◆今日のコラム◆
2005/06/30
「お笑いのむつかしさ」
ここ3年ほど、お笑いブームが巻き起こっている。
関西でも関東でも、お笑いライブというものが増えた。
テレビでは、次から次へと、新しい芸人達が台頭してきている。
漫才に限らず、漫談やコントの中に様々なバリエーションが現れ、多種多様な笑いが繰り広げられている。
その結果なのか、最近、ネタの傾向が出尽くしてきたような観がある。
お笑いにおける「面白さ」の要素を考えると、大きくは、ネタ・パフォーマンス・キャラの3つに分かれると思う。3つとも兼ね備えている芸人もいれば、2つだけ、或いは1つしか持っていない芸人もいる。
ともあれ、3つであろうが1つであろうが、クォリティが高くなければ面白くならないということだけは言えそうである。
ネタにおいて重要なのは、「鮮度」だと思う。(寿司かよ)
鮮度とは、斬新さであり、意外性である。
同じようなネタを何度も聴くと、鮮度が失われて、つまらなくなる。
また、ありがちな平凡なネタ、どこかで聞いた風なネタも同様である。
つまり、ネタの作り込みで勝負をする芸人は、鮮度を如何に追求するかが最も重要な課題になるのである。
しかし、昨今のお笑いブームによって、大量のネタがテレビを通じて大衆に浸透してしまった結果、斬新さ・意外性を打ち出すことは難しくなりつつある。
しかも、放出されたネタが大衆のメモリに蓄積されていくために、斬新さ・意外性を打ち出せたとしても、鮮度が落ちるスピードは、日に日に加速しているように思う。
つまり、客の目が肥えてきて、飽きられやすくなっているわけである。
だから、ネタだけで勝負するのは、非常にシンドイし、長続きしにくい。
そこで必要になってくるのが、パフォーマンスとキャラである。
パフォーマンスとは、行動・動き・技術である。
リアクションであったり、しゃべくりの巧さであったり、ボケ具合・ツッコミ具合であったり、漫才における「間」であったり、様々なパフォーマンス要素がある。
パフォーマンス要素の利点は、ネタの鮮度が少々落ちていても、勢いで笑いがとれるところにある。しかし、これは、テレビよりも舞台でのライブの方が有利である。テレビの視聴者は、テレビでは臨場感が薄い分、ネタに注目する傾向があるからである。反面、舞台でのライブでは、同じ室内空間における芸人と観客との一体感が生じるし、迫力が直接伝わるので、パフォーマンスでの笑いがとりやすい。
パフォーマンス重視のスタイルは、諸刃の剣なのである。
ネタとパフォーマンスが方法論的な問題なのに対し、芸人の素材そのものを問題にしている要素が、キャラである。
キャラとは、芸人の性格・人格であり、人となり・雰囲気である。
ノッポとチビ、激しい性格ととぼけた性格、おっとり系とちゃっかり系、ブサイクと男前、など、コンピでは、キャラのミスマッチで笑いを生みやすくするのが常套手段である。それ以外でも、芸人個人が持つ面白いオーラや、風貌、口調など、キャラを活かしたネタ作りやパフォーマンスは、必須である。
ネタ要素のウェイトが大きい芸人としては、笑い飯・フットボールアワー・ドランクドラゴン・アンタッチャブル・インパルス・アンジャッシュ・ラーメンズ・おぎやはぎ…などがいるが、勿論、彼らはパフォーマンスとキャラ要素をも巧みに使っている。ネタの巧い芸人は、ネタだけで勝負することの苦しみを熟知しているため、自然と、パフォーマンスとキャラを活かすベクトルが出てくるのだと思う。
パフォーマンス要素のウェイトが大きい芸人としては、安田大サーカス・なかやまきんにくん・マイケル・長州小力などが挙げられる。が、彼らとて、パフォーマンスのみで勝負しようとしているわけではなく、ネタについても彼らなりの取り組みはあるかとは思う。ただ、たまたま、身体的特徴や特技を活かしたパフォーマンスが、彼らなりのとりあえず笑いを取れる方法だったのだと思う。
キャラ要素の特徴を打ち出すことは、芸人なら誰でもやっていることである。
敢えて類型を考えると、「アブノーマル&ノーマル型」(やすきよ・中田カウスボタン)・「ボケキャラ&ツッコミキャラ型」(ダウンタウン・フットボールアワー)・「皮肉屋型」(長井秀和・だいたひかる)…あたりだろうか。キャラ要素の類型は、もっと分析すれば面白いかもしれない。
ここへきて分かるのは、上質な笑いを追求するには、以上の3要素を巧みにハイブリッドさせることが不可欠だということである。
しかも、止まっていてはいけない。
飽きられないように、常にネタの鮮度・面白いパフォーマンス・笑えるキャラを追求しなければならない。
「笑いの神様が降りる」という表現があるが、これは、「今、何が面白いか」を的確に掴み、表現できている状態のことを指すのだと思う。
これが分からない芸人は、いわゆる「センスのない芸人」であり、諦めるかゴリ押しで通すしか方法がなくなり、大成できない。(でも、何とか食えれば御の字)
というわけで、お笑いはとてつもなく深く、むつかしい。
一発当てるのも難しいが、持続させるのはさらに難しい。
日本の「お笑い」というジャンルは、今はまだブームの中にある。
一方では淘汰が始まっていて、別の一方では、雲蚊のごとく若手が生まれている。
これから、競争原理によって面白い者とそうでない者の選別がなされ、「お笑い」は成熟期に入っていくことと思う。いや、まだまだ全く新しい「面白さのカタチ」が出てくるかもしれない。
「お笑い」というジャンルが、今後どう転がっていくのか、静かに見ていたい。
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