ろう口話教育の歴史の中で、あんなにも嫌われた手話という言葉も最近になってようやく定着してきた感がある(「手話」という言葉だけが広まったのであって、手話そのものが定着したのではない)。手話を話すこともまったくできず、成人ろう者と直接話したこともないろう学校教員でさえ、手話について語ることが増えてきた。しかしあいかわらずろう教育関係者のほとんどが、手話を見たことも話したこともないのが現状である。バイリンガルとは何か?
「ろう教育に手話を」と言い続けてきたのは、ろう者たちである。その声が今になって、やっとほんの少し、いい意味にしろ、悪い意味にしろ、世間の声になってきたのである。
バイリンガルろう教育という新しいことばも、ここ数年、特に昨年あたりから、多くの専門家たちの間で、取り上げられるようになってきている。(実際にはアメリカや北欧ですでに10年以上も前から実践(理論ではない!)されており、これ以外にはないと言われるほどの成果をあげている。こんなことは日本のろう者はすでに各国のろう者との交流から、それを知っていたのだが・・・。)しかし、最近ろう教育関係者の中で使われる「バイリンガルろう教育」はどれも怪しげだ。欧米の理論や実践、その報告などの正しい情報の前に、バイリンガルに対する先入観、誤解、曲解、または得手勝手な思い込みのほうが、先に広まっているような気がする。音声言語のバイリンガルと混同してしまっている教員も多い。したり顔で「バイリンガルは日本では出来ない。」などと説明している姿を見て、びっくりすることもある。情報操作ではないかと思うほどである。
今回は、バイリンガルろう教育について、どのような誤解があるかを検証することで、バイリンガルろう教育の本当の意義やその理論について考えたい。
バイリンガル(bilingual)は直訳すれば、2国語を話すこと、または2国語を話す人である。biは「2つの」、lingualはlanguageで「言語」を表している。つまりバイリンガル教育とは、2つの言語を使用する教育のことである。 言語とコミュニケーション手段は違う。コミュニケーション手段といえば、身振りや筆談、もっと一般的に言えば、電話、e−mail、携帯電話もコミュニケーション手段という言い方もあるだろう。 communicationの意味を英和辞書で調べると、「伝達、通信、交信、連絡、通信網」 言語は、広辞苑によれば「音声または文字を手段として、人の思想・感情・意志を表現・伝達し、または理解する行為。またはその記号体系」2つの言語の関係
まず、このとても基本的なことを確認したい。言語とコミュニケーション手段は違う。似ているようだが違う。言語には文法や体系があり、その言語を共有するグループ(民族)がある。
また、もう一つ大切なことは、バイリンガルとはどちらか一方の言語を習得させるために、もう一つ別の言語(の1部)を利用することでもない。2つの言語は同等である。バイリンガルろう教育とは、ろう児を2言語使用者として育てること、そのために2つの言語(手段ではない!!)で教育することである。
だから結論。バイリンガルという以上、2つの言語が存在しなければならない。ろう教育でのバイリンガルとは日本語ともう一つは何か? バイリンガルろう教育での2言語は、同等の言語体系をもつ、日本語(Japanese)と日本手話(JSL:Japanese sign language)の2つの言語である。
同時法手話、日本語対応手話、指文字、キュードは日本語である。これらの手段をどのように使ってもバイリンガル教育とも2言語教育ともいうことはできない。
日本手話は、日本語とは違う言語である。日本語の方言でもないし、日本語の一種でもない。日本語、広東語、英語、ASL(アメリカ手話)、タミール語、JSL(日本手話)とそれぞれ独立し、同列に並ぶ言語である。
「ろう学校に手話を。」と言うと、決まって「では日本語は要らないのか。」「手話は一般社会では通じない。」など、口話の対極にあるのが手話であるかのように捉えてしまう人が多い。しかし、これは根本的に間違っている。口話とはその字の通り、口(音声)で話すことである。手話で日本語の読み書きをどう身につけさせるのか?
バイリンガルろう教育では口話を否定しない。口話(speech)の働きについて学習するが、その訓練(speech training)は、子どもたちの希望と適性にそって行われる。バイリンガルろう教育が否定する口話とは、口話教育のことであり、口話教育とは、ろう児に日本語を音声で話させること、あるいはその訓練をすることである。音声日本語のモノリンガルだけを育てることである。(聴者が音声で話しても誰も口話で話しているとは言わないし、国語の時間に音読をしても、それを口話とは言わない。)
それでは最近のろう学校のように、口話は強制せず、子どもたちが手話を使うことを容認あるいは黙認することはどうか?また教員が対応手話、あるいは指文字などを使うことはどうか?もちろん、これは口話教育とは言えないだろう。しかし、バイリンガル教育でもなければ、手話を「導入」していることにもならないのは確かである。なぜならそこにはどのように言い繕っても、日本語以外の言語が存在しないからである。中にはろう学校教員の手話を下手な日本手話、もっとひどいとピジン手話と言うこともあるらしいが、とんでもない誤解である。
バイリンガル教育での「手話」は、教育言語として、手話(もちろん日本手話JSLである)を使用することであり、手話を使って日本語を教えることでも、手話を教えることでもない。まして声を出しながら(つまり日本語を話しながら)手を動かしていることは「手話で話すこと」でも「手話を使うこと」でもない。ところが日本手話を知らず、話すことのできない人には、これを見分けることは困難であり、このためにろう学校では日本手話などまったく使われていなくても、手が動いていれば「手話を導入している」という誤解が生まれる。しかしこれは日本語の単語レベルでの言語指導が、口話や聴覚活用から手話単語に置き換わっただけで、手話教育とも言えないし、ましてバイリンガルとは全く違う。
それでも手さえ動いていれば、手話単語さえ使っていれば、子どもたちには十分通じることができるし、子どもとのコミュニケーションも取れるという。だから聴者教員にとって難しい(らしい?)日本手話は使わず、手話単語やシムコムを使っても、子どもたちはその手話単語を自分たちで手話にしていくから、それでいいのだという。このたった4行の文章は短いが、とても狡猾なろう教育者の言い訳である。この部分の検証は後述したい。
脱線したが、バイリンガル教育=日本語不要ではない。むしろバイリンガルろう教育では、日本手話の母語話者になることで、日本語やその他の言語も容易に習得できると考える。
関係者から実際にあった発言を検証する。
「手話で日本語を教える成功例がないのに、導入するわけにはいかない。子どもに実験はできないんだから…」 →やらなければ、そもそも成功も失敗もできない。 口話教育は、70年間日本語を教え損なってきたが、いまだに実験は続いている。 「日本と欧米は違う。日本にバイリンガルは合わない。」 →上の発言をした人がこんなことも言ったりするから、驚きである。 では、誰が成功例を作るのだろうか?口話教育だって日本に合わないのに、まだ続いている。
結局、この二つの発言は、バイリンガルろう教育というもの、ろう者(DEAF)、手話という言語、そういった価値観を一切受け付けようとしない「健常者」観から来ている。教育論、方法論として発言しているわけではない。健常者対障害者ではない価値基準があることを理解できないセンセイが多い。 こんな発言は日本のろう教育界は鎖国していると世界に言ってるようなものだ。
それでも、しかし親として心配なのは、本当に『手話で日本語が身に付くか?』ということ。手話を使って日本語を身につけさせることはできない。けれどもろう児が日本手話、ろう文化、ろう社会の肯定的で積極的な環境で育つならば、自然と日本語は身に付く。もっと具体的なことに言えば、聴の親が手話の本を読んで、手話サークルに通って、手話の単語を覚え、「{犬(と手話単語を表す)}は「い」「ぬ」(指文字などで)よ。そう、{犬}(と手話単語を真似させて)、「い」「ぬ」(と指文字で表させて)」と教えても効果はない。これは口話を手話に変えただけである。
聴親にもできる最良の方法はある。まず、ろうの集団の中にろう児をおくこと。それはろう学校である。とにかくろう学校にみんなで入って、ろうの集団を大きくすること。ろう文化、ろう社会はそこにある。そうしたら、次に教えることを一切止める。聞かれたら答える。それだけにして、あとは他の聴児と同じようによく遊び、生活のこと、しつけのこと、普通に育てれば普通に育つ。子どもとのコミュニケーションは、子どもの言葉をよく見ることである。子どもが言いたいことは何なのかを見る。それが大切である。難しいと思ったら、デフファミリィに相談すればいい。ろうのお母さんから、やり方を学べばいい。 ろう児であれば、日本語習得はできます。自然に…。 続く
多くのろう学校で今も根強く使われているキュード・スピーチについて、今回は取り上げてみようと思う。そもそもキュード・スピーチとは何か?どのように始まり、何のために使われているか?そして、どのような功罪があるか?
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キュード・スピーチの錯覚
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病院や難聴幼児通園施設、またろう学校などに行くと、先生たちからいろんなこと を言われます。今まで聞いたことのない言葉の連続に、ただでさえ我が子がろうとわ かって右も左もわからずおろおろしている親にとっては、その一言一言に一喜一憂し、 右往左往しなければなりません。 だいたい感音性難聴とか、高度難聴とか、そういう名前だって、子どもがろうでな ければ聞くこともなかった言葉ですよね。なんとなく難しい、こんな名前を聞いてし まうと何かとんでもない重病を背負ってしまったなんて考えてしまいそうです。 難聴?ろう?それだけでも一般の人にはなかなか理解しにくい言葉なのに、専門施 設やろう学校に行くともっと訳のわからないことを言われます。「ろう教育専門用語 ?」というやつです。こんな言葉の数々を今まで聞いたことがあるはずです。たとえ ば「言葉のお風呂(シャワー)」「芋舌」「平舌」「5歳の峠」「9歳の壁」「抽象 概念」「中間型手話」「ろう者は非常識」「語音明瞭度」「インテグレーションでき る子、できない子」「キュードスピーチ」etc・・・・。補聴器や聴力の用語に 至ってはdBだの、ループだの、最大閾値だの、医学用語みたいなものがずらずら・ ・。こんな言葉を毎日聞いているだけで暗くなりそうです。でもこの専門用語の本当 の意味ってどうなんでしょう?本当に先生の言うとおりなの?医学用語はさておいて 今回はろう教育専門用語について考えてみました。 ろう教育の課題?それとも脅し文句?「9歳の壁」 ろう教育の世界でこの用語を知らなければもぐりだと言われるくらい有名な言葉です。 今から34年も前に出された「ろう教育」という雑誌の中で当時、東京教育大学附属 聾学校長だった萩原浅五郎氏が使った言葉です。(※萩原氏は「9歳レベルの壁」が 現場の実態としてあると述べています。) 9歳というのは小学校の3,4年生でちょうど勉強も少し難しくなり、目で見てわか るだけでよかったそれまでの内容と異なり、想像したり目に見えないものについて考 え始めなければならない年齢です。具体的に言えば算数では分数や余りのあるわり算 が始まりますね。国語では文章には出てこない主人公の心情や台詞とは裏腹の本当の 気持ち、複雑な気持ち、そういった抽象的な内容を読み取ることのできる力が要求さ れるようになってきます。「9歳の壁」はつまり、ろうの子どもたちはこういう複雑 なことを考える力、抽象概念の形成などの面が弱いという意味の言葉なのです。そし てろう教育では頑張って(なにを?)この9歳の壁を乗り越えさせることができれば、 一応(?)社会に入ってなんとか(?)やっていけるというのです。とりあえずそこ がろう児の目標だと・・・。言い返せばろう者の多くは9歳レベルを越えられないま ま大人になっている???ということなのでしょうか? 本当にろう者は9歳で発達が止まるのでしょうか?聞こえないだけなのに・・・? ろう学校では幼稚部に入ると絵日記指導が始ります。子どもたちの書いた作文を読む と「〜しました。つぎに〜しました。・・・」のような自分のしたことの時間的な経 過が延々と続き、感想は最後に「面白かったです。またやりたいと思いました。」と パターン化しています。こういう作文を読むと「ああ、やっぱり聞こえないと複雑な 感情がわからないんだ。」と思ってしまうのかもしれません。また会話していても「 面白かった?」「おいしかった?」と聞かれて「ふつう」と答える子どもが多いこと に気付きます。 そして研究発表やものの本には「高度難聴児は感情に乏しく、抽象概念が育たない。 突然怒りだしたり、感情のコントロールができない・・」とまあ、よくもこんなひど いことがしたり顔で書けるものだと思うような専門書が出回るわけです。それを読ん だ何も知らないろう学校の新米先生と藁にもすがる思いの親たちは知らず知らずのう ちに「ろう=マイナス」という固定観念を植え付けられていくわけです。恐ろしいの はこの誰もが悪意ではなく真剣にろう児の幸せを願ってこのような言葉を使ったり書 いたり考えたりしているということです。 では、ろう児はなぜ聴者の先生たちから見ると9歳で止まっているように見えるので しょうか? 例えば日本語には「あまりうれしかったので・・・した。」という文章があります。 (小学校4年生で出てきます)これをろう学校の聴者の先生がどうやって教えている のでしょうか?「とってもうれしかった」という意味だと説明するのでしょうか?で も「とってもうれしい」と「あまりうれしくて」はそのうれしさの度合いは違います よね。「とってもうれしい」と教えられた子どもはうれしさの中では大きい方という 直線的な覚え方しかできないのではないでしょうか。また「あまりうれしくない」の 「あまり」と「あまりうれしくて」の「あまり」は全然違いますね。「あまり」とい う言葉はそれだけで名詞、副詞、数詞的な用い方があり、同じ副詞的な用い方の場合 でもあとで否定を伴えば「さほど」という意味、肯定なら「過度な」という意味。聴 児はその言葉を学校で習うまですでに何百回と聞いて理由はわからなくても使いこな せています。それを教えなくては聞くことのないろう児にどう説明するのでしょうか ?すぐに理解できなくて当たり前です。それなのにわからないからといって「とって も」なんて教えられたら微妙なニュアンスは本当にわからなくなってしまいます。 ろう児には理解できないのではなくて、聴者には教えられないのではないか?なぜ そのような逆の視点で見ることができないのでしょう? それなのに聴者は「手話には抽象概念がないから」と言ったりします。とんでもな いことです。手話には「ちょっぴりうれしい」〜「あまりうれしくて」まで日本語で は書き表せないほどの微妙な心の動きを表す言葉があります。「口ではうれしいと言 っているが内面では苦々しい思いをしている」とか「言葉では言えないほどうれしい 」言葉(手話)もあります。 もちろん日本語対応手話では訳のわからない文章になるので、対応手話で表せる「 うれしい」はせいぜい“両手を広げて胸の前で上下に交互させる”ことを「うれしい 」と言う記号としての申し合わせくらいです。これでは複雑な感情、抽象概念は表せ るはずがありません。 ろう児は複雑な感情、抽象概念を持っていないのか? それとも持ってはいるけれど、それを言語化できないのか? または手話で言語化しているにも関わらず聴者が読み取れないがために「ない」と見 なされてしまうのか? もしかしてまさか、この日本社会は音声日本語でしゃべらなければ感情を持っている と認めてやらないとでも言うのでしょうか?
中国の古いことわざに「邯鄲(かんたん)の歩」という言葉があります。その昔、 趙の邯鄲の人が歩行をよくしたのを見て、燕の一青年が赴いてその法を学んだのに、 学び得ずに故国の歩み方をも忘れ、這って帰ったという故事に基づいてできた言葉 で、意味は「みだりに自分の本分を忘れて他を真似れば、二者共に失うこと」(広辞 苑より)とあります。いくらなんでも自分の歩き方までも忘れてしまうなんてと思い ますが、これをろう教育に置き換えてみるとどうでしょうか? 今から80年ほど前に、西川吉之助という人は聞こえない我が子を障害があっても 普通の人のように育てようと決心し、欧米の口話法を研究、そして娘はま子を口話法 で育てました。当時のろう学校を見学し、自分たち聴者にはわからない手話で語り合 う子どもたちを見て、彼はそれをみじめで悲しいものだと、娘の将来を悲観したのが 口話教育研究への動機でした。今から80年前の当時の障害者観、ろう者観という背 景の中ではそれもまた親心と言えるのかもしれません。まして時代は、一つの民族、 一つの言葉の名の下に侵略戦争に向かってひた走り始めていました。日本人なら日本 語を話すべきが当たり前の時代であったろうと思います。 欧米でも「ろう者も社会の中で生きる人間である」以上音声言語を話すべきだとい う主張から、1880年のミラノ会議を経て口話法が広まっていきました。当時の ヨーロッパは自由主義・国民主義が広まり、各国が国力を強め、植民地を増やしてい た時期でした。1859年にはダーウィンが進化論を発表、これはのちに優性思想と いう考え方に結びついていきます。 こうしてろう児たちは、本来の自分の言葉を奪われ、ひたすら聴者に近づくために 「邯鄲の歩」を強制させられることになるのです。 ろう児の自然な歩き方、すなわち手話やろう文化を置いて、聴者の歩き方を真似る 教育しかない環境の中で、本来の自分の言葉である手話や生活様式を会得できなく なってしまったインテの子どもたち。ろう者の世界にも聴者の世界にも入れず、宙ぶ らりんで苦しんでいる故国に帰れなくなってしまった子どもたち。燕のこの青年は自 分で選んで、趙に赴いたのですから、仕方がないことかもしれません。けれど、ろう の子どもたちは物心つくまえに自分の言葉を目にすることなく、口話という歩き方を 強制され、本来生まれながらに持っていたはずの手話という言葉を置き去りにされて きてしまいました。そうして大人になって、本当の自分の言葉に気付いたときにはす でに時遅し、手話も日本語も中途半端なセミリンガルになっていた、そうした子ども たちがここ数年のインテグレーション全盛の中で急増しています。 手話はいつでも学べる、まず難しい日本語をしっかり話せるようになって、もしダ メだったら手話を使えばいい。だから手話は中学部、高等部からでも十分だなどと、 大人は言います。しかし日本人の英語下手は中学生になってから学ぶからだという指 摘もあるように、言語には臨界期があります。また日常会話に困らない程度の会話を 学んだところで、それはその言語が話される地域社会においての文化や生活様式まで もを獲得することはできません。言語や文化・生活様式といったものは臨界期までは 自然に「獲得」できますが、臨界期を越えると学習によって「習得」しなければなり ません。しかも言語はある程度までは習得できたとしても、文化や生活様式などは習 得によって得ることはとても難しいのです。 今まで日本人は日本という国で生まれ、育ち、日本語や日本文化が当たり前にあり すぎて、それを獲得するとはどういうことかを知らずに来てしまいました。しかし、 最近海外で生活する日本人も増え、日本にも多くの外国人が訪れるようになり、だん だんと他の国の言葉や文化というものに目を向けざるを得ない状況が生まれてきまし た。ましてこれからはIT時代と言われ、今や世界の情報は瞬時にインターネットを 通して知ることができるようになり、日本語という言葉、日本文化というものがいろ いろな国の言葉の中の一つに過ぎないことに気付かされるようになってきています。 けれど私たちには日本語という母語があるおかげで、その母語で思考し、その母語 を使って英語や中国語など第2言語を学ぶことができるのです。日本文化という私た ち日本人社会の生活様式に自信を持つからこそ、他国の文化を学び、尊ぶことができ るのです。 ろう児にとって、母語は手話以外にはあり得ません。ここでいうろう児とは軽い難 聴児・聞こえ“にくい”子どもも含めて、補聴器が必要な子どもすべてのことです。 補聴器のフィッティングが合い、まあまあ音声語を聞き取れる子どもに音声語だけで 教育するのは、一種の賭けです。発音の明瞭さは得られても言語概念の獲得でいえ ば、聴児のそれとは比較にならないほど困難であるばかりか、能力的にも劣る可能性 の方が大きいと言えます。しかし、たとえ補聴器無しでも耳元で大きな声なら会話で きる程度の聴力の子ども、もっと言えば聴児でさえ、手話は第1言語、母語となり得 ます。(ろうの両親を持つ聴の子ども(コーダ)には母語が手話だと云う人が多くい ます。)母語となる言葉を獲得して、はじめてヒトは思考し、学ぶことができるよう になるのです。自然に獲得し得ず、習得しかない母語などというものがはたして存在 するのでしょうか? ろう児にとっての母語は手話であるという自然の摂理に反して、「音声語しか言葉 ではない」という無理を常識に変えてしまった時から、それに合わせて純粋口話法だ の聴覚口話法だのという方法論が出てきたのであり、その重箱の隅をどんどんつつい ていってキュード・スピーチやら日本語対応手話、指文字といった方法が後から無理 を塗り固めるために展開されていったのです。邯鄲の歩み、その会得のために手を変 え、品を変え、聴者に合わせる方法がなされてきたのだということを、私たちは知ら ねばなりません。木を見て森を見ずということのないように。
いよいよ21世紀がやってきました。20世紀はろう教育にとって口話法一辺倒の 暗い訓練の時代でした。しかし新しい時代、ろう教育も根本からの変革の時代になる ことでしょう。 さて冬休み。長い2学期が終わり、ろう学校への毎日の通学から解放されてほっと しているお母さんやお子さん、山のように出された宿題に郷里に帰っても夜遅くまで 勉強をしている子どもたち、お子さんがろうとわかったばかりで正月どころではなか ったご家族もいらっしゃることでしょう。今回は口話に関する誤解について考えてみ たいと思います。 ろう学校ではよく「休みが終わると口話の力が落ちる。」と言われます。休み中に はどうしても面倒がって補聴器をつけなくなりますし、先生の厳しい目もないので、 毎日大きな声で発音練習をすることもありません。ですから長い休みになると口話の 力が落ちる、聞く力が落ちると言われるとなるほどそうかと思いがちです。 ろう学校の中には夏休みや冬休みの長期休暇中に毎日補聴器をつけたかどうか、補聴 器の電池はあるかどうか、または発音練習を何回したかなどをラジオ体操カードのよ うにチェックさせるところもあるそうです。しかし本当に休み中に訓練をしないから 口話力や聴力が落ちるのでしょうか? ろう児の声は独特な発音です。初対面の時はろう学校に長くいる教員でもすぐには 聞き取ることができません。しかし1ヶ月2ヶ月毎日接していれば、その声に慣れて 理解できるようになります。ところが長い休み、教員は聴者の世界で聴者と音声日本 語でしか話しませんから、ろう児の発音を忘れているのではないかと考えることはで きないでしょうか?音というのは主観的なものですから、そう聞こえていると言われ ればそんな気もするし、いつも一緒にいるお母さんには聞こえてもそれ以外の人には 全くことばとして聞こえないということがよくあります。お母さんの耳にはいつもと 同じ声に聞こえるのに、教員が聞こえないのは、子どもの口話の力が落ちたのではな く、教員の耳がろう児の声を聞き取れなくなったと考えた方が自然かもしれません。 口話力というのは聴者である教員や親にとっていかにわかりやすく発音できている かということであり、当然ながらその発音の明瞭さはろう児本人にはわかりません。 そしてまた口話力ということばは聴児には何の意味もないろう児にしか使われないこ とばであり、あくまでもより聴者の使う日本語の発音にわりと近くて聞き取れるとい うことだけを示すことばであり、口話力があるからと言って、日本語も理解できてい るとか音声言語が使えているということと同義ではないのです。ここはろう教育専門 家と言われる人々がよく混同して使っていますが、注意して聞く必要があります。 また同様に聴力というものもずいぶん曖昧としています。毎日の学校生活の中で周 りの音(もしかしたら雰囲気なのかもしれませんが)に常に神経を尖らせているよう な環境から解放されて、家でのんびりしていた子どもたちが学校が始まってしばらく は教師のしつこい声かけに気付かないことはままあることではないでしょうか?それ を音に対する反応がなくなったとか、聴力が落ちたなどとすぐに子どもたちのせいに しているように思われてなりません。 誰でも小さいときの声の特徴を持ったまま大人になります。ろう児も同じです。小 さいときの声と大人の声とでは声の高さや話す内容は変わっても、基本的にその人の 話し方は根本的には変わりません。ですから小学部に入る頃にはその子の将来の話し 方はだいたい想像できます。そして日本語の力ではない口話の力が努力や訓練によっ て飛躍的に伸びたとか、地道にこつこつやれば誰でもある程度の発音ができるように なるということはあり得ません。聴覚口話法でこれなら大丈夫、80%の子どもがや っていけるなどという方法は一つもないのです。○○先生のクラスの子はいつも発音 がきれいだということもありませんし、新任の先生のクラスの子が声を出せなくなる ということはありません。(もしそんな方法があるのなら、とっくの昔にマニュアル ができているはずです) しかし、恐ろしいことにこういうと教員は「だから、ろう教育は難しい。」と言い ます。何が難しいのでしょうか?誰が悪いのでしょうか?聞こえない、発音しにくい、 音声語を母語としにくいという特徴を持って生まれたろうの子どもが悪いのでしょう か?「難しい」のはその方法に無理があるからだとなぜ誰も言わないのでしょうか? ろう児が自然に獲得することばは日本手話をおいて他にはありません。(キュード サインや指文字、対応手話らはすべて日本語ですから、これらも自然には獲得しませ ん。)人があることばを獲得するということ、Aという言語の母語話者になるという ことは他の言語(Bという言語)の母語話者にはならないということです。しかしこ のことは悲しいことではなく、人は言語によって思考し、学習し、生活していくわけ ですから、必ず何らかの言語を獲得することが必要なのです。そして母語となる言語 があれば、それを思考の元として、第2第3の言語をも習得していくことができます。 もし、ろう児に母語として音声語を身につけさせようとしても大変リスクを伴った 訓練の結果、セミリンガルになる可能性が多いのです。しかし手話を母語にした場合、 セミリンガルになることはなく、手話はろう児の完全な母語になります。つまり概念、 世の中のあらゆることを言語によって知ることができるようになるのです。 また音声言語と手話言語を同時に与えて、将来的に子どもに選択させるという一見 平等に見えるこの言い方も実はろう児の側からの視点を無視しています。ろう児にと って音声言語を与えられること自体、無理矢理押しつけられるものであり、手話は自 然に獲得はできますが、音声語は決して自然には獲得できないからです。しかも彼の 周りにいる音声語を与えている人々が音声日本語の母語話者である聴者ばかりであっ たならば、手話と音声語が平等に与えられることにはなりません。そして最も大切な ことは言語は与えられるものではなく、自ら獲得するものなのです。それを言語が与 えたり、与えられたりできると考えることがすでに言語とは何かがわかっていない、 言語を知らない人のことなのです。
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