ろう学校での事例紹介

ろう学校の実態を当事者であるろう児やその親、あるいは、
過去を振り返って成人ろう者がつづるページです。
短い内容でも結構ですので、是非投稿ください。

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「ろう学校を見学しました」
タイヤセンター
日本手話学習者です。
先日、都内のろう学校で学校公開があり、見学してきました。
小さいときから手話を導入しているということでしたが、ほんとうに簡単な手話単語を羅列しているだけで、それよりも隣の教室まで聞こえてくる大きな先生の声が気になりました。しかもその日本語も手話単語に引きずられて、中途半端で日本語だけ聞いていると何を言っているのかさっぱりわかりません。
何より子どもたちの目に輝きがなく、言葉を理解して行動しているというより、周りの様子を伺いながら、動いているようでした。
英語の授業では、英語をカタカナにして板書し、指文字と一緒に発音させていました。
ろう学校はいつまでたっても「言語とは何か?」が、わからないのでしょうか?


「耳の変わりに目があるし
声の変わりに手話がある」

聾家族
 デフ友達の家へ遊びに行った時、この母親に頭が来ました。
デフ息子は時々補聴器をつけない時があります。その時、耳元を見て「補聴器をつけないの?つけないとダメでしょう!いろいろな音を聞かせてあげないと困るんだよ」と注意されました。はぁ(−。−)
 ある友達も恋人の家へ行ってこの母親に言われたのは「声を出して話しなさい!!」って。
そんなに言わなくてもええのに、二度と行きたくないですね。 
 補聴器を必ずつけるんじゃないし、声を必ず出すんじゃない。
耳の変わりに目があるし声の変わりに手話があるもんよ。
 聾学校の先生のうのみしないでろう者の立場を考えてもらいたいです。


思い込まないで!
ホットケーキ
 手話できる先生なのに・・・ろう児の手話をきちんと読み取れないところがあります。
 ろう児:インフルエンザ(小指を立てて風邪)先生:お母さん?(小指を立てる)
 残念ながら通じないままで先生が一方的に話しました。ろう児は「違う」とまだ言えない。ろう児の手話表現は正しいなのに先生は正しく読み取れないなんてもどかしい。
 これからの課題です。先生向けの手話教室をやっている聾学校を教えてください。参考したいのでいろいろと教えてください。どうかお願いします。




崩れるのは早い
怒れる親
 愛知県のO聾学校は校長が変わってからと言うもの、先生達の暴挙が目立つ様になってきました。
先週、小1の図工、全部で12人の子供の中、3人だけが4月過ぎから取り出され新任の2年の先生が特別に担当していると言うのが発覚しました。親は、まさか図工を分けられているとは知らず、先生からも今迄なんの説明もなく、気が付いた時はもう1年も残りわずかです。1年の本来の図工担任で、なおかつ学年主任も兼ねている先生に、何人かの親で質問しに行くと、関係ない奴がうるさいなとばかりに『自分の口で聞いて下さい。あなたから聞きたくありません!』と。
当事者以外の人が3人のお母さんの要望を言うのならともかく、そうではなく疑問に思ったから聞いただけなのに、論点のズレた事を言われ、何故親に言わなかったのか?に付いては「担任に言ってあるから私に言ってもらっても困る!」と逆切れされ、なぜ分けたのかは「自分で作るようゆっくりやらせたかったから。」これから先も別か?『わからない一緒にできる事はやるつもりだ』今は3人は何作ってるのか?『知らない』(つまりほったらかしって事?一緒にやるつもりなら、担当の先生に様子を聞いたりするはずなのに聞いていない。やるつもりは初めからない?夏冬の通信簿はどうやってつけたのかしら・・・)挙げ句「話は終わりか?早く出て行ってくれ」と、犬を追い払う様に手でしっしっと教室から追い払われました。低学年の内は、仮にゆっくりだったとしても、放課後やっても良いし、友達の作る物を見たりして自分もやってみようか、と言う意欲につながったり、又難しい所はお互いに手伝ったり、勉強よりも大切な事が学べる時期ではないでしょうか?それを、「今年の考えは手伝わずに自分で作る」等と言い、その為にゆっくりだからと言う理由で排除する。ハッキリ言って邪魔なのか?差別にしかみえない。なにより、図工の担任として学年主任として、それこそ自分の口でお母さん達に分ける時点で説明するのが筋ではないでしょうか?
そして、親にまでそんな失礼な見下した態度と言う事は、普段の子供達への接し方も同じなのかと思います。「ばか」『頭が悪い』と子供の前で手話付きで言ったりもしています。日本語を教える教師としていいのか?不適格教員にあてはまるであろう。その先生は、とても我が強く、他の先生達も誰も勝てる人がいない。年上の先生でもその先生には言えない。と言う話も聞きます。校長にはつい最近もその先生の事で態度が悪いと言ったばかりなのに、治るどころか最悪な態度。校長は出張ばかりで現場に目が行き届かず、県に言っても伝わっ
てんのかなんなのか?先生達にはうるさくなくて楽な校長でしょうけど、子供にとっては存在感のうっすい校長です。
図工も残りあと3回。皆と一緒にやらせて欲しいと言ったのに、未だに3人は別のクラスでやらされています。これって人権侵害に当たりません?

聞こえないだからね!
ホットケーキ
 幼稚部に聴力が重い子や軽い子がいます。聾学校だからすべて手話を使うべきなんですね。なのに・・先生は軽い子に話しかけは口だけなんですよ。
他の子が分らないような話さないで!!軽い子は聞こえがいいだけど、先生の話を本当に理解できるの?言い分けしないで平等に手話で話してちょうだい!!
 保育園の子供たちが来て交流会で挨拶の時、ろう児は手話を使わないでマイクに向かって口話を使わられていた。不自然な姿で見ていられない(><)先生はなぜ手話を使ってあげないの?
みんな聞こえないだから手話を使ってもいいんだよ!!  
 今度、子供が小学生になる。先生が「聾学校に残りますか?普通校に行きますか?」という質問に対しておかしいと思いませんか?子供は聞こえないと分っている先生がなぜ普通校に行けると思ったのか、愚か者ですね。情けないですわ。みんな聞こえないだから聾学校に通うがいい!!
 聾学校の先生だからろう児の立場を考えなさい。だからろう者の文化やろう者の生活などをよく視察しなさい。手話も正しく学びなさい!表情も。
「手話が難しい」と言う先生がいます。難しいだからどうした!ろう児が困ると違いますか!
 みんな聞こえないだから手話を覚えながら手話会話を慣れなさい。

疑問
ながの
初めて投稿します。私は幼稚部から高等部まで聾学校。いい先生やよくない先生がいたので仕方がないと思った。でも自分の子供もデフで聾学校(母校じゃない)に通ってみたら唖然したの。太鼓をたたいて反応をみたりテープで音楽を聴かせるだけ。聴ママは聴かせたいと必死。デフママはぼっつん。
私は聴いても解らない!イライラ頂点。ろう児の顔をみるとポカンする。私と同じだとわかる!手話を使いながら踊りながら乗ってくるだろう。歌の意味を解りやすく話してあげたら楽しめるだろう?
太鼓をたたく教育のは動物扱いでしょうか?耳のメインだけに集中している先生はろう児の将来は何なる?   それから給食運びと教室掃除はママたちがやらっきゃいけないの?ろう児と先生がやるべきなんですね。  聾学校は何のためにできたかときちんとしないとこまります!

色々います
たかこ
 先日、某聾学校の校長先生と教頭先生が手話教室に参加されているのを偶然見かけました。
学校では手話通訳がいる上,任期も2年。ほとんど子供たちと接する機会もない方々です。
そういう人たちが一生懸命に学んでいる姿を見て、聾学校もそうそう捨てたものじゃないと思いました(ちなみにその先生方は自分たちが手話教室に通っているということは全く言いません)
 駄目な人,駄目な体質…数え上げたらきりがありませんよね。でも嘆いていても仕方がない。自分にできることを精一杯、するしかないかな、と思う今日この頃です。



「校長のための学校?」 最終編
匿名2
卒業式が終わりました。
なんと今年は、校長の退任式のために、卒業式の内容が削られていました。
削られたものは、まあ下から必要の無いようなものでしたけど・・・・。
でも、「子どものための学校」等といかにもという感じで普段親に話をしている校長が、
結局自分の事しか考えていなかったんだなとつくづく思いました。
しかも、20人もの転任職員が並んだ離任式の時間より、
たった1人の校長退任式の時間の方が長いというお粗末さ。
お世話になった先生とのお別れの式を終え、しんみりとした空気が
退任式のお陰ですっかりしらけてしまいました。
しかも、時間が延び、どうしても帰る時間が決まっている子どもは、
お世話になった先生とゆっくりお別れをすることもできず、
せかされるように帰るしかありませんでした。
がんじがらめの聴覚口話法を子どもに押し付けセミリンガルという被害者を
何人も出し、中には、精神疾患まで追い込まれた生徒もいたとのこと。
そんな罪を背負った校長は最後の最後まで子どもに負担を押しつけて出て行きました。

「親は手伝い件雑用?」
さつき
娘と一緒に、毎日聾学校の幼稚部に通っています。
原則として母親が付き添いなのは、他県の学校も同じなのでしょうか?
日頃思うのは、何の為の付き添いなのか?という事。
教師の指導方法をよく見たり、自分の子供がどの位出来たか確認の為とか、建前は色々あるのでしょうが・・・
はっきり言って私たちはお手伝い兼雑用という感じです。
指導力のない教師を見ていても時間の無駄で、しかも毎日学校の掃除、行事や活動や給食の準備と片付け、教師のお茶淹れ(費用も親持ち)までしたり、他もありますが、こちらが給料貰いたい位!
特に娘の担任は、何故こんな人が教師なの?なんて感じなので、なおさら頭に来てしまいます。
でもやっぱり頼る所はここだけかもと考えると、あまり強い事は言えなくて・・・
この学校も聴覚口話法です。



「校長のための学校?」 続編
匿名2
続けて、情報が入りました。
校長1人のための退任式(ごとき)に、なんと30分以上もの時間を費やすそうです。ちなみに、十数名もの先生方の離任式は十数分。今時どこの学校も、離任式の先生たちの列に校長も入り特別な式など行わないのが常識です。特殊校(今は自立支援)だけに、校長の常識も特殊なのでしょうか?
さらにさらに、校長1人の退任式ごときの為に、卒業式の内容も例年に比べカットされているという前代未聞の事態。
この馬鹿な学校を何とか改善できないものでしょうか?



「校長のための学校?」
匿名
校長が退職になります。
普通なら、離任式で前に並ぶ職員の中に校長も入り、他の先生と同様に挨拶をしてお別れをします。
しかし、松本ろう学校では、他の先生の離任式の後に校長だけのための式を行うらしいです。その為の時間が必要なので卒業式も、離任式も普段以上に時間を制限されます。こんなのあり得ないです。子どもにとって見れば、特別なのは自分の担任ぐらいで、他の先生はそれほど関わりがありません。まして校長なんて、なおさらです。
校長が退職するからといって、特別に式を設定するのは聾学校が特殊と言うことなのか?こんなくだらないことのために卒業式・離任式の終わった子どもをもう一度かり出し式をやるという発想をしている時点で教育者としては失格だと思います。



「命令ばかりのろう学校」
立国
立川ろうは先生達は命令がシツコイです。
何とか生徒に考えて欲しい。




「Zzzさんにものすごく共感!」
チャレンジャー

 「この学校が過保護過ぎ!!!!」 思いっきり同感です!

 聴覚障害児は、「いろいろやってあげなければ何もできない。」こんな事を、職員会で、さも当然であるかのように言い放つ馬鹿教師。そんな教師の下でぬくぬくと育ってきてしまった生徒は、本当に何もできません。自己責任をとらされたりすることもなく、失敗する前に手を貸してもらい、何もやらなくても、馬鹿教師が、お膳立てを整え、そして、自分がやったことにしてくれ、褒め称える。そんな環境しか知らずに、育ってきた生徒達は、「やってもらえることが当たり前」「自分は言われるままにさえ動けばよい」中学、高校になっても、そんな意識レベルです。

 「その人の能力にとって高すぎる要求をされた場合、あるいは逆に本人ができるはずのことをやらせてもらえない場合に反応を起こすことが多い。」これは、片倉和彦先生の研究発表からですが、「できるはずのことをやらせてもらえない。」できるはずなのに、任せてもらえない生徒がたくさん居ます。自立を促すために、もっと違う考え方をしなければならないのではないか?と提言したところで、「聾学校にはじめてきたくせに何を言っているのか」みたいな感じで、聞き入れてすらもらえません。

 一緒にこの学校に赴任した先生と最近よく話すのが、長くいる先生は、是非、このままずっと、この学校にいた方が良いと言うことです。何故かというと、特殊校の方がまだ、生徒数が少ない。つまり、そういう、何でもかんでもやってあげることが、何よりも大事だと思いこみ、結局は生徒が自立できなくなると言うことが分からない馬鹿教師の被害を受ける子どもの数が少なくて済むからです。

 特殊校の子ども達には本当に申し訳ないと思うのですが、使えない教師が特殊校にまわされるというのは、こういう理由があるから何だなぁと思っています。本当に、職員会で交わされている言葉を公開したいです。
 
この前は、馬鹿校長が手話を使うと脳が発達しないと、言い切りました。
最悪です。

「何が嫌だって長年いる連中の考え方が嫌です」
チャレンジャー
普通校の小学生には当たり前のように任せていたことを、聾学校の中・高生に任せようとすると、長年いる教師から反発を食らいます。
彼らは、「ろう学校の子どもはできないんだ。任せるんじゃなくてできないから、やらせなければならない。いろいろが遅れているんだから、普通に考えてはいけない」と言うのです。おまけに、新しく来た先生にはまだわからないからと言って、聞く耳すら持ちません。
できないことを最初から決めつけてかかる考え方など、理解する気にもなりません。職員会の発言記録を全て公開し、公の場で、教職員の意識について根本から見直したいです。校長ははっきり言います。普通校と比べてはいけない。ろうはろうだと。「できるはずだ。」「できないはずだ。」そんな討論の後に言うのですから、もちろん、できるはずがないと言うのが根本にあるのでしょう。
ならば、何故できないのか、何故勉強が遅れているのかそのことを考えるべきではないでしょうか?義務教育であるはずの小学校で既に、常軌を逸脱した進度の遅れがあるのは何故なのか。聴覚口話法などと言ってふんぞり返っている能無し管理職。そのお陰で、どれほど多くの可能性がつぶされているのか、認めないだけでなく考えようともしない。
学校にいることを嫌に感じる気持ちが日増しに強くなっていきます。

「ますます嫌になる聾学校」
チャレンジャー2
自立とかいっておきながら、教師が一方的に決めつけて生徒を動かしている聾学校。
普通校ならそんな教育はせいぜい小学校低学年まででしょう。
しかし、聾学校に於いては中学校になっても、強制の教育のままです。
これでは、自立なんてものはほど遠い。
聾学校の教育姿勢、本当に嫌になります。
「特殊教育の教師は質が低い」って、言われているみたいだけど、現場に入ってみて、それを実感する今日この頃です。

「私は聾学校の生徒です。。。」
Zzz
初投稿です。
私は東北地方某聾学校の生徒です。今年父の仕事の都合で東北にある○○○に移りました。

入学式で某聾学校に来ましたがその場ですぐショックを受けました。それとは………
入学式で自己紹介をするとき私以外の皆はマイクを持って口話法で自己紹介をしてました。。。もちろんデフファミリーの子も………
絶対有り得ないですよね??
しかも!!!通訳者もほとんど訳せなかったです。そんなんじゃ自己紹介の意味がなくなってしまいますよね?

そして4月末からは本格的に勉強が始まりましたが、同級生の3人か4人は先生の言うことが分からない、または分かってるフリをしてます。
↑うなずいてるだけで先生に分かってもらってるような感じ。もちろん今もそうです。

他に……同級生のほとんどは表情が分かりづらいんです。顔がロボットみたいと呼ばれてる男の子も居るんです。ろうに生まれてきた意味がなくなってる同年代の子が増えてきたんで早く生徒会に入ってそれを阻止するように努めたいです!!

私の今の悩みはこの学校が過保護過ぎ!!!!過保護度全国ナンバー1と言っていいほどです。
同級生が友達と遊んで内緒でプリクラを撮ったのですが親にばれてしまい怒られたそうです。。しかも学校に電話したという……。
同級生に「母さんはどうして撮ったらダメって言うの?」と質問したら「『危ないし高いからダメ!!』って言った」と答えてくれました。
撮ったら爆発するとかそういうのはないし、4人でプリクラを撮ったら1人たったの100円しかかからないのに……。しかも遊ぶ日の門限は3時までらしい……。小学生並でしょ??
自分や自分の子を守りすぎてる!!!親が何かを恐れすぎてて子どもが遊べないのが腹立つ!!!

もう完全口話主義は世界から無くした方がいいと思ってます。私にとって口話法じゃ体力消耗みたいで疲れます。

ろうに生まれてきた意味が無くなるのが残念に思います。

皆さんはどう思いますか??
長い文を読んでくれてありがとうございました!!






「長野県は負のナンバー1!」
チャレンジャー
長野県もすごいですよ!
まず聾学校に赴任するのはろうの免許はおろか手話も出来ない教師が9割以上。そして何より、母子・幼・小・中・高・専全て一緒。
更にすごいことに、赴任するのは義務教育の先生ばかり。従って、高校生なのに、専門以外の教科を担当する教師はざら。教育委員会も校長も全くの黙認。つまり、専門的な授業を受けるに値しないということでしょう。

 聴覚口話法といっておきながら、行事には手話ボランティア・活字の映写を取り入れ、何を考えているのかわからない。犠牲者は当然子ども、ほとんどの子が手話的なものでコミュニケーションするなかで、全然出来ない子もいる。従って、同級生なのに、十分にコミュニケーションが出来ない事態が出てくるのです。そのことに気付こうとせず、聴覚口話法だと吐き捨てる校長、出世したいからそれに従うバカ教師。もちろん、反対の立場の教師も若干います。

 しかし、他の県と違って、義務の教師の場合1校にいるのは3〜4年が大多数。資格を持たない教師が赴任して、何とか片言の手話を身につけ意思疎通の手がかりをつかんだくらいで、転勤です。

このデメリットがどれくらい大きいのか・・。

 こんな簡単なことすらわからない、長野県教育委員会。そして校長。管理職試験のない長野県では、無能でも、上に逆らわずゴマすっていれば管理職になり、更に上に逆らわずにいれば老後も安泰。その結果、かつての教育県は、狂育県になってしまいました。

コメント:
 ろう児に対する教育をボランティアや奉仕のひとつとでも思っているのでしょうか。それとも、出世のためなら子どもの気持ちなんてどうでも良いとでも考えているのでしょうか。何の専門性もない、子どもと会話すらできない教員が入れ替わりやってくる。

「ろう児なんだから学力が遅れてもしょうがない」なんて平気で言って学力低下や情緒的な問題すべてを「ろう」のせいにしてしまう。ろう児は子どもです。子どもには教育を受ける権利があります。教室に座っているだけの権利ではありません!母親の労働力を借りなければ教えられないような、そしてそのような膨大な労力の提供を受けてすら効果の上がらない教育しか受けることができない権利しかもっていないなんてはずありません。
国語の勉強や算数の勉強や、英語の勉強や化学の勉強や物理学や心理学や経済学や、そうした学問を聴児と同じように学べる権利を持っているはずです。

 日本で有名なあるろう教育の専門家(とされている方)が「ろう児は頭が空っぽです」と講演会で平然と言っていましたが、そんな専門家に大切な子どもの将来をつぶされたくはありません。日本のろう教育の専門家は耳を使うことしか知らず、日本手話を使うことができないから、ろう児の発するメッセージを受け止めることができないのです...。
「ろう児といつでもどんな内容でも自由に話すことができる教師」を求めることはろう児にとって当然の権利であるはずです。
そうしたろう者の教員の採用をぜひ求めていきましょう!
も ど る




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