の方々と同じ社会に生きるひとりとしてとても大きな貢献だと思います。
ろう者が日常的に使っている日本手話であれば、どんなに難しい内容でも説明できます。9歳の壁は聴覚口話法の壁ですが、日本手話による教育には壁などありません。目で100%理解でき、確立した一つの言語で教えるからです。専門知識をもち日本手話を母語とするろう者教員・教授が教えれば、特殊相対性理論だろうと、マクロ経済であろうと、裁判員制度であろうと、なんだって説明できます。
これが口話でできるでしょうか?きっと「さいばんいんせいど」の発声練習だけで授業が終わってしまいます...。
村山さんこれからも是非発信しつづけてください。
etu ろう者の教員採用して欲しいです!
もと保育士.  7年間保育所で働いており、ろうあの父母や1人だけですが4歳児のクラスまで、ろうあの女の子が通っていました。手話を簡単なものから覚えようと、講師を招いて保育士で勉強したりと熱心に取り組んでいる保育所だったように思います。その後仕事をやめ1年半くらい手話を勉強しました。

ほんとに少しのふれあいですが、不思議に思うことがたくさんありました。特に書き言葉をしっかりと獲得しないまま大人になっている方が多いこと、それは今までのろう教育のよるものだという事。そしてこのパソコンの発達した世の中で、きちんと書き言葉そしてことばを獲得することが1番大切なのではないかと思います。ことば=日本語  と決め付けず、まず伝わることが大切と思います。手話という便利で素敵なものがあるのに、なぜ?使わないの?と正直思います。

もちろん発声できたら、便利なことも多いのだと思いますが、声を出して振り向かれたり、好奇の視線に声を出したがらない方のほうが多いのではないでしょうか。
まず手話で物の名前を覚え、簡単な動詞を覚え自分の欲求を伝える!楽しくいっぱい豊かにしてあげられれば、本をよんで書き言葉を覚えることも早くなるのではないでしょうか?

生まれつきろうに生まれて、両親ともろうの方の場合の言語の獲得にはなみなみならない努力が必要と思いますが、聾学校の先生になられる方は手話通訳士ぐらいの手話理解を義務付けるくらいでないと、専門教育を受けにきているのに両親とも心をわって話せないなんて悲しいですよね。なかなか普通の保育所では満足に対応できないことが多かったですが、聾学校はスペシャリストであるべきですよね?

私がはじめて手話をきちんと習った埼玉県の鴻巣市では約40人位のろうの方が積極的に講習会を開きどんどん通訳を増やしていました。(余談ですが)

コメント:
 おっしゃるとおり、ろう学校の教師なら手話通訳士程度の手話力いや、それ以上の手話言語力がないと成り立たないはずです。通訳すればいいわけではなく、その言語でいかに相手に分かりやすく「教育」するかが問われるわけですから。聴者の学校で日本語がしゃべれるだけですぐれた教師とは言えないのは当然です。まして、日本語を理解できない教員が聴者の学校で教えるなんて普通だったら考えられないはずです。

 しかし、ろう学校では彼らの言語である日本手話を知らなくても教師になれてしまいます。それどころか、専門教科といったものがないに等しいうえ、意思の疎通すらできない教師を前にろう児はどうしていけばいいのでしょう。ながいながい説明をしている「様子」をただ我慢して見ているのです。何年も口パクの授業を「見て」いると、分かったふりがうまくなります。うなずくだけの毎日が過ぎていった結果が、もと保育士さんがいわれるような教育を受ける権利の侵害に至っているのです。

また、厳しい訓練をして聴者の平均程度に達した人がいたとしてもそれがいったい何の意味があるのでしょう。友達との人間関係を構築できないという一生かけても取り戻せない代償を負わなければならなくなってしまったそうした人を理想にできるはずがありません。

 日本手話で教育を受けられることがろう児にとっての最低限の権利です。そしてその日本手話という自然言語により「平均として」聴者と同じレベルの学力を身につけ、豊かな人間性を育てて行く責任をろう学校関係者は負っているはずです。
リンゴをリンゴとしゃべればいいなどというだけで許されるはずがありません。聴覚口話法による教育の成果を今の聾教育関係者以外の第三者組織が正しく評価することが必要ではないでしょうか。その上で諸外国が既に結論を出したように、投資(教員の人件費など)対効果が著しく劣っていて既に失敗であることが明確になっている教育方法(口話、トータルコミュニケーション、対応手話、キュード)を改め、自然に獲得できる言語である日本手話による教育を土台にそのレベルを上げていくためにどういう仕組みが必要かをしっかり考えていかなければいけないのではないでしょうか。
みるく  聾学校に子供と通い初めて、5年になります。毎回 聾教員をと要望をだし、聴者の教員教員には、手話を覚えて欲しいと言ってきました。しかし、今すぐには、無理ですよね。将来的には、聾教員と聴教員が、半々ぐらいで、聴教員は、手話が使えて当たり前になればと、おもっています。
 現実では、まったく手話が出来ずに聾学校に赴任してきます。教育委員会に問題もあるわけで、先生だけを責めるつもりはないけれど、きたからには、手話を使ってよ!と私は思っています。

コメント:
 今すぐすべての学校の教員が手話を使えるようにと要求するのは確かに難しいかもしれません。ただ、聴者教師が手話を覚えるというのは新たな言語を習得するということになるわけですからとても時間がかかります。例えば、今から日本の先生が英語の勉強をして米国の子どもに教育をしなければいけないとしたら、どれだけの準備が必要でしょう。教員の採用や研修をこれから整備したとしても、実現に至るまでには10年も20年もかかってしまいます。ろう教育でも同じではないでしょうか。
 今すぐは難しいだろうといっていたら、10年後ですら難しいのではないかと思います。
 ろう児のためのろう教育が実現できたころには私たちの子どもは卒業してしまっているかもしれません。今被害を受けている子どもたちのために私たち親が声を上げていく必要があるのではないでしょうか。

 みるくさんのように堂々と発言される方が各地で増えてきていることをとてもうれしく思います。
1年目のろう教員  こんな会があって安心しました!ろう学校に赴任して1ヶ月の私が感じている疑問が正しいものだと思えたからです。今のろう学校は何のために存在しているのか理解できません。ろう学校が意味のある学校となり、子供たちが成長できる場となるように!何とかして、管理職や行政のいい加減な考えを変えさせたい!今できることは、先ず自分自身がしっかりと手話を覚える事、クラス全員が手話を使いこなせるようにする事、それと、声をあげて行く事だと思います。何とかしなくては!
コメント:
 ろう学校の教育体制はほんとうにひどい状態にあるのが現状です。しかし、ろう者たちと話すとほとんどの方が自分のろう学校を心のふるさととしてとても大切に思っています。聴覚口話法のために先生とのコミュニケーションは皆無であっても同じ聞こえない友達同士は手話で会話することができるのです。先生が黒板に向かっている間に子ども同士で先生の言っていることを説明し合ったり、雑談をしたりしていたのです。そうした環境があったことでろう児たちの心が成長することができたし、教師による抑圧があったにもかかわらず日本全国のろう者たちの言語である日本手話が守られてきました。ろう児にとってなくてはならないこのろう学校での教育環境を何とか改善していきたいと思っています。
やっさん  この会の訴えていること全面的に賛成です!自分の娘も聾学校に通っています。聾教員の採用は絶対に必要だし、手話を覚えようともしない聾学校の教師は怠慢であるとしか言いようがありません!
聾学校を変えたいです!
頑張りましょう!
kaco  ろう児から手話を奪うと言うことは その心をまで奪うと言うことをすべての教育者達が 気づくべきです!
 現状とは逆に、1時間だけでもいいから、日本語を禁止し、手話だけで授業を行ってみてください。書き言葉の日本語(教科書や板書)やキュード、指文字(手話の中の指文字は可)もダメです。日本手話ができる先生がいなければ、地域の聾協などからろう者講師をお借りして、ロールモデルとして手話で子ども達に語ってもらうのです。おそらく、どんな方法の授業よりも、子どもたちは楽しいと言い、最も理解でき、人間としてろう児として、濃密な時間を過ごすことができるでしょう。誰の目にも、子ども達がいきいきとして見えるはずです。そんな体験から、聾学校の先生方は、ろう児にとっていかに手話が大切であるか、机上の理論ではなく体験的に感じ取ってほしいです。ちなみに、これは手話を教育言語に位置付けている聾学校に通った、私の体験です。
asagi  手話はろう者にとって欠くことができない言語であると認識しています。
小象のママ 
 何故そんなに「話す」事にこだわるの?主人は風しん児で喋れません。幼児部の頃からの苦しくて辛い訓練の末、「単語」程度の発音は可能ですが、殆ど聞き取れません!(頑張って獲得しあんなに苦しい訓練に耐えてきたのに)声を出すと健聴者はとても嫌な顔をします。ひどいひとは「獣の声だ!」といいます。聞こえない子をもつ親御さん方、子供たちはとても傷ついてますよ!頑張って、上手だ!と誉められたのに、社会では「獣の声]だと言われることの理不尽さ、わかります?主人いわく「声を出して喜んでくれるのは親だけだ!」と。  ですから、ある程度成長したとき、子が親に反発されるのも無理ないですよね。手話を禁止した為コミができない!(主人の通った聾学校では見つかると叩かれたそうです。)聴覚口話法なんて!それが証拠に家族で全くコミができぬまま主人の両親は他界されてます。唯一生存している兄でさえ、全くコミができない状態です。手話を覚えて欲しいと要求しても、[発音能力が落ちるから!」とかたくなに拒否をしています。主人を思ってこそなのでしょうが、それが間違った方法なんだとは夢にも思っていません。(幼い頃からの繰り返し教え込まれた,聴覚口話法が一番だと信じきっているからです。)コミが出来ない家族はとても悲惨ですよ!家族がお互いの気持ちが伝わらないんですから!  何故「手話」を取り入れないのか?一度、デフファミリーの家族と交流をもってみては?いろんな面が見えてきますよ!
ハープ
 学校や教師の教育方針も大事かもしれません。しかし、これほどまで聾学校の現在の状況に不満や疑問の声があるなら、すぐにでも改善していくべきです。拒み続けるのではなく、柔軟に臨機応変に受け入れる姿勢が必要だと思います。学校や教師よりも長く子供と接し、深く理解し愛してるのは親です。だから親御さん達の意見や願いを積極的に受け入れ、それを基に改善し発展させて行く事が大事だと思います。今までの聾教育の在り方を見つめ直す事が必要です。過去や現在の反省から未来の明るい完成を・・・
まあ
 聾学校で、手話を使って教育をしていても、日本語対応手話では意味が無い!また、手話の意味と日本語の意味を履き違えていて、子供に指示がきちんと伝えられていないのを子供のせいにする教員が多すぎます。日本手話できちんと指示されたら、子供はそのとおりに行動できます。でも、日本語対応手話ではその指示を理解できないので、自分の好き勝手に行動する。それは本当に「子供が指示を読み取れない」ことになるのでしょうか?
わおわお
 あの、口話中心で若手の先生の中には、何かというと以前にうけもつた生徒とか、自分の知りうる前例だけで子供のこと決め付ける先生がいて、度量が狭いな、と心配になります。どの生徒も初めて出会う人間です。先生自身が不安なのかも知 れませんがも少し広い目と、信頼の目で生徒に、、、と思います。決め付けないで、子供は見抜いて、かなしみます。心豊かな聾の先生とであいたいもんです。
みみりん
 私の息子の通う聾学校では、手話を使うこと認めています。ただし、コミニュケーションの一つとしてです。正直、勉強の様子を見ていると指文字で、やっています。聾学校に来たばかりの先生は、はじめに指文字を覚えるのです。手話は、出来ない先生の方が多いです。長くいても、覚える努力のない先生もいれば、来たばかりでも、一生懸命やっている人もいます。なぜ、聾学校に来たのかわかりません。もっと、生徒の事を考えてほしです。
みすず
「日本聾話学校」は聴覚口話法ではないのですか?HPを読む限りでは聴覚口話法だと思うのですが。見学を申し込んだのですがタイミングが悪く秋にできるかどうか、と言う感じになってしまいました。
 手話で子育てをしているお母さんのご協力により手話を使えば言葉(手話です)の獲得は音声語と同じで、それにより順調な発達をしているのがわかりました。口話しか触れなかった場合の言語獲得は実際にはどんななのでしょうか。また、それに伴う認知発達などはどうでしょうか。また、現在ではろう学校も゛補助的に"手話を使うところが増えているとも聞きますがどの程度なのか教えてくだされば幸いです。
いいとも
 私は聴者(あえて健聴者とはいいいません)です。大学の手話クラブで日本手話を学んでいます。私は以前、ろう者を障害者として見ていましたが、クラブに入りろう者と接していく中で、そうした考えが誤りであるとわかりました。私たちのクラブの日本手話の講師はろう者です。その方は手話で冗談も言うし、ときにはろう教育についてなどちょっと小難しいしい話もします。ろう者は“聞こえないという特徴”をもっているだけなのです。ろう者が聴者より劣っているということは決してないのです。
 しかし、聴者はこの事実をなかなか受け入れようとしようとしません。確かにろう者の教育水準は聴者に比べ低い。しかしこれは、成果の上がらない口話教育をろう者に押し付けてきた聴者側の責任です。ろう教育は手話で行うべきです。それがろう者のアイデンティティを確立することにもなる、と私たちの講師もおっしゃっていました。
 私たちのクラブではこうした現状を変えていくために、ろう教育について勉強したり、大学祭で展示を行ったり、日本手話のスピーチコンテストを行ったりしています。
みみりん
 聾学校の先生に手話を使っていると文章力が下手になり、社会に出てから困ると言う先生がいます。 それは、別問題だと思うのですが。 本を読んだり、日記を書いたりして、勉強していけば良いのではないでしょうか? 手話を使う事で、言葉の意味が理解できる事もあると思うのです。
kouse母
 私達の通っている聾学校の先生の中には、聾児を育ててきた先生がいます。やはり、当時は手話は禁止され、キューサインのみで、口話できるように厳しく訓練したそうです。その先生は、子供との楽しい思い出が無い・・・と、自分のしてきた教育、育児に後悔していました。でも、学校でも、病院でも、そういう方針だったので仕方ないです。いま、その先生の子供は、教育の甲斐があって口話できるそうですが・・・。
 今、通っている聾学校は、手話を認めています。キューサインもやります。勉強ばかりではなく遊びの中で、口の動きを真似させたり、とても工夫した遊びばかりです。いっぱい遊んで、たくましく、健康に!そして楽しく勉強できれば今はいいと思っています。
kouse母
 今、子供と1才児の教育相談で、聾学校に楽しく通わせていただいています。子供の難聴がわかり、病院での訓練がはじまっても、不安でたまらないところ、聾学校を紹介され、今の先生方と出会いました。先生たちのおかげで、私たちは明るくなりました。いつでも、私や子供をほめてくれます。手話も、自然に覚えられるように工夫しています。聾学校の先生方のおかげで毎日が楽しい、育児が楽しいと思えるようになりました。
 健聴者の学校に行っても聞こえない人は1人。つまり、聞こえる人の群衆にほうり込まれているということ。インテした子は、自分の障害の自覚を持っていない。アイデンティティーの成立がない。自分の聴覚障害の知識を全く持っていない。自分のニーズをどうやって出せばいいのかも分からない。中には、「聞こえない人は1人だけだ。」と思い込んでいる子もいる。
聞こえない子を持った親は、聴覚障害を悪いことと捉えてインテに走っている。小さい時からインテすれば「社会性が身につく」という考え方は間違っていることを言いたい。同じ障害を持っている人はいないし、周りは健聴者で会話がスムーズに成り立たないから孤独感や疎外感を持ちやすい。インテした人は学力がつく代わりに人間らしいコミュニケーションが出来ない。中には、発音が周りの人に通じるからと言って「自分は聞こえる人だ!」と鼻を高くしている人もいる。これが、一番怖い。
インテしても、聞こえる人と同じにはなれない。同じになれるようにいくら頑張っても限界はある。同じ障害者同士で少しだけでも話していれば、聴覚障害についての情報が得られる。
チャチャ
先生になろうとしている方へ
 現在の聾学校では、手話を使えない学校が、多いようですが、聞こえない子供には、手話は絶対に必要です。地域の手話サークル等で、手話を覚えて下さい。そして、手話の必要性を訴えてください。
鈴木正弘
現在、某教育大学の大学院に通っています。 将来は聾学校教師になるつもりですが、現在の日本の聾教育に疑問を感じています。
ところで、いまいち見えてこないんですが、日本聾話学校についてはみなさんはどう思いますか?
日本唯一の私立聾学校であり、その方法は聴覚口話法ではないといいますが、手話はまったく使用しないといいます。
こんなことは、今は空想論かもしれません。
しかし、もし、手話教育を主体とし、健聴者教員と聾教員がともに働ける私立学校をつくるこそができたら、それは日本の聾教育を大きく進展させるんじゃないでしょうか。
もちろん、今の日本でそれが可能とは思いませんし、その方法は思いつきません。大きなネットワークが必要でしょう。
しかし、僕は、日本聾話学校の方針は、キリスト教にさえ反しているとしか思えないのです。
麻理愛
私は、国立大学の教育学部に入学しました。
私の学科は小学校教員養成課程ですが、私はもともと聾学校教師になりたかったので、その免許を取るつもりです。文部省によるカリキュラム改定の影響で、以前は四年で取れた免許に五年を費やさねばならず、反対する教官もいました。ある教官には、「免許がなくても聾学校教師になれる」と言われました。それが問題点のひとつであるにも関わらず、です。また、私の大学では、手話に関する授業はひとつも開講されておりません。

私自身もいままで、「残存聴力を生かす」という口話教育をよいものだと考えていました。しかし、さまざまな聾者の方が書かれた本を読み、それに疑問を抱くようになりました。口話教育は誰のためのものでしょうか? 聴者のためのものです。聾者の方のアイデンティティを踏みにじるものです。

私は、現在の聾教育の問題の一つに、日本聾話学校以外のすべての聾学校が国立または県立であることが挙げられると思います。教師に異動があるため、信念を持った教師が、それを一貫できない。「私は手話教育でやるぞ」と思っても、異動で中途に終わる。また、手話のできない、専門の知識を持たない教師が、壇上で無理な口話教育を強いる。

問題はそれだけではないでしょうが、私は、この問題に真剣に向かい合いたい。どうにかしたいと思います。

手話教育を目指す学生の方がいらっしゃったら、ぜひ連絡ください。
拓馬
 某教育大学の院生です。私もたくさんの聾者の友人がいます。ここの情報提供はとても参考になりました。
 将来は聾学校の教師をやりたいと思っています(自分の地域の聾学校は聴覚口話法なのです,やはり疑問を感じます)。
斉藤敏広
 私達の(両親は健聴者)長女(39才)も聾唖者であります。誕生して半年位に聾唖者で有ることが判明。早い年齢から教育との事から3才になり東京江東区のろう学校に母親と一緒にろう学校に通学しました。
江東ろう学校の教育も口話法の教育方針でありました。しかし疑問であったのは先生や親の口の形で何にかを聾唖者が理解する事に非常に疑問がありました。それは言葉には,同じ様な口の形が数多くあるからです。聾唖者が迷ってしまいます。口話法とか手話法とかの選択は第3者が決めるのではなく聾唖者が決定することです。私の経験からして必然性として手話法が良いように思います。口話法で教育するなどいっている人々は何も結論を得ていない事から他人事で,人間を遊び道具とするな。自分が手話を知らないからなどは理屈にならない。
OKA
卒業式の風景
 Tろう学校小学部の卒業式。
子ども達は、共に泣き、笑い、悩みあった仲間と、それにとことん付き合ってくださった先生方に感謝の気持ちを表し、見送る先生方は子ども達の成長を喜び、これからも応援してるよ。との気持ちを伝えてくださいました。いろいろな思いがひしひしと伝わってくるような、そんな心暖まる式典でした。もちろん聴覚口話中心の教育内容などには疑問を持っています。しかし、一人一人の先生方は実に真剣に子ども達を見つめていてくれていることがよく分かります。だから今後必要なのは、批判ではなく、学校制度も含め、どうしたら子ども達のためになるかといった適切な情報を教師と親が共有することだと感じました。当日も壇上に手話通訳士、前方スクリーンにはPCによる文字通訳といった情報保障の方法がとられていたので、子ども達も真剣に見、ほとんどを理解していました。(残念ながらすべてではありませんが)
しかし、地域の学校でインテグレーションしていたら、このように語り合い、卒業を共に喜び合える大切な仲間とめぐり合うことはなかったと思います。ろう学校でのびのびと自分をさらけ出し、自然体で仲間と対等な関係で小学校生活が送れたことは、今後も本人の自信となり、人格形成に大きな影響を及ぼすことでしょう。今後がますます楽しみです。ろう学校の先生方、本当にお世話になりました。今後ともよろしくお願いいたします。娘よ。卒業、おめでとう!
tamao
 聾児の息子(5歳)を子育て奮闘中!!もち、聾学校に通っています・・・家庭では、手話・指文字導入してます、聾学校にも手話・指文字の使用をやっと認められました。が、先生からはっきり先生たちが使えない事をいわれました(+。+
親の中にも、わがまま的見方もされてます・・・誰がなんと言っても良いんです。とにかくコミュニケーションしたいんです!必要なんです。情報が欲しい・・・行けるとこにはやり方を見に行きたい!!聾学校って何??何のためにあるのか。疑問だらけです。
シーマン
 ろう学校育ち(歴20年)の者と申す。一番楽しい思い出といえば、友達とのおしゃべりぐらい。昔のろう教育は・・最悪だった。毎日、発音訓練プラス日本語ばかり勉強したので、死ぬほど苦しかった。ろう学校の中に手話が必要であるべき!
頑張ってください。
吉川
 コミュニケーションの楽しさを学べるようになって欲しい。人間は笑ったり、悲しんだりできる高等な生物です。その第一歩として手話があった方が良いと思います。自分の本当の感情を表せる言語として必要だと思います。聾学校は何度か見学した事があります。先生が声で生徒を叱りつけているのが目にはいりました。子供は勿論なんて怒られているのか解っていませんでした。幼少の時から人と話す(手話)楽しさを学ばせた方が良いのでは?あれでは人間不信になってしまうような・・・。
がんばってください!!
南風
 ほぼ1年ぶりです。しばらく現場を離れて研修していたので、ここ数ヶ月は現場の雰囲気に慣れるのに精一杯で、パソコンもろくろくしていませんでした。
 久しぶりに開いてみると、世の中は随分進んでいるんだなあ、と感じました。そこで、相変わらず聴覚口話が基本の本校なのですが、この間行われた文化祭で少し進歩があったので、お知らせしたいと思います。
 前に(もう覚えている方も少ないと思いますが)述べたとおり、本校の5〜6年前は教師が少しでも手話を使って指導しようものなら、先輩教師の叱咤が飛びました。行事の場には手話通訳はもちろん、文字提示も簡略されたものしかありませんでした。しかし、本年度の文化祭では、なんと、小学部や幼稚部のオペレッタに簡単なものですが手話を導入できたのです。全学部を通して公に手話を導入した文化祭は、今年度が始めてです。聾者の保護者からも、「うれしい。自分の子供たちの未来が明るくなった。」との声も聞かれました。もちろん,積極的に手話を導入している他府県のろう学校からするとまだまだですが、本校の中では大きな進歩だと思います。
 久しぶりのこのサイトで、まだ悩みの尽きないろう学校の現状が多いなあと感じましたが、みなさん諦めず,頑張ってください。はじめは一人の声でもきっと2人,3人と理解者が増えてくるはずです。本校もそうでした。もちろん今も、たまたま学校訪問にいらした他県の校長先生に授業を見ていただいたところ、「もったいない。読話のちからを育てる努力がたりない。」と言われ,本校校長からも、「小手先の事に走らず長い目で指導しなさい」と言われました。それにもめげず、小学部の劇に手話を使いたいとの私の提案に、多くの先生が賛同してくださり,ふたをあけてみると、全学部が手話を使って演技していました。ろう学校が変わろうとしているのだと実感しました。
 まだまだ課題は多く、道も険しいと思いますが,このサイトで励まされたりして、この1年がんばってきてよかったと思います。まだ、トンネルの出口が見えない仲間に、去年の励ましのお返しに「共にがんばろう!」とエールを送りたいです。
事務局
 Inukoさんよりご連絡をいただき、フランスの聾学校のアドレスをご紹介いただきましたので、掲載させていただきます。
Institut national de jeunes sourds de Paris
いちご
 「手話の使える先生が居るらしい」と勇気を出して、叩いた聾学校の門。でも、そこにはやはり「聴覚口話法」が元気よく残っていました。「手話」は本を見れば、誰でも使える。簡単な単語を組み合わせれば、手話で話しているかのように見える。だけど、子供と楽しく関わること、コミュニケーション出来るまでには、先生の手話に対する理解がまだまだ必要だと思いました。
うっきぃ
 私の友人のお子さんも音を聞くのが苦手な子です。彼女は、ろう者ではないんですが、手話を使ってお子さんと話をしています。その姿は、自然で、いつのまにか私もごく簡単な手話の単語を覚え、気が付いたら自分の子どもたちに話すのに手が勝手に動いていました(笑)。
 別に、聞こえる側にあわせて「発音」なんてできなくてもいいじゃありませんか。それよりもコミュニケーションの手段(その子なりの言語)を獲得することの方が、比べ物にならないくらい大切な事。心に感じた事や、見たものを共感し合えるって、それだけで心が満たされるもの。コミュニケーションの手段があたえられなかったら、それさえも叶わないのです。彼女は私に言いました「この子が今何を思っているのかが知りたい」と。
 子ども自身もきっと「伝えたい」と思っているはず。どうか、子どもが一人で不安な気持ちを抱えたままでいることがなくなりますように...。
せんたくかあちゃん
 その人の人生にとって、今ある時間が100%です。その時間をだれでもが平等に尊重されることを願っています。
あき
 フランスにお住まいのInukoさんへ。恐れ入りますが、フランスのろう学校のHPアドレスをぜひ教えていただきたいのですが。よろしくお願いします
Inuko
 Watashi ha France no kouritsu chyuu/kou de nihongo wo oshiete iru kyouin desu. Rougakkou no kyouin ga shuwa wo hanase nai, to iunoha nihongo no kyouin ga nihongo wo hanase nai noto onaji deha arimasen ka! Rougakkou no kyouin menjo to hutsuukou no kyouin menjo wo wakeru hitsuyou ga doushitemo aru to omoi masu. Kongo no undou ha sokoni shouten wo ateru beki deha nai deshou ka.
kana/kanji majiri no mail ha yomi komeru no desuga, sore wo nyuuryoku suru koto ha imano tokoro mada deki masen. Yomi nikui deshou. Gomen nasai ne. Soredeha minasan no go-kentou wo touku France kara inotte ori masu.
【日本語版】
 私はフランスの公立中高で日本語を教えている教員です。聾学校の教員が手話を話せない、というのは日本語の教員が日本語を 話せないのと同じではありませんか!聾学校の教員免除と普通校の教員免除を分ける必要がどうしてもあると思います。今後の運動はそこに焦点をあてるべきではないでしょうか。
 かな漢字交じりのメールは読めるのですが、それを入力することはいまのところまだできません。読みにくいでしょう。ごめんなさいね。それではみなさんのご検討を遠くフランスから祈っております。
みみりん
 私の子供は、来年から、聾学校の小学部に入学します。小中高の学部見学をみて、コミュニケーションを大切にしたいので手話を導入していますが、教育現場では、手話の出来ない先生がおしえています。(覚えようと努力をしている先生が少ない)手話を覚えた先生が移動し、覚えない先生が、移動せずに居るように見えてなりません。
ぽんた
 現在 手話通訳士を目指して勉強中の主婦です。ムギ畑からきました。此処にきて初めてろう教育の有り方に胸が詰まる思いを抱きました。私は主婦なので自由に使うお金が無く独学及びサークルで勉強しいづれは・・・と考えて居りましたが現状においての自分の考え方の甘さが目立ち情けなくなりました。御免なさいね。私のようなのんびりした人間が手話通訳士を目指しているなんて何の役にも立ちませんね。手話は1つの言語です。大切なコミュニケーションの1つです。その手話が教育現場で教わる事も無く使われずにいたら子供達がどのように社会に適応していけば良いと言うのでしょうか?『日本のろう教育』の考えは改善し教員数を増やして通常教育を受けられるように私も一刻も早く通訳士になると同時に何か協力できるようになりたいと思いました。東京都千代田手話サークル一麦会会員
なお
 3才の聞こえない子の母です。乳幼児クラスに通っています。日常は手話を使ってコミュニケーションを使っていますが、聾学校では高等部にならないと手話は使いません。来春には聾学校の幼稚部に上げようか決めかねています。こんなろう教育は絶対におかしいです。是非協力させてください。
ゴン
 私は今の会社に入社して初めて、ろう者と接しました。そのろう者のAさんは、とても明るく口話で、健聴者の口を読み口頭で会話をしてくれます。私達は少しの手話と多くの口話で、通常の会話をとても楽しくできていました。しかし、健聴者同士の間でも会話のずれやその場に居なかったために話が伝わっていなくて、「えっ!」って思うことがあるように、Aさんとの間でもやはり起こり、それが仕事上の話でも起こってしまいました。そしてそれは、健聴者でも起こりうる些細な事で、落ち込むほどつらく傷つくことだと思いもしませんでした。しかしAさんは、ろう者だからダメなのだ、ろう者の気持ちは健聴者にはやっぱり分かってもらえないの?、普通の仕事をしたいのに、できるのになんで上手くいかないの?と、とても苦しくて辛い思いをさせてしまいました。私達は、何も特別な事もなく接してきたつもりですが、Aさんは、ずーっと、ろう者だから・・・という思いがあったようです。しかしAさんは、苦しみを解決しようと私達との話合いをよくしてくれて「誰でも起こりうることだから」に理解してもらえた寛大な人で、今では一緒に、元気に働いています。その辛い思いの前と後での違いでは、Aさんは、少しでも分からないことは直ぐに聞いてくる・理解できたとしても確認をとる。私達も手話や紙に書く事を多く使い、仕事の指示・そして確認をとるようにしています。
 このHPに訪れて、口話について意見が交わされているのを読み、初めて聾学校は、口話に力を入れていることを知りました。私は、口話もとても必要な言葉だと思います。それは現状では、全ての人が手話を使用できるわけではないからです。しかし、手話も口話以上重要な言葉だと思います。そして今後、健聴者は手話の知識・習得がもっと必要としていくべきだと思います。それは大人になってからサークル活動などでするだけでなく、子供の時から、聾学校だけでなく普通の学校でもろう者と一緒に手話を覚えて行くべきではと思います。ろう者のための手話ではなく、ろう者のための環境づくりというわけでなく、普通の国語と一緒のように学べれば、Aさんのように「ろう者だから・・・」の気持ちがもっと小さくなるのではと、思います。とても難しいことで、今ここで書いたことも、簡単にできないこともわかります。どのような言葉を使えば上手く気持ちが伝えられるかわかりませんが、聾学校で教える立場のかたにだけでも手話を習得することの必要性をわかっていただきたいと思います。どんな人ともつきたっていくにも、ある程度の努力と我慢が必要だと思います。でもその努力や我慢以上に分かり合えたとき、一緒に喜んだり楽しんだりできた時、その人と出会えたことをとてもうれしく思えるものだと思います。それが、短気な人の短気なところをがまんしたり、のんびりやさんののんきなところに合わせたりするのと一緒で、ろう者には、手話でいろんな事をつたえる、今後ろう者・健聴者との特別視の壁がもっと低くなれば良いなと思います。Aさんとは、これからも手話を使って楽しいことをいっぱい。
文章力のない私で、とてもまとまりのない長い文書になってしましましたが、少しの人にだけでも手話の大切さが伝われば幸いです。
おかずママ
 富山県高岡市で小学校教諭が指導して進めていく合唱団「大空へ飛べ」というのに参加していますが、毎年の公演で手話をしながら観客の人達と一体となって歌っています。保育園児から年輩の方までの広範囲なメンバーですが、同じ目的に向かっていく過程が何よりも慶びでもあり勉強にもなります。長男の通っている小学校では、毎年学習発表会でやはり手話を交えた合唱をします。今年は「この星に生まれて」で行うそうです。健常者の学校でもこのような教育をしているのに、ろうあ学校で手話を積極的に受け入れていないのはどう考えてもおかしいと思います。子供達が手話を通して少しでもコミニュケーションをとれるようになれば良いし、何よりも大人のような偏見を持たないでほしいと願います。
みき
 地域の通訳者を目指して勉強中のみきです。ろう者の教員を増やすことに賛成です。何故かというと、日本手話を子供達に早く覚えてほしいと思うからです。活動を続けながら色々悩むこともありますが、頑張りますので皆さんも頑張って下さい。
ちゃちゃ丸
初めて訪問いたします。
ひょんな事から手話とかかわりをもつようになった1芸人です。
ここにお邪魔してこのコーナーが最初に目に飛び込んできたので投稿させて頂いております。
手話を始めてから色々な方々とお会いする事が出来るようになり、いろんなお話を聞かせていただく事もあります。 そのお話の中でやはり耳に障害を持たれたお子様のご両親ともお話をさせていただく事がありました。
その中でやはり「ろう学校でどうして手話を学ばせないのか」と疑問に思われていらっしゃるお母さんや、手話を学んでいらっしゃる方々から聞く事があります。以前、私も仕事として聾学校にお邪魔した事があるのですが生徒さんたちのコミニュケーションはやはり手話を使っていましたし、私も覚えたての手話でお話させていただきました。(子供たちは皆元気!)
その時に気付いたのですが先生方が手話を使っていらっしゃらない事に違和感を覚えたのを覚えています。(なぜ?)
聾学校としての教育方針があるのでしょうし、理念とする物があるのでしう。・・
学校を批判するつもりはありません、が、どうしてかたくなに「口話」よりの指導をされているのかも理解できいでいます。ここに述べさせていただいている事柄はあくまでも私個人の意見として記述しています。確かに「口話」は大切ですし必要だとも思います、しかしその「口話」を教える先生方と生徒さんのコミニュケーションは手話であって構わないのではないかと思います。(逆に手話でなければいけないのでは、とも思います)なのに学校には手話のできる先生がいない・・・
矛盾を感じるところでもあります。
中には聾学校の先生も進んで手話を習いにこられている方もいらしゃいますし、必要だと考えていらっしゃる先生もいらっしゃる事も事実です。しかし、その上にたたれていらっしゃる先生方によって・・・という話も聞く事があります。残念です。(本当のところはわかりません)
健聴者の文化に合わせるのではなく、学校教育は聾者の文化をもっと積極的に大切に取り組んでほしいと思っています。
子供たちの未来に希望のもてる教育をお願いしたいと思います。

文章力がなく変な文面になっているかも知れません、ご了承ください。
k・n
 私は’ろうあ者と話がしたくて’手話サークルに通っています。母と一緒に通っていて’今’母はサークルの会長です。ろうあ者も5人ぐらいきています。小学5年生のはじめぐらいに’始めて’今’中学1年で’だいぶうまくなりました。ろうあ者ともしゃべれます。これからも’ろうあ者のことお理解できるように’がんばりたいです。
るる
 聾の子どもたちの為の全ての学校で、日本手話が第1言語として認められるようになることを願っています。
みすず
 ひょんなことから手話サークルに入って、手話を勉強中の健聴者です。サークルの中で多くの聾学校では手話を使わず、口話に時間を割いている為に学業が疎かにされていると聞き驚きました。また、テレビや映画で活躍しているろうの女優さんの出身校の先生とたまたま知り合いで、その方の奥さんと女優さんの話しになった時に「あの人は学校ではとても優秀で上手に話せたらしいのに。」と言われてこれまたびっくりでした。卒業生の活躍を喜ぶのが当然と思っていたのに、口話ができなくなったことが感想とは。 しかも、最近テレビの影響で手話に興味をもつ健聴者が増えて手話が容認された所為で、ろう者たちが手話を堂々と使うようになってしまった、というような話しをされ「え〜」なにそれ!と思いました。
 ヘレンケラーの例からもわかるように、物に名前があるということ、意思を伝えることといった「言葉の獲得」が発達の上でいかに重要かは歴然としています。ヘレンケラーが「奇跡の人」なのはウォターと言ったからではなく、言葉の獲得により潜在していた能力が引き出されたことにあると思います。それが今のろう児達に許されないのか理解できません。また、親御さんたちにお聞きしたいのですが、学校で手話が取り入れられる場合「日本手話(伝統手話)」「日本語対応手話」、どちらが良いとお考えですか。私達のサークルでは年配のろうの方が来て下さる為「日本手話」中心です。私はそのほうが生き生きとしているように感じるのですが。 どちらにしても口話のみの教育は時間の無駄使いだと思います。
ネス
 私は今 アメリカに留学しています。友達が手話のクラスをとっていて私も個人的に参加して 気に入ったので今はそのクラスを取っています。クラスには大体20人くらいいるのですがほとんどの人が親戚や友達が聴覚障害者とういう人でした。私のようにただ趣味で取ってるという人はあまりいません。アメリカにきていろいろ感じることがありましたが、このようになんにでも行動的なアメリカ人の性格は見習わなくてはと思います。今日本でこのような問題があるなんて知りませんでした。ぜひこのことを作文にして発表したいと思います。(実は宿題なんです)これで変わることは何もありませんが少しでも日本の状況を知ってもらえたらなと思ってます。そしていつしか日本でも聴覚障害者が過ごしやすい日が来ればいいなと心から思っています。それまで大変とは思いますが頑張ってください。
みきひろ
 3歳の娘が4月からろう学校幼稚部に入学しました。8ヶ月からずっと教育相談に通っていた学校にそのまま入学しました。先生は写真を使ったり、手話を使ったりして、子供がわかるように指導してくれてます。まだ字もよめないので、手話を使わないとコミニュケーションがとれません。私も手話の勉強中です。
りんご
 私は、成人ろう者としか交流がありませんが、ろう者の親御さんたちで、手話に反対という方たちがいらっしゃることを知り驚きました。手話はろう者の言葉なのにと不思議に思いました。ろう者の教員をもっと採用してほしいと思います。やはり生徒たちにとってろう者の教師がいれば、心強いし、将来自分も教師になりたいという夢が描けるのではないでしょうか。
みぃママ
 わたしの娘(3歳)も聴覚障害児です。医療機関からは、「今は、いい補聴器もあるししゃべれるようになりますよ」と口話をすすめられました。そのときは、(無知にも)ああ、よかった喋れるようになるんだ、子供と話ができるんだ、と嬉しかったのですが、あるwebページで聴覚障害のシュミレーションのようなものがあり、それを聞いて愕然としました。それは聴覚障害者が補聴器をつけて聞こえる音は、こんな風に聞こえるというものでしたが、聞き取りにくいこもった音が流れるだけで何をいっているのかなんて全くわからないのです。言語をわかっている大人がきいてもわからないような音を、ちいさな子供にただ訓練させ、理解させるなんて、本当にできるのでしょうか?わたしはそのシュミレーションを聞いたとき、自分勝手ではありますが、自分の子供にはそんなつらい思いはさせたくない!と思いました。これから、子供はろう学校に通うようになりますが、子供が理解できる言語(手話)で授業はうけさせたいです。
 おくればせながら、わたしも本をみたり、サークルをさがしたりしながら、手話を勉強してゆきます。聴者が手話を習得することは難しいとされていますが、ろう児が口話を習うよりは、楽なのでは?と思っています。(こういう書き方はとても失礼で、誤解をまねくかもしれませんが、子供に必要異常につらい思いをさせたくないという親心ですので、お許しください)
ろう教育にはぜひ手話を!
明日香
 聾学校教員が増えてきて、頼もしく思います。自分の考えが間違っていないのだと確信が持てて、校内でも自信を持って進めそうです。4月から幼稚部に異動しました。保護者を巻き込んで、手話の必要性を実証していこうと思っています。
KEY
 私は某センターで乳幼児期の障害児の療育や、その保護者への支援・援助を行っています。センターにはもちろん難聴・ろうの子ども達もたくさんいて、通園施設があります。うちのセンターは、聴覚口話法をとっています。私自身は、トータルコミュニケーションや、バイリンガル教育に大変興味があるのですが、職場の組織がとても大きく、また歴史ある理念が確立されているので、私一人の力ではどうしようもありません。でも、聴覚口話法に限界を感じているのも現実です。ろう教育全体の流れが今少しずつ変わろうとしてはいますが、まだまだ大きな変化は起こっていないので、うちのセンターもまだしばらくは聴覚口話法を続けるのだな、と思います。ただ、少しずつ柔軟に手話も取り入れた療育もやるようになってきたのも事実です。日本語対応手話ですが・・・・・。でも、せっかく手話で楽しくコミュニケーションできるようになった子どもたちをろう学校に引き継いでいくとその先では手話が禁じられていて口話法でのやり直しになっていたりして、がっくりします。
 私の将来の夢は、聴覚障害児、LD児、ADHD児、その他いろんな障害を持ったお子さんやその保護者が通えるような塾というか、フリースクールというか、そんなものを独立してつくりたいということです。龍の子学園のことは詳しく知っているわけではありませんが、以前テレビで紹介されているのを見て、こんな風な場を私も作れたらなあと感じました。現在、独立に向けて、計画準備中です。私は聴者ですが、ろうの方にも私のフリースクールにいずれは入っていただきたいと思っています。私一人の力では微々たる物ですが、少しでも聴覚障害児の教育をよりよいものにしていければいいなと感じています。
南風
トッペさんへ
 励ましの返事ありがとうございました。去る6日に本校高等部の卒業式があったのですが、ひどいものでした。本校職員による手話通訳がついてはいたのですが、祝辞や挨拶の時だけで、式進行は、司会の声だけで行われました。もちろん、それに文字提示もありません。生徒たちは、来賓でいらしていた聴覚障害者協会の会長が連れていらした手話通訳の方を見ながら、式の流れを把握するといった次第でした。生徒たちの目が、本校の手話通訳(発言者の隣に立っていた)ではなく、来賓者席の前方に座っていた手話通訳者に向けられている様は、本校がおかれている現実をまざまざと見せつけていました。それで、少し落ち込んでいたので、トッペさんからのエールは、うれしかったです。
 本校で、職員の意識が変わるのには、まだまだ時間がかかると思います。全日聾の報告も全体研修会の場でありましたが、その結果に問題意識と危機感を感じたのは、ほんの数名でしょう。しかし、私が赴任してきた当時(5年前)は、指文字を使うだけで手をたたかれた(私が先輩の先生にです)ことや全体の場に手話通訳すらいなかったことを考えると、少しは前進しているのかもしれません。まだまだ時間はかかるのでしょうが、一歩ずつこの会のみんなの励ましを糧に頑張りたいと思います。
トッペ
南風さんへ
先生の苦悩わかります。自分のやりたい教育が同僚によって制限される。でも,ここで頑張って下さい。あなたの後ろには大多数のろう者とこの会に集う仲間がいるじゃないですか。流れは完全に手話による教育に移行してますよ。昨年の全日聾研でも「手話の否定」はありませんでした。過去の聾教育の賛美ばかりで,これからのろう教育は語られませんでした。裏を返せば口話教育の限界・敗北の大会だったと思いました。手話で子どもは生き生きしてます。以前のような指示待ちの子どもではなく,自分で考え行動する子に成長しています。年少児でさえ冗談がわかり,冗談で切り替えしてきます。子ども本来の姿がここにはあります。口話法の先輩はデメリットばかり強調されますが,そんなことはとり越し苦労です。できるとこから地道に,したたかに前に進みましょう!がんばれ!南風さん!応援してます。
南風
トッペさんへ
そちらの幼稚部では、手話を使用しているとのこと。羨ましく思います。うちは、幼稚部に聾の保護者がいるのですが、その方に対して、保護者向けの研修会とか、全体的な集会の場では、ほとんど手話通訳はつきません。同じクラスの保護者が後で筆談で伝えるのです。私は、去年小学部から幼稚部になったのですが、その様子は、異様に思えたので、聾の保護者に不満はないか尋ねました。すると、その方は、幼稚部だから仕方ないと言うのです。本当にそうでしょうか?ただ、その方は、できれば自分の子は、手話も交えて指導してほしいと言っています。しかし今の現状では、それも難しいのです。
おかん
 ろうの世界が大好きな聴者です。手話教育のメリット、口話教育のメリット。どう考えても口話教育のメリットは聴者社会を優先したものにしかみえません。「発話がうまく教えられた」ときの、多くの聴教師(調教師?)たちの自己満足。オウム相手に言葉を教えるわけでもあるまいに。ろう児にとって、本当に大切なものを見据えられる人がろう教育に関わるべきです。
 何を変えればろう教育が変えられるのか、とことん突き詰めていけば“元栓”が見えるのでしょうか。もどかしくてなりません。
トッペ
 ろう学校幼稚部の教員です。はじめてこのページを見てビックリです。保護者やろう学校の教員にこんなにも不満がたまっていたなんて。うちのろう学校ではろうの免許を持ってる人は半数ぐらいです。しかし全員が手話を使います。レベルの違いは当然ありますがみんな「ろうの人がいるんだから」という意識ではなしています。先日「ろうの教員がいるのに会議で手話は使わない」という他県の実情を聞きました。同じ立場で会議に参加してる人に対して全く情報保障のない学校とは一体なんなのか?
 また,東北地方のろう学校を参観した時も,聞こえの良い子のみに話しまくる先生,隣の席にいる子には全く話もしなければ注意もしない。ろう教育の基本中の基本さえも忘れた授業,これで何が伝わるのか!それでいて「伝わっています」との意識。子どもが可愛そうです。ろう学校が手話に変わっていくことはもう止められません。でも,まだ時間はかかる。そこで保護者の方にお願いです,学校で使ってくれないなら家庭で使ってあげてください。子どもにとっては家族の中で通じることが一番,そこに親子の心の安定が生まれるのではないでしょうか?今までの「お母さんは家庭でも先生」はやめましょう!家庭は子どもも親もくつろぐとこです。そこで手話による会話を盛り上げましょう。デフファミリーの親子関係を見れば一目瞭然!手話によるデメリットと口話によるメリット,比べるのがバカバカしい位です。子どもの笑顔と保護者の笑顔を取り戻すために手を動かしませんか?
南風
 アメリカでの様子は,以前にも聞いたことがあって、羨ましいなあと、思っていましたが,改めてきくとやっぱり羨ましいです。
 ろう学校の職員や保護者は,本当は,聾者と一緒になって、アメリカのような社会整備を進めるために努力する必要があるのではないのか?と思うのですが,実際は,健聴者とスムーズにコミュニケーションするための指導と聴者の社会への適応に必要な力をつけるための教育を行っています。もちろん、きちんとした社会整備がされていない現状では,少しは,そうした指導も必要かもしれません。しかし、そのために健聴者より学習内容が遅れても仕方ないと思うのはどうでしょうか。聾者は,本当にそうした教育を望んでいるのでしょうか?
maru
初めて拝見しました。私の子供が聾学校に通っています。みんなの色々な意見をたくさん聞きたいです。
hisa
 私は、今、アメリカでdeaf education を勉強しています。その私の目から見ると、日本のろう教育は凄く遅れていると思います。アメリカではdeaf education という専攻が確立されていてろう教育に携わるために色々な勉強をします。数種類の手話の勉強はもちろん、歴史(勿論Deaf communityに関して)など、だから、ろう教育者に手話の出来ない人はいません。はっきり言ってろう者の方がろう学校への就職が有利だったりします。アメリカは法律ですべての子供が同じ教育を受けられる権利というのが確立されていて普通の学校で色々なサービスがあります。手話通訳士は勿論、同時キャプションなど。私のクラスにDEAFの人がいます。彼女は中学までろう学校に通って高校から普通に通っています。でも、普通に授業を受けています。手話通訳士の人とクラスからのボランティアのノートテイカーをつけて。そして、これがアメリカでの普通です。一体今のままの教育制度で日本のろう者の子供たちはどのような可能性と未来を見つけられるんでしょうか?
tetuteru
ろう学校教員です。学校というところは子どもにとって楽しいところでなければならないと思います。どきどきしたりわくわくしたり,思いっきり笑ったり,堂々と失敗できたり。
 楽しい聴覚口話法を使った教育ってあるのでしょうか?
南風
 はじめまして、北風さんと同じようにろう学校の職員です。全国のろう学校で、手話による指導を打ち出している学校は,わずかで、うちの学校もその他大勢の聴覚口話法による指導を中心として行っています。手話を早期から取り入れようとするのは、はなはだ異端者扱いです。それでも、保護者に話を聞いてみると,保護者は,自分が考えていたほど手話に対する抵抗がありませんでした。でも、まわりが口話でやっているので、使うのには,抵抗があって,指文字も身を縮めながら使っているのが現状です。その時の保護者の会話です。「やっぱり、他県では手話を使うのは、タブーなんだろうね。」「手話や身振りを入れたほうが、子供とたくさん話せるのに・・・」この会話からもわかるように、他県からの情報が少ないので,また、聴覚障害者協会や全国的な親の会とのつながりも薄いので,うちの保護者たちは,目の前にいる教師と先輩の保護者の情報に頼るしかない状況です。
 また、聾免許をもっている職員が県内に少ないのに,所持している職員が,ろう学校に残りたいと願っても、他の養護学校へ転勤(5年で異動です)させられています。かわりに、以前10年とか、15年とかろう学校に勤務していた先生たちが、専門性を回復するためにと呼び戻されています。(聴覚口話法でインテグレート者を多く出した先生方です)それと、まったくろう教育ははじめてという先生方との組み合わせになりつつあります。したがって,何とか、トータル的な指導法で、学年相応に近づけた指導をと願っても,まずは、しゃべれる指導をするのが先決と、教科書も使わず、指導しています。保護者のニーズが、ろう学校からでも大学受験できるくらいに学力をつけてほしい。そのためなら、コミュニケーションモードは、何でもかまわない。ということでもです。このサイトをみて、全国のいろいろな人がろう学校に手話の導入をと言っているのを聞くと、うちの学校でもその風が吹かないものか・・・と思わずにいられません。
明日香
北風さんと同じく、聾学校教員です。自分の所属する学校でも「聴覚口話法が基本」とされていますが、補聴器管理一つとってみても満足とは言えない現状で、とても聴覚口話による成果なんて期待できないのでは…と感じています。やはり要所要所で手話を導入していく必要があると思います。(出来るだけ早い時期に)とりあえず、校内で新しい風を起こしていきたいと願い、これから頑張っていきます。
ろう児はろう児
ろう児が大人になった時、ろう者になる。しゃべれるようになるかもしれないけれど、『決して、聞こえるようにはならない。』早期教育が必要だと言われていますが、医療・教育機関等ではそんなことを教えてくれない。医師が、教師が、親が本当のろう児のあるべき姿を求めて、一緒にがんばって行ける環境こそが必要だと思います。我が家はそんな環境を求めて転居します。今のままでは、子供がかわいそう。
しなもん
初めてこのページを拝見しました。健聴デス。今は手話サークルに通って手話を勉強しています。 高校時代の英語の教師がろうあ学校でも教えていて、少しろうあ学校のことを話してくださったのを覚えています。そこでは手話を使って教えてもいるようでした。だから手話を導入してしないろう教育が存在しているのを知ってびっくりです。私は耳が聞こえないという隔たりを超えて、ろう者ともおしゃべりしたいから手話を学んでいるのに・・・。なんだかとってもヘン!
たかのり☆
初めまして神戸から来たたかのり☆です。ちなみにろう者です(^v^)もちろん、今のろう教育はおかしいことを主張します。ろう手話のことを認めてほしいし、ろう者の教員を増えてほしいし、発音訓練・聴く訓練は無駄使いだと思っています。耳より目をみる能力が上であることをわかってほしい。手話=言語であることを認め、生きていけるはず。いろいろあるけど、親も大人も子どもも教育を変えると希望を求めて団結して頑張っていきたい。”きっかけ”が必要だね(^v^)
まねきねこ
ガルーダさん、本当にありがとう!!「聾児を持つ幸せな・・・」といってくれて本当に嬉しい。私自身聾者ですが、親には未だなっておりません。でも、冒頭にあるような言葉を出してくれて幸せな気持ちになりました。これをご覧になっている親御さんも同じように思い接してくれることが聾児にとってすばらしい親としての最高の愛情だと思います。日本手話を身につけて滞る事なきコミュニケーションをしてください。すばらしい親子関係となることを願ってやみません。そんな関係を作れるようなサポートの出来る聾学校が増えていって欲しいです。
ガルーダ
全国のろう児を持つ幸せなお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、皆さん、明けましておめでとうございます。親の会の活動頑張って下さい。いつも応援しています。21世紀こそ、ろう者が望む本当のろう教育が実現できることを願っています。ろう教育には関係ない聴者だって願っています。そして日本中の人が皆手話で話せる時代が来ると良いですね。私も美しい手話で語り合えるようになりたいです。
わだまり
息子に正しい日本手話を身につけてもらいたいのです。勿論わたし〔聴)も出来る限り勉強していきたい。
ならの大仏
北風さんがんばってください。父兄も個々では結構勉強しているよ。学校父兄を巻き込んで新風を吹かせてほしいと思います。すごく大変なことだしパワーが必要だと思いますが、一番大事なことは何かを見失うことがなかったら絶対成功すると思います。
まチャママ
就学先を考えた時、あまりに選択肢がなく途方にくれた、聾学校が魅力的なのだがそこを卒業された方に意見を求めたところ、そこの先生達(トップを含め)は頭が固い、わかってない(聞こえないことを・・)あまり薦めない、と言うことを言われた。後は地元校しきゃなく、あとは、良い学校を探して引っ越しという選択か・・そんなに、聞こえぬ子を持つ親は大変な思いをしないと何故?いけないのだろう。聞こえる大人の手本はたくさんいるのに、聞こえない大人の手本はわが子のまわりには何人いるのだろう?家庭で補えない以上やはり教育の場はとても大切一日も早くろう者の先生を多数採用され子供達があの先生が好きだな、と、選択出来る環境を願います。ろう者によるろう児のためのろう学校、願ってやみません。
北風
聾学校教員です。父母の間からこのような意見が出てくることに対してとても心強く感じます。口話中心の聾学校の中にも手話を中心に据えた教育実践を目指そうとしている教員も沢山います。もっともらしく主張する聾教育常識の壁に押しつぶされまいとあえいでいる(自分か・・・?)教員がいます。このような声がどんどん聾学校の現場に届き、教員の間でも真摯に論議され、父母や聾者本人から謙虚に学ぶことの出来る土壌が現場にできれば、聾教育も本当にかわる事ができるとおもいます。
ならの大仏
今の教育委員会等に聞きたいのですが、日本にはろう教育というジャンルはあるのですか?私の知っている範疇では教育要領にほんのわずかの欄しかないのではないですか?障害という意味ではある程度、認識してもらっていると思いますが、教育と言う意味ではまったく認識していないと思います。(一部の人をのぞいて)教育をする教師のスキルがいかに低いかを象徴していると思います。もっともっとプロ意識のある教師を望んでいますが、良くする手だてすらわからないのが現状じゃないのでしょうか。
サイン
私の妹の子供は聾児で、1歳8ヶ月になるのですが、岐阜県内のことばの教室へ通っています。両耳100デシベル以上の可愛い甥のこの大切な時期に、何をしているのかわからないような指導に不安でいっぱいになりました。早い時期から、この子に手話を学べる環境を整えてあげたいのにそれができないことに苛立ちを感じます。
ならの大仏
HPはじめて拝見しました。地域によってこれほど教育に差があろうとは思いもしませんでした。私の娘は、ろう学校小学部6年です。早期教育、幼稚部、小学部と10年以上ろう学校には通っています。PTAの役員をしていてよく思うのですが学校としての問題も多くあるのは事実です。しかし担任の先生のやり方次第で良くも悪くもなると思っています。健聴学校でも同じことだと思いますがサマリーマンと教師の違いがわかっていない人が多いと思います。子供の今後の人生において先生の影響力がどれほどのものなのかもっと考えてほしいと思います。たぶん、今の教職員採用事情からするととても無理だとおもいますが・・・・。手話、口話論議を今更するつもりもありませんが、(たぶん手話がなかったら娘たちは、話す楽しさをわからないまま育ったと思いますょ)手話が出来ない親がいるのも事実です。(はずかしながら、子供にはいつも怒られています。)最後になりますが、がんばって大きな大きな和を作って、日本のろう教育を変えて、欧米並にしたい。
神奈川在住ろう児の父
11月12日の第7回聴覚障害教育を考える神奈川フォーラムでパネリストの発言によれば、聾学校の教員のうち、教職員免許法第3条3項のいわゆる「聾免(法が要求する聾学校教員の要件)」を持つ者は平成10年度では全体の30.8パーセントしかいないそうです。まあ、免許を持っていれば良いというものではないでしょうけど、余りにもいい加減すぎませんか。
りょうへい
聞こえないお子さんをもつ親が自分の思いをぶつける場を自らつくっている姿をみて応援したくなりました。インターネットを用いた情報の発信をするという新たな時代の到来を感じます。これからもお子さんのために頑張ってください。
親方日の丸
日本の特殊教育諸学校(盲・聾・養護学校)の教員の給料は一般の教員(高校の教員)と比べても非常に高い。特殊手当も付いている。従ってボーナス・退職金ではさらにその差が大きくなる。だから教員は盲学校へ転勤すれば点字や墨字を勉強する、養護学校へ転勤すれば子供たちの発達にあわせていろいろな教育方法を勉強する、なのにどうしてろう学校だけはゆっくり大きな声でしゃべるだけなのか?母親にその責任のすべてを押しつけるのか?その金はどこへ消えるのか?
ASTRA
大学教員です。「心理言語学」で、聴覚障害者教育について今扱っているところです。上記の項目(ろう教育はおかしい!の投稿にある項目)に賛成します。
朝日奈龍輝
手話をやりたいというだけで聾学校への赴任への道が閉ざされるような話を聞いたことがあります。手話は聾の人にとって重要なコミュニケーション手段です。健常者にあわせるための教育はおかしいです。
たに
Yahooの検索でこのページを見つけました。全面的に賛成です。聞こえないお子さんをもつ親の叫びが伝わってきます。がんばってください!
さとる
友達から面白いページがあると紹介されて見にきました。ろう学校の現状を知って空いた口がふさがらない思いです。自分ができる口だけの方法で教えてそれでいいわけないでしょ。普通校の教師もおかしなのが多いけど、ろう学校にはもっとひどい化石みたいなのがいることにびっくりです。おかしな教師・校長は実名を公開すべきです!そうでもしなきゃやりたい放題じゃないですか。
まさる
このような現実を知らなかったことを恥じると同時に、現在のろう教育のおかしさに腹立たしくなりました。私に出来ることは協力させていただきますので、これからも頑張ってください。
ままりん
今月から手話をならいはじめました。聴覚障害者が講師さんで、本当に説得力があります。がんばって手話通訳士をとりたいです。高校生の長男も興味をもったのか通学している電車の中で手話で会話をしているのをみてかっこいいなあと興味をもってくれてます。手話がもっともっと広がってほしいです。
コナンの父
私に協力出来ることは、何もありません。せめてろうあ者の方々を取り巻く環境が、少しでも改善されるようお祈りしております。
ほのママ
授業内容が普通の学校より数年単位で遅れているのはおかしい。ちゃんとした教育を受けられる権利が保障されていないのか?高等部から手話を使って授業を行うというが、じゃあ手話はいつ教えてくれるの?「話すこと」ばかりにこだわるのではなく、もっと豊かなコミュニケーション手段があるということを多くの人にわかっていただきたいものです。
原野
ろう学校の同じクラスの母親達は、「声でしゃべれるようにさせるのがろう教育だ」と信じている。子供たちは親達に一生懸命話しかけている。親達は自分が聞き取れるまで何度も同じ事を言わせている。「はあ?何?その言い方じゃ分からない。もっと大きな声を出しなさい。何?はあ?」子どもは悲しそうな顔になる。そして電車の中では「声が大きすぎる!うるさい!」と子どもをしかる。こどもは大好きな母にきれいな景色を伝えたかっただけなのに・・。そしてまた、子どもから笑顔が消えていく。悲しい現実だ。
ダイナ
初めて会う成人ろう者にいつも言われる言葉があります「手話を使っているの?そう、きっとこの子はのびるわよ〜』。特に、年配者はニコニコとうなずきながらそう言います。なぜ、ろう学校は子供たちの心がわかる先輩ろう者を先生にしないのだろう。聴の先生に、本当のろう者の気持ちがわかるとは思えない、だってろう児の親である私でもわからないことが沢山あるのだから。聴者って心のどこかで、ろう者は自分より劣っていると思っているんじゃない?だから、先生にさせたくないんだと思う。「あなたは、先生やめなさい」と言いたくなる聴の先生いっぱいいるんだけどなぁ。
あだち
私は、ろうの子供を育てるとき、聴覚口話法の情報しか知りませんでした。そして、目指していたインテ環境でますます失敗。ろう学校に戻ってみて確かにひどい環境ではあるが、そこにはろう児の集団があり仲間がいる。インテ環境に比べればまだマシだとおもいます。後は、そう、先生が本当の意味でろう児を認め、子供の仲間になってくれれば・・・・。
コイン
ウチのろう学校の校長先生はいまでも「手話はて・に・お・は・がない語彙の少ない劣ったものだから、学校では教えません」と言っています。なんたる時代遅れ!なんたる勉強不足!自分の無知をさらけ出している。でも、「それは違いますよ校長、手話は遜色のない言語です。」と誰も校長に教えない。校長は[裸の王様]なのです。これで毎月給料(税金)をもらっているのです。
夏木
ろう学校の先生には子どもの言っていることが分からないから、会話が続かない。簡単な内容の会話しか出来ない。子どもの言葉が分からなくて、どうやって勉強を教えていくの?だからろう学校は2〜3年遅れた授業をしているのだと思う。教えている先生は疑問に思わないのかな?歯がゆくないのかな?
北国
ろう学校に「聞こえないこどもに声だけで授業をしないで下さい。見て分かる授業をして下さい」と要望を出しましたところ、先生方にイヤな顔をされ、そのあげく教頭に「そんなにこの学校の方針が気に入らなければ他の学校に変われば?」と言われました。個人の意見はこのようにことごとくつぶされています。誰のためのろう学校なんでしょう?
ソニア
2歳半の息子は、いつも地域の保育園に通っています。ろう学校へは週2回。昨日、保育園に迎えにいくと先生がこう言いました。「お待ちかねでしたよ。お友達のお母さんが来るたびに『お母さん・待ってるの』と手話していました」と。息子の手話より、それをちゃんと読みとってくれる保育園の先生に感謝しました。自分の思いが通じないことほど辛いことはありませんからね。それがなぜ、ろう学校の先生にわからないのか不思議です。
ひろっぴ
口の動きだけで会話を成立させようとする口話教育なんて、絶対おかしい。そんな教育廃止して、確実なコミュニケーションがとれる手話教育に完全に切り替えるべきだ!
WWJD
今朝(8/30)の日経新聞の朝刊40面に「言語超えた声なき舞台」という記事が載っていました。その中にも筆者の通ったろう学校では手話が禁じられていたことが書かれていました。手話が独自の言語であるという捕らえ方が良く分かったので、英語を話す人には英語で授業がなされるのと同様に、手話で話す人には手話で授業がなされるのは当然だと思います。同じ表現方法を持った人から教育を受けられるようになると良いと思いました。
りゅ〜ち
手話を使うことの何がいけないのか、なぜ導入しようとしないのか、を訊いてみたいものです。大事なコミュニケーション手段だと言うのに・・・。
夏のおが
まずは、教員とろう児がお互い理解できる言語(手話)がないと口語(口話の間違いだと思います。by 管理者)を理解できるわけがないと思う
あじさい
親にとってろう学校の方針に逆らうのはとっても勇気がいります。意見を言っただけでも「でもね」とか「お母さんが頑張らなくちゃ」といって説得されてしまいます。でも将来の子どものことを考えるととても心配です。是非この会を通して親の気持ちを代弁してください。そしてできれば実際的に助けてください。
あきあき
手話を教えないのは、手話が使えない教員を簡単に採用できるからという気がする。
おがおが
教員が手話を使えないのはたしかにおかしいと思います。
ママリン
お子さんへの皆さんの熱意を信じ、ここに同意させていただきます。がんばってください!
ゲバラ
今時、ろう学校に通うために母親が仕事を辞めなければならないなんて時代錯誤も甚だしい。ろう児は日本語が獲得できないのではなく、現在のろう教育ではろう児に教育ができないのです。
桑畑四十郎
よりよいかたちで、環境が整うよう応援します。
現在のろう教育は早急に改善するべきである。なぜなら洗脳された親や教師によって子供たちは教育を受ける権利を奪われているからである。本当のろう教育を目指し今こそみんなで立ち上がろう!
FK507
世間での認識が薄い(自分もその一人です)と感じます.地道かもしれませんが,周りの人々に伝えようと思います.一般にもっと手話が普及すべきだと思います.
CHAI
手話は非常に優れた伝達手段です。もっと利用して欲しいと思います。
YES
よくは知りませんでしたが、これらのことを知り、考えさせられました。頑張ってください。
MARU
誰のためのろう教育か?ろう教育は「ろう者を聴者に近づける」教育なのか?フリースクールでの取り組みが、ろう学校で行われるのは難しいのだろうか。。。
まさよし
自分に何ができるかわかりませんが、署名には賛同します。
まゆ
口話を強制する学校は、もはや教育ではない。虐待だ。
どんちゃん
ろう教育はもっと子供たちに寄り添った教育をして欲しい。ろう学校へ通うこと、これは普通学校へ通うよりプラスになることであって欲しい。
PEACE
自分の勉強の範囲ですが、ろう教育の現状は改善されるべきと応援します。
とん
バイリンガル教育を実践するろう学校がひとつもないのはおかしいです。
うめとも
「聾児が手話で育っていく。」この当たり前のことが、当たり前になるようにこれからも頑張りましょう。
ウミガメ
「聴者に近づくための努力」を強いるだけの現在のろう教育は絶対おかしい!ろう教育を絶対変えるぞ!!!


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