無人島奇談





第6話
” 山といえば… ”








 白樺や杉木立ちで覆われた林道を、大型のワゴン車が走って行く。

 盛夏にも関わらず、樹々を彩る緑は新緑のように鮮やかである。

 フロントガラスの上を、緑の葉影が滑らかに流れていく。

 斑らに現れる木洩れ日と開け放った車窓からの涼風が、車内に差し込んできて、少年達を優しく撫でさするようにくすぐって行く。

 運転席と助手席にはそれぞれキイチの両親が、後部座席にはマユミ、キイチ、ミキオの3人が仲良く並んで座っている。

 マユミとミキオは、もうずっと両サイドの窓に張り付いている。初めて見る高原の避暑地の景色が珍しくて仕方がないのである。白樺の幹の白さといい、林の奥に点在する別荘といい、目に映るもの全てが二人にとっては新鮮に感じられる。

 両脇の二人の無邪気な様子を見ながら、キイチは、少し取り残されたような格好になっていたが、それはそれで妙な心地よさも感じられて、彼としては満足なようである。


「ねぇ、白樺ってなぜ白いのかな。」

 というのは口をついて出たミキオの問い。

「ハァ?そんなのナゼもヘチマもないじゃん。今どき、小学生でもそんなこと言わないわよ。ねえ、キイチ。」

 とマユミに話を振られたキイチは、

「う〜ん、じゃあミキオは、他の木の幹がなぜ茶色なのか、分かるかい?」

 と問い返す。

 ミキオは、何度も唸りつつ首を捻って考えてから、

「分かんない。」

 ごつん。

 マユミがおでこを窓にぶつけて、溜め息を吐く。

「そう、僕も分からない。」

 ごつん、と再びマユミは窓におでこをぶつけてから、口火を切る。

「あのねぇ!ミキオはともかく、キイチまで何すっとぼけてんのよ。」

「いや、僕の話はこれから。白樺の幹が白いのも、他の木の幹が茶色なのも、理由は分からない。もっと言えば、葉っぱの葉緑素がなぜ緑色で、ヒマワリの花びらがなぜ黄色なのかも、分からない。生物の体組織の特徴なんて、根拠が分からないことだらけなのさ。でも、ひょっとしたら、白樺の幹が白い科学的な理由があるかもしれない。いや、たぶんあるんだと思うよ。僕やマユミが、いやひょっとしたら世界中の誰もまだそれを知らないだけでね。それを知りたいと思うことは、そんなにおかしいことなのかな。」

 そう言われると、マユミもよく分からなくなってくる。

「なんでそう難しい話に持っていくかな、キイチって。」

 そこで、ミキオが口を挟む。

「僕、分かるよ。」

「なんですって!」

 自分が難しいと感じる内容を「分かる」とミキオが言ったものだから、マユミはむきになった。が、ミキオはニコニコして言う。

「うん。きっとね、白樺が白いのは、白樺が白くなりたいって思ったからなんだよ。」

 ごっつん。

 さっきよりも激しく、マユミはおでこを窓にぶつけた。そして、溜め息。

「反応したアタシがバカだったわ。」

 そんなこんなで、車内ではひっきりなしにトリオ漫才が繰り広げられるのだが、今のミキオの発言に、キイチは苦笑しつつもどこか引っ掛かるものを覚えていた。

 つまり、あながち、外れてはいないような気がするのである。

「白くなりたかったから」

 というのは、逆立ちしても科学的とは言えない理由である。

 生物が進化によってその形質を変化させてきた過程には、理由の説明がつくものとつかないものがある。例えば、キリンの首やゾウの鼻、ラクダの瘤などは、あきらかに外的環境に適応するための進化であり、一応理由が明白である。キリンとゾウは、他の種の手が届かない所にある食物を獲得するために首と鼻を伸ばし、ラクダは気候の厳しい砂漠で栄養分を貯蔵するために背中に瘤を作った、というような説は、誰しも聞いたことのあるものであろう。しかし、サイの角が2本ある理由や、ライオンの雄にタテガミがある理由については、諸説あるものの、明白ではない。しかし、どちらにせよ言えるのは、その種の進化の結果としての形質が、「望まない方向」に向いて来たものではないということである。生物が、本質的に望まない方向へは進もうとしないものだと過程すれば…。

 つまり、「そう望んだから」というのは、凄まじく大雑把ではあるものの、本質的なところで間違ってはいない…。

 そこまで考えて、キイチは思い直した。

 まさか。

 いくらなんでも、買いかぶり過ぎだろう。

 ミキオがそこまで思考を煮詰めて言ったとは考えられない。

 ならそれは、ミキオの正しい直感なのか、はたまた単なる偶然なのか…。
 
 そこで、思考の袋小路に入り込みかけたキイチを救ったのは、フロントガラスの向こう、前方に広がる目的地の全景だった。

 広葉樹の木立の奥に、白い建物が見える。

 赤茶色の瓦を葺いた屋根と、白い漆喰壁、古さを感じさせる茶色い木の柱と、横に走る太い梁……。軒には白い蛇腹が層を重ね、その下にアーチ型の窓、大きく突き出た玄関がある。十分に豪邸と言える、3階建て純木造建築の洋館である。

「うわぁ、大っきいねぇ!」

「こんな素敵なお屋敷が別荘だなんて、キイチん家って凄いお金持ちだったのねっ!」

 車を降りたミキオとマユミからは、口々に驚きの言葉が出る。

 確かに、小金持ちではこんな別荘を軽井沢に構えることなどできない。

 しかし、キイチの父が言うには、

「いや、この別荘は、祖父の代から引き継いだ鹿鳴館時代の建物を改装したものでね。今の私の財力では到底新しく買えない代物だよ。」

 とのことである。

 それを聞いたマユミは、知ったような顔で感心しきりである。

 軽井沢の物件がいかに高いかなど、マユミには知る由もなかったが、どちらにせよ、キイチの家が金持ちであることに変わりがないことだけは分かったようである。

 ミキオはというと、屋敷への興味はどこへやら、辺りの樹木を調べ回っている。

「ミキオ。何やってんのよ。」

「カブトムシを探してるんだよ。」

「ちょっと!来て早々みっともないからやめてよね。」

 そこへ、優しそうなキイチの父親が口を挟む。

「あはは。カブトムシは夜行性だから、こんな昼間に見えるところにはいないさ。探すなら、夜明け頃だな。今夜にでも木に蜜を塗りに連れて行ってあげよう。」

「やったぁ!」

「タハァ。ほんっと、お子様丸出しなんだから。」

「それより、まず別荘に荷物を入れようよ。中を案内するよ。」

 キイチに先導されるような格好で、一行は荷物を抱えて、駐車場から屋敷へと続く林の中の小道を歩いて行ったのであった。




 別荘の頑丈そうな玄関扉を開けると、エントランスホールが広がり、高い天井から吊られたシャンデリアが落ち着いた暖色系の光を放っていた。

「あれ、キイチ君。電気がついてるよ。中に誰かいるの?」

 ミキオが不思議そうにキイチに尋ねる。

「うん。管理人さんを雇ってるからね。」

 中規模のホテルほどの広さの建物だから、当然、人を雇って管理をしなければならないのだが、ミキオやマユミには想像もつかないことである。マユミに至っては、着いたら掃除ぐらいはしなければと思っていたぐらいだが、どうやらその必要はなさそうである。

 そして、ミキオとマユミは、石造りの暖炉のある広い居間に通され、そこで管理人と挨拶を交わし、2階の部屋に荷物を置いた後、風呂や各部屋をキイチに案内してもらった。 そして今、キイチとミキオが寝起きする部屋に、3人が集まっている。

「で、あんたたち、何で一緒の部屋なのよ?余ってる部屋が一杯あるのに。」

「いや、ミキオが一人じゃ心細いって言うからさ…。隣りの部屋からベッドを一つ持って来たんだよ。」

「ハァ?ミキオってば、いつも一人で寝てるでしょ?」

「うん。でも、知らない場所で一人で寝るのはちょっと。」

「ちょっと、何よ?って、もしかして、オバケが出そうとか言うんじゃないでしょうね。」

 幽霊のように手を揺らすジェスチャーをしながらマユミが言うと、ミキオは叫び声をあげた。

「呆れて物も言えないわ。キイチもキイチよ。ミキオを甘やかしすぎ。」

 そう言われたキイチは、少し考えてミキオに言った。

「う〜ん、確かに。どうだい、ミキオ。一人でも大丈夫だろう?」

 雲行きが怪しくなってきた事態を打開しようと、ミキオは苦し紛れにマユミに話を振った。

「よかったらマユミも今晩一緒にどう?」

 勿論、ミキオにしてみれば、妙な意味を込めた言葉ではない。マユミもそうだろうとは推測が立っている。しかし、彼女は、その発言の不用意さが気に入らない。それに、ミキオが女として自分を見ていないことにも腹が立つ。怒りのボルテージが急速に上がってきて、顔面が紅潮してくる。

「あんた、そういうのを何って言うか知ってる?」

「ううん、知らない。」

「セクハラって言うの!セ・ク・ハ・ラ!」

 ここまで来てやっと自分の発言の意味に気づいて慌てるミキオと、堪忍袋の緒を切らしたマユミの紛争が勃発し、あれやこれやの言い合いとキイチの仲裁が続き、結局、キイチの部屋に持ち込んだベッドを元の部屋に戻すことになったのだった。




 その日は、もうすぐ夕刻ということで、部屋でゆっくりくつろいで過ごし、夕食はバーベキューをすることになっていた。軽井沢には、森林や渓流などの自然もあれば、テニスコートなどレジャー施設、美術館、土産物街から温泉まである。それらのお楽しみは、すべて翌日以降というスケジュールである。

 初日は、バーベキューの後、キイチの両親を交えてゲームで遊び、諸事すべてにぎやかに過ごして、就寝時間を迎えていた。




 キイチは、一人、ベッドに仰向けになって横たわり、天井を見ている。

電灯を消した暗い部屋に、月明かりが差し込んでくる。

 木立ちの陰が白い壁に映り、ざわざわと風に揺れる。

 両手を頭の後ろで組み、軽く寝返りを打つ。

 今朝、出発した時からつい今しがたまでの出来事が思い出される。

 ミキオとマユミ。あの二人と一緒にいるととても心地良い。

 溌剌としていつも光り輝くマユミと、それと対称的にぼんやりとして底が見えない深海を湛えた水面のようなミキオ。

 キイチは、二人とずっと一緒にいたいと思う。

 しかし、それが適わないであろうことを知っている。

 いつか、三人がそれぞれの人生の岐路に立つ。それは、恋かもしれないし、進むべき道の分かれ目かもしれない。ただ、前途に対する具体的な想像は、キイチをもってしても難しかった。それでも、この煌めくような少年期の温かい日々が、永くは続かないであろうことだけは、儚さに似た哀愁を伴ってリアルに彼の胸の内に響くのであった。




 廊下を挟んでキイチの部屋の向かいが、マユミに割り当てられた部屋である。

 窓の向きが違うせいで、この部屋には月光が届かない。

 マユミは、ベッドに備え付けのライトだけをつけて、横になっている。

 枕元の傍らの壁には、持参したラケットが立て掛けてある。

 窓の外からは、さらさらと水の流れる音が聞こえてくる。

 屋敷の裏の程近くに流れる川のせせらぎの音である。

 今日も、怒ってばかり…。

 マユミは少し内省する。ただ、本心からの怒りではない。それは、自分でもキイチにしても分かっていることである。だから、楽しかった。

 でも、ミキオはどうなんだろう?

 いくら極楽とんぼでも、あれだけ怒られると傷つかないかな…。

 マユミは、いつもミキオに対して高圧的になってしまう自分自身に、少し嫌悪感を抱いてしまう。そんなふうに考えたところで、事態が好転するわけではない。何しろ、何が問題なのかさえ分からないのだから。

 そう、何が問題なのだろう。

 よく怒ってしまうこと?なぜ?

 ミキオの拙さを放っておけないから。

 なぜ?

 大切な友達だから。キイチみたいに、優しくしてばかりじゃ成長しないから。アタシは叱り役…。

 そこまで考えて、彼女の胸の底の方から、違和感が湧き上がってくる。

 本当にそうなのだろうか。

 そこまで彼女が、ミキオの叱り役に徹することに、必然性があるのだろうか。

 もし、マユミがいなかったら…。

 キイチは、単にミキオに優しく接するだけの存在でいるだろうか。

 きっと、違う。

 彼は、ミキオが誤まった方向に進みそうになれば、やり方はどうあれ、身を挺して止めようとするだろう。

 だったら、アタシは、別に叱り役でなくてもいい?

 ミキオを叱らないアタシは、ミキオに対してどんな気持ちで、どんな接し方をするんだろう?

 マユミは想像してみる。

 ミキオが馬鹿なことをしたとする。それを見て、彼女はムッとする。この「ムッ」は何だろう。怒り、ではない。ただ、放っておけないだけ。気に掛かるから。

 気に掛かるから?

 今まで当たり前だったことが、疑問に変わる。

 その疑問を突き詰めていけば、恋に辿り着くのかもしれないが、幸か不幸か、彼女の思考はその辺りで途切れてしまった。

 彼女の思考を遮ったのは、いたずらな睡魔である。

 小さく寝息を立てて眠るマユミの顔は、天使のようであった。
 




 その頃、ミキオは、キイチの隣りの部屋で……幸せそうに熟睡していた。

 一人で寝るのをあれだけ嫌がったというのに、厚かましくも一番早く寝ついている。

「ダメだってば、マユミ…。キイチ君、助けてよ…。」

 と、寝言。

 夢の中でも3人で遊んでいる。
 





 それぞれの思いをよそに、軽井沢の夜はひっそりと更けていく。

 低く丸い梟の声が林のいずこからか響いてくる。

 木々のざわめきに混じって、野犬の遠吠えが風に乗って聞こえてくる。

 黄泉の番犬を思わせる不気味な声は、光を底へ底へと誘うかのようである。

 やがて月は幾重もの薄雲に隠れ、都会の喧騒を離れた高原は真の闇に包まれる。

 そして、その分厚い闇は、これから3人の身に起こる事態をじっくりとかつ急速に醸成するかのように、夜を埋め尽くすのであった。










 
 翌朝。

 雲一つない晴天。 

 近くで鳥の鳴く声がする。

 暑く湿った空気が肌にまとわりつく。

 明るい陽光を目蓋越しに感じて、ミキオは目覚めた。

 体を起こして、両手を突き上げてひとつ伸びをする。

「ふわぁ。よく晴れたねぇ。」

 と言ってから、ミキオは首を傾げる。

 天井がなくて、空がある。

 あれ?

 辺りを見回すと、キイチとマユミが途方に暮れた顔で座り込んでいる。

 さらに視野を広げると、水面が見えて、波、水平線……つまり海が見える。

 もう一度、自分の周囲を見回す。

 3人がいるのは、見たこともない白いクルーザーのデッキ上。

 そして、360度、どの方向を見ても、どこまでも続く青い海。

 わずかな角度で弧を描く水平線が、地球の丸さを感じさせる。

 カモメが一羽、ふわりと舟の傍をかすめて飛ぶ。

「僕たちって、山にいたんだよね?」

 ミキオの暢気な問いが、空しく海上に響くのであった。







END



執筆: 2005/02/13



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次回予告
無人島奇談第7話「デジャヴ」
 突然、海上にワープした3人。
 現在位置も分からぬまま、あてどなくさ迷うクルーザー。
 かつて経験したことのない不安の中で、3人が見たものは!?


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