◆今日のコラム◆

2005/11/16

「不動心」


不動心というと、仏教やら何やら宗教の用語としてよく使われているが、
そういう色の付いていない言葉で言うならば、「平常心」といったところか。
とまれ、僕は無宗教なので、僕なりの解釈で不動心という言葉を使いたい。

ま、平たく言うと「物に動じない心」である。
これは、特に現代人にとって物凄く大切な心の在り様だと思う。

とにかく、現代は、情報過多で迷いの多い時代。
生き方の選択肢も、昔に比べれば随分と広くなった。
その分、何が正しくて、何をどうすべきか、といった基準について、
常に考える必要があるし、多くの人が、どう生きるべきかという哲学的命題
について思いを致す時代になった。
そういう心の土台からして不安定である上に、世の中の移り変わりは激しく、
誰もが時代から取り残されることへの恐怖感を抱く時代…。

そんな昨今、何らかの精神疾患にかかる人が増えている。
鬱病・不安神経症・パニック障害・自律神経失調症…。
これらには、脳内神経伝達物質のバランスが崩れることによって、不安や恐怖心
をコントロールすることが難しくなるという特徴がある。
かく言う僕も、パニック障害を経験した一人だが、これらの精神疾患の患者数
が爆発的に増えている背景には、この不安の時代とも言うべき、世の中の複雑感、
漠然とした混迷感が関係しているのではないかと思う。

不安の要因を取り除くことは、容易ではない。
まして、それが世の中の混迷感に起因するのなら、なおさらである。
つまり、外的要因からアプローチするのは困難なのではないかと。

ならば、内的要因、不安を感じる自分の心そのものの在り様に目を向ければどうか。

日々、湧き起こる不安は、どこから来るのだろう。
将来に対する漠然とした不安。経済的不安。孤独から来る不安。犯罪のニュースなど
情報を得ることから来る不安。世の中の変化から来る不安。人間関係から来る不安。
自分の能力に対する不満から来る不安。怠惰から来る不安…。
など、挙げればきりがない。

そこから分かるのは「人間は、不確定要素に対して不安を感じ易い」ということである。
このサガを脱却するには、確定であろうが不確定であろうが、同じ気持ちを持つことを
意識するしかないように思える。つまり、それこそが不動心である。
物に動ぜず、常に一定の平常心を保つことで、不安を回避する。
それは、物事の本質を理解した上で行動することに似ている。
おそらく、完全なる不動心を持つことは、不可能に近いだろう。
しかし、それに近づこうとするほどに、不安は小さくなるように思う。

どの道、世の中に、本当に確かなものなどありはしない。
確からしいものはあるけれど、それにしたって、怪しいものである。
ならば、不確かであることを心配しても、ほとんど無駄で、意味がないのではないか。
ならば、今やっていること、今やるべきことを、分かっている範囲で、粛々とやればいい。
余計な心配などせずに、粛々と物事に勤しむ時の心境、これが不動心なのだと思う。

千里の道も一歩から。
日常の瑣末な出来事に、心が流されないようにすることから始めてみてはどうだろうか。
僕は、この不動心を養うことが、現代社会を行きぬく鍵になると思っている。







戻る
過去のコラム