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勝手にアルバム紹介


岡村靖幸
「家庭教師」 〜これ聴かずして岡村ちゃんを語ること勿れ〜







誰が何と言おうと、最強傑作アルバムである。
岡村ちゃんの才能と変態性とエロティシズムが見事に凝集され結晶化している。
曲数はたったの9曲だが、全く少ないとは感じない。
各曲それぞれの密度がとっても濃いからである。

ゴタクはこれぐらいにして、各曲の紹介に入るとしよう。
さあ、岡村ちゃんの真骨頂をとくとご覧じあれっ!





1.「どぉなっちゃってんだよ」

イントロ、歌い出しからして既に、このアルバムが傑作であることを予感させるオーラを放っている。個人的には、詞の意味がどうのこうのと語れる次元の曲ではないと思っている。タイトル通り、「どぉなっちゃってんだよ!」という印象を持たざるを得ないのだ。ナチュラルかつ濃密に練り上げられた非凡な言葉の洪水に押し流され、「ベランダ立って胸をはれ」のフレーズでノックアウトされる。そして、最後のフレーズ「無難なロックじゃ楽しくない」の末尾につく「アァ!」を聴いて、クラクラさせられる。この「アァ!」が凄い。トドメの一撃というか、理由もなく圧倒される。そして、その後は即興的な歌い回しと、「どーぉなっちゃってんだよ、ドドドどぉなっちゃってんだろう、ヘヘヘイ!」というコーラスがしつこく続き、まさに一曲目にして岡村ちゃん、やりたい放題なのである。




2.「カルアミルク」

岡村ちゃんのバラードの中では、この「カルアミルク」が最も傑作だと思う。岡村ちゃん流の「切なさ」を歌ったバラードは他にもあるが、この曲は、「切なさ」に「退廃(デカダンス)」が加わったことにより、他のバラードとは一線を画す、得も言われぬ名曲となっている。(と思う)「ここ最近の僕だったら だいたい午前8時か9時まで遊んでる ファミコンやって、ディスコに行って、知らない女の子とレンタルのビデオ見てる こんなんでいいのかわからないけれど……」という、当時の岡村ちゃんの或る種すさんだ生活と漠然とした不安を表した歌詞は、バブル期の退廃というか、デカダンな遊び人の哀愁を見事に表現している。それでいながら、ありったけの力を込めて「どんなものでも君にかないやしない」という名フレーズをキメるのだから、聴く者の心をギュッと鷲掴みにすること請け合いの曲である。いつでも自信満々だった岡村ちゃんが弱さを吐露し、「仲なおりしたいんだ もう一度 カルアミルクで」と、何かこう、「男の甘え」みたいなものを恥ずかしげもなく前面に出してくる…。やっぱり、女性ファンにはたまらん曲なんだろうなぁ。




3.「(E)na

タイトルは、「カッコイイナ」と読む。誰でも最初は「Eのカッコのna乗」と読んでしまうことと思う。このタイトルの読み方だけで既にインパクト十分な曲ではあるが、曲の内容の方も、岡村ちゃんらしさを凝縮した濃密さに満ちている。「ナーナカナーカナーカナーカナーカナー♪」というヘンなコーラスからいきなり歌い出しが始まり、パーカッシヴでスピード感のあるアレンジとともに、岡村ちゃん節が展開されていく。詞の内容は、相変わらず「目当ての女の子の彼氏になりたい」ことがテーマのようだが、その女の子の描写からは典型的なバブル期の「イケイケギャル」(死語)の退廃ぶりが伺える。「カタログ眺めるあの娘の瞳 まだ爛爛としている Oh my little girl」「かっこいいな あれいいな 欲しがってばかりのBaby」など、バブリーな女の子を批判しつつも、「でも本当に大事なKissなら僕しか販売してない」と、やっぱり「やりたい」に固執するところは、さすが。そして、ラストのインストパートでは、岡村ちゃんがマンションのベルをピンポーンと鳴らし、ドアが開いたところで「ハァーイ、ベェイビー」と超エロく言うのだが、この「ハァーイ、ベェイビー」のフェロモンにはその変態性と相まって、一撃必殺のパンチ力を感じる。それにしても、やたらと喘ぎ声や奇声を発する曲である。




4.「家庭教師」

塾や家庭教師に頼らねば学力が身につかないという、日本の学校教育の現状をシニカルに歌った曲……などであるはずもなく、岡村ちゃんならではのとってもエロい家庭教師の曲。生徒は、23歳のバブリーな女子大生エリ子。親は村会議士で赤羽サンシャインビルの一室で一人暮らし。親からの送金は月30万円。そして彼女の家庭教師はもちろん岡村ちゃん。で、何を教えるのかというと、「あんなことやこんなこと」に決まっているわけで…。何せ、岡村ちゃんは自らを「最終家庭教師」(エロい!)と位置づけている。「撫でちゃいたいかい?僕の高層ビルディング 優しく素肌で」「靖幸ちゃんが寂しがっているよ ベッドで勉強させてあげて」など、エロくて変態な歌詞は、以前のアルバムよりもさらに進化というか、独特な洗練を遂げているが、この曲の真骨頂は、歌が終わってからの超絶エロセリフである。岡村ちゃんが生徒に「性」をレクチャーする内容なのだが、「お金を使わずに幸せになる方法を教えてあげようか」から始まって「僕はベッドの中では凄いって、日本じゃ有名なんだよ」などとのたまい、「二人で…こうやって…こうやって…革命を起こそうよ…」と喘ぎ声混じりの展開になり、めくるめく変態エロワールドへ突入していく。ここまでくると、ヘタなAVより遥かにエロく思えてくる。これ絶対、18禁!な曲である。ただ、この曲の詞を読んでいて思えるのは、実は岡村ちゃんは、「物欲より性欲の方が尊い」と主張したがっているのではないかということである。




5.「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」

この曲以前の日本のポップス界に、これほど長いタイトルの曲があっただろうか。ありそうな無さそうな…。それはともかく、この曲こそは、岡村ちゃんの青春さわやか系ソングの集大成。「家庭教師」のエロさを払拭する、胸の透くような爽やかなイントロは秀逸。全体のアレンジは、奇抜な構成ながら不思議な安定感があり、厚みがありながら軽やかさを失わないという、相当の労力を費やさねば実現しそうにない仕上がりとなっている。歌詞の内容は「あともう15秒で このままじゃ35連敗」という、いきなりバスケの試合中の場面から始まる。そして岡村ちゃんは自分の胸の高鳴り「ぼくの胸のドラムがヘビメタを熱演している」という比喩で表現し、アスリートの躍動感「汗で滑るバッシュー まるで謡うイルカみたいだ」というこれまた奇異な表現で歌っている。要するに、「34連敗中の弱小チームが試合をしていて、ラスト15秒で負けそうになっているところで、岡村ちゃんが「革命チック」にロングシュートを決めたら、気になるあの娘はどんな顔をするだろう!」といった感じの内容が1コーラス目である。もっと要約すれば「試合終了15秒前」の歌と言えよう。また、2コーラス目の歌い出しが「あともう15分で この街とお別れしなくちゃ 窓の外からパパとママが手を振っている」であることから、2コーラス目が「引越し15分前」の歌であることが分かる。大切なイベントが終わる直前のわずかな時間には、どこか胸がキュンとなるような切なさがある。そこへ、岡村ちゃん流の前向きな気持ちをぶちまけたのがこの「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」という曲なのだと思う。この曲で発露する「岡村ちゃん流の前向きさ」には、分かりやすいものと分かりにくいものがある。例えばサビの「青春って1,2,3,ジャンプ 暴れまくってる情熱」はまだ分かりやすい方である。ところが、「寂しくて悲しくてつらいことばかりならば あきらめてかまわない 大事なことはそんなんじゃない」は、とっても分かりにくい。普通にこの歌詞を解釈すれば「つらいことに立ち向かうことは大事ではない。」ってことになる。ポジティブなのか何なのか分からない。じゃ、岡村ちゃんにとって何が大事なのか。ボクは個人的には「つらいことよりも楽しいことに目を向けることが大切」というのが岡村ちゃんの真意なのではないかと思っている。アレンジ面で特筆すべきところは、何と言ってもブラスバンドパートだろう。いきなり「ブラスバーン!」と叫んで、中学高校のブラスバンドのようなアレンジになり、再び強引に元のアレンジに戻るという荒技が披露されている。




6.「祈りの季節」

岡村ちゃんが社会派ぶろうとしたらこうなった、といった感じの曲。テーマはズバリ「少子化問題」。岡村ワールドと日本の社会との接点を見出そうと試みた結果、こうなったのだろう。歌詞の出だしは「性生活は満足そうだが」。こんな歌いだしの曲は他にあり得ない。この曲の中で岡村ちゃんは、日本の少子化をとっても憂えているのだが、その「憂い」の視点が全く普通ではない。「老人ばっかじゃBaby、バスケットもロックも選手がいなくなってオリンピックにゃ出られない」らしい。ちなみに、オリンピック種目にロックは無い。また、「Sexしたって誰もがそう簡単に親にならないのは赤ん坊より愛しいのは自分だから?」には、「そりゃ岡村ちゃん自身の本音だろう」とツッコミを入れずにはいられない。国家的規模の社会問題についてさえ、自己中心的に力強く歌う岡村ちゃんに脱帽!である。ちなみに曲調は、なぜか妖しさたっぷりのムードジャズ風




7.「ビスケットLove」

なんちゅうポップセンス!と思わず叫んでしまった曲。個人的にはこのアルバム中でも一、二を争う名曲だと思う。もちろん岡村ちゃんの曲だから、一クセも二クセもあるし、アクも相当強い。デカダンでエロくて気だるい曲調である。しかし、名曲なのだ。クセになるほど、何度も聴いてしまうのだ。まず凄いのは、繰り返し出てくる「Oh!Yeah! すごーいすごーい」という子供コーラス。イヤでも耳についてしまう。スローでかつパーカッシヴなアレンジの中の随所に、この子供コーラスが入っている。エロ風味な歌詞とのギャップにクラクラする。歌詞の内容は、岡村ちゃんのSEX面での絶対的な自信と、それだけじゃないと主張したい岡村ちゃんの心情を歌ったものだと思う。ラストの語りは、途中で語ってるんだか歌ってるんだか分からない感じになりつつも、聴く者にかなりのインパクトを与える。この曲を聴いて以来、ボクは「スペイン」「スッペイン」と発音したい衝動に駆られるようになった。この曲は、エロポップスの最高峰だと思う。さあ、君も歌おう!ブーブーシャカラカ♪ブー♪ブー♪




8.「ステップ UP↑」

変態と才能が同居するとこうなるという見本のような曲。これも間違いなく名曲。歌詞も凄い。「僕はステップアップするため倫社と現国 学びたい」とサビの締めで歌うのだが、異常なほど切実に「学びたい」と歌い上げるところが凄い。そんなに学びたいのか!倫社と現国を!とつっこみたくなる。まるで「倫社と現国を学びさえすれば、人生をステップさせられる」と主張しているかのようだ。この曲は、アレンジ面でも目を見張るものがある。例えば間奏中に突然「マーチ!」と叫び、曲と全く関係なさげなマーチのパートが始まり、強引にサビにつなげたりする。その感性たるや、ほとんど異常と言ってもいい。ラストでは、異常な雰囲気を醸すスピード感溢れるインストパート不思議なセリフの応酬に圧倒される。「Baby, お前がいなきゃ俺なんか紙クズだぜ」に始まり、「ひとりぼっちじゃボバンボン 二人じゃなくちゃボバンボン」とまず岡村ちゃんが叫び、その後、野郎コーラス隊が同じセリフを復唱するという、皆目理解不能な領域に突入する。聴いている方は、ボバンボン」の意味なんかどうでもよくなってくる。ただひたすらに、「強烈に変なプレッシャー」に圧倒される、ジェットコースターのような曲である。しまいには、自分も倫社と現国を学びたくなりそうになるので気をつけよう。




9.「ペンション

アルバム最後の曲は、しっとりとしたバラードで…。そう、曲自体は非常に美しい。アレンジにもリキが入っている。何気なく聴いていれば、胸がキュンとくる曲なのかもしれない。しかし、そこは岡村ちゃん、詞がやっぱりアレなのである。「雑誌を見て『このペンションの食事に連れてって』だなんて そんなに学校でも話したりしたことないじゃん ぼくと」この歌詞を読んで、矛盾を感じない人がいるだろうか。あまり喋ったこともない女の子が「このペンションの食事に連れてって」なんて言うわけがない。しかもその娘、「足が疲れちゃった」と言って拗ねてしゃがみこんだりするのだ。「仇名から『さん』づけ呼びへの距離を測れないだなんて ちょっぴりぼくより大人だね ねえリボン」という歌詞もある。「仇名から『さん』づけ呼びへの距離」って、何? ボクには理解できましぇん!で、それでそれで、「ねえリボン」って何? もしかしてその娘の名前? それとも少女漫画誌「りぼん」への皮肉か? 「平凡な自分が本当は悲しい」という歌詞もあるが、断言しよう。岡村ちゃん、あなたは断じて「平凡」ではありません。だって、こんなにブッ飛んだ歌詞でも、何気なく聴き流すと、つまり全体として聴けば、すんなり耳に入って心地よいのだから。そして、何故かすんなり哀切というか情感のようなものを感じさせられるのだから、タチが悪い。天才としか言いようがない。





何度聴いても、いつまで経っても、色褪せない。
これぞマスターピース、名盤である。
こうやって文章で紹介するのが、やや虚しくさえ思えてくる。
だから、ぜひ一聴してください。
やはり、名画が一見にしかずなのと同様に、名盤も一聴にしかずである。
そしてやはりこれも名画と同様に、名盤は聴くほどにこちらの印象を変化させる。
熟成を深めていくワインのように、味わいが変化していくのだ。
ボクは、この「家庭教師」の中に、従来の岡村ちゃんの「才能・変態・エロ」の3要素の他に、「デカダンス(退廃)」の要素を見ている。
しかし、こういう印象を持つに至るまでには、少し時間がかかった。
何度も聴くうちに、時間の経過とともに、聴く側の印象が変化し、固まっていくのだ。

もし、この名盤をご一聴頂けたなら、一聴と言わず、二聴も三聴もしてみてください。
もちろん、続けて聴く必要はなく、いつでも聴きたくなったらで構いません。

って、何か通信教材の販売みたくなってきたな…。

ともあれ、印象も味わいも人それぞれ。
最強傑作「家庭教師」をどう味わうか。
その異様なパワーの波に呑まれるか、逆に乗りこなすか、
それは、あなた次第!

ボクは今だに呑まれがちなのだが…。



End




執筆: 2003/09/29


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