◆今日のコラム◆

2005/04/28

「カリスマ」


ここ10数年来、カリスマという言葉が濫用されているような気がする。
カリスマ美容師、カリスマ店員、カリスマ教師、カリスマ主婦…。
なんというか、どうもちんまりとした感じがする。

一昔前までは、カリスマといえば、キューバ革命を成功に導いたチェ・ゲバラとか、レゲエの神様ボブ・マーリーとか、日本で言うなら坂本竜馬とか長島茂雄あたりが浮かんだものだった。
人々の尊敬を集める人物は数多くいただろうが、カリスマと言われるには、政治でも文化でも、国家規模の求心力が必要だったと思う。
それが今や、ショップのお姉ちゃんとか、○○界のカリスマとか、かなり狭い範囲で尊敬を集める人をカリスマと呼ぶようになっている。
カリスマの語義が変わったと言えばそれまでだが、何となく寂しいような気がしないでもない。

そもそも、カリスマに必要な要素とは何だろう。
求心力、影響力、能力、人気…。
と、考えていくと、狭い分野であっても、カリスマと呼ばれる人は偉い気がする。
そこで思うのは、自分がカリスマになりたいかということだ。
大体、カリスマなんて、なりたいと思ってなるものなのだろうか。
そう考えると、カリスマというのは一種の「名誉」のことを言うのかなとも思う。
僕は名誉を欲しているのだろうか。
正直に言うと、少し欲しい。けれど、本当は名誉など大して意味のあるものではないと、分かっている。けど、人間は、どんなに謙虚になっても、どこかで自分を誇りたいと思うものである。最低限の名誉が「世間体」だったりもする。ちょっとだけ、エバりたいのである。でも、エバろうがエバるまいが、本当の価値は別のところにある…。
エバリたいけど、エバリたくない。

そんなふうに考える僕は、やはりカリスマ向きではないと思う。
なりたいかと問われると、たぶん、

「微妙」

と答える。




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