Miner Essay



ウォの謎

 



いきなりで何だが、「ウォ」が謎である。

「〜を」という歌詞を「〜ウォ」と発音する歌手が多いのである。

まあ、けっこう昔からいたような気もするが、

最近、ひよんなことから妙に違和感を感じてしまい、

その得体の知れなさに悩む自分に呆れるばかりのこの頃なのである。

違和感を感じたきっかけは、こうである。

 

ある晩、何気なくボクはテレビを見ていた。

シャンプーか何かのCMで、若い女の人が熱唱している。



「ダァーメェージを〜♪ なく〜そぉ〜♪

 ダメェージウォ〜♪ なく〜そウォ〜♪……」



ん?



ちょ、ちょっと待て!




ちょっと待てや、おっさん!(おっさんではなかったが)





である。

「ダメェージウォ〜」とは、何事か!

そこは当然、「ダメェージを〜♪」と歌うべきだろう!

それとも、オヌシは普段、「私は、昨日、うどんウォ食べました。」とか言うのか?

なぜ、「ウォ」なんだ?

 

……とまあ、こんな感じで疑問が発動して以来、

どうにも、気になってしょうがないのである。

 

 

それにしても、謎である。

何かがおかしいと感じるのは、ボクだけであろうか。

どこかに、何か、大いなる勘違いがあるような気がする。

 

謎だ謎だと騒いでいても始まらないので、ボクなりに検証してみることにした。

 

まず、「〜を」を「〜ウォ」にすり替えて歌っている他の例を、捜してみた。

最近のJポップのCDなどほとんど持っていなかったのだが、

何枚か借りてきて、とにかく聴いてみた。

 

すると、出てくるわ出てくるわ、「ウォ」のオンパレードである。

いくつか例を挙げてみよう。

 

まずは、ミーシャの「エヴリシング」の一部分。

「あ〜な〜たウォ〜ォォ〜」

豪快なまでに「ウォ」である。

もちろん、歌詞カードには、「あなたを」と書いてある。

 

お次は、宇多田ヒカルの「ファーストラヴ」。

「だ〜れ〜ウォ、おも〜って…(中略)…

 だれかとまた恋にウォ〜ちても〜

彼女の人気は、当分、ウォちないだろう。

 

またまた宇多田ヒカル、「トラベリング」。

「きーんーよウォ〜の午後…(中略)…

 トラ〜ベリング、きみウォ…」

……もはや常習的である。

 

次、小柳ゆき、「ビー・アライヴ」。

「どれほどのときウォ〜」

彼女は、思ったより「ウォ」が少なかった。

 

同じく、小柳ゆき、「リメイン−心の鍵」。

「傷つい〜たこ〜と〜ウォ〜」

見事な吼えっぷりである。

 

次、倉木麻衣、「リーチ・フォー・ザ・スカイ」。

「かるくくちぶえウォ〜吹き〜」

段々、耳が「ウォ」に慣れてくる自分が恐ろしい。

 

次、中島美嘉、「スターズ」。

「こころのそらに〜、確かな夢ウォ〜、見つける〜」

……けっこういいじゃん!(もう洗脳されている)

 

と、アカラサマなものだけを、ピックアップしてみたが、

ここで気づくのは、R&B系の女性ヴォーカルばかりだということである。

上で挙げた例は、ワザとらしいぐらいの「ウォ〜」である。

っていうか、これは、ワザとだと言わざるを得ない。

同じ曲中でも、「を」と発音する箇所と、「ウォ」と発音している箇所があるのである。

いくつも聴いていると、段々と、傾向も掴めてくる。

そこで、ボクは、ちょっとした仮説を立ててみた。



 

 

仮説1:R&B系ヴォーカルスタイルのお約束説 (お約束説)

 おそらく、ヴォイストレーナーか何かに、「そこは、ウォ!」とか言われているのではないかと。R&Bっぽさを出すには、ネチッこく歌わねばならない。そのための一手段として、「〜を」でボリューム感が必要な場合に、「ウォ」を使えと。



仮説2:自然に「ウォ」になっちゃうのよ説 (ナチュラル説)

歌う本人が意識せずとも、「ウォ」になってしまうこともあるという説。で、後から聴き返した時に「ウォ」に気づいても、イケてると感じてしまう。
という、もはや手に負えない説。




 

本音のところ、ボクは、「お約束説」が有力だと思う。

なぜなら、上に示した例の場合、ナチュラルと言うにはあまりにもアカラサマなのである。

もちろん、今回の検証のために、他のジャンルや古い歌謡曲なんかも聴いてみた。

その中には、控え目な「ウォ」がけっこうあった。

「ウォ」と「を」の中間のような発音である。

この場合は、おそらく「を」と発音しているつもりが、

聴き様によっては、「ウォ」にも聞こえるかなというケースである。

そういうのは、ナチュラルで、違和感もない。

例えば、「あずさ2号」や「傘がない」にも、控え目な「ウォ」があった。

しかし、それらは、あくまでも控え目で、アカラサマではなかったのである。




 

控え目な「ウォ」は、イイ。

謙虚というか、これ見よがしでないというか、なかなかに深みがある。

粋だとさえ言ってもいい。

ランディ・ジョンソンからもぎ取ったイチローの内野安打のようである。

打ち取られているけど、ヒットだぜ!(しかもカッコイイ) 

みたいな感じである。




 

対して、アカラサマな「ウォ」は、「何だかなぁ」である。

ニセ英語的というか、慎ましさにかけるというか、動物的な印象も受ける。



ホエザル的とさえ言ってもいい。(かもしれない)




胡散臭ささえ感じると言ってもいい。(かもしれない)




海外へ道場破りに行き、達成感に満ちた顔で凱旋するフードファイターのようである。


確かになんかスゴイけど、あんた、それでいいのか?


本当にいいのか?


そうか、いいのか…。


それなら仕方ないな…。


みたいな感じである。(我ながらアホな例え……。)

 




 

ここまで書いておいて何だが、はっきり言って、

本当のところ、ぶっちゃけた話、

「ウォ」と「を」の是非などどうでもよいのである。



なら、最初から話題にすな!



と言われそうだが、頭で解っていても心が違和感を感じるのである。

どうでもいい、けど、どうでもよくない。

やっぱり、何かおかしい。(ような気がする)

 


おかしい。

 



おかしいぞー!





 

あー、スッキリした。


これでいいのだ。(結局、そんな結論かい!)

 

 

END



執筆: 2002/02/07

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