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今さらながらであるが、アコースティックギターが好きである。(以下、アコギと呼ぶ。) ギターにはその他に、エレキギター、ガットギター、などがあり、どれもそれなりに魅力があって素晴らしいのだが、ボクがとりわけ気に入っているのはやはりアコギである。 アコギが如何に好きかという話は、また別の機会にすることにして、今回は、アコギという楽器のメジャー性とマイナー性について述べてみたいと思う。ま、いつものお気楽アホ丸出しエッセイよりは、ちょいだけ堅めの話をするつもりである。 まず、アコギは超がつくほどメジャーな楽器である。ピアノと双璧を成すと言っても過言ではないほどの大衆楽器である。値段の安さから大衆性を問えば、ピアノの比ではなく、楽器屋さんに行けば1万円をきる勢いでお目にかかることができる。 そして、近頃の路上では、ストリートミュージシャン、昔風に言えば「流し」なる者どもが、これ見よがしにジャカジャカとアコギを掻き鳴らしている。こんな風景を見ると、アコギの大衆性とメジャー性を認めざるを得ない気持ちにもなってくる。 最近の「路上流し」のムーヴメントは、大体2つの要素から成り立っているのではないかと思う。 まず1つは、「ゆず」あたりを発端とする流れである。これは、巷の若いストリートミュージシャン達を観察するとよく解る。2人組、ストローク中心ジャカジャカ弾きのギター、ストレートな気持ちを綴った日本語の歌、ハモリ、そして大声で唄う。こういったスタイルは、「ゆず」そのものである。中には、「ゆず」の曲をそのままコピーして観客を集めている者もいるぐらいである。コピー曲をライヴで演奏することに関しては、演奏者のコピーに対する位置付けによって意味が違ってくるので、一概に是非を言うことはできないが、「ゆず」のようなファッションリーダー的な存在の牽引力が一つのムーヴメントを作ったということは言えそうである。 では、若者の心を捕えたこの「ゆず系」の特徴とは一体どんなものだろうか。 1つは、「平易で善良な歌詞」である。難しい言葉を使わないので、聴く者の頭にスッと入ってくる。その上、恋人への素直な気持ちとか、人生に対して前向きな気持ちとか、いわゆる善良な精神が弱冠の青臭さを伴って、堂々と力強く(大声で)唄われるので、聴衆は、何だかジ〜ンときてしまう。このテの曲で、ひねくれた歌詞というのは見たことがない。純粋さのあまり、ひたすら暗い青春の蹉跌を歌った曲になってしまっている例はマレにあるのだが…。 他に重要な特徴として、「ジャカジャカ弾き」と「大声」「ハモリ」がある。 これらは、ひとえに、路上で目立つという目的ゆえの要素である。 「ジャカジャカ弾き」とは、ギターの奏法でいうストロークのことである。右手にピックを持って上から下へジャラーンと弾き下ろす(下から上へもやる)というシンプルかつ豪快な弾き方である。 このストロークは、他の弾き方に比べて圧倒的に音がデカイ。いちどきに全ての弦を鳴らすのだから、当たり前である。従って、都会の喧騒響く路上に適した弾き方なのである。路上では、いかに美しい音色であろうともチマチマした奏法では聴衆の耳に届かないのである。 「大声」も同様である。とにかくデカイ声を出さなければ、勝負にならない。いかにハスキーでセクシーな美声を持っていても、ささやくような唱法では、雑踏に埋もれてしまう。 「ゆず」も「コブクロ」も地声のデカさは、一級品である。(だけどケンカはからっきし) そして、「ハモリ」である。ゆず系の人達は、ゴスペラーズのような難しいハモリ方をあまりしない。シンプルな二声のハモリを濫用と言ってもいいくらい多用する。ハモリを使うと、それまで素知らぬ顔で歩いていた通行人も、「おっ?」という感じで立ち止まるか、こっちを見るかぐらいはするのである。なぜ、ハモリがそういう効力を持つのかというと、単純にキレイに聞こえるし、妙に玄人っぽい感じがするからである。 これらの「ゆず系」の特徴を考えると、けっこう安易なのね、という気もしてくる。というか、直感的にもそのように感じる。確かに、音楽鑑賞キャリアの少ない中高生ぐらいの層の多くが、ハマリそうな、感動しそうな、音楽である。ずっと昔に使い古されたコード進行、それしか知らんのかとツッコミたくなるようなストローク、赤面してしまうような歌詞を声高に叫ぶ……、そして洗練されているのか素朴なのかよく分からない……、ちょっと耳の肥えた人達には薄っぺらな印象を与えそうな気もする。 でも、それこそが大衆性というものであり、メジャー性の一要素なのではないだろうか。 深すぎず、複雑でなく、善良で、分かりやすい。で、少し恥ずかしい……。そういう音楽なら、アコギの奏法もストロークオンリーで十分なのかもしれない。 ともあれ、ゆず系のおかげかどうかはともかく、今、アコギはメジャーな楽器である。 では、アコギのマイナー性はどうだろうか。 吉田拓郎いわく、「ギターは野外で弾くもんじゃない。」 吉田拓郎ファンではないが、この考え方には非常に共感できるものがある。 アコギという楽器の魅力を最大限に発揮できるのは、室内だけだと思うのである。 アコギには小音量の繊細な響きにも、得も言われぬ美しさがある。 奏法でいうと、アルペジオ(分散和音)などがそれにあたる。 ギターを「爪弾く(ツマビク)」という表現があるが、これは、主にアルペジオを弾く場合を言うのだと思う。このアルペジオ、弦を指で1本か2本かずつ弾いて和音のハーモニーを生み出すので、当然、一度に全部鳴らすストロークよりも音量はかなり小さい。だから、屋内ではハッキリと聞こえても、野外では雑音に掻き消されてしまう。たとえ、野外で聞こえたとしても、アルペジオの生み出す美しい微かな倍音までは聴き取れないのである。 従って、路上の「ゆず系」がストロークオンリーに近いのには、そういう意味で必然性があるのだが、ジャカジャカとやっている中高生の場合、アルペジオや指弾きをどうやってやるのか知らないというケースが多いように思う。(もちろん、例外もある。) アルペジオも含めて、指で弦をはじく弾き方は、フィンガーピッキング(指弾き)スタイルと呼ばれている。フィンガーピッキングというと、ただ単にコード(和音)になるように指で弦を1、2本ずつ弾くだけと捉えている人が、意外によくいるのだが、その世界はとてもディープである。 かつて一世を風靡したフィンガーピッキングスタイルとして、スリーフィンガー(カンチョーではない。)というのがあるが、現在ではマイナーとさえ言えそうなスタイルである。弾き方に関してはここで触れないが、スリーフィンガーを多用したのは、吉田拓郎、泉谷しげる、なぎら健壱、PPM、S&Gといった、6、70年代フォーク世代である。 おそらく、日本でのスリーフィンガーは、アメリカのPPM(ピーターポールアンドマリー)のマネから始まったのではないかと考えられる。スリーフィンガースタイルそのものは、19世紀後半から20世紀初頭にかけてのカントリー&ブルーズから生まれたものらしいが、よくは知らない。 このスリーフィンガーも、音量が小さいため、室内向きの奏法と言えそうである。隆盛期には、バーや歌声喫茶などで、盛んに演奏され、大衆の耳にも届き、まさにメジャーと言える勢いがあったが、現在では、あまり大っぴらには弾かれない、マイナーなスタイルとなっているようである。(ボクの親ぐらいの世代にとっては今でもメジャーかもしれない。) ちなみに、アルフィーの坂崎幸之助は、スリーフィンガーの名手である。あと、意外かもしれないが、あのなぎら健壱もスリーフィンガーの名手である。(全盛時は坂崎よりも上かもしれない。) スリーフィンガー以外にも、フィンガーピッキングスタイルは数多くある。他にどんなスタイルがあるのかと訊かれると、具体的に答えることは難しい。スリーフィンガーは、1つの様式化した奏法なので、こうだ、と言いやすいのだが、スリーフィンガーでないフィンガーピッキングは、具体的にこうだとは言いにくい。 (ただ単にボクの知識が不足しているのかもしれないが)フィンガーピッキングは、10人いれば10通りのスタイルがあると言っても過言でないのではなかろうか。 例えば、メジャーレーベルでヒットを飛ばしながらも奏法的にはマイナーなスタイルを貫く山崎まさよしの弾き方は、独特で多彩なフィンガーピッキングスタイルである。ボク自身、彼のスタイルから学ぶことは多大だったと思うが、アコギの可能性を広げているとも言えるスタイルである。 もう少し例を挙げると、エリック・クラプトンのフィンガーピッキングも、伝統的なブルーズを土台にしてはいるものの、やはり彼にしかない特徴がある。 恐れながら、拙いボクのフィンガーピッキングにさえ、独自性(クセ)があるのだから、もう、フィンガーピッキングのスタイルをどうこう言うのは、不毛な気さえしてくる。 とにかく、フィンガーピッキングの世界はディープである。 例えば、伴奏のみに用いられると思われがちなフィンガーピッキングにも、インスト(歌ナシ、楽器だけ)というジャンルがある。 フィンガーピッキングの特徴として、低音弦でベース音を担当する、というのがある。簡単に言うとつまり、ベースのメロディーを弾きながらアルペジオを弾くのである。それだけでも、かなり難しいのだが、インストの場合、さらに主旋律のメロディーまで弾くのである。1本のギターで、ベース、コード(和音)、メロディーを同時に弾くのだから、もうどうやって弾くのかさえ想像のつきかねる世界である。 このフィンガーピッキング・インスト、当然、日本では超マイナージャンルである。 中川イサトという日本のフィンガーピッカーの草分け的なギタリストがいる。この名前も新聞や雑誌を隈なく探せば見つけられるはずなのだが、いわゆるマニアックな人々、愛好家達にしか知られていないような気がする。他に、岸部真明なんて言えば、誰それ?という世界である。(岸部さん、スミマセン) フィンガーピッキング・インストは、素晴らしい。生で聴くと、よくぞギター1本でこんなにも美しいアンサンブルが出せるものだと、ため息が出るほど感動する。アコギ1本でオーケストラができると、言ってしまいたくなる。 日本では、フィンガーピッキング・インストを専門に演る人が、非常に少ない。しかし、アメリカやカナダには、凄腕の達人達が跳梁跋扈しているという。(多少、オオバァ…。) 底知れぬ世界である。 マイナーとは、小数を意味する。 故に、間口が狭く奥深いことが多い。 だから、フィンガーピッキングを掘り下げるだけで、これほどの字数を要してしまう。 アコギにもメジャーな世界と、マイナーな世界がある。 どっちが良いとかいうものではないが、メジャーかつマイナーなものというのは、 非常に広範かつ深遠で、つまり豊かなものなんじゃなかろうか、と思う。 そう、アコギは、様々な人に様々な形で愛される、豊かな楽器なのである。 END 〜あとがき〜 久しぶりに、あとがきを書くことにしました。 青春時代の多くに心血を注いだ「ギター」「音楽」について、 そろそろ、何らかの形で語っていってもいいのではと思い、 今回、こういうテーマを持ってきました。 書くまいと思っていたテーマを書く気になったのは、 音楽が本職、という意識がなくなったからなんだと思います。 また、違った切り口で「ギター」「音楽」について語ろうと思います。 では。 |