「全国ろう児をもつ親の会」の目的は (1)ろう学校における教育言語として日本手話を認知・承認させること (2)ろう者の教員を各ろう学校に配置させること (3)聴者教員に日本手話を定期的、継続的に研修させること・・・ つまり【バイリンガル教育】の推進です。 このコーナーでは【ろう児のためのバイリンガル教育】について いろいろな角度から一緒に学んでいきたいと思っています。 「バイリンガル教育」について親であるひとりひとりがしっかりと理解し、 何が必要なのかを考え、それぞれの場にあって少しずつでも 改善を求めていきましょう。
1.はじめに1. はじめに
2.同時法(SIMULTANEOUS METHOD)に対する疑問
3.手話と手話獲得の研究
4.音声言語の獲得
5.バイリンガルを目指そう
6.デンマークの教育システム
7.バイリンガルプロジェクト(1982〜1992)の開始
8.バイリンガルプロジェクトでやったこと
9.バイリンガルプロジェクトが終わって
10.終わりに
1997年夏に福岡で行われた「ろう教育を考える全国討論集会」で、デンマークのろう学校教師ルイス先生が来日し、デンマークのバイリンガル教育について講演しました。その時の講演内容と資料をもとに書きます。2. 同時法(SIMULTANEOUS METHOD)に対する疑問
ルイス先生は、手話とデンマーク語のスピーチを同時にやること、すなわちデンマーク語を話しながら手話をすることに対して反対していました。ただし、「手話で表したデンマーク語(手話に近いものからデンマーク語に近いものまであり、相手に応じて使い分ける)」については否定していませんでした。小さいろう児の場合は、デンマーク語の構造をまだ身につけていないので、「手話で表したデンマーク語」を使うことは望ましくないが、大きくなってデンマーク語の構造を身につけた後なら、使ってもよいとのことでした。
ところで、ルイス先生はなぜ同時法を否定するようになったのでしょうか。
デンマークでは、1970年代はじめまでは主に口話法で教えていましたが、1970半ば頃からは同時法が普及していきました。手話・指文字・マウスハンドシステム(キュードスピーチのようなもの)などの視覚的手段で表したデンマーク語を、話しながら使いました。同時法の使用によって、次のような効果が出ました。
- ろう児の言語スキルが上達し、聞こえる大人との会話や要求や感情表現、質問などが急にできるようになった。
- ろう児は話していることを理解し、知識や人間関係を築いていけるようになった。
- スピーチや読唇が悪くなるということはなく、逆に関心をもち、声をよく使うようになった。
しかし、読む力については顕著な効果は見られませんでした。口話の子どもよりも少し良くなった程度であり、聴児とまだ大きな差がありました。
1972年に設立されたトータルコミュニケーションろうセンターは、両親やろう教育関係者に聾と手話について自覚させ、大きな影響を与えていました。ろう学校教師のためのコースがあり、ルイス先生も参加していました。そのコースでは、次のようなことを行いました。
- スピーチと補助的手話を同時に使いながら、自分について話す。それをビデオに撮る。
- 1ヶ月後、そのビデオを音なしで見る。
自分が話した内容なのに、音なしでビデオを見ると少しも理解できないことにルイス先生はショックを受けました。1つ1つの単語に手話を当てはめているだけであり、声なしでは多くの文法的情報が欠けているということに気づきました。更に、スピーチつきで手話をやっていると、自分の声が聞こえるから、話したいことがきちんと伝わっているように思い込んでしまっていたことにも気づきました。このコースでの経験がきっかけで、ルイス先生は同時法を否定するようになったのです。
Ruth(1976)が、ルイス先生のろう学校生徒44名のコミュニケーションについて研究したものがあり、結果は次のようでした。
- 子どもは自分たちで、手話による機能的なコミュニケーションを行う。
- 年上の子どもは、年下の子どもよりも簡潔で一貫性のある文法を使っている。
- ろう両親の子どもが最も精密な手話の構造をしている。
このことから、Ruthは「教師が適当な手話スキルを身につけ、デンマーク語より劣ったものであるという考えを改めるだけで、手話は指導のための言語として使える」と述べました。
また、10〜20年間で手話と手話獲得についての言語学研究が数ヵ国で進み、手話を使うと、情緒的・社会的・認知的に発達することが分かりました。特に、手話を使う両親の子どもの場合は、言語的・認知的発達が聴児と似ていることが分かっています。手話に達者でない聴者の両親であっても、手話で子どもとコミュニケーションしたいという態度があれば、子どもの発達に好結果をもたらします。
今までのろう教育は言語の獲得そのものが目的になっていましたが、果たしてこれでいいのでしょうか?
言語は手段や道具にすぎません。人々との触れ合いや会話や様々な学習など、言語獲得よりももっと大切なことを忘れてはいけません。人々との触れ合いや会話や様々な学習こそが、子どもの言語発達を促すのです。言語は教えようとしても、効果はわずかしか出ません。言語は教えるのではなく、たくさん話して理解しあうことがまずは大切です。
ろう児にとって、音声言語は自分では学べないため、教育に頼らざるを得ません。このことは、外国語を学習することに似ています。音声言語はろう児にとって外国語のようなものといえるでしょう。しかし、一般の外国語と違って、音声言語は日常生活の中で常に触れています。だから、ろう児にとっての音声言語の習得は、「外国語学習」と「自然言語獲得」の中間にあるようなものなのです。
ろう児にとって自然で確実に獲得できる言語は手話です。手話を最優先すると、あらゆる面で最大の発達をします。例えば、
- 社会的発達(人々との関わり、心理的な深い理解、問題への意識、自分の生活への影響、自分の感情や考えの表現など)
- 知識や視野の広がり
- 言語的基盤の向上(概念形成、言語的経験、外国語の学習の土台など)
- 個性やアイデンティティの発達
などです。手話を受け入れることは、子どもを受け入れることです。子ども自身も、自分を受け入れることができるようになり、社会で自信をもって生きていけるようになるのです。
バイリンガリズムを支持する理由として、次の5点が挙げられます。
【バイリンガリズムを支持する理由】
- 学習を支える。
- 知的・認知的発達を助ける。
- 自分の人種的特徴(習慣・特質・言語など)における自己確立や自信を支える。
- 家族や社会との関わりを支える。
- 職業や生活における様々な選択の幅を広げる。
また、デンマークの親の会が挙げたものもあります。
【デンマーク親の会が出版した「8つの基本的心構え」(1991)】
- ろう児は子どもである。
- ろう児の言葉は手話である。
- ろう児は病気ではない。
- ろう児はろう者に成長していく。
- ろう児はろう児やろう者たちと一緒にいる必要がある。
- ろう児は聴児や聴者たちと一緒にいる必要がある。
- ろう児の両親たちはお互いに必要としている。
- ろう児は家族を必ず変える。
デンマークで行われたバイリンガルプロジェクトについて話す前に、デンマークの一般教育とろう教育のシステムについて少し話します。
【一般教育について】
デンマークでは、7歳から16歳までの9年間の義務教育があり、ほとんどの子どもはフォルクスコーレ(人民学校)で学びます。更に6〜7歳のプレスクールと、16〜17歳の10学年があり、全部で11年間の教育を受けることができます。10学年に進む前に卒業試験があり、自由に受けることができます。10学年を終えて、更に大学などに進学して勉強したい場合は、上級卒業試験を受けることになっています。
6歳
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| プレスクール
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7歳(1学年)
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| 義務教育
| 90%以上がフォルクスコーレ(人民学校)に入る
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16歳(9学年)・・・・・・・・・・・・卒業試験
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17歳(10学年)・・・・・・・・・・・・卒業試験、上級卒業試験
※ 試験内容はデンマーク語、数学、英語、物理・化学、独語または仏語(卒業試験の場合は、裁縫、木工、家庭などでも可)であり、自由に受けることができる。
【ろう教育について】
デンマークでは、ろう学校は4つのみです。
3校・・・ 6〜16歳のろう児の学校
1校・・・16〜19歳のろう青年の学校(ナイボルグにある)
更にCetre-schoolというのが5つあり、一般学校内にろう児・難聴児のクラスが設置されています。ほとんど全てのろう者はナイボルグの学校に入り、1〜3年間勉強しています。
1882年〜1992年、コペンハーゲンにあるKastelsvej聾学校(ルイス先生の勤務校)で、バイリンガルプロジェクトを開始しました。デンマークでは初の試みでした。バイリンガルプロジェクトクラスのろう児と親の状況は下記の通りです。
★ろう児の状況
最初は9人。4〜5年生のときに1人が出て2人が入り、10人になった。
聴力レベル:
ろう ・・・7人
重度難聴・・・3人
手話と接触した年齢:
3ヶ月 ・・・2人
1年3ヶ月・・・1人
2〜3歳半・・・6人
★親の状況
9組のうち、 ろう者の両親・・・1組
ろうの両親をもつ聴者の両親・・・1組
バイリンガルプロジェクトクラスの親たちは、手話や聾に関する知識を豊富にもっていました。親たちは早期介入クリニックを要求し、子どもたちは4、5歳から入学するまでの1年半、クリニックに通いました。そこでは手話を使いました。
1982年、ろう学校に入る時、親たちは次のような要望を出しました。
【親の要望】
- 手話は子どもの第一言語であり、デンマーク語は子どもの第一外国語として考えてほしい。授業は手話で行い、デンマーク語や教科の授業と並んで、手話を独立した科目として授業で教えてほしい。
- 手話とデンマーク語の2言語を対等に扱ってほしい。
- 子どもたちをできるだけ一緒のグループにして教えてほしい。
- プレスクールでは、聴児と対応した教育を受けられるようにし、学校が終わるまでずっと前へ進めていってほしい。
1)手話の指導
手話はろう児にとって自然に獲得できるため、大切な役割をもちます。手話によるコミュニケーションや議論を通して、知識を増やしたり高めたりすることができます。音声言語の学習にも役立ちます。
1年生のときから手話という科目を設け、週に2回、文法やろう者の文化的側面に留意しながら手話を教えました。
【1段階(幼稚園・1〜2学年レベル)】
- 道徳のような様々な話題についての話し合い
- 手話のゲーム
- 学校の内外で生徒が経験したことについての話し合い
- 同級生や教師についてのナレーション
- おとぎ話やろう者の生活に関連した話題について、教師や手話使用者が語る。さらに、聞こえる人の音の世界についても語る。
- 物語や経験したことを劇で表現
- 芸術やビデオ・コンピュータなど、他の表現形式の使用。
【2段階(3〜6学年レベル)】
【3段階(7〜9学年レベル)】
- クラスでの話し合い
- 同級生や教師についてのナレーション
- 生徒のプレゼンテーション(話題の組み立て方、注目のさせ方、話し方、持ちだし方など)
- マイムや演劇や他の表現形式。写真やビデオも含む。
- 通訳者の使用
2)デンマーク語の指導
- 手話による会話と議論
- もっと長く組み立てたプレゼンテーション
- 通訳者の使用
- 演劇とビデオ製作
デンマークの一員である以上、デンマーク語の読み書き、できればスピーチを学ぶ必要があります。最終的な目標は手話とデンマーク語のバイリンガルになることです。
デンマーク語の授業は週に8〜10回行いました。話し言葉の指導については、他の教科よりそれほど時間とエネルギーをかけませんでした。
【幼稚園】
クラスでのコミュニケーションがスムーズになるために、手話のレベルを高めることを中心にした。手話を教えるのではなく、使うことによって手話のレベルアップを目指した。
【1学年】
親の要望により、手話とデンマーク語を教えた。9人のうち、3人は手話のレベルが十分でなかったため、デンマーク語の授業の時のみ別々のグループで教えた。
- ワイヤーなしFMを使い、手話をつけながら朗読。その後すぐに手話に翻訳してもらう。
- 自分の絵本を作成。まず手話で自分のことを話してビデオに撮影し、教師に助けてもらいながらデンマーク語に翻訳。絵もつけて自分の本を作った。
〜手話のレベルが十分でないグループ〜【2学年】
- 遠足で起こったことや見たことを写真に撮り、家族に説明する(概念を広げるため)。
- 教師に助けてもらいながら経験したことをデンマーク語に書き、自分の写真集の作った。
〜手話のレベルが十分でないグループ〜
- 語彙を増やすために多くの易しい本を読んだ。(1人で静かに読むようにする。)その後、OHPを使いながら内容を手話で説明する。
- 本の内容をテープにし、本の単語を指でなぞらえながら一種の聴覚訓練を行った。
- デンマーク語の慣用句や熟語をたくさん教えた。
【3学年】
- ろう助手が本を手話に翻訳し、ビデオに撮る。ビデオを見てで内容を理解してから本を読む。
- 意味を理解しているか確認するため、しばしば劇をやった。
【5〜6学年】
- 他国で作られたフィルム(デンマーク語の副本つき)を使って、手話通訳と一緒に見る。副本を読んだら、生徒に手話に翻訳してもらう。
多くの様々な方法でたくさん読み、読み書きができるようになっていった。教科学習のためにも、自分で新しいテキストを読み、知識を増やさなければならなかった。
〜手話のレベルが十分でないグループ〜
何人かはデンマーク語と手話が十分に使えるようになるまで、英語の導入を待った。
9学年を修了した後、バイリンガルプロジェクトの生徒たちは卒業試験を受け、聞こえる生徒たちと変わらないほどの好成績をおさめました。これまではナイボルグのろう学校で更に1〜3年間学んでから卒業試験を受けることが普通だったので、画期的なことでした。バイリンガルプロジェクトを終えた生徒たちの感想を聞いてみたところ、一番多かったのは「手話のおかげで、非常に多くのことを学べて良かった」ということでした。
その後、バイリンガルプロジェクトの生徒たちはナイボルグのろう学校に進み、1〜2年間学び、デンマーク中の若いろう青年たちと知り合いました。その後の生徒たちの状況は次のようです(1997年現在)。
3名 … 上級試験が終わり、大学に入るための準備中。
3名 … 翌年、大学に入るための準備を開始。
1名 … 幼稚園教師になるための勉強を開始。
1名 … ギャローデット大学で勉強中。
1名 … ろう者の劇団で働いている。
バイリンガルプロジェクトでやったことは、デンマーク中のろう教育に大きな影響を与えました。1991年、デンマークのろう教育で全国的な新カリキュラムが施行されました。全てのろう学校で、手話を第一言語とし、デンマーク語を第二言語とするというバイリンガル教育を行うことになったのです。
デンマークの「バイリンガル教育政策」では次のように述べています。
- 聞こえないことが診断されたら、両親や家族に手話コースを提供する。
- 幼稚園のプログラムに、手話コミュニケーションの個別指導を入れる。
- ろう児に他のろう児と一緒にいる機会を与える。
- ろう児に大人のろう者とコミュニケーションする機会を与える。
- ろう学校教師に手話コミュニケーション・特殊教育・聴能学・発音訓練・教授学の特別訓練を提供する。
- カリキュラムで手話を教科としてろう児に提供する。
- 全ての教育プログラムで、ろう者の専門家を雇用する。
- 手話の言語的研究を行うための資源を用意する。
- 子どもの成長を持続的に評価するための資源を用意する。
- ビデオやCD−ROMやコンピュータなどの新しい技術を、教育資源として発達させる。
- 教科としての手話の特別授業を発達させる。
最後に、ルイス先生は、バイリンガル教育のために大切なこととして、次のようなことを挙げました。
【大切なこと】
- 履行するための戦略的計画をたてる。
- 人々に話し、議論を始める。
- 根気強くやり、早急な成功を期待しない。
- 変化は時間がかかるということを心得る。
- バイリンガルへの移行を支え、熱心に協力しあえるグループをもつ。
- 教師、両親、職員のための教育プログラムを作る。
- 移行していく中で、不安になったり反対したりする人がいることを認め、受け入れる。
- 反対や疑問も受け入れる。
- 古い価値感や専門的意見が消え失せていないことを確かめる。学校が変わっても、古い教師は価値ある経験をもっている。
- ビデオやレポートなどで、プロジェクトで起こっていることを記録する。
- あらゆる情報を惜しみなく提供する。
1)ろう教育への疑問
2)大学院でろう教育を専攻して学んだこと
3)社会に出て
〜口話の限界〜 私は小学校のみインテグレーションで、幼稚部・中学部・高等部はろう学校で過ごしました。ろう学校はずっと口話中心であり、高等部からは時々手話を補助的に使っていました。 ろう学校を卒業して大学に入ったばかりの頃は、口話で頑張ろうと思いましたが、全くお手上げでした。ろう学校では、先生たちは私たちに分かるように口を大きく開け、ゆっくりと話します。しかし、社会では口を大きくゆっくりと動かす人はほとんどいません。一対一ならなんとか読み取れますが、集団となると完全にお手上げです。しかも、口話は相手の口の動きを見て、自分の知っている日本語で内容を推測しますが、私の知らない用語が出ると、もう推測のしようがないのです。聴覚活用でも同じことがいえると思います。
口話は非常に能率の悪い方法です。私は早くも口話を見限り、筆談または手話を中心にやっていくことにしました。大学の講義では、ノートに詳しく書いてくれる人を見つけ、その人の隣りに座ってノートを見ながら講義の内容を把握しました。幸い、大学には手話サークルがあったので、手話サークルの人に頼んで手話通訳をつけることもできました。このように、口話よりも、日本語の読み書きと手話が大変役立ったのです。会社に勤めていたときも同じでした。
〜内容の限られた家庭でのコミュニケーション〜
大学の手話サークルを通して、みんなが手話を使ってくれれば、聴者の中でも楽しく対等にコミュニケーションできることを知りました。それ以来、私の家庭でのコミュニケーション状況に疑問をもつようになりました。口話でやっていたために、私たち親子の会話は、内容の限られた乏しいものでした。また、父や弟とはあまり通じないので、母が時々簡単に私に通訳していました。私は20数年以上も家族と一緒に暮らしていながら、家族4人と対等にコミュニケーションを楽しんだことがないのです。親は私の口話訓練のために夜遅くまで絵カードを作ったり、会話はできるだけ口話でやったり、いろいろと努力してくれましたが、私たち親子が自由にコミュニケーションできる方法−手話―を奪ってまで、能率の悪い口話をやることに意味があったのだろうか?と思います。
〜インテグレーションとアイデンティティ〜
私は小学校のみインテグレーションしていましたが、ろう学校から変わったばかりの頃は、周囲とコミュニケーション取れない状態が辛く、毎日「ろう学校に戻りたい」と泣いて親にお願いしました。それが難しいことがわかると、私は少しずつ「友達なんかいらない、1人でも平気なんだ」と思うようにしました。友達がほしいと思うと、コミュニケーションできないことが悲しくなるからです。こうして、私は周囲の人に関心をもたず、自分の世界だけで空想を楽しんだり、本や漫画に読みふけるような子どもになってしまいました。
大学に行くことが決まったとき、小学校時代のような孤独な日々を繰り返したくないと思いましたが、入学したばかりの頃は苦しかったです。私の心の中には、聞こえる人のようになりたいという憧れがあり、手話はあまり使いたくありませんでした。しかし、早くも口話の限界を知り、どんなに頑張っても自分を十分に表現できず、しばらくアイデンティティの喪失状態に陥りました。やがて私はろう者であり、手話が必要なのだということを強く自覚しました。聴者に合わせるのはやめて、自分をありのままにアピールしていこう、手話を覚えてほしいとお願いしてみようと思いました。クラスメートに呼びかけたところ、何人かが手話サークルに入ってくれました。私は手話サークルの人たちに手話を教え、コミュニケーションを楽しめるようになりました。もし、小学校時代も手話を知っていたら、クラスメートに手話を教え、コミュニケーションを楽しむことができたかもしれません。「口話の上手な子どもはインテグレーションへ」という、インテグレーションのあり方に疑問をもつようになりました。口話しか知らない子どもは、聞こえる人に合わせるしか術を知りません。どんなに頑張っても聞こえる人になれず、自信喪失やアイデンティティ喪失に陥ってしまうのです。
こうして、自分が受けてきたろう教育に疑問を感じ、ろう教育のあり方について考えてみたいと思い、大学院に進学してろう教育を専攻しました。
〜アメリカの視察〜
大学院に入ってまもなく、アメリカのろう教育について視察する機会に恵まれました。実際にアメリカのろうの子どもたちに出会ってみて、カルチャーショックを受けました。幼稚部では、すでに手話で生き生きとコミュニケーションしていたこと、そして高等部の子どもたちは自分がろうであることを誇らしくしていたことです。日本とはなんと大きな違いだろうと思いました。
〜バイリンガル教育の研究〜
その頃(1990年初め)のアメリカの公立ろう学校では、ほとんどがトータルコミュニケーションでやっていましたが、いくつかのろう学校ではバイリンガル教育へ変わろうとしていました。
トータルコミュニケーションは簡単にいうと、「コミュニケーションをスムーズにするために、手話や口話などのあらゆるコミュニケーション手段を認め、1人1人の子どもに合わせてコミュニケーションしよう」という考え方です。しかし、実際には同じ教室内で1人1人に合わせてコミュニケーションすることは難しく、口話も手話も一緒に使える方法として、英語に対応した手話を作り、声を出しながら使うことが普及しました。
私が大学院に入った頃は、トータルコミュニケーションが欧米に普及して20年近く経っていましたが、失敗だったという報告が出るようになっていました。スウェーデンやデンマークでは、すでに1980年初めからバイリンガル教育を始めており、アメリカでもいくつかのろう学校がバイリンガル教育に変わろうとしていました。私は「なぜ、トータルコミュニケーションからバイリンガル教育に変わったのか」「バイリンガル教育とは何なのか」を知りたいと思いました。多くの英文資料を集め、修士論文としてまとめました。
@ トータルコミュニケーションの問題
トータルコミュニケーションの普及とともに、英語を手指で表現するために様々な手指英語システムを開発し、多くのろう学校で使用されました。手指英語により、英語を習得することが期待されましたが、20年近く行った結果は次の通りでした。
教師の使う手指英語についても多くの分析研究があります。手話の欠落や誤用の割合が高く、英語を完全に表現していないことが分かりました。多くの文法情報が欠けているため、手指英語は分かりにくいものになっていたのです。声を出しながら手話をやっていると、聞こえる教師は自分の声が聞こえるから、話したいことがきちんと伝わっているように誤解しやすいのですが、実際は子どもたちには分かりにくいものでした。
- ろう児のコミュニケーション能力が上達した。様々な知識や人間関係を築いていけるようになった。
- 発音や読唇などの口話能力が悪くなることはなかった。
- しかし、学力や読み書き能力については少し良くなった程度であり、聴児とは大きな差があった。
手指英語の研究
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A手話の言語学研究と、手話の言語的発達の研究
一方、1960年代からろう者の使う手話の言語学的研究が行われるようになりました。その結果、ろう者の手話は、音声言語とは独立した文法体系をもつ言語であることが分かりました。
また1980年代には、ろう児が手話を獲得していくプロセスについて多くの研究が行われました。その結果、ろう児は、聴児が音声言語を自然に獲得するプロセスと同じように、手話を自然に身につけていくことが分かりました。手話を使う環境の中にいるだけで、ろう児は自ずから学び、身につけていくのです。
Bバイリンガル教育
以上のことから、「ろう者は自分たちの言語と文化をもったマイノリティー(言語的少数民族)である」という見方が出るようになりました。聴覚障害を克服するという考えはなく、ろう者のありのままを認め、手話とろう文化を尊重しようという考え方です。そして次のようなバイリンガル教育が提唱されるようになりました。「ろう者が自然に獲得できる手話を第一言語とし、英語を第二言語として教えよう。」
すべてのろう児は、手話を自然に獲得できます。自分が自由に使いこなせる言語をもち、そして自分の文化を受け入れることによって、ろう児は自分に自信を持ち、学習にも意欲を出すようになるでしょう。その上で、音声言語と聴者の文化も伝えることによって、ろう者社会と聴者社会の両方で生活できるようになってほしい、とバイリンガル教育の主張者は考えました。現在、北欧はバイリンガル教育を初めて約20年、アメリカは約10年経ちましたが、素晴らしい成果を示しています。
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