「網戸」
「アミード、アミード、アミードにゃえーぞ。アミードにキンチョール〜」
と、草薙剛が歌い踊りあまつさえ網戸をヒップアタックで破きそのままゴロンと家の中に転がり込むCMは、ボクに強烈な印象をもたらした。(広告代理店の思うツボや。)
その何がどうって、とにかくその歌が頭から離れないのである。
我が家の窓やガラス戸に嵌まっている網戸を目にする度に、その歌を口ずさんでしまう。それどころか、踊り出しそうになる自分に気づいて、独り赤面してしまうなどということも一度や二度ではないのである。
思えば、「網戸」をこれほど意識することなぞ今までにはなかった。
住宅街を歩いていて、民家の窓に目がいくことがあっても、網戸を意識的に見ることはなかったのである。それもそのはず、あの窓ガラスの光沢と窓枠がかもし出す、見てくれと言わんばかりのインパクトに、網戸はどうしても負けてしまう。そう、網戸は目立たない。窓は目立つし、デザインをそれとなく凝ったりして人目を気にした設えになっている。しかし、網戸はできるだけ窓に遠慮して目立たないように設えられているように見える。つまり、網戸の使命は、風を通して虫の侵入を防ぐことのみなのである。断じて目立つことではない。だから、ボクはそれほど網戸を意識することなどなかったし、世間においても、建具屋さんや掃除に妥協しない人ぐらいしか網戸を特に意識する者はいないのではなかろうか。
しかし、網戸はどこの家にもある。しかも、現代人にとっては、住宅に必ず必要なパーツとなっている。目立たないし、あまり気にも掛けられない。なのに、誰からも必要とされている。万人の役に立ちながら、決して威張らず、ひそやかにじっと佇んでいる。そう思ったら、そんな網戸にボクは奥ゆかしさすら感じてしまうのである。
そういうわけで、ボクはこの「網戸」にかなりのマイナーさを感じている。
うん、網戸はイイ。きれいな網戸にはほお擦りしたくなる。(何やそれ。)幼い頃、爪の先で網戸の目を広げて遊んだものである。(我ながら辛気臭い遊びだなあ。)
それはともかく、「網戸」のルーツは何だろう。何かが気になるとすぐにルーツを知りたくなるのが、ボクの悪癖である。まあ、物に人に歴史ありと言うではないか(そんな格言はない)。しばし、ボクのつたない思考の旅に付き合っておくれ。
さてさて、そもそも網戸は、いつ頃から日本で使われ始めたのであろう。
これがまた意外なことに、どうもごく最近らしいのである。身近な年配の人達に、子供の頃に網戸はあったかと尋ねて話を収集したところ、どうも昭和、それも戦後少し経ってから普及し出したらしいことが浮かび上がってきた。
せっかく網戸の歴史を探訪しようと鼻息も荒く臨んだのに、こんなに最近なのでは、歴史もへったくれもない。と、がっかりしかけたときに、ふと別な疑問が浮かんだ。
「そもそも網戸という発想は如何にして生まれたのであろう?」
網戸は、一般に窓やガラス戸の外側に設えられたアルミサッシの桟にナイロンの網を嵌め込んだ戸である。そのほとんどが、引き違い戸の形態を採っている。つまり、一般に網戸は、引き違い式の窓やガラス戸に対応していると言える。
また、網戸の用途は、純粋に虫除けである。おそらく網戸は、夏場、室内に蚊や蝿が入らないようにし、尚且つ風を通して暑さをしのぐためのアイディア商品として生まれたのであろう。
では、網戸が普及する以前の虫除けは何だったのだろう。
蚊帳{かや}である。(蚊取り線香もあるが、ここでは無視。)
しかし、蚊帳を吊るのは夜、しかも寝る前だけだったらしいのである。
どうも、昔の日本人は、虫が家の中に侵入してくることをそれほど気にしなかったようなのである。古い木造の日本家屋を想像して頂くとよく解るかと思うが、家の構造がすこぶる開放的で、機密性が薄かったのである。縁側ひとつを見ても、晴れた昼間は室内空間と庭の空間の境界がない。虫なんか入り放題である。蚊や蝿はもとより、蛾も入れば蜘蛛もいる。床下から、ムカデ、ゲジゲジ、ダンゴムシが這い上がる。想像しただけでボクなんぞは鳥肌が立つが、死ぬわけじゃなし、虫ごときを気にしてやってられるか、という世界だったのかもしれない。
そんな虫に免疫のある先人たちも、寝ている間に蚊に刺されるのはよっぽどシャクだったのであろう。というか、何の防御もなく寝れば被害は甚大だったに違いない。朝起きたら顔がボコボコになっていたり。さすがに、蚊帳のような防虫グッズが必要だったのであろう。ボクが人づてに聞いた蚊帳は、部屋の四隅、鴨居(フスマや障子の上に設ける溝のついた横木。敷居と対になっている。)の辺りに蚊帳の四隅を固定して部屋のすぐ内側を四角く囲うように吊るすものだった。素材は不祥だが、目が細かく向こうが透けて見えるぐらい薄い、風通しのよいものだったらしい。虫を通さず、風を通す。つまり、蚊帳は網戸の機能面での原型の一つだったのではないかと、ボクは思う。
さて、蚊帳の歴史は、網戸など比ではなく随分古いようである。
手元にある資料(小泉和子著『日本史小百科 家具』東京堂出版)から、最も古い蚊帳の出典を見てみよう。
奈良時代の和同六年(713年)から霊亀元年(715年)に編纂された『播磨風土記』には、飾磨郡加野里{しかまぐんかやのさと}の地名の由来について、「加野と称するは、応神天皇の巡行の時、ここに御殿を造り、蚊屋を張った故に加野と名づけた」と書かれている。また、『日本書紀』(720年完成)にも、応神天皇の時代、呉から蚊屋衣縫{かやのきぬぬい}という女性技術者が渡来した記録がある。しかし、この当時の蚊帳がどんな形のものだったかはわからない。
以上の典拠から、『播磨風土記』と『日本書紀』自体は奈良時代(の初期、つまり8世紀前半)に編纂されたものだが、その中にある「蚊帳」の記述は、応神天皇(4世紀末頃の天皇。治世中多数の渡来人が大陸文化を伝来した。)の時代の頃の話、つまり『日本書紀』の成立年代より300年以上も昔の話だということがわかる。そこから、応神天皇の時代に中国か朝鮮から蚊帳が伝わったか、或いはそれ以前に伝わり、その頃に大陸から技術者を迎えてグレードアップさせた、といったところが、日本における蚊帳の由来と言えそうである。(大陸での由来についてはカンベンして。)
同じ資料から、もう少し時代の降った蚊帳の記述を抜粋してみよう。
蚊帳について、その具体的な形が推測されるのは平安時代初期に編集された『皇太神宮儀式帳』である。これによると材料は正絹{すずし}である。外蚊屋{そとのかや}と内蚊屋{うちのかや}の二重になっていて、外蚊屋は建物の中の壁に沿ってぐるりと張りめぐらし、天井を張ったもので、扉の所だけは暖簾{のれん}のようにして出入り出来るようにしてある。内蚊屋は張台(とばりで囲まれた寝台、平安貴族の家に見られる)の所に吊る蚊屋で、これは張台の天井から四周に帳のように垂らす。・・・・・・・・・・・・・
・・・だが、この当時、蚊屋(蚊帳)がどの程度、普及していたかはわからない。平安時代の記録や文芸などを見てみても、蚊遣りのことは出てくるが蚊屋は殆ど出て来ない。その代わり、張台が蚊屋の役目をしていたのであろう。
平安朝時代の貴族の屋敷は、「帳{とばり}」の館とも言えるほど「帳」が多く、貴族たちの生活に密着していた。「帳」は「戸張」とも書き、部屋と部屋を仕切る扉のかわりに垂らした布状のもののことを言う。部屋の間仕切りに扉をつけると、風通しが悪くなるし、往き来するのにいちいち扉の開け閉めが手間になる。「帳」を間仕切りにすれば、往き来が容易だし、人寄せするときは取っぱらって部屋を広く使うことも出来る。「帳」はかなり便利なアイテムだったに違いない(この頃、襖{ふすま}はまだなく、室町時代以降に帳にとって代わったらしい)。上の引用の記述にある「張台」も「帳」の一種だし、枕草子や源氏物語でしょっちゅう出てくる「御簾{みす}」も「帳」の親戚である。他にバリエーションとして、「壁代{かべしろ}」「引帷{ひきもの}」「斗帳{とちょう}」「几帳{きちょう}」などがあるが、ここで詳しくは触れない。そして、蚊屋(蚊張)も「帳」に近い用いられ方をしていたようである。
それにしても、外蚊屋、内蚊屋の二重構造とは驚きである。
現代の網戸以上に完全防備ではないか。まあ、『皇太神宮儀式帳』なんていう仰々しい書物に載っているぐらいだから、かなりのやんごとなき人の屋敷にしか二重の蚊屋などなかったのかもしれない。やんごとなき人の屋敷で、女官たちがはたはたと蚊を部屋から追い出して蚊屋を張りめぐらす様子は、如何なものであったろう。
さて、さらに時代を進めて、蚊帳の記述を引用してみよう。
蚊屋の記録が多くなってくるのは室町時代頃からで、『大乗院寺社雑事記』などには、しばしば、蚊屋が貴族や武士の間で贈答品とされていることが書かれている。・・・・・・・・
・・・室町時代の蚊屋は、材料はやはり正絹だが水色に染めたものが多い。七尺四方程の四方形に縫い、上縁に一巾毎に乳{ち}(ひもなどを通す小さな輪)をつけて、四辺に竿を通して、竿は天井から吊った。乳と四隅の補強布は赤緞子{あかどんす}や黒繻子{くろしゅす}で、竿は黒漆塗。当時は毎日畳まず、昼は裾を竿にかけておくだけ、吉日をえらんではずした。吊りはじめは四月で、宮中ではこの日は陰陽師が祈祷してきめた。
室町時代辺りになってくると、蚊屋は武士階級の間にも広まっているようだ。機能面でも、竿を使って吊るすなどして雅さは薄れるものの汎用的になってきている。とは言え、庶民にはまだまだ手の届かない高級品だったらしいことが伺える。なにしろ、素材が正絹である。赤緞子やら黒繻子やら、何やら高そうな雰囲気もあるし。う〜ん。
さらにさらに、時代を進めてみよう。
戦国期になるといよいよ麻蚊帳が生産されはじめる。この頃から、麻糸産地の越前地方と結んだ近江の八幡が蚊帳の産地として発展しはじめて、以後江戸時代から明治・大正へと、近江八幡は蚊帳の生産地として全国的なシェアをにぎっていった。・・・・・・・・・
・・・近江商人の練達した行商によって全国に販路を拡張していったことにより、蚊帳は江戸時代にはかなり庶民の間にまで普及した。また商品化したことにより、形も間便で取扱い易いものにかわっていった。まず近世のはじめ頃に竿の代わりに綱を通し、四隅に環の釣手をつけたものとなったが、ついで江戸時代になると綱も省略されて四隅の環だけになった。またこの間に萌黄染{もえぎぞめ}、茜縁{あかねべり}の麻蚊帳が創出され、汚れが目立たず鮮やかな色彩は蚊帳の実用化を一段と進めた。こうした変化に伴って、蚊帳を毎日取りはずすようになった。
ここまで来て、やっとボクが人づてに聞いた蚊帳の形態に一致するものが出てきた。その蚊帳(1950年頃のもの)は、まさに上の引用文にある「竿も綱も省略されて(吊るす留め具が)四隅の環だけになった」蚊帳である。そして、鴨居に取り付けていた蚊帳を毎日はずしていたらしいのである。吊るし具としての竿も綱もなく、鴨居に直接四隅を取り付けるようになっていたのだから、取り外しは毎日できるほど楽ちんなのである。
平安朝から江戸時代まで蚊帳の歴史をたどってきて言えることは、身分の高い人たちだけの贅沢品だったものが、庶民に普及する方向へと変遷してきたということである。その流れの中で、蚊帳はリーズナブルになっていくと同時に、機能面でもより使い易く便利に汎用性を増していったということが言える。
さて、ここからがボクの仮説なのだが、この千年以上もの歴史を持つ「蚊帳」を、さらに使い易く便利にしようと、近代家屋(おそらくは1960年代以降に普及した文化住宅)に適応させて生まれたのが「網戸」なのではないか。蚊帳は江戸期に極限まで簡素になったとは言え、取り外しの手間がどうしても最後に残るのである。そこで、近代家屋の窓に引き違い戸の体裁をとった蚊帳(網戸)を取り付けることで、取り外しをしなくてすむようにしたのではないか。
こうして「網戸」が生まれたのだとすると、これはちょっとした発明だったのかもしれない。蚊帳の変遷から流れを追って考えていくと、網戸誕生は必然的なことのように思えるだろう。でも、ひょっとしてもしかすると、当時はある種センセーショナルな蚊帳のマイナーチェンジだったのかもしれない。そう考えると、蚊帳というのは平安時代に隆盛を極めた「帳{とばり}」の最後の生き残りの一つ(『のれん』も生き残りです)で、それがさらに日本家屋のスタイルの変化に順応して「網戸」に変身したということになり、蚊帳の生命力の強さというかしぶとさに舌を巻いてしまう。
以上の網戸起源論は、あくまでもボクの仮説である。蚊帳から網戸が生まれたとするこの仮説が根本的に間違っている可能性もある。言い訳にしかならないが、網戸そのものに関する文献があまりにも少ない(というか、多分無い)ので、網戸が西洋起源なのではないかという懸念について、調べがつかなかったのである。網戸の起源を考える上での防虫以外のファクター、即ち「引き違い戸」というファクターについては、日本では引き違い戸の形態が室町時代に襖{ふすま}や障子といった形で普及しだしたことがわかっている。しかし、西洋ではどうなっているのか全くわからない。(調べられましぇん)
誰か、情報を。
後書き
今回は、足を使ってみました。(図書館や書店に行っただけですが。)
普段は気にもとめない網戸に、気まぐれな趣味でしかもHPの1コンテンツのために、よくもこれだけ挑めたもんだと我ながら驚いていたりします。(ていうか、かなりのアホ)
本当に自己満足です。(T_T)
でも、これを読んで少しでも何かを感じてくれた人がいれば、感想なり、御意見なり、どんなことでも結構ですので、何か言葉を下さい。お礼の返事は必ず致します。
次回の「ブルゾン」は、かなり軽〜いタッチなので、今回ダルかった人もダルくなかった人もサクサクっと目を通していただければ、これさいわいです。
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執筆: 2000/07/01