映画の小窓10 「蘇える金狼」
松田優作を見るなら、ダンゼンこの映画である。 もう、何と言うか、ホントにかっこいいのである。 かっこいいといっても、キムタクのようなかっこよさとは違う。 匂い立つような男の魅力とでもいうのだろうか。 ワイルドでかつ洗練されていて、キレのいい演技。 歩き方からセリフの吐き方、銃を構えるタイミングまで、 全てに計算され尽くしたストイックさが漂う。 一挙手一投足が、神経質なまでにキメキメなのである。 そう、彼の演技は、キメキメなのである。 かと言って、キザキザではない。(何やそれ) キザキザではないが、シャキシャキではある。 そして、シャキシャキではあっても、スカスカではないのである。 このことをまとめると、彼の演技は、 「キザキザでないキメキメの、スカスカでないシャキシャキ」 ということになる。 ここまで書いて、ボクの脳裏には志村けんのあの様式美ギャグ、 「怒っちゃヤーよ」が浮かび上がったが、 敢えて気にしないことにしよう。 と、とにかく、である。(ど、動揺なんかしていないぞ) 松田優作の演技はキメキメのシャキシャキなのである。(まだ言うか) このキメキメシャキシャキこそが、彼の演技の長所であるが、 逆に、それが短所と言えないこともない。 何故か。 彼は、おそらくキメキメシャキシャキしかできないのである。 言い換えると、ルーズな演技ができない。 いつも緊張している感じがするのである。 完璧主義というのだろうか。 スポーツでも芸術でも音楽でもそうだが、 確かに、人間の整然として一糸乱れぬ姿は、美しい。 厳然として高潔に何かを極めようとするスピリッツを感じる。 見る者は尊敬の念を抱くが、同時に畏怖し敬遠してしまう。 反対に、人間の無軌道でいいかげんな姿は、醜く泥臭い。 しかし、ほど良くいいかげんに上手くやる人は、魅力的である。 また、右往左往しながら目的に辿り着く人からは、目が離せない。 見る者から崇拝はされにくいが、親しまれ愛される。 キメキメとルーズ、どっちが器用な生き方だと言えるだろうか。 松田優作を見ていると、そんな疑問が頭に浮かんでくる。 ボクには、彼が自分を追い詰めて死んだような気がしてならない。 妥協できない性格、それは時としてその人を高みに連れて行くが、 行き詰まった先には孤独と破滅をもたらしてしまう……。 そう考えると、キメキメは不器用である。 ルーズな人の中には、遊び心に富んだ性格の持ち主が多い。 彼らの人生観はキメキメな人のそれとは違う。 極めたいという思いよりも、楽しみたいという思いが強い。 金持ちでもなければ、有名人でもない。 けれど、人生の楽しみ方が自然に身についている。 どこかで何かを諦めてはいても、気持ちに余裕があり、明るい。 そんなふうに捉えると、ルーズは器用なのかもしれない。 いずれにせよ、ボクから見た松田優作は、 前者、すなわちキメキメである。 キメキメには、孤独、破滅、不器用など負のイメージもあるが、 精錬、正確、様式美、憧憬、神聖、といったイメージもある。 それは、キメキメ(松田優作)の光と影を表しているとも言える。 「蘇える金狼」について思いを巡らせると、 そんなようなことをとりとめもなく考えてしまうのだが、 何がどうあろうと、あの松田優作のキメキメな姿が、 どこまでも本当にキメキメで、映画を見ていて、 「キメキメ万歳!」 と叫びたくなることだけは、疑いようがない。 (だからキメキメって何なんだよ!) End (付記: 若かりし日の風吹ジュンが脱ぐシーンも要チェックである。) |