マイナースポット1 



東京大仏



日本人は、三大○○というのが好きである。
そういうくくり方をすることにどれほどの意味があるのかは分からないが、
とにかく、三つ並べたがるのである。
そんでもって、「おらが村の○○は日本三大○○の一つだ!」とか、その土地の自慢にするのだろう。
まあ確かに、そういうのがあった方が、名所のPRができて観光客を呼びやすいというメリットがあるのだろうとは思う。
しかし、どうも安易な気もする。
なぜなら、三大○○というのが多すぎるからである。三大銘菓、三大酒蔵、三大珍味、三大饅頭、三大ねぎ、三大うどん、三大そば、三大ラーメン、三大名湯、三大美人湯、三大古墳、三大都市圏、三大災害、三大成人病、三大敵討ち・・・・・・。
これでは、三大○○という表現の印象が逆にチープなものになりかねないと、ちょっと心配になってしまうのだが、そんな三大○○の一つに、「三大大仏」というのがあった。

日本三大大仏。
一つ目は、言わずと知れた、奈良の大仏。
二つ目は、まあ異論の余地のない、鎌倉大仏。
そして三つ目が、東京大仏。

・・・・・・。
ハァ?
東京大仏?
聞いたことがない。
確かに、奈良と鎌倉以外で大仏を挙げろと言われれば、言葉に詰まってしまう。
しかし、東京大仏とはいかがなものか。
三つ目の大仏にふさわしい代物なのだろうか。
それを確かめるために、わざわざ、大阪から東京大仏見学に行ってみた。

     
 
↑まずは、最寄り駅。東武東上線下赤塚駅である。
下赤塚という点からしてもう、マイナーさが匂い立つようである。
目差す東京大仏は、下赤塚から徒歩で25分の場所にある。
東京にしては、便が悪い気がするが、25分の道中も楽しめたので、それはそれでよい。



↑駅前を少し離れるとこんな感じの町並みが広がる。
写真では伝わりにくいが、なかなか閑静でどこか牧歌的ですらある佇まいである。
どのへんが牧歌的なのかをこれから紹介しよう。

まずは、これ。↓



もうちょっと、アピールの仕方はないのかよ!
しかし、微妙なインパクトは充分に伝わってくる。
「お弁当」から「お」を分離させ、「お!」という感嘆詞にしてしまうそのセンスに、
どこか牧歌的というか、素朴なものを感じる。


次は、これ。↓



のどかである。
板橋区は、なかなかにのどかなのである。
山下清が菜の花の向こうから現れそうなぐらい、のどかである。
「野に咲く花のように」である。


そして、これ。↓



鎌倉古道の道しるべである。
おそらく、遥か西の鎌倉へ続いているのだろう。
鎌倉大仏に無理矢理関連付けるかのような佇まいである。
道標の新しさといい、駐車場のフェンスに手を振る騎馬武者といい、
どこか趣きがないでもない。あると素直に言えないのが、泣き所である。

気を取り直してさらに歩く。


そして、これ。↓



ハジケすぎである。
これは明らかに、ハジケすぎだろう。
何が彼をこれほどまでにハジケさせたのか。
これを描いたペンキ屋さんの心情が現れているのかもしれない。
ひょっとしたら、描いている最中に、ガキんちょがワラワラ集まってきて、
邪魔をしたのかもしれない。
しかし、職人かたぎなペンキ屋さんは黙々と描くことに集中していた。
無視されたと感じたガキんちょ達は、さらに騒いだ。
さすがのペンキ屋さんも、徐々に怒りのボルテージが上がってきたが、態度には表さない。
仮にも、幼稚園から依頼を受けて塀に絵を描いているのである。
園児達に怒りをぶちまけるわけにはいかない。
内心、怒りのボルテージは最高点に達していたが、彼は、そのまま静かに描ききり、筆を置いた。
が、しかし。
できあがった絵は、実にエキセントリックなものになっていた。

・・・しょうがない。
これは、しょうがないよ、あんた!
あんた、よく頑張ったよ!

と、ボクは、ペンキ屋さんを褒めてあげたい。


さらに歩を進める内に、いやがおうにも東京大仏が近づいていることに気づかされた。

つまり、これ。↓



さらに、これ。↓



東京大仏の「そば」にあるソバ屋。
だから、「大仏そば」。
すばらしい。
こういうダジャレで商売をする心意気がすばらしい。
天才バカボンを地で行くような板橋区民の心意気である。

そうこうしている内に、いよいよ山門に近づいてくる。

その山門の脇にあったのがこれ。↓



あ、アメニテー。
amenity(快適さ、設備)という単語を持ってくること自体、微妙だが、
わざわざ、カタカナでアメニテーと表記することの真意たるや、全く理解不能。
しかし、どこか下町情緒を感じさせなくもない。
暖簾の向こうから、寅さんが出て来そうな雰囲気がなくもない。

気を取り直して、山門に向かう。



↑山門に掲げられた表札には、「赤塚山」とある。
赤塚で思い出したが、この板橋区赤塚という土地は、どうも赤塚不二夫系の香りがする。
赤塚ギャグの源泉のような・・・。
この山門も、左右の仁王像といい、どこか東大寺南大門を思わせなくもない。


そして、山門をくぐったところにいたのが、この人。↓



なぜか、参拝客に写真を撮られまくっていたので、ボクも便乗して撮らせてもらった。
それにしても、この人、何者だろう。
寺の関係者じゃないような気がする。
インドか東南アジアの修行僧のような衣装である。
古来、中国や日本では、インドのことを西方浄土と言い、仏の住む国として崇めてきた。
あの三蔵法師も、経典を求めて西方浄土へ、シルクロードを歩いて行ったのだ。
しかし、今、この人は、西方浄土から日本の東京大仏まで、逆走して来てしまった。
これ、いかに!?

・・・などという妄想を掻き立ててくれるお坊さんなのだった。


そしていよいよ、大仏さん。↓



黒い。
黒光りしている。
思っていたよりも大きかった。
夜中に歩き出したら怖いだろうなと思った。
などと書くと、うさんくさく思えるかもしれないが、
なかなかに味わいのある佇まいだった。
閑散とした境内に静かに鎮座する東京大仏。
うららかな春風に八重桜と新緑が揺れ、どこか優しい気持ちになった。




↑こういう撮り方をすると、かなり巨大に見える。



↑望遠レンズでドアップ。
とってもお肌がスベスベである。
それもそのはず、この大仏様、昭和52年に建立されたのである。
ということは、26歳。
ボクより若い!

それにしても、この26歳の大仏様が、なぜ日本三大大仏の一つなのだろう。
首都東京にあるからなのだろうか・・・。
どこか腑に落ちないまま、僕は境内を出たところで、振り向いた。

そこに、これ。↓



葵のご紋である。
思わず、ハハーッと平伏してしまいそうになった。
妙に新しい門扉であるが、境内入り口の門扉であり、その紋所は、まさしく徳川家のものである。

ハッ!
と、徳川家の陰謀!?

などという考えがボクの脳裏をよぎったが、
時代劇の見すぎだと思い直して、そそくさと寺を後にしたのだった。

そして、帰り道で見つけたのがこれ。↓



昔、「華麗なるカレー」というダジャレがあったが、
それを現実にやってしまう人がいようとは、夢にも思わなかった。
しかも、「手造り」である。「手作り」ではないのか?
ううむ、板橋区民、恐るべし。


最後に、東京大仏が、奈良・鎌倉に次ぐ日本三大大仏の一つとしてふさわしいかどうかについて、
個人的な判定をしてみようと思う。
後で知ったことだが、実は、東京大仏の他にも日本三大大仏の一つと主張する大仏はあるらしい。
岐阜大仏、高岡大仏、兵庫大仏、赤田大仏などがそれぞれ、第三の大仏として名乗りを上げているらしい。
つまり、少なくとも、五つの大仏が第三の大仏の座を争っているわけである。
ということは、少なくともあと四つの大仏を見学しないことには、個人的な判定を下すことができない・・・。
っていうか、奈良・鎌倉で、「日本二大大仏」でいいんじゃないのか?
無理矢理「三大」にしようとするから、おかしくなるのではないか?


ともあれ、マイナー好きなボクにとっては、
この東京大仏見学は、それなりに有意義なものだったように思う。



END


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