◆ biography ◆




1976年6月5日

大阪市内の某病院で産声をあげる。難産。

 

1歳

ウルトラマンやアニメの主題歌を唄いテープに残す。(ありがち^^;)

 

2歳

髪の毛が立っていた。

 

3歳

近所の友達、ひろし君に顔を引っ掻かれる。(T_T)

 

4歳

幼稚園に入り、担任の純子先生を好きになる。

 

5歳

一人で池にカエル捕りに出掛け、見つけるまで粘る。夜9時ごろに帰宅して母親から往復びんたを喰らう。近所の人達が総出で探し回り、捜索願いを出す寸前だったという。

毎日、3冊の昆虫図鑑を穴があくほど見耽り、巷で昆虫博士と呼ばれる。

ジャッキーチェンに憧れて空手を習い始めるが、地味な空手の基礎にうんざりする。

(ジャッキーチェンがやっていたのは中国拳法だが、5歳にして空手と見分けがつくはずもなかった。)

純子先生がお嫁に行くことを知り、先生の自宅に泣きながら抗議の電話をする。

 

6歳

小学校へ上がる。担任のスパルタ教師、久保先生に幼稚園とは違うのよ的洗礼を受ける。

ハットリ君を見て忍者に憧れ、将来なりたい職業を忍者と書き、先生に叱られる。

 

小学二年生

一休さんに影響を受け、将来は坊さんになりたいと言い、親を失望させる。

ドーベルマンに追いかけられ、街灯によじ登って難を逃れる。原因は、おちょくったため。

音楽の時間、歌の歌詞にある三文字の言葉をすべて「うん○」に変えて唄っていて、音楽室を追い出される。

 

小学三年生

ジャンケンで負けた奴が道行く女性に向かって「大根足!」と叫ばねばならないという遊びを考案し、流行らせる。学校で問題になる。

 

小学四年生

ビックリマン大流行。スーパーマリオも大流行。

音楽の時間に鼻でリコーダーを吹いていて、めちゃくちゃ叱られる。

ピンポンダッシュが流行り、通学路沿いの住民の待ち伏せにひっかかる。

 

小学五年生

バレンタインデーにチョコを盗まれる。

生まれて初めて真剣に絵を描く。四日もかけて描いた。でも画題はなぜかニンジン。

 

小学六年生

某町に引越し、転校する。

新聞配達員に「どあほう」と叫んで逃げたが捕まり、夕刊配達の手伝いをさせられる。

この頃から笑えない悪戯を覚え始める。

この頃から向こう三年間、人生で最もモテる時期を過ごす。

 

中学一年生

 番長をゴリラ呼ばわりしたため、しばらく不良グループから狙われるはめになる。

 その後、ゴリラ番長と敵対するグループに属し、参謀的なポジションにつく。

 しかし、この頃は比較的真面目。

 

中学二年生

 ハゲ頭の教師の家に、「マープ40本、できました。」と電話をかけてみる。

 ジャンケンで負けた奴が、「いきなり逃げ出すと警察官は追いかけてくるか」を確かめるという遊びを考案する。

 ローリングストーンズに心酔し、ロックに目覚める。

 悪い遊びを覚え始める。

中学三年生

 数学の授業中、教師を無視して男子全員で「五目並べ王トーナメント」を開催しているところを、生活指導の鬼教師に見つかり、首謀者の一人としてエライ目にあう。

 仲間うちで、ガンズアンドローゼスが流行り、LAのギャングに憧れる。

 一念発起、地元の一番手の公立進学校を目差して、受験勉強。 
 志望動機は、カッコイイと思ったから。(←著しく、不純)

 

高校一年生

 第一志望の公立進学校に合格、入学。

 真面目に勉強しようとするが、半年ももたずに挫折。

 エレキギターを始め、バンドでボウイなどのコピーをする。

 

高校二〜三年生

 あまり真面目に学校に行かなくなる。

 数学で0点を取る。

 学校をさぼってパチンコをしていたら、隣の台で打っている体育教師に遭遇。
 このとき、二人の間に、お互いに干渉しないことを定めた暗黙の了解が成立。

 なぜかこの頃、ストリートで、バスケとダンスに没頭する。

 麻雀が嫌いになる。

 

18〜19歳

 浪人。予備校に通いながら、本当に真面目に勉強する。

 予備校の講師に勧められて本をたくさん読む。

 過去の自分の行動を戒めて、真人間になろうと決意する。

 爆発的に学力向上。偏差値30台から60台後半までアップ。特に国語が顕著で75まで上がる。

 

19〜20歳

 大学入学と同時に軽音楽部に入部する。
 
 中学時代通っていた塾で、講師として4年間アルバイトさせてもらう。
 (塾長は、目標を高く持つことの大切さを教えてくれた素晴らしい恩師です。)

21歳

 3年間つきあっていた彼女と別れる。(T_T)

 授業に出ずに、ギターばかり弾いていて、

 早くも留年が決定する。

 

22歳

 ワインバーでアルバイトを始め、ワインにハマる。

 

22〜23歳

 入部以来、クラブ内でおとなしくし過ぎていたため、

 溜まりに溜まったストレスが爆発し、

 踊ったり、歌ったり、漫才をしたり、とにかくハジけてしまう。

 (悪いことをしなくて良かったと思う。)

 エクストリームのコピーに命を懸ける。

 

23〜24歳

 数年来の音楽活動を振り返ってみて、ギターで食って行くのは止めようと決意。
 (音楽はアマチュアで活動)
 
 そして、就職活動。
 何がやりたいかを探すため、50社ぐらい会社訪問。
 結局、システム開発の会社をつくるために、SEになろうと決意。
 2社内定にこぎつけるも、どっちとも営業に回されそうになったので、辞退。
 フリーのプログラマとして武者修行しようと決意。

 当ホームページ開設。

24〜25歳

 プログラマ修行開始。
 理系的な頭の使い方に魅力を見出す。
 見習いC言語プログラマとして、或る会社に入るが、ついて行けず、1ヶ月もたずにクビになる。
 在宅でWeb画面作成などのゴミのような仕事をしながら、図書館に通うなどして情報処理の基礎を勉強する。

 ギターのフィンガーピッキング奏法に目覚める。十三にて初のミニソロライブ敢行。

25〜26歳
 
 或るコンピュータ会社に、見習いとして入る。
 3ヶ月契約のはずが、1年契約に延長される。
 1ヶ月半ほど勉強して、いきなり建設会社のシステム開発の仕事をまるごともらう。
 その後、会計パッケージソフトのカスタマイズのプロジェクトに参加し、プログラムの腕を磨く。
 雇用契約期限の1ヶ月前に、再び建設業のシステム開発の仕事をもらう。
 今度は、要件定義から導入まですべての工程を一人でやらせてもらう。

 カントリーブルーズの奏法に傾倒。戦前のブルーズをコツコツ練習。

26〜27歳

 正社員採用の話を断り、1年間お世話になった会社を円満に去る。
 Web系ビジネスパッケージの開発要員となり、JAVAとその開発環境構築に携わる。
 基本的に、在宅中心のライフスタイルに戻る。
 それとは別口で、物流倉庫システムの仕事を単発で請け負い、
 一時的に収入が増える。
 
 その後、運命の2003年6月7日、つまり誕生日の2日後、
 突然、原因不明の発作に見舞われ、パニック障害と診断される。
 仕事をすべてキャンセルし、療養生活に入る。
 
27〜28歳

 一進一退の闘病を続けた末、かなり回復する。
 街を散策したり、美味いものを食べに行ったり、ギターを弾き歌ったり、
 ゆったりとした生活を送る。
 
 いかに生きるかの前に、まず今生きていることの尊さを実感する。
 病気を期に、人生観・仕事観など、ターニングポイントになりそうな予感を覚える。
 
 11月から一応仕事に復帰。これからどのように仕事をやっていくのかについて、
 明るく模索。

 押尾コータローを生で見てびびる。
 12月、心斎橋4Fcafeにて、ワンマン10曲Live敢行。ここ2年ほどの集大成。
 音楽的には、今後、インスト指向を強める予定だった。

 2004年5月、2度目のワンマン10曲Live敢行。歌モノとインストの割合は依然、半々だが、
 オリジナル曲は増えた。
 
28歳

 スローライフと仕事の狭間で揺れ動く生活。
 
 交友関係の幅が広がり、様々な人と出会う。
 2004年9月と12月に、ライブバー「ヒポポタマス」にて、「若手ペーペーミュージシャン祭り」に参加。
 2005年2月には、ギャラリー「Moguri rooM」にて、ワンマンライブ。
 同年4月には、ギャラリー「Paraiso」の「お花見展」に、音源で作品を出品。ライブも敢行。
 
29歳(現在)

 仕事は、パッケージソフト製作へシフトしていく傾向。
 音楽は、機会があればライブやセッションに参加しつつ、2005年12月の完成を目差して、
 CD製作にウェイトを置いてます。


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