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「ラン・ローラ・ラン」 珍しくも、ボクが映画館へ足を運んだ作品である。 しかも、2回も見に行った。(1999年の秋、ね。) キュートなヒロイン、ローラがひたすら走るという映画である。 このドイツ映画も、ポップセンスにおいては、 「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」に引けをとらないだろう。 実写の中にアニメーションを大胆に挿入するセンスには、驚いた。 ドイツの伝統・勤勉、といったイメージを吹き飛ばしてくれる。 この映画に貫かれているものの一つは、スピード感である。 ストーリー構成、カメラワーク、アニメーションの挿入、 いずれも、シンプルな手法で斬新なスピード感を出している。 このシンプルさには、先端技術を濫用する感のあるハリウッドと、 一線を画すものがある。(ハリウッドも好きだけど。) 実は、主人公がひたすら走りつづけるというアイディアは、 ボクの頭の中にも創作のネタとしてあったのである。 だから、この映画のことを雑誌で知ったときは、 やられた! と思ったものである。 しかし、この映画を実際に見終わったとき、 さらに、やられた!という気持ちになった。 ボクの描いていたチンケなイメージよりも、 格段に優れていたからである。 ビジュアル面では、アニメーションの部分的な挿入に、 まず度肝を抜かれた。 ラフなタッチでポップ感を見事に表現している。 そして、実写では、短いカットの使い方が抜群に巧い。 電話の鳴るカット、出くわす通行人の未来を現すフォトカット、 ガラスの割れるカット、叫ぶローラのカット、etc……。 いずれも、ポップだし、分かりやすい。 カットの使い方が作品に独特のテンポを与えている。 背景を止めてアングルを変え、走るローラを強調することで、 視覚的に飽きが来ないようにする工夫も見える。 背景の動くカット、動かないカット、この使い分けが、 実に何と言うか、巧みなのである。 そして、特筆すべきは、音楽である。 監督トム・ティクヴァ自身が、音楽をも手掛けているらしく、 映像と効果音を含めた音楽の一体感がすばらしい。 その音楽は、打ち込み、サンプリング、ドラムンベース、 すなわち、テクノ系の音楽である。 どれくらい一体感があるかと言うと、 電話のベルが鳴るカットがあるのだが、 ベルの音も音楽の一部のように感じられるし、 走るローラの足音、特に小さな鉄橋を渡る時の金属的な足音も、 音楽的に聞こえてくるというぐらいなのである。 この映画の長所は、ビジュアルとサウンドだけではない。 そのストーリーテリングも、なかなか凝ったものだった。 まず、20分以内に10万マルクを手に入れて届けなければ、 恋人マニがヤバい組織に殺されてしまうという状況設定。 もちろん、不自然でないような持って行き方をしている。 物語は、たった20分間の中で繰り広げられるのである。 じゃあ、20分の映画なの?って言うと、 とんでもない! ローラは、この20分間の時間設定を3往復もするのである。 つまり、3通りのパラレルストーリーが展開されるのである。 1度目と2度目は、ローラかマニのどちらかが死ぬ、 という最悪の結末である。 そして、3度目にしてやっとハッピーエンド。 3回も、くどいわ! と言う人には、その感受性を疑わざるを得ない。 この3回の間に、ボクの頭には様々な考えと感情が湧き起こった。 「あの時に戻ってやり直せたら!」 という、誰もが一度は胸に抱く願望。 「でも、もう一度同じことを繰り返すかも。」 という、運命の有無に対する疑いと不安。 そして、ほんの些細なことが絶妙に組み合わさって、 この世界が成り立っているということ。 何かパーツ一つが狂うだけで、20分後の状況すら、 自分の力で制御できなくなってしまう。 ボクには、この映画が、 運命を変えようと奮闘する人間の姿を、 応援しているようにも思えたし、 いや、3回ぐらいリセットしてやり直さないと、 運命を思い通りになどできはしないのだよ、 と、諭しているようにも思えた。 それにしても、頻繁に出てきたローラの二つのセリフが、 すこぶる印象に残った。 「マー、ニーッ!!」(大声でマニを呼ぶ) 「シャイセ! シャイセ!」(こんちきしょう!の意。悔しそうに) 本人は、役の上でも演技としてでも、必死なんだろうけど、 なぜか、妙に可愛いかったなぁ。 End 付記 ここまで、述べてきたことは、 あくまで、ボクが個人的に感じたことなので、 他人が、この映画を見てどう思うかはわかりません。 全く、違う見え方、違う味わい方をすることもあるでしょう。 だから、この稿を読んだ方々、 どうか、ここまで読んで映画を見た気にはならないでください。 浜村淳のように、あらすじを細かく全部明かそうというつもりは、 毛頭ないし、言わないように心がけているつもりなので。 執筆: 2000/11/22 |