無人島奇談 










第4話
" いつか見た空は、棚曇り "










 月明かりがロフトの窓から差し込んでくる。

 薄暗く天井の高いフローリングの部屋、照明はデスクのライトだけ…。

 デスクに向かうキイチは、何やら作業にいそしんでいる。

 ナイフで小型の鰹節のような形に木を削っているのである。

 煌々と照らされた机上には、すでに同じ形をした彩とりどりの鰹節…ではなく、手製のルアーが並べられている。

 このタイプのルアー、つまり疑似餌は、バスフィッシングで用いられるペンシルベイトと呼ばれるもので、ブラックバスの餌となるアユやオイカワ、ワカサギなどの小型の川魚を模した形状をしている。

 バス釣りは、凝り性のキイチの趣味の一つであり、道具にまでこだわり抜くのが彼の性分である。

 木を削る小気味良い音を立てながら、彼は翌日のことを考えている。

 明日は5月の連休、つまり、ミキオ、マユミの3人で公園へ行き、釣り・テニス・バードウォッチングをすることになっている。

 多目的型の広大な公園とはいえ、近隣なので日帰りである。

「今頃、マユミは文句を言ってそうだな…。」

 そう呟くキイチのデスクの傍らには、3本のロッド(釣竿)が立て掛けられていた。








その頃、マユミは、

「連休なのに!なんで日帰りなのよ。」

キイチの想像を寸分も違えず、彼女は一人で不平を唱えていた。

彼女がいる場所は台所、つまり翌日の弁当の下ごしらえをしている。

実は彼女、料理は苦手なのである。

しかし、マユミとしては、ここで野郎共に女の子としての矜持を見せておきたい。

その見栄が、彼女を3人の弁当担当者にしてしまった。

 以前に比べて頭の回るようになったマユミは、当日の朝に弁当作りに取り掛かると時間が掛かり過ぎてしまうであろうことを見越して、前夜から下ごしらえに余念がない。

 ただでさえ、年頃の少女、朝は身だしなみやら服選びやらで時間が掛かるのである。

「あのとんまのせいよ!きっとあいつ、今頃グースカ寝てるに違いないわ。」

 マユミの家の玄関には、テニスラケットが3本立て掛けられていた。








 そのとんまは、その頃…。

「ワクワクするなぁ。」

 マユミの想像を超えて、布団の中で興奮して眠れずにいた。

 まるで遠足前日の小学生よろしく、目が冴えてしょうがない。

 いつもは、9時には寝てしまうミキオだが、遠足であれ修学旅行であれ、イベント前日の夜はこうなってしまう。

 そんなオメデタイとしか言いようのないこのミキオにも、目下、心配事がある。

「天気予報は晴れるって言ってたけど…。」

 彼が、小学生から精神的にどれぐらい成長したのかについて、誰も知らない。

 おそらく、本人にも預かり知らないことであり、そのあたりのことは、きっと人智を超えた森羅万象に属することなのだろうと、キイチなどは思うようにしている。

 もっとも、マユミの場合、単にミキオが単純で幼稚なだけだと思っているようだが。

 三者三様の思いなど何ら影響することなく、街の夜空には、星が瞬いている。

 ミキオの部屋の軒下には、いつの間にか眠ってしまった彼の寝息に呼応するかのように、照る照る坊主が3つ、わずかに揺れていた。












 ヒュン。

 見事な弧を描いて、ペンシルベイトが空中で唸りを上げて水面に飛び込む。

 キイチは、巧みなロッドさばきでペンシルベイトを水面近くでドッグウォークさせる。 ドッグウォークとは、ルアーの頭を左右に振るようにして、ブラックバスの食いつきを誘うペンシルベイトの基本テクニックである。

 ペンシルベイトは、トップウォータープラグと呼ばれるタイプのルアーの一種で、水面付近でパスをヒットさせる釣りを楽しむのに適している。このトップウォータープラグは、バスをルアーに付いた針で引っ掛ける、即ちフッキングする瞬間を見ることができ、また、ルアーを追ってくるバスの姿を見ることもできるため、水面近くでの駆け引きが味わえるエキサイティングなスタイルとしてフリーク達に親しまれている。

「盲点だったよ。この公園の池にこんなにブラックバスがいたなんて。いつもは少し遠出をしていたからね。」

 興奮を抑えながらそう言うキイチの足元には、タックルボックスと呼ばれるルアーや小物の収められた箱が置いてある。むろん、そこに釣果のブラックバスは入っていない。

 キイチ曰く、キャッチ&リリースがバス釣り愛好家、即ちバサーのマナーであり、釣るか釣られるかの駆け引きを純粋に楽しむことこそが、バサーのロマンなのだとか。

「っていうか、朝早すぎよ。なんでこんな時間からやらなくちゃなんないのよ。」

 不平を言いつつロッドを振るマユミの手つきは、素人のわりに様になっている。

「しょうがないさ。トップウォーターの場合、バスが活発になる早朝の方がよく釣れるんだよ。それに、朝の公園というのも、すがすがしくて気持ちいいもんだよ。」

「まあ、気持ちはいいけど。でも、あれ見てよ。ほら。」

 と、マユミが指さした先には、チェアーに腰掛けたミキオが、うつらうつらと舟を漕ぎながらロッドを抱え、水面に糸を垂らしている。

 むろん、ミキオの動かない疑似餌(ルアー)にバスが食い付くはずもない。

「や、やっぱり、朝釣りはマズかったかな。」

 趣味に走り過ぎたことを少し反省するキイチであった。










 バシュッ。

 マユミの放った強烈な高速サーブが、ミキオの脇を抜けていく。

「ちょ、ちょっとは手加減してくれよぉ!」

 情けない声を上げるミキオの斜め前方には、真顔でキイチがラケットを構えている。

「確かに。今のはテニスボールが楕円形に見えたよ。」

 ニコリともせず、キイチもやんわりとクレームをつけた。

「何よ。ふがいないと思わないの?これはジュースの賭かった真剣勝負なのよ。」

 そう、運動神経抜群のマユミ一人に、ミキオ・キイチの二人掛かりなのである。

 ジュースのおごりを賭けたのは、勝負事の好きなマユミの発案である。

 この案を聞くなり、ミキオなどは最初から負けを想定して、賭けになっていないと反発したが、キイチは2対1なら分があるのではと勝算のありそうな策を出し、現在の展開になっている。

 しかし、今のスコアは30 - 0サーティラブ 。ゲームカウント5-1、セットカウント1-0。

 もちろん、勝っているのはマユミの方である。

 別に、ミキオとキイチが、特別テニスが下手というのではない。素人ではあるが、二人とも、小学校時代に経験があるので、普通にゲームができるぐらいの腕前はある。後衛のミキオは、サーブ&レシーブが普通にでき、長いストロークが得意な方だし、前衛のキイチは、ボレーやロブ、スマッシュなど機敏な状況判断力と冷静さを要する技が得意である。

 つまり、テニス部員であるマユミが強すぎるのである。

 まず、女子中学生とは思えない、スピードのあるサーブ。ボールをトスすると同時に空に向かって跳躍し、高い打点で全身のバネを使ってしなるようにボールを叩く。スピンを掛けないフラットサーブなので、ボールは高速かつ鋭角に相手コートを射抜く。マユミの勝気な性格を最も端的に象徴する技である。

 次に、マユミの通常のショット、即ちストロークは、フラット、スライス、トップスピンと、フォアハンドでもバックハンドでも自由自在、お手のものである。唯一の彼女の弱点は、バックハンドでの身体に近い高いポイントだが、ここは大概どんなプレイヤーでも打ちにくいゾーンであるし、相手にしても簡単にピンポイントで打ち込める場所ではない。つまり、ストロークに関して、ミキオとキイチぐらいのレベルの選手が期待できる死角はほとんどないのである。

 マユミはプレイヤーとしては、大味なテニスをする方である。故に、細かい技はあまり得意ではないが、その分は、脚力でカバーしている。つまり、虚を突いてキイチがネット際にボールを落としてきても、大体は足で追いついてしまうし、バウンドがイレギュラーしても運動神経で対処できることが多い。

 現に今も、マユミはコートを縦横無尽に駆け巡り、男子2人を相手に、獅子奮迅の立ち回りを見せている。

 ミキオが滞空時間の長いスライスサーブを打つ。着地したボールは外側に跳ねるが、マユミは既に読みきったポイントに回り込んでいて、大きくテイクバックしてトップスピンレシーブを打つ。ゆるやかな弧を描いてミキオ陣営に返ってきたボールは、一見打ち易そうに見えるが、順回転しているので、着地後、大きく高く弾んでミキオのラケットのスイートスポットを大きく外す。当然、ミキオの返しはヘナチョコな軌道を描き、マユミのコート上に打ち頃の球となって飛んでいき、マユミの容赦ないスマッシュの餌食となる。迎え打つ側のキイチは、身構えたまま一歩も動けない。

 今度はミキオは少し考えて、センターライン寄りのゾーンにスライスサーブを打つ。マユミは外側に陣取っていたため、中央に走り寄ってボールに追いつき、少し無理な体勢で上体を被せるようにしてクロス気味にリターンする。しかし、サーブのボールがスライス回転だったため、リターンはストレートとなり、待ち構えていたキイチの正面に入ってしまう。キイチはすかさず角度のあるボレーでネットに近い位置へクロスを打ち、何とかポイントをもぎ取った。

「これでゲームね。アタシからゲームを獲るなんて、あんたたち、なかなかやるようになったわね。今度はそうはいかないわよ。」

 ピンクのタオルで汗を拭きながら、爽やかな表情でそう言い、マユミは空を仰ぎ見た。
 穏やかな初夏の薫風が、彼女の茶色掛かった長い髪と白いスコートを揺らし、スラリと引き締まった健康的な脚が一層美しくグリーンのコートに映える。

 かなりヘバリ気味でベンチに座り、マユミの脚付近に視線を落としていたミキオとキイチも、緑の風に誘われるようにおもてを上げ、水色の空の彼方に視線を投げる。

「僕、もうお腹空いてきちゃったよ。」

「まだ、10時だよ。」

「誰かさんが、馬鹿みたいに早起きさせるからよ。さ、もう一汗かくわよ!」

「ハァ〜。」

 ミキオの溜め息は、水色の空に向かい、頼りない蒸気のように登って行き、薄雲と混じり合って拡散していくのだった。










 ミキオを先頭にして、3人は公園内の小高い丘陵へと続く緑道を歩いている。

 道の両側には、様々な樹木が生い茂っている。人工林とはいえ造成してから年数が経っているので、繁茂が進み、自然林のような佇まいを見せている。樹木は、アオキ・キンモクセイ・サンショウバラ・ツバキ・シャリンバイなどの低木を始め、アラカシ・スダジイ・ヤマモモ・ウバメガシなどの常緑樹、イチョウ・アキニレ・ニセアカシア・ケヤキ・クヌギ・クスノキ・トチノキ・ネムノキ・ブナ・ヤマボウシ・メタセコイアなどの落葉樹が、バランスよく植えられている。

「ねぇ、こんな所にスズメとハト以外に鳥なんているの?あ、カラスもいるか。」

 両手を頭の後ろで組み、退屈そうにそう言ったのは、マユミ。

 そう、キイチの釣り、マユミのテニスときたから、次は、ミキオのバードウォッチングなのである。バードウォッチングを「おじいさんのすること」と言い切ったマユミは、いかにも興味なさ気な様子である。その証拠に、いつも先頭を行く彼女が、今は一番後ろを歩いている。

「さあ、僕も鳥を観る趣味はないから、あとはヒヨドリぐらいしか思いつかないけどね。ミキオは、他に知ってるかい?」

 博識を誇るキイチも、この港ヶ丘公園にいる鳥の種類までは把握していない。どこにでもいる鳥の名を挙げるほかない。

「うん。ここは街の中だけど、木がいっぱいあるから、渡り鳥が羽を休める場所になってるんだよ。」

「ホント?何かイマイチ信用できないのよねぇ。アンタ、また適当なこと言ってんじゃないでしょうね。」

 疑いの色を微塵も隠さず、マユミはジト目でミキオの顔を見る。

「ほ、本当だよ!僕は鳥が大好きなんだよ。ちっちゃい頃から、図鑑とかいっぱい見てるし。」

「それ、答えになってないわよ。いいわ。あの丘の頂上に着くまでに、ハトとスズメとカラスとヒヨドリ以外の鳥が見つからなかったら、アンタだけお弁当抜きだからね。」

「そ、そんなぁ。あんまりだよ!キイチくんもそう思うよね?」

 必死で援けを請うミキオをよそに、キイチはワザとらしく口笛を吹いてごまかす。

 キイチは分かっているのである。ミキオが無事にマユミの手作り弁当にありつけるであろうということを。この公園が渡り鳥の中継地点になっているというミキオの説は、おそらく正しい。渡り鳥というと、カモのような海鳥を想像しがちだが、春夏に渡来する小禽類も数多くいるし、冬にシベリア方面から渡来した小鳥が日本に残っていることもある。それに、おそらくこの地域で、これほど樹木の多い場所はこの公園以外にないだろう。とすれば、ミキオの説が当たっている可能性は高い。

 キイチは、そこまで推測しているからこそ、強引なマユミの提案と泣きそうなミキオの訴えにも、余裕を決め込むことができる。

「耳を澄ましてごらんよ。聴き慣れない鳥の声がしないかい?」

 キイチの言葉に、ミキオとマユミは喋るのを止めて耳を澄ます。

 途端に辺りは静まり還る。

 街の喧騒もここまでは届かない。

 両側の分厚い林が歩道にアーチを作り、前を向くと緑のトンネルのように見える。

 穏やかな風に揺られる若葉のざわめき。

 遠くで遊ぶ子供達の声。

 耳慣れたスズメのさえずり。

 一際甲高い声を上げているのは、ヒヨドリ。

 中低音で丸みのある声は、キジバトの声。

 そして、普段は気づかない、見知らぬ野鳥達の声が聴こえてくる。

「やっぱり、いるんだよ。」

 嬉しそうに、かつ囁くようなかすかな声で、ミキオが言った。

「そう、みたい。」

 マユミも、素直にそう頷いた。

 キイチが何か言おうとしたとき、歩道の真ん中に小鳥が舞い降りた。

「あっ!キビタキだ。」

 小さくかすれた声でミキオが叫び、指差す。

 その鳥は、腹から喉までの山吹色と頬・背中の黒のコントラストがとても美しい。

 ほんの短い間、キビタキは3人を見つめ、愛嬌のあるしぐさで小首を傾げたかと思うと、すぐに左側の林の中へ飛び去った。

 そして、何もいなかったかのように、緑に覆われた歩道は、再び静寂に包まれる。

 ………。

「……。今、あたし達と目が合ったよね!」

「うん!すっごく可愛かった。」

「ここに、キビタキがいるとはね。何にも代えがたい一瞬だったよ。」

 三者三様、口々に興奮を隠せない。

 何だかんだと言って、結局、一番喜んでいるのはマユミかもしれない。

 ひとしきり騒いだ後、3人は落ち着きを取り戻し、マユミがポツンと言った。

「それにしても、ミキオ。キビタキなんて鳥、よく知ってたわね。」

「だって、昨日、眠れなくて図鑑を何度も見てたもの。」

「それで、ミキオは釣りの時、寝てたってことか。らしいよ、まったく。」

 屈託のない表情でミキオを責めるキイチに、マユミが吹き出す。

 こうなると、3人ともが声を上げて笑い出すことになる。

 笑う門には福来る、野鳥がさえずり初夏の光あふれる新緑の林に、何とも似つかわしい光景がふんわりと広がるのだった。











 穏やかな晴天の中央に、太陽が頂かれている。 

 林を抜けると、芝生のスロープ、その頂上で、3人は賑やかに弁当を食べている。

「結局、いろんな鳥がいっぱいいたよね。」

 幸せそうな顔をしてミキオがマユミに言う。

 ここまで邪気のない満面の笑みを向けられると、マユミも怒る気が失せる。

「まさか、あんなにいるとは思わなかったわ。」

 あのキビタキを見た後、3人は次々と普段見たことのない野鳥達に遭遇したのである。キビタキの次には、スズメより小さなカワラヒワ、鮮やかなグリーンのメジロの群れ、ぽっちゃりしていて愛嬌のあるモズ、尾羽が長く美しいサンコウチョウ、などなど…。

「キイチくんは、どの鳥が一番好きだった?」

 少し考えて、静かにキイチは応える。

「そうだね。サンコウチョウかな。あれは、都会ではお目に掛かれない鳥だよ。」

 訊いてもいないのに、マユミも口を挟んでくる。

「アタシはねぇ、あの青いやつ。絶対、あれ、幸せの青い鳥よ!」

「あれは、オオルリだよ。険しくて深い山によくいるやつなんだ。」

「まっ!何よ、キイチみたいな訳知り顔で言っちゃって。昨日図鑑で一夜漬けしただけのくせに。しかも、興奮して眠れなかったんですって?子供じゃないんだから。」

 子供である。

「一言多いんだよ、マユミはっ。」

 つむじを曲げかけたミキオを制するように、キイチが割って入る。

「まあまあ、こんなところでいつもの口喧嘩をしなくてもいいだろ?それより、こんな見晴らしのいい場所に来てることだし、景色でも見ようよ。」

 そう言ってキイチが立ち上がると、ミキオとマユミも立ち上がる。

 そう、彼らはなぜかキイチの言うことは素直に聞くのである。それは、キイチの信頼できる人格に依るのだとも言えるし、ミキオとマユミの関係と、ミキオとキイチ、マユミとキイチの関係の性質が微妙に違うことに依るのだとも言える。



 ともあれ、3人は丘の上から景色を見る。

 広大な公園の向こうに、ゴミゴミとした街並みが見える。

 わりと郊外の新興住宅街なので下町風情があるわけではないが、自然を模した緑の公園と対比させると、どうしても雑然として取りとめのない灰色の連なりのように見えるのである。

 そして、その街並みの彼方は、この季節特有の霞が掛かかっていてぼやけている。

 ぼやけた地平線を見飽きると、自然と視線は空に上がってくる。

 空と地面の境界の延長線上に、薄雲の掛かった麗らかな晩春の空が茫洋と広がる。

 俗に言う春の棚曇りというやつである。

 薄いヴェールのような雲を透かして、水色の空が見える。

 水色の空を見つめると、薄雲がわずかに淀みつつ動いているのが分かる。

 その淀みにはムラがあり、水色の濃い部分と薄い部分を斑らに作り出す。

 その濃い部分の一つが、ふいに大きくなってくる。

 始めは錯覚かと見紛うほどだったのが、はっきりと大きくなり、濃さを増す。

 そして、その部分の薄雲がみるみる掻き消え、鮮やかな目の覚めるようなブルーが、3人の網膜に焼きつくように、迫る。






 ふと、3人が我に帰ったときには、空は元の棚曇りに戻っていた。

「ね、今のどっかで見たことなかった?」

 マユミが怪訝な表情で、誰となしに問う。

「う〜ん。どっかで見たような…。」

 ミキオも、眉間に皺を寄せて考える。

「…。無人島奇談だ!」

 キイチが弾けるように叫んだ。

「「あっ!」」

 マユミとミキオも同時に思い出して叫ぶ。

「小学校の頃だよね!えっと、ゲームやってたらいきなり画面に出てきたやつ!」

「そうよっ!あの心理ゲームとか言って、答えたら消えちゃったやつよ!」

「そうそう!ワケ分かんないゲームだったよねぇ!」

 ミキオとマユミは、興奮して喋っている。

 しかし、キイチは、一人、黙して考える。

 デジャヴュ。既視感。あの時画面に現れた鮮烈なブルーが、さっき見た空の淀みが偶然生み出したブルーと重なって、3人同時にデジャヴュを起こしたのである。少なくとも、現象自体はそれ以上でもそれ以下でもないはず。あの不思議なゲームの「ブルー」は、画面上に現れた画像であり、さっきの現実に見たブルーとは、意味上のつながりはあるにせよ、物理的なつながりがあるわけではない。その辺りのことは、ミキオとマユミも言葉でなく感覚で分かった上で喋っているはずである。その偶然に驚き、興奮し、喜んでいるのだから。よくあるデジャヴュの一例に過ぎない。彼らとて、ヴァーチャルと現実を混同するような人間ではないのである。

 しかし…。

 今、キイチの胸の底には、微かだがはっきりそれと分かる、モヤモヤとした疑念が湧き起こっている。それは、疑念だとは分かるが、何に対するどのような疑念なのかは分からない。彼は、今湧き起こったこの得体の知れない疑念に対してまで、あの2年前のゲームをした時に彼一人が感じた疑念と意識の中で重ね合わせ、デジャヴュを起こしてしまっていることに、密かに当惑せざるを得なかったのである。





 単なる、デジャヴュ。

 この後、彼らの生活に、このことが影響することはなかった。

 そして、あの2年前の不思議なゲームをプレイした時と同じように、彼らの記憶には、ごく瑣末な出来事として、僅かに残ったに過ぎなかったのである。




 瑣末であるにせよ、どこかで何かが変わったのには違いない。

 しかし、それは誰の身にも時間の経過とともに起こる変化であり、それとの差異など誰も見出せるはずはないのである。








END



執筆: 2004/01/30




 次回、第5話「ああ、夏休み」
   期末テストでてんやわんやのミキオ。余裕のキイチ、マユミ。
   そして3人は、夏休みにまた遊びにいく計画を立てる。
   またかよ!今度こそ、泊りがけ!? 無人島奇談はどうなったんだ?
   さあ、どうなるどうなる?
   乞うご期待!



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