◆今日のコラム◆

2006/01/10

「ギャンブルをめぐる確率」


僕は、ギャンブルをしない。
したことはあるけれど、それはかなり以前の話である。
つまり、しなくなって久しいのである。

なぜ、しなくなったのかと言うと、時間が勿体無いというのが一つ。
そして、勝率の低さがもう一つ。

ギャンブルというものを考える時、念頭に置くべきことだと思うのは、胴元と客の関係である。
胴元と客の関係は、絶対に対等ではない。
胴元が儲かるようになっている。
そうでなければ、商売が成り立たないからである。
しかし、儲ける客もいるのは事実。
ただそれは、客が儲けたのではなくて、儲けさせてもらっただけに過ぎない。
胴元にすれば、客を呼び込むエサを撒く必要があるのだから。
エサにありつける客は、ありつけない客よりも、常に少ない。
ということは、勿論、胴元が得する総額は、損する総額より少ない。
だから、運まかせでギャンブルをする客というのは、胴元にとっては
格好のカモであり、そういう客層をいかに多く持つかが、経営の生命線となる。

ところが、何かでコツや手段を得て、かなりの高確率でエサにありつける客も少なからず存在したりする。
パチンコなら、パチプロという人達…。
しかし、ギャンブルで食えるようになるには、相当な時間と労力が必要である。
技を得ても、システムが次々と変化するので、常に研究と経験を怠ってはいけない。
それに血道を上げている間に失うものの大きさは、計り知れない。

イッチョカミなら、総額で損をする。
プロ級に凝るなら、人生で損をする。

二十歳を過ぎたあたりで、僕はそういう結論に落ち着いたのである。
だから、僕はギャンブルをしない。


まあ、人生そのものが或る意味ギャンブルだと言われれば、否定しないけれども。








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