◆今日のコラム◆

2005/04/25

「嫌いなし」


今のところ、嫌いな食べ物がない。
俗に、「好き嫌いがない」という表現があるが、僕はこれには当てはまらない。
「好き嫌いがない」というのは、言い換えると「好きも嫌いもない」ということではないだろうか。食べ物に対して、嫌がらないけれども美味しいとも言わない、感受性の鈍さを表明するニュアンスを含む言葉のようにもとれる。
僕の場合、食べ物に対して「嫌い」はないけれども「好き」はある。
だから、「好き嫌いなし」ではなく、言うなれば「嫌いなし」といったところである。

「嫌いなし」は、奥が深い。
どんな食べ物にも、魅力ある味わいがあることを見抜く力が要求されるからである。

例えば、キャベツ。
マヨネーズかドレッシングをかけないと、生キャベツを食べられない人がいる。
しかし「嫌いなし」の僕からすれば、それは勿体無いことだと思ってしまう。
キャベツそのものの甘く瑞々しい味わいに魅力を見出せば、マヨネーズやドレッシングなどは、数ある食し方の選択肢の一つに過ぎないという認識になる。
つまり、素材そのものに内在する妙味を味わうことができれば、無下に「嫌い」だとは思えなくなるものである。

クセのある食材も同様。
セロリは、賛否両論の食材である。
あの独特の苦味や食感を好きになれない人は多い。
多くの人が好きになれない主な原因は、食べ慣れていない、即ち「馴染みの薄い味」だというところにあると思う。
セロリは、いわゆる香味野菜の一つである。香味野菜というのは、香草(ハーブ)に近いカテゴリーに入る野菜である。
ハーブには、セイジ・ローズマリー・タイム・ミントなど様々な種類があるが、それぞれ、皆味に独特のクセがある。これらのハーブ類に馴れ親しんだ人ならば、セロリの味に抵抗がないだろう。
かく言う僕も、子供の頃はセロリには抵抗があった。
慣れていないからだったが、食べているうちに慣れてきて、美味しいと思うようにさえなった。
今では、セロリの旨味を十分理解しているつもりである。

「食べ物を嫌う」という現象については、いろいろと持論があるのだが、長くなるので、ここではやめておく。

とまあ、「嫌いなし」で食通気取りの僕なのだが、悲しいことに、家族は全く理解してくれていない。
彼らは僕のことを「何を食べても美味いと言う、味オンチ」だと言い、あまつさえ、「嫌いな食べ物がはっきりしている自分達の方が味覚が鋭い」とさえ言い放つのである。
その度に僕は、

「何ぃ!このシイタケの美味さが分からんのか!」
「何ぃ!このサバの美味さが分からんのか!」
「何ぃ!このエンドウマメの美味さが分からんのか!」

と、憤慨するのだが、

「アンタは何食っても一緒。」

と、涼しい顔で言い返されてしまう。

皆に「嫌いなし」になれとは言わない。
嫌いな食べ物があることがいけないとも言わない。(勿体無いとは思うが)
だが、「嫌いなし」と「味オンチ」を混同されるのは、ちと閉口する。

くっ、思いたければ思いたまえ。

と、今は負け惜しみでも呟くほかない。




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