◆今日のコラム◆
2005/08/08
「人の時間」
僕は、朝方に起きていることが多い。
8月の今は、3時半にもなると、ヒヨドリの鳴き声が聴こえ始める。
そして、空が白んでくると、セミがやかましく鳴き始める。
鳥や虫の声を聴いていると、その活発さに感嘆してしまう。
と同時に、彼らの一生についても思いを馳せてしまう。
ヒヨドリの寿命は、数年かそこららしい。
自由に空を飛ぶ、それなりの高等生物のように思える。
でも、ほんの数年しか生きることができない。
だから、彼らは、朝早くからこんなにも活発なのだ。
ひたすらに餌を探し、縄張りを守り、繁殖行動に勤しむ…。
3秒とじっとしていない彼らの時間は、きっと相当に濃密なのだろう。
きっと、1秒の感じ方が、我々人間とは全く異なるに違いない。
人間から見れば、数年という時間は、とても短いように思える。
が、ヒヨドリにとってはそうではないのだと思う。
彼らにとっての1日は、人にとっての1日よりも遥かに長く、濃密なのだ。
そう思わせるほどに、朝方のヒヨドリの鳴き声は、力のこもったものに聴こえるし、日中目にする飛び姿も、エネルギッシュだ。
そう考えると、短いと言われるセミの一生は、もっと長く濃密なものなのかもしれない。短いというのは、人間の尺度で測った時間感覚に過ぎないのかもしれない。
感覚的には、セミの一生も、人の一生も、同じぐらいの長さなのかもしれない。
つまり、相対的には、あまり差がないのかなと。
窓外のセミの声を聴きながら、ふとそんなことを思った。
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